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36 救いの手

検査場の控室の一室。窓から差し込む午後の陽光は、いつもより白く、冷たく感じられた。


部屋の空気は張り詰めており、まるで薄い氷の膜で覆われているかのようだった。メリディアは、付き添いのケーナと向かい合って座っていたが、その表情は石のように硬く、落ち着かない様子で繊細な指先を何度も弄んでいる。普段は宝石のように輝く淡い金髪も、今は心なしか陰って見えた。


「……やっぱり、まずいですよね……」


ケーナが不安げな声を漏らした。その声は小刻みに震え、彼女自身も尋常ではないほど動揺していることが窺えた。


「メリディア様、ここは……やはり、逃げた方が賢明なのではないでしょうか?このような検査を受けるなんて……」


ケーナの言葉に、メリディアは静かに、しかし固く首を横に振った。


「……いいえ、駄目よ……」


彼女の声は、普段の凛とした、周囲を圧倒するような響きを失い、か細く、今にも消えてしまいそうだった。


「光属性を持つ私が、この検査を拒否すればそれは、もう私が犯人だと、自ら白状しているようなもの……そんなこと、絶対にできないわ……」


「で、でも、メリディア様は公爵家のご令嬢ですし……このような屈辱的な検査を受けるわけには行かないと拒否することも可能では……?」


ケーナは僅かな希望を託すように、縋るような目で言った。


「かもしれないわね……」


メリディアは窓の外、白く輝く空を見上げ、遠い目をして呟いた。その瞳には、深い悲しみと諦めが滲んでいた。


「……でも、検査を拒否することは、自ら罪を認めることと同じ……。結果は、何も変わらないわ……」


ケーナは絶望的な表情で俯いた。


「ど、どうしたら……」


彼女の細い肩が、小さく、しかし絶え間なく震えている。


メリディアは、ケーナの震える肩を見つめ、申し訳なさそうな表情を浮かべた。自分一人の問題ではない。ケーナをはじめ、自分に仕える人々全てに、危険が及ぶ可能性があるのだ。


メリディアの脳裏に、冷たい風が吹き抜けた。もし、自分が闇属性の力を持っていることが公になれば……。想像するだけで、全身が凍り付くような恐怖に襲われた。


(もし、私が闇属性持ちであることが発覚したら……)


確かに、自分はヴァイスロート公爵家の人間だ。名門貴族として、恵まれた環境で育ってきた。

しかし、それはあくまで表向きの姿。貴族社会の裏側は、冷酷で、容赦がない。特に、ヴァイスロート家は、血統と家名を何よりも重んじる、典型的な貴族だ。


もし自分が闇属性を持っていると知られれば、父や兄は躊躇なく、私を見捨てるだろう。一家の恥として、どのような目に合わされるか、想像もつかない。幽閉、国外追放、あるいは……それ以上の、もっと残酷な運命が待っているかもしれない。


(あの人達は……わたくしのことを、家族だなんて……思っていない……)


幼い頃から、父や兄から向けられる視線は、どこか他人行儀だった。愛情や温もりを感じたことは、一度もない。彼らにとって、私は家の名声を保つための道具、あるいは政略結婚の駒に過ぎない。


家族という温かい繋がりなど、最初から存在しなかったのだ。助けを求めたとしても、彼らが私を庇うことなど、ありえない。むしろ、自分たちの体面を守るために、私を切り捨てるだろう。


(……私には、ソフィしかいなかったもの)


想像は、メリディアの心を絶望の淵に突き落とした。孤独と恐怖、そして深い悲しみが、彼女の心を締め付ける。今まで、心の奥底に押し込めていた、家族への不信感と孤独感が、一気に溢れ出してきた。


メリディアは、ふと、白銀の裁定者のことを思い出した。

あの夜、彼は私に言った。


「無謀なことはするな」と。


まるで、今日のこの状況を、全て見通していたかのように……。

あの時、私は彼の言葉の意味を、深く考えなかった。ただ、彼の優しさに触れて、安心していただけだった。しかし、今になってようやく、彼の言葉が、深い警告だったことに気づいた。


(……彼は、全てを……見通していたのだろうか……? この状況も、私がどんなに苦しむかも……。だとしたら……私はどれだけ愚かだったのだろうか……)


そんなことを考えていると、突然、扉が何の予兆もなく、開かれた。


「ちょっと、部屋にノックもなしにいきなり入ってくるなんてーーーー」


普段の凛とした声で叱りつけようとしたメリディアだったが、扉の向こうに立っていた人物を見た瞬間、言葉を完全に失った。


まるで、時が止まったかのように、彼女の意識は空白に塗りつぶされた。


そこに立っていたのは、紛れもなく、白銀の裁定者その人だったのだ。


メリディアは驚きのあまり、目を大きく見開き、美しい唇をパクパクとさせている。言葉が出てこない。思考が停止したかのように、ただ彼の姿を、信じられないという目で見つめることしかできない。心臓が、まるで体の中から飛び出してしまいそうに、激しく鼓動している。全身の血が逆流し、顔がみるみるうちに赤くなっていくのを感じた。


「あぁ、勝手に入って悪かったな」


白銀の裁定者は、低く落ち着いた声で静かに言った。その声は、メリディアの耳に、甘美な旋律のように響いた。その声を聞くだけで、メリディアの心臓はさらに激しく鼓動し、全身に熱いものが駆け巡るのを感じた。


「あ、貴方様でしたら、ノックなど……不要です。とんでもありません……。わたくしこそ、申し訳ありません……」


メリディアは慌てて立ち上がり、震える声で、必死に平静を装って言った。しかし、動揺は隠しきれず、顔は依然として赤く染まったままだ。


「君が、困っているだろうと思ってね……」


白銀の裁定者は、静かに、しかし真っ直ぐにメリディアを見つめた。その瞳には、彼女への深い気遣いと、僅かな憂いが込められているように見えた。その視線を受けた瞬間、メリディアの心臓は、さらに大きく跳ね上がった。


(……ああ……裁定者様……)


メリディアは、信じられない、という、夢を見ているような表情で彼を見上げた。期待と不安、そして隠しきれない高揚感が入り混じった、複雑な感情が、彼女の胸を満たしていた。


「ま、まさか……わたくしを、助けに……?」


彼の姿を見ているだけで、涙が溢れてきそうになるのを、必死に堪えている。


「そうだ」


白銀の裁定者は、力強く、そして優しく頷いた。その一言は、メリディアの心に、暗闇を切り裂く一筋の光を灯した。絶望の淵に突き落とされていた彼女にとって、それはまさに、救いの言葉だった。


(……ああ……なんてこと……!裁定者様が……わたくしを……助けに来てくださった……!夢ではない……これは、現実……!)


感激のあまり、ほとんど狂乱状態になりかけているメリディアを見て、白銀の裁定者は優しく、しかし毅然とした、落ち着いた口調で言った。


「落ち着いてくれ……」


その声に、メリディアは我に返った。高鳴る胸を抑え、深呼吸を一つ。なんとか平静を装おうとするが、頬は依然として赤く染まったままだ。


しかし、その表情には、先程までの絶望の色は消え、代わりに、希望と安堵、そして何よりも、彼への深い感謝の念が溢れていた。


メリディアの様子を心配そうに見つめていたケーナが、おずおずと口を開いた。


「メ、メリディア様……そちらのお方は……もしや……?」


ケーナは、白銀の裁定者の姿をまじまじと見つめている。その瞳には、驚きと畏怖、そして僅かな好奇心が入り混じっていた。普段は冷静沈着なケーナにしては珍しい、動揺を隠せない様子だった。


メリディアは、ケーナの問いに、誇らしげに胸を張って答えた。


「ええ、ケーナ。この方は……わたくしを幾度となく救ってくださった、白銀の裁定者様よ!」


メリディアの頬は、先程までの赤みを帯びたまま、どこか誇らしげに輝いている。彼女の表情は、まるで恋する乙女のようだ。


ケーナは、慌てて姿勢を正し、恭しく頭を下げた。


「わたくしは、ルーメン・テネブレの運営を任されております、ケーナ・ルームと申します。白銀の裁定者様にお目にかかれるとは、光栄至極に存じます」


彼女の声は、僅かに震えていたが、丁寧な言葉遣いと礼儀正しい態度からは、彼女の育ちの良さが窺えた。初めて間近で見る白銀の裁定者は、想像していたよりもずっと神秘的で威圧感があり、その存在感に圧倒されていた。しかし、同時に、メリディア様がこれほどまでに心酔するのも無理はない、と感じていた。

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