35 助ける理由
柔らかな日差しが中庭を優しく照らす、Dクラス塔の中央に位置する人気のないベンチに、アリシアとアルドが静かに腰を下ろしていた。
周囲にはまだ眠るような静寂が広がり、二人の会話だけが穏やかに響いていた。
アリシアは持参した資料をテーブルに広げながら、眉をひそめて問いかけた。
「……大規模検査のこと、聞いた?」
「ああ、さっきクラスメイトから聞いたよ。闇属性を調査するためだってな」
アリシアは静かに頷き、アルドの表情をじっと見つめた。
「ジグラー家が学園理事に圧力をかけて実現させたものよ。本気で全校生徒を対象に不審者を洗い出そうとしている。属性分析を使った検査……もし何か隠している人間がいれば、必ず見つかるわ」
その言葉に、アルドは頷いた。
「あぁ、しかし、学園全員の検査を行うだなんて思い切ったことをするな」
「マリアの実家からの強い圧力もあるけど……さすがに、あれだけの貴族が亡くなったともなれば仕方ないでしょうね。というかあなたのせいでもあるんだけど……これ、学園が閉鎖される可能性が高い大事件なんだからね?」
アリシアは重い口調で言った。
「あぁ、すまない。軽率な行動だった」
アルドは一瞬戸惑いながらも、頷きアリシアを見つめた。
「今は事件のあったBクラスが怪しいということでBクラス全体の検査が行われている最中よ。それで……」
アリシアは深呼吸をし、静かに言葉を続けた。
「アルド、あなたは大丈夫なの……? その、検査とか……」
アリシアの目がアルドの表情をしっかりと見つめる。彼女は心配そうに尋ねた。
「以前はC区画に設置された精霊術を感知する結界にもひっかかっていなかったみたいだけど……」
「大丈夫だ。ナジャは厳密には精霊ではないらしいからな。闇術としても、その他の属性としても判定されないだろう」
「そう……犯罪を隠蔽しているようで少し複雑だけど、でも私はあなたの味方だから……」
アリシアは笑顔を浮かべながら言った。
その笑顔にアルドは少し戸惑い、胸の奥で胸が痛むのを感じた。アリシアを騙し続けることの辛さが彼を苦しめていた。
「でも、これでルーメン・テネブレの主犯は見つかるんじゃないかしら? それは私たちにとっても悪いことじゃないはずよ」
「あぁ、そうだな……」
アルドは心の中で葛藤しながらも、口には出さずに頷いた。
(俺としては犯人に捕まってもらっちゃ困るんだがな……)
アリシアは再び資料に目を落とし、真剣な表情で続けた。
「一応、犯人が闇属性だけじゃなくて光属性も使っていたことから”光属性”を持っている人を優先的に検査するみたいね。だから私やメリディアさんのような光属性持ちは昼過ぎからすぐに検査よ」
その言葉にアルドの心は凍りついた。
(いや、それはまずいんじゃないか?)
メリディアは光属性の才女として1年のAクラスでは首席の成績を収めているが、実は彼女が光と闇のデュアルコントラクターであることをアルドは知っている。
もし検査を受ければメリディアが闇属性を持っていることが露呈し、公爵家の令嬢とはいえただではすまないだろう。
(彼女の力は今後の復讐に必要不可欠だ……なんとかしたいところだが……)
アルドは資料を見つめるアリシアを見つめ、思考する。
アリシアとの関係も、妹リーシェを救うためには絶対に必要だ。現在のところ進捗はないが、アリシアは禁書庫へのアクセス権を得ようと様々な手段を講じてくれている。また、アリシアは科学施設も利用できる。
しかし、それは「俺が殺しをしない」という前提が必要だ。
つまり、メリディアやルーメン・テネブレを隠れ蓑にすることによって、アルドの復讐を隠すことが必要不可欠となっている。もし、ここでメリディアが審問会によって学園から排除されることになれば、アルドの復讐計画は大きく停滞してしまうだろう。
「じゃあ、私は午後の検査があるからそろそろ行くわね」
「待ってくれ、その検査……俺も、ついて行っても構わないだろうか? なんだか、嫌な予感がしてな……」
アルドの言葉に、アリシアは少し考え込むように顎に手を当てた。
「そうね、検査自体は試験の時のように、クラス領域外のドームで行うから……監査委員の補佐官扱いであれば、問題なく同行できると思うけど……」
「そうか。それなら、ついて行かせて欲しい」
アルドは静かに、しかし強い意志を込めて言った。
「……分かったわ。それなら、私が監査委員会に申請を出しておくわ」
アリシアはそう言うと、アルドの目をじっと見つめた。その瞳には、心配の色と、何かを伝えようとする強い意志が宿っていた。
「あぁ、助かる。ありがとう」
アルドは軽く頷き、アリシアの視線から逃れるように視線を逸らした。
「あ、そうだ、もう一つ、あなたが複数の属性——」
アリシアが、それまでとは打って変わって、真剣な表情で何かを言いかけた、その時だった。
「リーシェ~!もう午後の実習、始まるよ~!」
明るく、能天気な声が中庭に響き渡った。
声の主は、イルマだった。中庭に足を踏み入れた彼女が、満面の笑みを浮かべて手を振っている。
アリシアは、言いかけていた言葉を飲み込み、少しだけ残念そうな表情を浮かべた。アルドは、内心で安堵と焦燥が入り混じった複雑な感情を抱きながら、イルマの方へ向き直った。
「すまない、話は後で聞く。午後の授業を欠席すると伝えてくるからアリシアは先に行って待っていてくれ」
アルドは深くため息をつき、アリシアに小さく微笑んだ。
アリシアはアルドに一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに穏やかな笑顔に戻った。
「わかったわ。じゃあ、私は先に行っているわね。申請はしておくから……」
「あぁ、助かるよ」
この時アルドの心中ではメリディアを助けるための計画が渦巻いていた。