32 倫理監査委員会議前
アリシアは倫理監査委員会の会議室に少し早めに到着していた。
会議室の窓からは、学園の整然とした庭が見える。その緑が目に映るにもかかわらず、胸の内には重い空気が渦巻いている。B区画でのマリア襲撃事件以降、学園全体が緊張に包まれ、特に貴族派と反貴族派の間の対立は日に日に明確になりつつあった。
アリシアは、机の上に置かれた資料に目を通しながら、事件を思い返していた。なぜあの日、もっと上手く動けなかったのか。自問自答が止まらない。
そこへ、扉が音もなく開き、メリディアが姿を現した。
「アリシア先輩、先日はありがとうございました。おかげでC区域、D区域は問題が起こらず事前に食い止めることができました」
メリディアは柔らかな笑みを浮かべて近寄り、丁寧にお辞儀をする。
その態度に、アリシアは一瞬表情を曇らせた。C区画、D区画での陽動は抑えられた――だが、その間にB区画では貴族派の集会が襲撃を受け、死者が出たのだ。
「え、えぇ、そうね……私が向かった時にはすでに人は散っていたようで、結局、何もできなかったけど……」
アリシアの声にはわずかな疲れが滲む。
それに気づいたのか、メリディアも軽く目を伏せた。
「私の向かったD区域でも、集会が行われていましたが、私が到着した途端、すごい勢いで逃げ出されました。数人程度を捉えることは可能でしたが、特に罪状もなく、結局何もできませんでした」
「まぁ、そうよね……。あれはやっぱり“本命”のための陽動だったのかしら……」
アリシアが小さく呟くと、メリディアは肩を落としつつも頷いた。
「B区画での貴族派集会のことですね……聞きました。また犠牲者が出てしまったようで。警備は十分とのことだったので過信していました。私のミスですね、申し訳ありませんでした」
メリディアの素直な謝罪に、アリシアは思わず首を振った。
「いえ、襲撃が起こるかどうかも分からなかったし、C、D区画で集会があったのも事実よ。メリディアさんのミスというわけではないわ。それに、私たちが現場に行っても……助けられなかった可能性もあるわ」
「そう、ですね。なんでも“白銀の裁定者”が現れたという話ですし……」
その名前が出た瞬間、アリシアの胸に重い感情が押し寄せた。アルドがマリアと戦ったという話を聞いて以来、複雑な思いが消えない。彼女はその感情を押し隠しながら口を開いた。
「ねぇ、そういえばメリディアさん……あなた、C、D区画で集まっていた宗教団体のような集団について調べたと言っていたわよね。その宗教団体について詳しく教えてくれないかしら?」
メリディアは一瞬、迷うような表情を見せたが、やがて口を開いた。
「え、えぇ、そうですね。その宗教団体は貴族派に恨みを持つ者たちが集まっているようで……。CクラスからDクラスを中心に団結しているようです」
その言葉に、アリシアは低く呟いた。
「……ルーメン・テネブレ」
「ご存知だったのですか……?」
メリディアの驚きに満ちた反応に、アリシアは小さく頷いた。
「少しだけね。そして光と闇の属性を持つ仮面のデュアルコントラクターが統率していたそうよ」
メリディアは眉を寄せながら言った。
「……でも闇属性を扱うなんて珍しいですね。不審死の原因は闇属性によるもの……ということでしょうか?」
アリシアは不審死事件の真相を知っているが、正直に話すことはできない。慎重に言葉を選んで答える。
「そ、そうね。闇属性の力で体の内部から殺されているのではないかという話も出ているわ」
その曖昧な答えに、メリディアは小さく頷きながらさらに問いかけた。
「……そうですか、アリシア先輩、学園内で闇属性を扱える生徒なんているのでしょうか?」
アリシアは迷った末、真実を打ち明ける。
「実は全て調べたことがあるの。学園中の生徒の情報をね」
「え? 全員調べたのですか? それで、結果は……?」
「一人も該当者がいなかったわ」
その答えに、メリディアは息を吐き出した。
「それもそうですよね。Bクラスの貴族を殺害するほどの闇の実力者がいるのであれば、少しくらい耳にしたことがあるはずですもの」
「えぇ、だから犯人は闇属性が使えることを“隠している”のでしょう」
「私たちが使える“光属性”も希少ですが、それでも闇ほどではありません。それが光と闇という相反する性質を同時に扱う……となれば、想像を超えていますね」
その言葉に、アリシアは小さく頷いた。
マリアが語った「光や闇など複数の属性を扱う白銀の男」の話が頭をよぎる。
(そういえばアルドに聞きそびれちゃったけど、マリアの言っていた複数属性を扱ったというのはどういうことだったのかしら……)
アルドの力について彼女なりに理解しているつもりだったが、それが何を意味するのか、はっきりとは分からなかった。
その時、会議室の扉が開き、他の倫理監査委員たちが続々と入ってきた。フィリオや数名の委員が席に着く音が響く。
アリシアはメリディアとの会話を切り上げ、資料に目を落としながら静かに自分の席に戻った。