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28 証と悲しみの瞳

ヴァールノートの力を借りてD区画に戻ってきたアルドは、スペイスが倉庫の一角で作業をしているのを見つけた。


薄暗い倉庫の一角で、スペイスは小さな魔道具に向き合っていた。額に浮かぶ薄い汗が、彼の集中力を物語っている。小さな歯車と魔力回路を調整する手つきは、精密機械を扱う職人のようだった。アルドは物音を立てないように近づき、声をかける。


「スペイス」


アルドの声に、スペイスは顔を上げた。作業の手は止まったが、アルドを一瞥すると、僅かに目を細めた。その表情に、安堵の色が浮かんだ。言葉はなかったが、それで十分だった。


「……これだ」


アルドは手に持っていたフレイムハートをスペイスに差し出した。


スペイスは無言で杖を受け取った。その手は微かに震え、握りしめた杖を静かに見つめた。様々な感情が押し寄せてきているようだったが、表情は変わらない。


「……持ち帰った、ということか」


ようやくスペイスが低い声で言った。


「ああ。少々骨が折れたがな」


アルドは右腕の火傷をちらりと見せた。


スペイスはアルドの腕を一瞥し、再びフレイムハートを見下ろした。


「……マリアか?」


「……あぁ。完全には仕留めきれなかったが、致命傷は負わせた」


アルドはそれだけを告げた。


スペイスは何も言わなかった。ただ、フレイムハートを握る手に力が込められる。しばらくの沈黙の後、低い声で言った。


「……感謝する」


それだけ言うと、スペイスは再びフレイムハートを見つめた。その瞳の奥には、アルドが以前見た、ヴィゼンについて語った時と同じ、深い悲しみと、しかしそれだけではない、複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。


アルドは、スペイスがヴィゼンのことを思い出しているのだと悟った。あの夜、薄暗い工房で夢を語り合った日々、そして不条理な死……。スペイスの静かな佇まいから、深い感傷が伝わってきた。


「……今後も、レリックルートはこちらで用意できる限り提供する。マリアに手を出したことで、貴族派の警戒は一層強まるだろう。学園の警備も厳重になるはずだ。これまで以上に、情報網と移動手段の確保が重要になる」


スペイスは顔を上げ、アルドを一瞥し低い声で告げた。


「……助かる」


スペイスとの短い会話を終え、アルドは周囲に尾行などがいないか細心の注意を払いながら、人通りの少ない裏路地を選んで進んだ。


目的の倉庫は、以前から身を隠すために使っていた、人目につかない場所にひっそりと佇んでいる。


扉は古く、閉まっているのか開いているのか判然としないほど周囲の風景に溶け込んでいた。


扉を慎重に開け、埃とカビの匂いが充満する倉庫に滑り込んだ。薄暗い中で、隠しておいた茶色のウィッグとブレザーを見つけると、手早く身支度を整え、リーシェの姿で外に出た。


夕暮れが迫り、空は茜色と群青色に染まり始めていた。

アルドは人目を避けながら、早足でD区画の寮へと向かう。


寮へ向かう道すがら、マリアを仕留め損ねた後悔が何度も頭をよぎった。


(アリシアとの約束は守った。可能な限り彼女の笑顔を曇らせたくはない。だが……あの場で殺していても、自分の仕業だと気づかれる可能性は低かったはずだ。いや、むしろ生かしておいたことで、自分が現場にいたと勘付かれるリスクの方が高い……)


後悔の念が胸を締め付け、奥歯を噛み締めた。しかし、今更後悔しても仕方のないことだ。過ぎてしまったことは取り戻せない。今は、この状況で最善を尽くすしかない。


長い廊下を抜け、簡素な外観の自室にたどり着いた。錆び付いた金具とくすんだ木板が、この部屋の古さを物語っている。


扉を開けると、狭い空間に最低限の家具が置かれているのが見えた。小さな机と、軋みそうな椅子、隅に置かれた粗末なベッド。壁には染みが広がり、古い窓枠から差し込む夕暮れの光で、室内は薄暗く沈んでいた。


アルドは扉を閉める前に周囲をもう一度確認し、しっかり鍵をかけた。

安堵の息をつき、ランタンを机の上に置くと、アルドは洗面台に向かった。冷たい水で右腕の火傷を丁寧に冷やす。焼けた皮膚は赤く腫れ上がり、触れるとズキズキと痛んだ。流水で冷やすことで、いくらか痛みは和らいだが、それでも深い傷であることは明らかだった。


冷水を止め、濡れた手を拭きながら、アルドは今後のことを考え始めた。


(ルーメン・テネブレの"聖女"が、まさかAクラスのメリディアだとは……しかも、アリシアと同じ倫理監査委員。D区画にも容易く来られる立場か。利用価値は高い……それに、あの光と闇の力……)


アルドは右腕の火傷を見つめた。痛みはまだ残っているが、それ以上に、メリディアの力への強い興味が湧き上がっていた。


あの力を自分のものにできれば、復讐はさらに容易になるだろう。しかし、同時に、彼女を利用することへのためらいもあった。


おそらく彼女は純粋に“裁定者”を信じている。その信仰心を利用するのは気が引けるが……。


(……だが、リーシェの仇を討つためには、手段を選んでいる場合ではない)


アルドはそう心に決め、目を閉じた。今日の出来事を整理し、今後の計画を練るために。

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