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26 原型複写《アルキウム・レプリカ》

話はルーメン・テネブレがマリアに襲撃を開始した時に遡るーー



アルドは、貴族派の集会が行われている屋敷を、物陰から静かに見つめていた。


屋敷の重厚な扉は固く閉じられ、中から漏れ出す賑やかな声が、貴族たちの権勢を誇示しているようだった。アルドは静かに息を潜め、目的の人物が現れるのを待っていた。


集会は滞りなく終わったようだ。扉が開き、数人の貴族が連れ立って出てくる。その中に、ひときわ目を引く女性がいた。艶やかな赤髪を肩まで伸ばし、凛とした立ち姿。周囲の貴族たちが自然と道を空ける様子から、彼女がこの集団の中心人物であることが窺えた。


(あれが、マリア・シュト・ジグラー……)


アルドは、記憶の底からその姿を呼び起こしていた。かつて、イザークの記憶を読み取った際に見たことがある。顔立ちは記憶の中の面影と重なるが、纏う雰囲気は写真で見た時よりもずっと威圧感を増していた。


(……リーシェを、あんな目に遭わせた……)


アルドの胸の奥で、抑えようのない怒りが渦巻いた。心臓が早鐘のように打ち、握りしめた拳が微かに震える。


マリア・シュト・ジグラー……。妹を陥れた仇敵。その姿を直接目にしたことで、アルドの中に眠っていた復讐心が、激しく燃え上がった。


マリアは、4人の護衛を連れて屋敷を出ていく。アルドは物陰から出て、彼女たちとの距離を保ちながら、静かに後を追った。人気のない路地に入り、周囲に人影がないことを確認する。


(……ここで、やるか……? もう少し、様子を見るべきか……?)


アルドの中で、復讐の衝動と僅かな躊躇がせめぎ合っていた。今すぐ飛び出してマリアに復讐したい。しかし、下手に動けば、騒ぎが大きくなり、目的を果たせなくなるかもしれない。


(いや、Aクラスのマリアを狙う機会は希少だ。リーシェの仇……ここで討つ!)


アルドが決意を固めたその瞬間、周囲を異様な闇が包み込み始めた。


まるで世界から色が失われたように、視界は急速に奪われていく。同時に、あらゆる音が消え、人々の気配さえも闇に飲み込まれていく。


(……これは、ルーメン・テネブレの襲撃か?)


アルドは眉をひそめつつ、静かに闇の中を進んだ。結界の範囲に踏み込んだとき、彼の耳に脳内に声が響いてくる。


(音が消えた……闇術か。視界も酷い……警戒しろ)


ナジャの声が、アルドの意識に直接響く。


(ああ。これほどの規模の結界となると……相当な術者だな)


アルドは目を凝らした。しかしその直後、街路の奥から魔力の衝突が伝わってきて、周囲に荒々しい波動が走る。かすかな閃光が霧の合間に見え、遠目に激しい戦闘が行われているとわかった。


(……乱戦か。あれは……仮面は被っているが、以前の襲撃の時にいたやつだな……)


内心でそんなことを考えつつ、アルドは結界のさらに深くへ踏み込む。まもなく、何人もの仮面を被ったフード姿の人物が倒れているのが視界に入った。彼らは悲鳴を上げる暇すらなかったのか、うずくまったまま苦しんでいる者もいれば、完全に気絶している者もいる。炎術が乱れ飛んだ形跡があちこちにあり、苦戦の痕が生々しい。


(この仮面の連中は全員ルーメン・テネブレで間違いないな。前回と違い、今回はかなりの戦力を注ぎ込んでいるようだ)


アルドが顔を上げると、少し先の闇の中に、一際強い魔力を帯びた人物が見える。その姿は深いフードと仮面で顔を隠しているが、体躯や衣服の雰囲気からして女性のようだ。


闇術の結界を張っている主犯も、どうやら彼女らしい。アルドは首をかしげた。


(あいつが……“聖女”か……? ルーメン・テネブレを率いているのは、彼女なのだろうか?)


そこへナジャが静かに応じる。

(気づかぬか。先日会ったであろう。メリディア……という光の術師だ)


(メリディア……? だが、彼女は光属性のはず……。この闇術は一体……?)


(妾の眼は誤魔化せん。あれは間違いなく同一人物じゃ。妾や精霊は”魂の本質”で人を判断するからな、仮面などでは誤魔化すことはできんよ)


アルドは思わず息を呑んだ。メリディアは学園でも有名な公爵令嬢だ。光の精霊術の天才という印象を持っていたが、実際は光と闇の両方を扱う二重契約者……そして、ルーメン・テネブレの教祖……?


頭が追いつかないまま、アルドは足早に近づくが、同時に視界の端で“フード集団の倒れた数人”に目を留めた。


(……気を失ってる、けど生きてはいるな。今なら触れられそうだ。これは好都合だ)


今まさに激戦が続いているようで、誰もアルドの存在に気づいていない。闇術のせいで音も消え、視認もしにくいからこそ、堂々と動いてもバレにくい状態だ。アルドは隙を見て倒れ伏す3人のルーメン・テネブレ構成員へ接近し、それぞれにそっと手を添えて精霊チャンネルの複写を開始する。


(炎、風、水……三属性、拝借させてもらう)


視界が仄暗く波打つ中、アルドは相手のアルキウム層へ深く干渉し、複数の精霊契約チャンネルをコピーする。気絶している相手に対しては干渉が容易い。ほんの数秒で複写を済ませると、ナジャが脳内で不思議な気配を放つ。


(器用なものだな……。こんな短時間で3つも精霊契約を複写するとは、才には優れているのは知っておったが……初見で全部を扱いこなすとなると、妾も驚かざるを得ぬ)


(感想はあとで聞く。いまは急がないと)


アルドはバタバタと倒れていく構成員の方から目を離し、さらに奥へ駆け寄る。その先では、派手な杖を手にしたマリアが炎を盛大に撒き散らし、闇術を駆使する仮面の女――メリディアが必死に応戦していた。


マリアは圧倒的に優勢だった。メリディア側の闇結界は風前の灯火となり、仲間たちは既に戦闘不能。メリディア自身も満身創痍で、膝をつき、今にも倒れ伏しそうだった。


(……しかし、公爵令嬢なのに、どうして貴族派に背いている?)


そこへ、マリアがゆったりとメリディアへ歩み寄る。炎の杖が振り上げられ、あと一歩で彼女の命を奪いそうな雰囲気が漂う。アルドは少しの逡巡を経て、地面を蹴り、猛スピードで前へ躍り出た。


(使える駒は、多いに越したことはない。それに……マリアは、リーシェを陥れた張本人……この好機、逃すわけにはいかない)


闇の結界が崩れかけているとはいえ、まだ霧と音遮断の余韻が残る。音が広がりにくいので、大胆に動いても見咎められない。アルドは一気にマリアの目の前へ飛び込み、既に複写済みの炎術と風術を瞬時に組み合わせ、攻撃を叩き込んだ。


「まさか……貴様が……! “白銀の裁定者”だと……!?」


マリアは驚愕に目を見開いた。アルドはさらに水術を放ち、彼女を牽制する。マリアは信じられないといった表情で呟いた。


「……トライコントラクター……?」


(さて、原型複写アルキウム・レプリカの力。存分に試してやる)


アルドは心の中で笑い、連続攻撃を浴びせる。するとマリアはフレイムハートを激しく振り、膨大な火力を土術で防御強化して応じてきた。ふたりの術が激突し、花火じみた火花が暗がりを弾け飛ぶ。それでも、今のアルドは多少の苦戦を強いられながらも十分に対抗できる。


(上位クラスの貴族派トップだろうと、複写した3属性があれば、対等以上に戦える。相手の火力は高いが……勝ち筋はあるな)


ナジャが呟く。


(あの魔道具の力は強烈じゃ。だが汝の器用さならば動きで翻弄できる)


(ああ、わかってる。……それにリーシェを苦しめた張本人だ、遠慮は不要。思い切りやってやる)


倒れ伏していたメリディアが、辛うじて顔を上げた。

仮面越しにも、彼女の目に浮かぶ動揺と、微かな希望の色が見て取れた。アルドは一瞥をくれるが、今は言葉を交わしている暇はない。


マリアとの斬り合いは激しさを増す。炎が噴き、土の槍が飛び出し、アルドの水術や風術がそれを中和する一進一退。周囲では結界がほぼ崩れている。


(人気のない路地ということもあり、大勢が駆けつける様子はまだなさそうだが時間をかけているとまずいな)


アルドがマリアを引き付けている間に余裕が生まれたのか、メリディアが闇の結界を張りなす。行動を阻害するような力はないが、周囲から音をかき消す。


(助かる……これで派手に暴れても人が集まってくる心配はなさそうだな……!)


同時にマリアも再び音が消えたことに気づく。

闇の帷が、弱まりながらもまだ機能しているのだと悟り、その苛立ちを隠すように、彼女は冷酷な笑みを浮かべ、フレイムハートをメリディアへ向けた。


「死に損ないが! 邪魔だ……!」


杖先から放たれたのは、先ほどまでの火球とは比べ物にならない、巨大な業火の奔流だった。それはまるで、全てを焼き尽くす竜の咆哮のように、凄まじい熱量と轟音を放ちながらメリディアへと迫る。


メリディアは、もはや動くことすらままならない体で、迫りくる業火をただ見つめている。絶望が彼女の瞳に深く刻まれた。


(まずい……!)


アルドは、マリアの視線がメリディアに向かった瞬間、彼女の意図を察知した。考えるよりも先に、体が動いていた。彼は風の精霊と繋がり、己の周囲に幾重もの風の壁を展開する。それは単なる風の盾ではなく、竜巻のように回転する風の奔流であり、迫りくる業火を逸らすための最後の抵抗だった。


稲妻のような速度でメリディアの元へ駆けつけたアルドは、彼女を庇うようにその身を覆った。直後、轟音と共に灼熱がアルドを襲う。


風の奔流は業火の勢いを僅かに削いだものの、完全に防ぎきることはできなかった。業火の一部がアルドの右腕を直撃し、皮膚が焼け焦げる嫌な臭いが立ち上る。激痛が彼の全身を貫き、思わず顔を歪めた。


皮膚が焼け、肉が焼け焦げる音。メリディアのすぐ目の前で、信じられない光景が繰り広げられていた。


だが、アルドは痛みなど気にも留めていなかった。右腕を焼かれた痛みは激しく、感覚が麻痺していくようだったが、彼の意識は、ただメリディアを守ることだけに集中していた。


彼女の身に、これ以上の傷を負わせるわけにはいかない。彼女を庇ったことで、マリアの攻撃は逸れた。


しかし、このままではジリ貧だ。先ほど複写した炎、風、水の三属性だけでは、マリアを仕留めきれない。彼女の魔道具フレイムハートから繰り出される炎の奔流は、並の術では太刀打ちできない。


ーーさらに強力な術を得る必要がある。


アルドは決意を固め、風でマリアを牽制すると、すぐにメリディアのすぐ隣に膝をついた。彼女は辛うじて意識を保っているものの、焦点の合わない瞳で虚空を見つめている。アルドは、彼女の細い手を取った。その手は冷たく、僅かに震えていた。


メリディアは、アルドが手を握った瞬間、びくりと身体を強張らせる。先程、身を挺して自分を庇ってくれた男が、今度は自分の手に触れている。混乱と警戒、そして僅かな安堵が入り混じった表情で、アルドを見つめ返した。闇の帷の名残で音が聞こえないため、アルドが何を考えているのかわからない。しかし、その瞳の奥にある真剣な光を見て、彼女は抵抗するのをやめた。


闇の精霊は彼女自身が使っているし、光も同様。この両方のチャンネルを複写できれば、五属性による圧倒的な攻撃が可能になる。それは、マリアを確実に仕留める唯一の手段だった。


その時、ナジャの声がアルドの耳奥に囁いた。


(焦るな。相手からの拒絶がないとはいえ、精霊チャンネルへの干渉はアルキウムへの直接的な接触。それ相応のリスクがあることを忘れるな。数秒とはいえ、集中を維持せねば、お互いのアルキウムに悪影響を及ぼす可能性もある)


アルドは素早くメリディアのアルキウム層へ触れ、光と闇の精霊契約を複写する。一瞬、互いの魂が震え合うような感覚が走り、アルドは全身を電撃が走るかのような衝撃に包まれた。


(……くっ……まさか、これほど濃厚な属性が……!)


メリディアの光と闇は相反するはずなのに、どこか調和を保っているのが不思議だった。だが今は深く考えている場合ではない。アルドは伝わる精霊契約を自分のアルキウム領域にコピーし、メリディアにはそっと「目を閉じていろ」と目だけで伝えると、仮面の奥の彼女は真剣な眼差しでこちらを見つめ続けていた。


複写完了。アルドはメリディアの手を離れ、再び飛んでくる火球を光の結界により防ぐ。

光の結界を纏い、闇の精霊術でマリアの動きを阻害すると同時に風の術でひとっ飛びし、光と闇の精霊術を操った複数の波動を解き放ちマリアとの一騎打ちを再開する。


(光属性……闇属性……まさかこんなにも……複数の精霊の力が体内で奔流し、制御するのがやっとだが単純な暴力ではない……可能性を感じる力だ!)


アルドは心の奥で喜びに似た感覚を感じる。ナジャの声が不機嫌そうに混じる。


(あまり浮かれるでない。汝はすでに複数の複写を多用しておる。余力はどこにあるのか知らぬが、契約が壊れる前に片付けよ)


(わかってる……いけるはずだ、今の俺なら)


そして、5属性を操る“マルチコントラクター”となったアルドが、マリアを圧倒し始める。マリアの炎を闇で呑み込み、土の防御を光の閃光で破壊し、絶妙に風や水を混ぜ込んで立ち回ることで、いままで見たことのない多彩な術が連続炸裂した。マリアは目を見開き、完全にペースを崩されている。


「っ!!!……!!!……!」


彼女は声の出ない結界の中、フレイムハートを振りかざし、最後の力を振り絞るように炎を噴射させるが、完全に隙だらけだ。


(いける……っ!)


アルドは風の刃を解き放った。


狙いは、確かにマリアの首だった。


マリアが土壁を築き上げるよりも早く――風の刃がその首を落とす、まさにその瞬間。


鮮やかなまでに優しい、アリシアの笑顔が、アルドの脳裏に蘇った。


『もう、殺さないで』


あの日の、柔らかく、けれど芯の強い声が、アルドの胸を強く締め付けるーーわずかな躊躇と集中を乱した影響により、風の刃の軌道が逸れる。


(……違う……!)


アルドは、心の底からそう叫んだ。


逸れた風の刃は、マリアの肩を深く切り裂き、激しい衝撃波が周囲に奔った。

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