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24 絶望の淵に射す、白銀の光

灼熱が肺を焼き、呼吸をするたびに鋭い痛みが全身を貫く。喉の奥から込み上げてくる鉄の味。


ああ、もう駄目だ。体のあらゆる場所が悲鳴を上げ、意識は白く染まっていく。視界の端から闇が忍び寄り、意識の輪郭を曖昧にしていく。遠くで力なく倒れている仲間たちの姿が、遠い記憶のように霞んで見える。


私は自分の無力さに打ちひしがれ、唇を噛み締めた。


(こんなところで……終わるの……?)


絶望が重い鉛のように私を沈めていく。


先ほどまで私たちは、貴族派をまとめ上げるAクラスのマリア・シュト・ジグラーに奇襲を仕掛けていた。


私が展開した闇の結界は、音だけでなく光の屈折も操り、マリアの感覚を狂わせていた。彼女は周囲の音が反響して聞こえ、距離感が掴めなくなっていたはずだ。そこを仲間の一人が背後から土術を操り、マリアの注意を引きつけている隙に、別の仲間が風の刃で攻撃を仕掛けた。しかし、マリアは咄嗟に土の壁を作って風の刃を防いだ。同時に、炎の槍を放ち、仲間は人形のように崩れ落ちた。


マリアの力は、私たちがこれまで相対してきたどの敵とも桁違いだった。


闇だけでなく、光の力を開放した私でさえ、その圧倒的な力の奔流に抗うことすらできない。


彼女が繰り出す炎は、まるで生き物のようにうねり、私たちの攻撃をいとも容易く焼き払う。大地を操る力は、巨大な壁を幾重にも出現させ、私たちの退路を完全に塞いでいく。炎と土が織りなす容赦ない連携は、私たちを絶望の淵へと突き落とした。


マリアの操る炎は、まるで意思を持っているかのように、私たちの攻撃を追い詰めてくる。土の壁は幾重にも重なり、私たちの退路を断ち、逃げ場を失わせていった。


「……がはっ……」


口の奥に鉄の味が広がり、咳き込むように血を吐く。


意識が朦朧とする中、マリアがゆっくりと近づいてくるのが見えた。

その表情は冷酷で、獲物を狩る捕食者のようだった。


彼女の手には、禍々しいほどの熱を帯びた杖型の魔道具──フレイムハートが握られている。杖の先端に輝く輝石からは、絶えず炎が噴き出し、周囲の空気を歪ませている。足元には、意識を失って倒れている仲間。別の仲間は、かろうじて浅い呼吸を繰り返しているだけで、最早抵抗する力は残っていない。


私の展開した闇の結界も、マリアの放つ業火によって刻々と脆くなっていく。ひび割れた結界を通して、焼け付くような熱さが容赦なく肌を焦がし、意識は混濁していく。


足元に転がる仲間の一人がかすかに声を発しようとするが、それは掠れた喘ぎにしかならなかった。もう誰も動けない。


私の闇術による結界も消耗し切ってしまい、微弱な状態だ。あとはこの炎の一撃を受け、灰になるか、その手前で気絶して心臓を貫かれるか。


(私がしてきたことは……間違っていたのかしら……)


私たちは、ルーメン・テネブレは、“裁定者様の御名の下に”貴族派を断罪してきた。しかし、何度、裁きを代行しようとしても、“白銀の裁定者様”は一度も姿を見せてくれなかった。


それはただの独り善がりに過ぎなかったのだろうか。私が勝手に“裁定者様の代行”を名乗り、暗殺や不審死を繰り返してきた。その報いが、今、この形で訪れたのだとしたら……。


“暗闇の処刑人”と呼ばれる存在が貴族派を次々と葬っているという噂を聞いた時、私は確かに心を震わせた。


(これこそ、神の御業……神の裁きだと……)


そう信じようとした。しかし、その姿を目にすることなく、時間だけが過ぎていった。焦燥に駆られた私は、“代行”という名の下に、不審死を偽装し続けた。神は現れなかった。そして今、私は……。


マリアの持つフレイムハートが、これまで以上の熱を放ち始めた。限界を超えた結界が悲鳴を上げ、遂に完全に崩壊した。



結界の崩壊と同時に、世界に音が戻る。



風の音、虫の鳴き声、そしてマリアの嘲笑が、耳に突き刺さるように聞こえた。 瞬間、耳を裂くほどの轟音が低く響き、灼熱の火球がメリディアへ襲いかかった。それはまるで、全てを焼き尽くす業火のように、周囲の空気を激しく震わせていた。


「“白銀の裁定者”もわたくしの敵ではなかったようね」


唇を噛み締めたまま、ただ己の浅ましさを思う。なにもできなかった。結局、私一人では貴族の殻を破れなかった。それどころか自分が”白銀の裁定者”を貶めてしまったのではないか。


マリアの嘲笑が耳に突き刺さる。その嘲りが悔しくて、情けなくて、私の目頭には熱いものが込み上げてきた。ソフィも、同じようにこんな無力な状態で奪われたのだろうか……何も言えないまま、何も守れないまま、ただ潰されていったのだろうか。


──あぁ、ソフィ。


もうダメだ。私はぎゅっと瞳を閉じる。胸の奥で名も知らぬ神を祈っていた時期もあったが、今はただ、暗闇の奥に沈みこむ自分の意識を受け入れていた。体に力が入らない。心臓が弱々しく鼓動するのが自分でも分かる。鼓膜が炎の轟音に塞がれ、何も聞こえなくなる。


死ぬんだ、と頭の片隅で確信する。こんなところで、腐敗の象徴とも言える貴族の手にかかって。それでも――やはり恐怖は消えている。残るのは、ソフィを失った時と同じ、どうしようもない虚無だけだ。


(結局、私には白銀の裁定者様の代行なんて……務まらなかった……)


闇の力を授かったときの決意、妹同然のソフィの死による憎悪、そして“白銀の裁定者”という神がもたらす夢。それらすべてが儚い泡になって弾けていくかのようだ。喉が枯れ果てて、まともに呼吸もできない。


視界が完全に暗転しかけた、その時、まるで世界が一瞬静止したように感じた。


風の流れが止まり、私を焦がす熱がどこかに消えていく。


うっすらとまぶしい光が見える気がして、消えかけていた瞼をかろうじて開くと……。



ーー目の前に白銀の光がふわりと舞い降りる。



まるで月光の粒子が乱反射しているかのような幻想的な輝きが、視界を覆う炎を切り裂き、私とマリアの間に割って入った。


「あっ……」


口が乾いて声が出ない。けれど瞬間、私は悟った。


あの神秘的な光の主が誰なのかを。


白銀の髪、白銀の瞳を持つ、美しき少年――まさに私がずっと待ち望んでいた“白銀の裁定者”様その人だと、全身が激しく震えて確信した。


いつかイザナから伝え聞いた姿そのもの……いえ、それ以上に神々しく、尊い。

燃え盛る炎がまるで進むのをためらうように揺らぎ、その存在を阻めずにいるかのようだ。


彼はゆっくりと私の前に立つ。

その背中はやけに大きく見えた。



『メリィ、きっと貴方にも素敵な”運命の人”があらわれますよ』



脳裏をかすめるのは、あの日ソフィがくれた柔らかな声。


――そんな少女の無邪気な囁きが、耳の奥で聞こえる。


ああ、これが運命の瞬間なのかもしれない。もしここで死ぬ運命だったとしても、私は最後に報われたかもしれない……。


胸に満ちる熱い感情。それは闇の底に沈んでいた私の心を、朝焼けが温めていくように溶かしていく。


頬を伝う涙の理由は、痛みか歓喜か、もう分からない。ただ、ああ、神は本当に存在したのだと……その奇跡が私を突き動かすように胸が高鳴っていたーー。

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