22 神の裁き
初めての“倫理監査委員会”に出席する時が来た。実際のところ、私は形だけ顔を出して適当に流すつもりだった。どうせここは貴族派が牛耳る場に違いないし、まともに意見したところで聞く耳は持たれないだろうと思っていたからだ。
会議室へ足を踏み入れ、席についた瞬間、私の予想は半ば的中したようにも見えた。すでに顔なじみの貴族派メンバーが何人か集まり、軽く雑談を交わしている。むろん、その中には腐敗の象徴とも言えるフィリオ・ブレイ・クレールの姿もあった。彼は奥の長椅子に悠々と腰掛け、こちらをちらりと見やっては不快な笑みを浮かべる。
しかし、私が本当に衝撃を受けたのは、そのあと配布された資料に目を通した時だった。
『不審死事件』とラベリングされた厚手のファイルには、事故や魔力暴走として扱われている事件一覧が載っていた。
だが、記載されている犠牲者は例外なく有力貴族派ばかり。そのうえ詳読してみれば、どれも「ただの魔力暴走では説明のつかないほど不可解」な点が浮かび上がる。
「まさか……こんなことが、学園で……?」
この学園ではクラスが違えば別の学校と言って良いくらいにはクラス間の交流が無く、情報もほとんど入ってこない。まだ入学して間もないが、私が普通に勉学に励んでいる間にCクラスではこのような事件が多発していたとは……。
思わず声に出しかけたが、慌てて飲み込んだ。私の手はかすかに震えている。
読むほどに背筋が粟立つような奇妙な記述。なにより——被害者が“傷ひとつない死体”で見つかったケースが多いこと、それに続く“魂を抜かれたようだった”という目撃証言。
さらに人を“操る”あるいは“乗り移る”ような力が働いている、”記憶を消す”可能性も示唆されていて、学園内でこんな超常現象紛いの事件が本当に起こったのかと、にわかには信じ難いほどの衝撃を受ける。
(被害者がすべて貴族派……? 手口はほぼ同じに見えるし、単なる偶然ではなさそう。なぜ貴族派だけが狙われるのか。いったいどんな手段で、何の目的で……)
私の頭にはたちまち多くの疑問が湧き起こる。わずかに呼吸を整え、さらに資料の裏面に目を走らせた。そこには上級生のアリシア先輩がまとめた調査報告が添付されていた。
彼女が私よりもひとつ上の学年で、以前からこの不審死を追っていたことは先ほどの会議の中で少しに耳にしたが……なるほど、このまとめ方を見るとアリシア先輩は本気で調べているらしい。
けれど、他の委員たちはこの報告を一笑に付している。大半が「荒唐無稽だ」と切り捨てているのがわかった。むしろ真面目に読み込んでいるのは私くらいのものだ。ふと隣席にいるフィリオの横顔を盗み見ると、彼は退屈そうにあくびを噛み殺していた。
(……この男が、裏でどんな工作をしているのか。表向きは善良な監査委員面をしているくせに、いかにも胡散臭い)
資料を持つ指先が自然と強まる。貴族派を標的に次々死者が出ているということは、つまり“私の嫌悪する腐りきった世界”に一石を投じる何者かがいるということだ。私はぐっと唇を噛む。
(犯人が貴族派だけを狙って殺しているのだとしたら、それは”復讐”……いえ、これは“裁き”では?)
私の胸中で、混乱と興奮が入り混じる感情が沸き起こる。貴族派をなぎ倒す存在……考えてみれば、私が抱いている想いと通じるところがあるかもしれない。存在すべきでないものを裁き、世界から排除している……それが事実なら——
(……これは、もしかしたら“神”による裁きなのではないか……?)
その考えが頭をよぎった瞬間、心臓が大きく跳ねた。自分自身でも突拍子もない発想だとは思う。けれど、同時に、心の奥底でずっと求めていたものに出会えたような、言いようのない安堵感のようなものが広がった。
ソフィを失った日の夜。冷たい石の床に倒れ伏す彼女の姿を見つめながら、私は絶望に打ちひしがれていた。なぜ、こんなことが起こるのか。なぜ、ソフィのような優しい人が、こんな目に遭わなければならないのか。貴族たちの醜悪な笑い声が、今でも耳に残っている。彼らはソフィを人間として見ていなかった。ただの所有物、慰み者としか思っていなかった。その事実に、私は激しい怒りを覚えた。
(もし、あの時……もし、私に力があれば……ソフィを救えたかもしれないのに……)
無力な自分を呪った。そして、同時に、もしこの世界に「罪を裁いてくれる絶対的な力」があれば、と強く願った。悪しき者を罰し、正義を貫く、絶対的な力が。
(この犯人は……もしかしたら、私の祈りに応えてくれるのではないだろうか……?)
そんな馬鹿な、と頭の片隅で冷静な自分が囁く。神などいるはずがない。そんな都合の良い力が存在するはずがない。けれど……それでも、この事件の背後には、何かを超越した力が働いているように思えてならない。
もしこの殺しの犯人が“神”のような絶対的な存在で、悪しき貴族を裁いているのだとしたら、私はーーどうすればいいのだろう。恐ろしい。けれど、同時に、この目に焼き付けたいとも思う。貴族たちが震え上がる様を、そして、ソフィの無念が晴らされる瞬間を。
もしそれが「神の裁き」なのだとしたら、私は……それを否定することはできない。いや、むしろ、見届けなければならない。
「不審死事案以外の調査は縮小するべきだ」
不意に耳に飛び込んできたのはフィリオの声だ。この“不審死”に関する議題はこの場のメンバー全員にとっての重要事項のようだが、それ以外の案件ーー主に貴族の不都合となり得るようなものに関しては、適当な言い訳をしてうやむやにしようという雰囲気が漂っている。
「以上で本日の協議は終了とする。引き続き、学園内の秩序維持に尽力せよ」
一番上の学年であるルクレト・ラ・フェンサールが結論を下し、あっさりと会議を終わらせてしまった。
まるで、先日の試験でアリシア先輩が巻き込まれた作為性の感じられる”事故”をなかったことにするかのようだ。
(……いまは、いいわ。貴族の不正、隠蔽体質などは嫌と言うほど知っている。私に今できることはない。それより今は“裁きを行う者”の存在だ——もっと知りたい)
周囲の騒がしさとは裏腹に、私の頭の中は熱く渦を巻いていた。
かつて侍女ソフィを奪われ、自らの闇を目覚めさせるきっかけとなった“貴族の醜さ”を改めて突きつけられ、絶望していたが”不審死事件”の資料を見てメリディアの気持ちは大きく変化していた。
(……こんなに胸がざわつくのは久しぶりだわ)
私はファイルを静かに閉じ、気づかれぬよう少し胸に抱え込む。ちらりと会議室を出ようとするアリシア先輩を横目で捉えた。彼女はこの報告書を作った張本人だというのに、貴族派に押し切られて悔しげな表情をしている。
(この人も貴族の腐敗を嘆いているのかしら。自身の立場ゆえ、私と同じように無力を噛みしめているのかもしれない)
「アリシア先輩」
メリディアはアリシアの後を追いかけ声をかけた。
「ん……? どうかしましたか、メリディアさん?」
アリシア先輩は私が声をかけたのが意外だったのか、振り向いた際に驚いた表情を見せた。
「いえ、少し興味深い情報が多くて。先日のBクラス・Cクラスの大量死。アリシア先輩はどう思っているのですか?」
「え……いや……、その……以前の報告書に書いた通りよ……超常的な力が働いていると思っていたわ」
彼女の資料を見る限り、”操る”などの超常的な力が働いているという説には説得力があった。確かにそのような力はありえないというのもわかるが、すでに不可思議な事件が多発していることは事実なのだ。
「そうね……、そうよね、わたしもそう思うわ。機会があれば、あなたの意見をもっと聞かせてください」
アリシア先輩に挨拶をして、部屋を出る。
私の気分はすっかり晴れ渡っていた。来たときは重かった足取りも、今ではすっかり軽やかになり、大理石の床に心地よい足音が響く。
私の胸の奥では、闇の精霊が呼吸をするように脈動していた。もし、この事件を引き起こしている者が腐敗した貴族たちを本当に裁いているのだとしたら——それは私にとっての“運命”。
そう思わずにはいられなかった。