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19 フレイムハート

薄曇りの空が夜の名残を薄く滲ませ、そろそろ朝から昼へ移ろうとする時刻だった。学院のD区画からやや離れた廃棟の一角に、アルドはひっそりと姿を現す。そこは一見、壁が崩れかけた古い建造物にしか見えないが、ヴァールノートの潜伏拠点の一部

になっているのは以前の会合で聞き知った。


「……ここだな」


心中で小さく嘆息して、アルドは扉の隙間から暗がりの奥を覗き込む。声を殺して足を踏み入れると、朽ちた木の床が軋む音を立て、埃が微かに舞い上がった。風の通りが悪いせいか空気が湿り気を帯びている。


ここにも、石造りの通路へ降りる階段が隠されているのだろうか?


以前にもD区画にある廃倉庫の地下室からC区画へと繋がる地下ルートへ出入りしていたが、ここにはB区画に繋がる地下ルートがあるのかも知れない。


「連絡は取れていると思うが……」


気配を探りながら、アルドは朽ちた廊下を抜ける。右手に倒れた木箱、左手に蜘蛛の巣の張った古い棚が見えるが、その間をすすっとすり抜けると、目的の広間へと到着する。


そこには背の高い男が一人、古いランタンを置いて腰を下ろしていた。髪は短くまとめられ、額にはうっすらと汗の光がある。やや鋭い眼光を持つその男こそ、ヴァールノートのリーダー、スペイス・アルブレイド。先日、会合を持った相手だ。


薄暗い空間には他の人影は見当たらないが、おそらく周囲の暗がりにヴァールノートの仲間が潜んでいるのだろう。スペイス一人とはいえ、油断はできない。だが、今回は“白銀”の情報漏洩に対する償いという体裁があるので、アルドとしてはそこまで警戒しなくてもいいはずだ。


「来たか」


スペイスが低く声をかける。かすかなランタンの灯が互いの影をぼんやりと映しだす。

アルドは背を伸ばし、白銀の髪を揺らしながら、「ああ、悪いが、B区画への移動を頼む」と切り出した。


スペイスは一度ランタンを持ち上げ、アルドの顔をまじまじと見つめる。かつては“謎の白銀の男”として貴族派を討ち、ヴァールノートを救った存在。しかし、その後“白銀”という特徴が学園中に広まるという失態の発端を作ってしまったのは、ヴァールノート内部の情報漏れが原因とされている。


今回、ヴァールノート側はそれを償う意味でも対価なしでルートを提供する──という話だった。


「今から行くんだな?」

スペイスが確認してくる。アルドは頷く。

「ああ、今日だ。貴族派の集会があるって情報を掴んでいてな。……正面から行くわけにはいかないんで、力を借りたい」


この場にはアルドが“白銀の男”であると知っている者はいない。スペイス以外のメンバーは、以前に間接的に助けられたか目撃したか程度だが、素性までは掴んでいない。ゆえにスペイスがこうして単独で交渉役を買って出ている。ランタンの薄明かりが二人の間に微妙な緊張感を浮かび上がらせる。


「……まあいい。お前が再び動いてくれるなら、貴族派を減らしてくれるかもしれないしな。見返りはなしでいい、と言いたいが、実はひとつお願いがある」


アルドは眉をひそめる。

「見返りはなしじゃなかったのか?」

スペイスは一瞬押し黙り、少し面映そうに言葉を探す。

「前回そう言ったのは事実だ。俺たちが“白銀”の情報を漏らした形になったからな。……だが、もしお前に余裕があるなら、回収してほしいものがあるんだ」

「話だけは聞こう」


するとスペイスはランタンの灯を少しこちらへかざし、低く告げる。

「お前が先日殺した貴族派のラフエルが持っていた『フレイムハート』と呼ばれる魔道具……はわかるか?」


アルドの脳裏に、発表会の記憶がよぎる。あの大きな宝玉が嵌め込まれ、煌びやかな杖型に仕上げられた魔道具だった。


(ラフエルは俺が殺したわけでは無いが、まぁ勘違いしてもらっていたほうが都合がいいか……)


「あぁ、ラフエルが得意気に発表していたな。強力な火力増幅器だと噂されていたが、あの派手な杖のことだな?」


「そうだ、あれを回収して欲しい。交換条件として今後もルートを提供するよう考えるが……どうだ?」

「もう、ラフエルは死んだ。その後、あの魔道具……フレイムハートとやらがどこに行ったかはわからないぞ? 下手したら学園が回収したか、貴族派の誰かが引き継いだかもな。あまり期待するなよ」


スペイスは肩をすくめつつ、「まぁ、構わない。可能なら、でいい」と嘲るように微笑む。

アルドは瞬時に思考を巡らす。フレイムハートを手に入れれば、何かに使えるかもしれない……。妹を救う研究にはあまり関係ないが、貴族派を倒す手段の一つとして使える可能性もあるし、スペイスたちに貸しを作らずに済むなら損にはならない。


「お前はそのフレイムハートをどうする?」


アルドの問いに、スペイスは目を伏せたままゆっくりと息を吐いた。埃まみれの倉庫奥に立つ二人は、薄暗いランプの光を背にして向かい合っている。重い沈黙が落ちたまま、やがてスペイスの声が低く響いた。


「……話したくはなかったが、まぁ、協力を求めるには事情を話すのが筋ってものか」


彼は口調を荒げるでもなく、ただ静かに瞳を伏せ、まぶたに焼きついた過去を振り返るように言葉を紡ぎ始めた。その声は、過去の記憶を辿るように、どこか遠くを見つめているようだった。


「……俺とヴィゼンが出会ったのは、まだ俺たちが駆け出しの魔道具職人だった頃だ。薄汚れた工房で、互いに夢を語り合った。ヴィゼンは本当に研究熱心で、寝食を忘れて魔道具のことばかり考えていた。不器用なところもあったが、その分、努力を惜しまない男だった。特に、火力増幅の分野では天才的なひらめきを持っていてな…誰も思いつかないような発想で、次々と新しい技術を生み出していったんだ」


スペイスの口元に、わずかに笑みが浮かんだ。


「よく二人で夜遅くまで研究して、朝焼けの中で解散したものだ。あいつの工房はいつも煤だらけだったが、そこが俺たちの夢の始まりの場所だった」


空気が凍りつくかのような沈黙が一瞬走る。アルドはわずかに眉を寄せながら黙って聞き、言葉を挟まずに次を促した。スペイスはゆっくりと拳を握りしめ、悔しげに口を結んだ。その握りしめた拳は、微かに震えていた。


「だけど、あいつの才能を良く思わない貴族派がいてな。本来はAクラスへ行けるほどの素質があったが家柄で阻まれていた。ラフエルがあいつを陥れたんだ」


脳裏に蘇る記憶は苦々しい。怒りと悔しさを噛み殺しながら、スペイスは唇を噛んだ。その表情は、深い悲しみと怒りが入り混じっていた。


「そしてヴィゼンの研究成果は根こそぎ盗まれた。あげく、『これはラフエル様の功績だ』って大々的に喧伝され、ヴィゼンは貶められた。……貴族派のいつもの手段さ……」


そこで一度、スペイスは言葉を切り、テーブルを掴む指先が白くなるほど力を込めた。呼吸を整えるように鼻先で息を吸い込み、アルドから目をそらしたまま、絞り出すように続ける。


その声は、怒りと悲しみで震えていた。


「ヴィゼンは必死に抗議した。自分の研究だと、自分の夢だと……だが、貴族派は聞く耳を持たなかった。まるで道化を見るかのように嘲笑い、最後は……『事故』として処理された。あいつは……見せしめとして殺されたんだ…」


言葉に乗る嘲りは自分自身への無力感か。それとも、学園の腐敗を許した社会そのものへの怒りか。アルドは胸の奥が締め付けられるのを感じながら、それでも黙って耳を傾ける。


「俺はあのとき何もしてやれなかった。なんの力もなく、ただ見ていることしかできなかった。ラフエルはヴィゼンの技術を使って“フレイムハート”を完成させた。もしヴィゼンが生きていれば、もっと素晴らしいものができていただろう……それでも、あれはあいつの唯一の遺作なんだ……あいつが生きていた証なんだ……」


スペイスはそう言うと、顔を歪ませ、俯いた。その肩が小さく震えているのが、アルドにも分かった。


そこまで言い終えると、スペイスは肩を落として短く笑った。悲しみを押し殺したような乾いた笑みは、かえって心を痛くさせる。


「正直、お前がラフエルを殺してくれたことには感謝をしている。仇討ちみたいに言ってるが、ぶっちゃけ俺はラフエル本人より“フレイムハート”を取り戻したいんだよ。……ヴィゼンが残した形の技術は、あれが最後なんだ」


アルドが黙り込んでいると、スペイスはちらりと彼を見やる。埃っぽい木箱が積まれた狭い倉庫の中、微弱なランプの光だけが二人を照らす。アルドはかすかに首を傾げてから、低い声で問いかけた。


「……その亡き親友の研究が詰まった魔道具を、今さらどうしようっていうんだ。お前らヴァールノートは貴族派を倒すための戦力にするつもりか?」


スペイスは一瞬沈黙し、最後は厳しい眼差しでアルドを睨むように言った。


「もしあれが帰ってくるなら、ヴィゼンの怨みを晴らせる気がするんだ。――復讐とも違う。あいつの存在証明というか……学園中に『これはラフエルの発明なんかじゃない。あいつが殺した男の技術なんだ』って証明してやりたいんだよ。そうなれば貴族派には都合の悪い真実になる。いまさら誰も信じてくれないだろうが……それでもいい。きっと、生きてるあいつの魂が救われる」


淡々と語っているが、その声は微かに震えている。アルドは、ふと妹リーシェを思い出した。才能を持ちながら貴族派の陰謀で命を落としかけた妹。学園の闇に陥れられた存在……自分と似た苦しみをスペイスもまた抱えているのだと気づき、胸が鋭く痛んだ。


(リーシェもミシャ・アルプウェイに研究結果を奪うために陥れられた……)


思わず握り締めた拳が熱を帯びる。アルドの頭には、学園の試験でリーシェが裏切りに遭い、首輪型の魔道具を送られた記憶が蘇る。妹は“親友”を疑わずに喜んでネックレスを受け取り、殺されそうになったのだ。

ラフエルとミシャ……立場は違えど、どちらも研究を奪い、人を殺そうとした歪んだ貴族派の一員。そんな奴らに一歩でも多く制裁を下したい――そう思う気持ちは強まるばかり。


「……わかった。どこにあるかもわからないし、手に入る保証はない。それでも、もし見つけたら回収してやる」


アルドが静かにそう告げると、スペイスは微かな苦笑を浮かべ、また肩をすくめた。


「助かる。もちろん無理はするな。ラフエルが死んだ今、あのフレイムハートは誰の手に渡っているか分からないが、一筋縄ではいかないだろうしな」


「……じゃあ、今からB区画へ行く。もうすぐ出れるのか?」


「もちろんだ。すでに手配はしてある。今回は白銀の情報が漏れた俺たちの不手際もある……今度の出入りでの貸し借りは無しにしてくれよ」


「それで十分だ。あんまり譲歩してもらうと俺としても身構えるしな」


そう言ってアルドが区切りをつけると、スペイスは頷き、脇の扉を指さした。

「それならもうレリックルート1を開通済みだ。案内役はつけないが、一応途中の扉は施錠を解いてある。……帰りはどうする?」


「用件が終わったら5時間後にまたここに戻る。一度そっちに合流しよう。場合によってはフレイムハートのことも報告できるかもしれない」

スペイスは、「わかった。あまり遅れるとこっちも閉めちまうからな」と釘を刺す。ある程度の猶予があるとはいえ、そこまで時間に余裕はないらしい。


それからランタンの灯を頼りに、廃棟のさらに奥まった通路へスペイスが先導する。一段と湿り気が強く、石壁に苔のようなものがこびりついている。ところどころ水滴が垂れる音が耳に響き、足元にはぐらつく石段が敷かれていた。

この通路が“レリックルート1”と呼ばれる抜け道の入り口らしい。スペイスは鍵付きの鉄扉をひとつ開け、アルドに向き直る。

「ここを潜れば、その先はしばらく一本道だ。途中で分岐が2回あるが、左、右の順に進めばB区画に通じるルートに出る。仮に道を間違えればC区画の溜水路に行き当たるだけだが、深い汚水が溜まってるから気をつけろよ」

「理解した。迷わないようにする」


アルドは軽く一礼し、足元のランタンを受け取るかどうか少し迷うが、ここで余計な借りを作るのも面倒だと思い、「ライトは持ってきてる」と自前の蛍光石を取り出す。淡い青白い光が指先を照らす。

「なら問題ないな」とスペイスは扉の鎖を外し、重い音を立てて開ける。「……それじゃ、5時間後にな」

アルドが小さく頷くと、スペイスはランタンを引き下げて後方へ退く。そこにはかすかにノイルらしきメンバーの影も見えたが、彼らは言葉を発さず無表情にこちらを伺っている。


こうしてアルドは“白銀の男”として、レリックルート1へ足を踏み入れた。苔むした石段を一歩ずつ下っていくと、背後でスペイスたちが扉をそっと閉じる音が響く。静寂の中、アルドの足音だけが湿った通路に反響する。


(アリシアには今日は会えないと言ったし……このタイミングで動くのは都合がいい)

心中でそう呟きながら、蛍光石を少し前にかざす。右手を壁に当てて慎重に進むと、暗闇に慣れた目が通路のディテールを捉え始める。天井には無数の石レンガが積まれており、何十年、何百年も昔の建築物らしいムードが漂う。


かつてC区画へ潜り込んだときの道はもっと狭かったが、ここは分岐が複雑で、一歩間違えば大水路に足を踏み外すという。加えて、今はB区画への最短ルートが指定さているから、気を抜けば誤ったトンネルに入ってしまう恐れもある。

だが、アルドの感覚は研ぎ澄まされている。視覚と聴覚を敏感に使いながら、左、右の順に曲がる。足元の石段に苔が滑る箇所もあるが、バランスを崩さず冷静に進む。


時折、どうしようもない悪臭が漂い、湿った空気が鼻を刺す。だが、これもさほど苦にはならない。妹リーシェを救うためにも、貴族派の女——マリア・シュト・ジグラーなる者を葬るためにも、自分はこの程度で音を上げるわけにはいかない。

(フレイムハート、か……)

そう思いつつも、現段階ではそれがどこにあるのか未知数だ。

歩みを進めるうち、通路の先にかすかな明かりが見えてきた。地上に出る出口かもしれない。アルドはそっと息を整え、蛍光石を懐にしまう。

(さて、どうなるか……まずはB区画の地上に出て、そこから貴族派の集会場所へ向かう。時間はまだ充分あるはずだ)


扉を開くと、一気に湿り気の少ない空気が流れ込んできた。古い倉庫の裏手に繋がる小部屋らしく、周囲にガラクタが積まれている。鍵は壊れており、開きっぱなし。誰もいないようだが、油断は禁物。気配を探りながら扉を少しだけ開け、薄い朝陽が差し込むB区画の路地裏へと抜け出す。

ここの路地は人通りが少なく、裏道にゴミ箱や古い樽が散乱している。どこかD区画にも通じる雰囲気だが、建物の質は大きく異なって見える。少し色あせた煉瓦の壁が並び、上方にはBクラス棟の高い窓が見える。

アルドは光の加減を確認しながら、長い茶色の外套を羽織って顔を隠すようにし、さっそく貴族派の集会場所へ向かうべく動き出した。

すれ違う生徒はほとんどいない。まだB区画は静かな時間帯なのだろう。時刻を考えれば、大半がこれから授業や行事に備えて移動する前のはずだ。

アルドは路地を足早に抜ける。入り口で聞いた道のりを再確認し、地図の記憶を辿る。マリアら貴族派がどこに集まるのかは、すでにアルドが仕入れた情報でだいたい見当が付いている。

(そこにルーメン・テネブレが襲撃を仕掛けるはずだ。アリシアは今日は別の区画へ行かされているらしいし……。その間に俺は俺でことを進める。こいつは都合が良すぎるほどスムーズだな)


このまま、貴族派の集会を観察し、状況次第ではマリアを討つチャンスを狙う。そして、ルーメン・テネブレ。その正体を見極める。

アルドのフードの下で白銀の髪がわずかに揺れ、眼光だけが鋭く輝く。B区画の冷ややかな風を切り裂くように、彼の足音が響き、緩やかに中庭を突っ切っていく。もうすぐ貴族派の集会が行われるであろう場所へ、アルドは迷いなく向かっていた。

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