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15 仮面の“聖女”

夜のBクラス寮から少し離れた廃屋の一室。その場所は、もともと校外実習用の資材庫として建てられたはずだったが、長らく使用されておらず、今では誰も近づかない。広い天井と大きな梁がむき出しになっているのがかえって不気味な雰囲気を醸し、壁には雨漏りの跡がシミのようにこびりついている。真っ暗闇の中、かろうじて置かれたランタンの灯が、床に幾重もの影を生み出していた。


そんな薄闇の広間の入口近くの扉が軋むと、一人の青年が、慣れた足取りで滑り込む。床板が微かに揺れ、埃が舞う中、広間の中にいた人物らは互いに顔を見合わせ、確かめ合うように呼吸を整えた。


「すまない……遅れちまったが……問題ないか?」

そう声を落としながら入口近くに立つのはゴードン――中背で肩幅が広く、頑丈そうな体格をしている。Bクラスの制服を改造しているのか、袖口に奇妙な赤いラインが入っているのが目を引いた。いつも荒っぽい口調らしいが、今は半分囁きのように低い声を発する。


「大丈夫よ。ゴードン、調子が悪いのであれば無理をしないでいいわ」

中で返事を返すのはセナ。小柄で華奢に見えるが、目の奥に鋭い光を宿している。水属性術に長け、普段は柔和な表情で人当たりが良いと評判だが、闇の会合ではどこか緊張した気配を帯びていた。


「先ほど聖女様がいらっしゃったところだ……」

もう一人の男、イェルクが鼻をすするように言う。優男風の顔立ちだが、瞳がどこか冷たい。彼は風術使いとしてBクラスではそこそこの実力者と噂されている。足元の埃を舞い上げぬようにしながら、部屋の中央へ進んだ。


三人が奥のテーブル付近へ集合してみると、その中心には仮面とフードを身につけた人物が佇んでいた。


長い外套を纏い、顔の大部分を仮面で覆い、フードを深く被っているため、性別や素顔など全く分からない。ランタンの明かりが微かに金属の装飾を照らしているが、正体を窺い知る手掛かりには至らない。


そして、その仮面の人物の隣には、もう一人だけ暗い影が見えるがメンバーたちはそちらには深く触れず、仮面の人物へ視線を集中させる。


仮面の人物は静かに手を上げ、「ゴードン、来たわね」と喉の奥で囁くように言った。声質から言ってどうやら女性のようだが、その声にはどこか人を魅了するような響きがある。


ゴードンは恭しく頭を下げ、尊敬を示すように身を固くする。


「……聖女様。お待たせいたしました」

ゴードンが硬い声で切り出す。まるで戦下にある軍隊の司令に伺いを立てるかのような口調だ。


仮面の人物は深く頷くと、ゆっくりと足元の床をコンコンと杖か何かで叩いた。その微かな音が広間の静寂を叩き壊すように響き、三人の背筋を一層伸ばさせる。


「改めて、そなたらの働き、見事であった。……先ほどのラフエル襲撃は、まずは成功と呼べるだろう。あれだけの警備を掻い潜り、誰ひとりかけること無く裁きを実行できたのだから」

その言葉に、三人は嬉しそうに目を細めるが、同時に心中の緊張を解きはしない。ゴードンが口を開きかけるより先に、聖女が続ける。


「しかし、混乱が少なからず起き、結果的に周囲の無関係な人物も巻き込む羽目になった。それは仕方ない面もあるけれど……私たちが目指すのは“白銀の裁定者様”の代行顕現。無駄な衆目や襲撃の痕跡を残したくはなかった。あまりにも荒っぽい手段が多すぎたわ」


その言葉に、一瞬の沈黙が降りる。三人はラフエルを殺すことに集中しすぎ、少し乱暴な戦い方をしてしまったという自覚があるらしい。セナが申し訳なさそうに顔を伏せた。


「申し訳ありません、聖女様。私たちは、ラフエルの護衛があれほど多いとは想定外で……。発表会が終われば近づく機会を失うと考え、やむを得ず発表会中の襲撃を選びました」


「いえ、あれは私も納得の上での対応です。そなたらの責任ではありませんよ」


イェルクは短く息を吐き出し、「護衛の数も多く、ラフエル自身もかなり手強かった……」と苦々しく呟く。


仮面の人物は淡々とした声を落とす。

「そうですね。ですが、”白銀の裁定者様”のように完璧な御業ではなかったもののラフエルに裁きを下し、使命を成し遂げたのだから、成功と言っても良いでしょう。これで貴族派の罪を裁き、“白銀の裁定者様”の威光はさらに高まるでしょう」


また沈黙が訪れる。三人はやや安堵の息を吐き、けれど尚、物言いたげに互いの視線を交わした後、セナが一歩前に出た。


「確かに、学内では貴族派の粛清が派手に報道されており、貴族派には恐怖が伝染しております。しかし……奴らは単なる恐怖だけじゃなく、対抗策も立てようと警戒が増しています。このまま襲撃を繰り返していると、いずれ一網打尽にされてしまうのではないかと、不安を抱く信者もおりますが……」


仮面の人物はわずかに首を振り、諭すように言葉を紡ぐ。


「私たちには崇高な使命があります。貴族派がいかに警備を固めようが、手を緩めることはできません。もちろん、被害が出ないよう計画的に、そして巧妙に“白銀の裁定者様”の意志を継ぎ、腐れた貴族派を断罪していかなければならないのです」


その響きには、“確固たる信念”と“絶対的な支配力”があった。


「次の目標はマリア・シュト・ジグラーですよね……?」

イェルクがわずかに声を震わせながら告げる。BクラスやCクラスの生徒たちの間では、イザークやラフエルがいなくなったいま、Bクラスに中心的な指示役がいなくなりマリアが実質的な貴族派の司令塔のように振る舞っているという話を耳にしている。


しかもマリアはAクラス3年で学年トップクラスの実力者。前回のラフエルとは比べ物にならない難敵になるだろうと彼らは思う。


「聖女様の情報によれば、2週間後にマリアがBクラスへ赴き“貴族派会合”を行うということでしたね? ……警備が厳重になったとしても計画に変更はないということでしょうか?」

セナが不安げに言い、仮面の人物は頷く。


「えぇ、もちろんよ。この機会を逃せば、我々がマリア・シュト・ジグラーを粛清するのが難しくなる」


ゴードンは腕を組んで考え込むように眉をひそめる。


「けれど、マリアの奴もラフエルまで死んだとなれば、危機感を感じて事件の多発しているB区画へ来るのはやめるんじゃ……?」


「いいえ。マリアはラフエルを継ぐ形で早急にBクラスをまとめる必要がある。その根回しのために、Bクラスに移動する絶好の機会をマリアが捨てるはずない。これはチャンスよ、必ずマリア会合に姿を見せるわ」


「あの……マリアの実力は別格だって話ですが……。もちろん聖女様の闇の精霊術が素晴らしい力を持っていることは承知しておりますが……。私たちだけで勝ちきれる相手なのでしょうか?」



セナの不安げな問いに、イェルクは落ち着いた声で答えた。


「心配するな。聖女様がいれば、どんな相手でも敵わない。あの御方は、白銀の裁定者様の御意志を体現する存在。マリア程度、敵ではない」


ゴードンも小さく頷き、同意を示す。


「ああ、そうだ。聖女様の力は、俺たちが想像する以上だ。ラフエルの一件を見ただろう?あれほどの騒ぎの中でも、我々は誰一人として傷つくことなく目的を達成できた。聖女様の采配があれば、マリアなど物の数ではない」


セナは二人の言葉に少し安心したように息を吐いたが、それでも心の奥底にある不安は完全には拭いきれない様子だった。


仮面の聖女はピクリと肩を揺らし胸中の自信を暗示するように言う。

「……だからこそ、我々で総攻撃をかけるのよ。もし私が本気を出せば、マリアの火力など及ばないわ」


声を潜め、続ける。


「何にせよ、今回は前回のラフエルのように一瞬で片づけるのは難しいかもしれないわね。警戒も厚くなるでしょう。だからこそ――念入りに作戦を練って、短期決戦で仕留めるのよ。それに何も、正面から派手に戦う必要などないのだから」


「……もちろん、白銀の裁定者様の御業を汚さぬためにも、ですね」


イェルクが苦笑のような口調で続ける。


「派手にやらない」と言っても、闇術と各自の攻撃術を複合すれば、混乱は免れない。マリアが完全に一人になる機会も少ないだろう。


セナが口を開く。


「……ですが、最近はAクラスのアリシア様やメリディア様、監査委員の人たちがB区画の捜査を強化していると聞きます。ラフエル事件の裏に私たちがいるのを嗅ぎつけられたら、次の襲撃に警戒が入るんじゃ……」


仮面の人物は額をトントンと叩きながら、声を低めて言い放つ。


「そうね、彼女らに介入されればさすがに難しいわ。でも、大丈夫よ。そこは私がなんとかしましょう。情報を操作し、監査委員を別の区画へ遠ざけます」


仮面の影からはまるで微笑んだような空気が漂う。


「話はこれくらいにしておきましょう。集会は2週間後。事前に準備を万全に整えておきましょう。それまでに何か問題があれば、いつもの連絡方法で報せなさい。いいわね?」


三人は一様に頭を下げる。ゴードンとイェルクは「承知しました」と言い、セナも「わかりました、聖女様……」と細い声を返す。彼女たちはこの“仮面の聖女”へ絶対の忠誠を誓っているらしく、畏れと敬意が混ざった態度を崩さない。


その様子を確認し、仮面の聖女は軽く振り、合図めいた動作をする。「では、解散。ここで私を見送る必要はない。私はここで少し用事があるから、先に戻ってちょうだい」


ゴードンとイェルクは頷きあい、「はい、ではまた数日後に」と告げると扉の方へ向かう。セナも一瞬未練がありそうに聖女を見やったが、「失礼します……」と続き、彼らが外に出たことで屋内には仮面の人物と、脇で控えていた補佐役らしき影の二人きりになった。


ドアの閉まる音が響き、部屋の暗さが余計に際立つ。外の星明かりすら届かぬ闇の中、仮面の聖女は額をトントンと軽く叩き、静かに息をついた。


「ふぅ……。やはり、Aクラス相手となるとあの子達も不安のようね。確かにマリアの実力は高い……不意をついたとしてもデュアルコントラクター相手にBクラスの彼らが勝ち切れる保証はないわね。でも私の闇の精霊術であればマリアを倒すことはできる」

控えの人物は無言で聖女を見守る。


聖女はフード越しに長い吐息をこぼす。


「……それでも、私は諦めないわ。白銀の裁定者様が降臨しない以上、私たちがこの学園を浄化するしかない。マリア・シュト・ジグラー……いや、学園中の腐った貴族派を粛清してこそ本当の『理想』が生まれるのだから……」


その呟きには、どこか焦りと狂気が混じっていた。だが、声自体はひどく整っていて、少しも乱暴な印象を与えない。闇に染まった思考を秘めつつ、表向きは清廉な口調を保ち続ける……それが、聖女における“仮面”の二重の意味かもしれない。


後に残された微かな灯火が、床の埃を照らすように揺らめく。廃屋の壁に映る仮面の影は、まるで人ならぬ怪異そのもの。


「聖女様、次のご予定が……」


補佐役は静かに礼をし、聖女へ耳打ちする。


「そうね、行きましょう」


聖女は唇をわずかに動かし、そう応じた。


彼らは音もなく立ち上がり、薄汚れた床を後にして扉へ向かう。ランタンの光が狭い出口を出るまで、室内には彼らの足音すらほとんど響かなかった。


残るのはただの闇と、僅かな埃が漂う静寂のみ。まるで「ルーメン・テネブレ」など始めから存在しなかったかのように、闇夜は深まるばかりーー

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