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14 血の余韻

発表会が終わり、廊下からホールへと続く通路には厳重な封鎖措置が取られていた。教師や警備員たちが監視の目を光らせ、血痕の残る床を慎重に洗浄している。先ほどまで賑わっていた場内は、静寂と不穏な空気だけが残り、空のブースや散らばる書類が痛々しい。観客も魔道具研究員もすべて退散し、ここには事件対応にあたるごくわずかな人間だけが留まっている。


そんな重苦しい雰囲気の中、アルドは警戒線を潜り抜けるようにしてホールへ戻ってきた。遠目には、教師が制止しようとする素振りも見えたが、彼はアリシアの“補佐官”という名目をちらつかせることで問題なく入ることができた。


ホール中央付近では、まだ教職員が数名、血を拭い取ったシートや破損した備品を片づけていた。空気には焦げの臭いと、生々しい鉄の匂いが微かに混ざり合って漂う。大きな魔道具を片づける教師が「全くこんな惨状、いつ以来だ」と呟く声が、ひそやかに空間を揺らした。


(もう観客たちは全員帰ったらしいな……)


アルドは歩みを止めて、視線を走らせる。人影は少ないが、それでも慌ただしく動く数人の中に、アリシアの姿を見つける。ホール隅の机に紙束を広げ、ペンを走らせていた。彼女のそばにはメリディアの姿もある。薄い外套を羽織ったまま、背筋を伸ばしてアリシアと何やら言葉を交わしている。メリディアはちらりとアルドに目を向けたが、すぐに視線を戻し、再び書類に目を落とした。


「リーシェ……。どこにいってたのよ……」


アリシアが感づいたように顔を上げ、彼の足音を捉えて声をかける。瞳には安堵と緊張が混ざった色が浮かんでいた。


メリディアも軽く一礼して、「私は先に警備の者と話を進めます」と言い残し、その場を離れていく。真意は定かではないが、彼女なりの気遣いなのかもしれない。


「すまない。追跡しようとして途中まで追いかけたんだけど……あいつら巧妙に逃げ道を変えたみたいで、取り逃がしたよ」


アルドは用意していた言葉を口にする。半分だけは事実だ。実際に追跡はしたし、一部は見失ったが、問題は乗っ取りで情報を得たことを隠している点。そこをどう誤魔化すかが鍵だったが、アリシアは疑いの目を向ける様子もない。むしろ彼が危険を冒してまで追いかけたと聞いて、内心安心したのかもしれない。


「そっか……ありがとう。でも、また逃げられちゃったわね」

アリシアの声音は沈んでいた。視線を伏せ、机の上の資料をかき集める。その横顔は悔しさで歪んでいるようにも見える。


アルドは隣のテーブルに手をつきながら現場の様子を見回す。血痕はほぼ拭われているが、炎術の痕跡が床と壁面に焦げ跡として残っている。長い布で覆われた死体を何人かが担いで出ていくのを、横目で捉えて唇を引き結んだ。


アリシアもその光景に目を向けつつ、ふっと落ちた声で言う。


「……ラフエルも、あの取り巻きの子たちも……結局、全員亡くなったわ。間に合わなかった」


紙束を抱えたまま、彼女の肩が力なく震えている。その苦しそうな姿に、アルドは少しだけ申し訳ない気持ちを覚えた。彼女が一番大変な場面を受け持ち、取り逃した責任を感じているのだろう。


そこへ、メリディアが書類を一束持って戻ってきた。


「こちらの被害者情報をまとめた調書は監査委員会で預かることになりました。アリシア先輩、どうぞ」


差し出された紙をアリシアが受け取り、「ありがとう。これで事件報告を仕上げるわ」と短く返す。


メリディアは一瞬、アルドへも視線を送り、微かに首を傾げてから「では、私はこれで」とだけ告げて退席した。


アルドはちらりとメリディアの後姿を見送る。先ほどの現場を仕切る立ち居振る舞いからは、彼女もアリシアのように倫理監査委員として誠実に対応しているように感じる。しかし、その実体がどこにあるのかはまだわからない。アリシアも同じ思いなのか、微妙な表情をしている。


「……どうせ、”現段階でできることはない”って結論になるんだろう。犯人はあっという間に姿を消したし、証拠らしい証拠も落ちてない」


アリシアが幾枚かの書類を握りしめて言う。


「ラフエルの死体も、取り巻きたちも……術痕はあるけど、闇術が使われたと言う明確な証拠も手がかりもないわ。思ったよりも巧妙に立ち回っているわ……」


アルドは小さく肩をすくめ、「今のところ打てる手はなさそうだな」と相槌を打つ。


(本当はもう次の手がかりを握っているんだが、ここで言うのは得策じゃない。このままアリシアを巻き込み続けるのは危険だし、彼女に黙って行動したほうがいい)

アリシアは紙束の裏を細かくチェックしてから、首を横に振りながら息を吐く。


「私がもっと上手く立ち回れていれば、ラフエルたちを助けられたかもしれない。それに……犯人逮捕だってできたはず。今回も混乱を起こして終わりなんて……」


彼女の言葉には力がなく、いつも凛としたアリシアとは違う。この事件がよほど堪えたのだろう。それがたとえ貴族派の人物でも、目の前で人が殺されるのを止められなかった無力感は相当なものがある。


アルドは少し複雑な思いで言葉を選んだ。


「アリシアのせいじゃない。あいつらは準備を念入りにしていた。それだけのことだ。どんな実力者でも、初見で完璧に対応するのは難しい」


アリシアが「そうね……」と顔を伏せ、もう一言を継ごうとした。


その時、ふとアルドのほうに視線を戻し、「……ありがとう、助けてくれて」と恥ずかしそうに微笑む。

先ほどの戦闘で、アルドが炎弾から彼女を庇った場面が頭をよぎったらしい。


「あぁ、怪我がないようでよかったよ。Aクラス相手に余計なおせっかいかなとは思ったがね」

照れ隠し半分でそう答えだが、アリシアはちょっと笑って「それでも嬉しかった」と呟く。自分で口にして顔を赤らめる仕草が、新鮮で珍しく、アルドは微妙に心が揺れる。


「……とにかく、今日はもう打つ手がない。そろそろ帰るか」

「ええ……そうね……」アリシアはため息混じりにうなずく。


「私がもっと強ければ……」


アルドは心の奥で「違う」と思いながら言葉を飲み込み、「大丈夫だ。お前のせいじゃない」と繰り返すだけだった。彼女の悔しさを真正面から受け止める資格が自分にあるのかすら自信がない。どの道、もう結果は変わらないし、これから先も“模倣犯”は動く。アリシアが心を痛め続ける場面は、まだ続くかもしれないのだ




「じゃあ、今日はここまでだな。……お疲れさま、アリシア」

アルドが口にする挨拶に、アリシアは小さく会釈して「またね」と言う。その表情にはまだ曇りが残るが、アルドに向けられる眼差しはどこかホッとした安堵も帯びている。けれど、その安堵がある意味すれ違いの一端だということを、当の本人たちは分かっていないのかもしれない。

こうして二人は言葉少なに解散した。

D区画へ抜けるアルドの胸中には複雑な安堵感が芽生えている。アリシアの落ち込みを見て少し罪悪感を抱く一方、ルーメン・テネブレに関する重要な情報を手にしている自分が一歩優位に立ったとも感じていたからだ。


(まずは奴らルーメン・テネブレに接触し、利用するための道筋を立てるとするか)


そう考えながら、アルドは傷んだ舗装を踏みしめ、闇の深まり始めたD区画へ溶け込むように姿を消していく。


アリシアは遠くからそれを見届け、もう一度深い溜息を吐いた。彼女にしてみれば、唯一の協力者であるはずのアルドがどこか隔たりを作っているのを感じながら、事件が解決の糸口すら見えないまま終わってしまった無力感を噛みしめるしかなかった。

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