11 研究発表
会場に入ると広いホールが視界に飛び込んでくる。天井が高く、ステンドグラス風の窓から柔らかな光が差し込む。中央には大きなステージがあり、その両脇には無数のテーブルとパネルが並び、魔道具や研究成果がずらりと展示されている。ところどころで試作品のデモンストレーションが行われ、鮮やかな魔力の光や小規模な術の発動が人目を引いていた。
アルドは軽く息を吐き、アリシアの隣を歩く。人混みのざわめきと音楽のような機材の動作音が重なり合い、耳が少し騒がしい。もともとDクラスの静かな空気に慣れている彼にとって、こうした上位クラスの行事はやや居心地が悪い。だが、それ以上に、今日ここで起こり得る“何か”への警戒が胸を締めつけていた。
「ずいぶん盛況だな……。魔法技術研究会って、こんなに盛り上がるものなのか?」
アルドが小声で呟きながら、ホールにいる生徒たちを視線で追う。
「毎年、Bクラスの研究発表はにぎわうらしいわ。技術的な水準の高い発表が多いのもあるけれど、社交的な場も兼ねているみたいね。……当然、いろんなタイプの貴族派も顔を出すでしょうね」
アリシアは監査委員としての責務もあるだろうが、どこか落ち着かない様子。彼女の胸にも、事件の予感が刺さっているに違いない。
思考の裏には、「今日が“模倣犯”にとって格好のターゲットを狙う日になる」という懸念がある。Bクラスにはまだ貴族派が多数健在で、その筆頭格の一人がラフエル・ド・ヘルネだ。彼はいずれ貴族派の中核を担うかもしれないと噂されるほどの地位や資産を持ち、強力なコネクションを誇っているという。それだけに、今回の新作発表会では彼が中心に振る舞うだろうと見られていた。
「──あれがラフエル・ド・ヘルネ。取り巻きもいるし、見た目にも派手ね」
アリシアが視線の先を示す。人だかりができたエリアの真ん中で、緑髪をふわりと撫でつけた長身の青年が、大袈裟な仕草で話をしている。周囲には数人の取り巻きがいて、笑いを交えながら時折頷いたり歓声を上げたりしていた。彼が得意げに話しているのは、新型の火力増幅魔道具らしく、見るからに高価な外装が施されている。
「“俺様”な雰囲気がムンムン出てるな……」
アルドはわずかに眉を上げつつ、その派手な空気を感じ取る。貴族派を想起させる高圧的な言葉遣いや、身につけた豪華なアクセサリ、取り巻きの服装にも同じような派手さがある。場違いなほどの輝きが、Bクラスの他の学生たちと一線を画している。
近づいてみると、護衛らしき男が一人、ラフエルのすぐ後方に控えていた。いかにも戦闘慣れしていそうな鋭い目つきだ。ラフエル本人も魔力制御の才能はそれなりにあるらしく、対外的には「次世代の貴族派を牽引する逸材」と評判だという。しかし、その素行はあまり褒められたものではなく、周囲に威圧的に振る舞う場面が多いとも聞く。
「やれやれ……完全に油断してる顔ね。心のどこかで不安はあっても、それ以上に自信のほうが強いんでしょう」
アリシアが舌打ち混じりに呟く。監査委員として警戒を促すべきか迷っているようだが、あのラフエルが素直に聞くとは思えない。アルドは軽く溜息をついた。
「あいつ、今狙われてるって噂が立ってるのに、護衛をつけただけで満足してるみたいだな」
「ええ、護衛の実力はそこそこ高いと私も耳にした。でも“闇術”を扱う犯人が来たら、正面からの防御だけではどうにもならないでしょうね……」
「……正直、俺ならこの場で楽に仕留めることができるぞ」
アリシアは一瞬苦しげに顔を曇らせる。それに気づいたアルドは何気なく話を逸らした。
「ま、まあ、それでもここでは正面攻撃は難しいだろう。こんなにも人が多いし……魔道具のデモを行うものたちや警備の教師も少なくない。犯人が動くとすれば、混雑の瞬間や裏口あたりか……」
互いに視線を交わし、まずはホールを回って状況を把握しようと意識が重なる。アルドはふと、ラフエルが勝ち誇ったような顔で立っている壇を横目に見た。あいつが本当に狙われる立場なら、今日がある意味“運命の日”になるかもしれない……と心の中で呟く。
ホール内には重厚な魔道具から可愛らしい装飾品まで、実に様々な研究品が並ぶ。アリシアは監査委員の制服を纏い、訪問者に挨拶を返しつつ、裏方スタッフへの確認を進める。アルドも「補佐官リーシェです」と時折名乗りながら、アリシアとともに出店ブースの主催者や教師に声を掛ける。
「……怪しい人影? 特には見ていませんが、なにかあったのですか」
炎術関連のブース担当者に尋ねても、一様に首を横に振られる。Bクラスの教師も「今年は大事件が続いたので警戒態勢は敷いている。しかし見慣れない者はいない」としか言わない。
(やはり堂々と姿を現すような馬鹿はいないか)
観客の中には貴族派の生徒もいれば、平民出身だというBクラス生徒もあちこちに混ざっている。これなら犯人が紛れ込んでも不自然ではないだろう。姿をくらませるのも容易い。
そしてふと、視界の端にメリディアの姿が映った。Aクラスの1年生とは思えぬほど落ち着いた足取りで、監査委員の腕章を控えめにつけている。先ほどちらりと顔を合わせたが、彼女はラフエルを見たとき一瞬険しい目をしていた。まるで貴族派を忌み嫌うような雰囲気。それが一体何を意味するのか、アルドはまだ判断しかねていた。
「アリシア先輩、何か情報は……」
メリディアが小走りで近寄り、アリシアと短く言葉を交わす。どうやらこの騒ぎの中で、あれこれと警戒態勢を指示するために巡回しているようだ。アルドは耳を傾ける。
「ラフエル・ド・ヘルネ氏はご覧の通り、護衛を従えていますね。彼の周りには常時四、五人ほど……攻めるなら裏をかくしかありません。次の魔道具デモが始まるまで、まだ少し時間があるわ」
メリディアの声音は淡々としたものだ。
アリシアが「そうね……」と答えたあと、視線でアルドを促す。アルドは軽く会釈だけ返して、メリディアの面前で余計な発言は控えた。
(この貴族派メンバーが多いBクラスホールで簡単に動こうと思えば、やはり大混乱が必至だろう。逆に言えば、模倣犯が敢えて大胆にやるなら人が多いタイミングで仕掛ける可能性がある)
そう思った矢先、ブースの一画から甲高い声が聞こえた。大きな機材がトラブルを起こしたらしく、火花が散って白煙が上がっている。手近な生徒と教師が慌てて魔力バリアを張り、事態を収めようとしているが、ちょっとしたパニックになりかけていた。
アリシアがとっさに駆け寄って、監査委員の立場として落ち着かせようとする。メリディアもすぐ後ろから対応する様子だ。アルドはやや離れた位置で周囲を警戒しつつ、目を凝らした。
──もし模倣犯がいるなら、こういうちょっとした混乱を狙うかもしれない。ホールの中は次第にざわめきのボルテージが上がり、人々はブースを離れたり出入口のほうへ移動し始める。
(これが襲撃の合図か? いや、まだ早いか……)
アルドの胸に独特の緊張が走る。刹那、遠くにいるラフエルが取り巻きと軽口を叩きながら移動する姿が見えた。騒ぎに巻き込まれぬようにか、ホール後方へ避難しかけているようだ。しかし、彼の護衛の数が先ほどより減っているのが気になる。周囲と離れてしまったからだろうか。ここに隙が生まれているとしたら、今が絶好のチャンスでもある。
「……くるか?」と思わず唇を震わせた瞬間、横からアリシアが戻ってきた。
「機材トラブルはただの配線ミスみたい。一応すぐに復旧するらしいわ」
彼女の表情は焦りが混ざった真剣さで、目を離しては危ないといった意志を感じる。アルドはうなずき、ラフエルを視線で追うよう合図する。2人はさりげなく距離を保ちながら、ラフエルの後をつけた。
ホールの隅にはカーテンに仕切られたスペースがあり、そこが一時的な控室として使われているようだ。
「あんなトラブル程度でビビるかっての。後で俺の新型で魅せてやるさ」
ラフエルは取り巻きと談笑しつつ、その控室へ向かう途中、周囲の視線を気にせず大きな声で息巻いている。
アリシアは小声でアルドに言う。
「このあと、新型魔道具のデモがある時間帯が一番人が集まる。もし犯人が動くなら、そのタイミングが本命かも」
アルドは同意し、「となると、もうしばらく張り込む必要があるな……」と気を引き締める。襲撃が今起こるのか、それとも後のデモ中か。いずれにせよ、ここで現れる可能性が高いことに変わりはない。
やがてラフエルたちは控室に入って姿を消した。部屋の周囲には護衛が2人ほど残っているが、気持ちばかり警戒をしている程度にしか見えない。その護衛にも疲労の色がうかがえ、短い暇を見つけて談笑しているようにも思える。大した緊迫感はない。
(拍子抜けするほど平和だが……まさか本当に何も起きない、なんてことはないだろうな?)
アルドはそんなことを考えながらも、手のひらにうっすらと汗が滲むのを感じた。心のどこかで「騒ぎを起こしてほしい」とすら思う自分に、一瞬罪悪感を抱く。けれど、もし“白銀の裁定者”を名乗る模倣犯が姿を現すなら、ここが正念場となるはずだ。
「私たちは、このホールの入り口あたりを中心に見張りましょう。犯人が入るにも逃げるにも、ここが要になるから」
アリシアの提案に頷き、アルドは改めて周囲の動きを観察する。すぐ近くにメリディアの姿は見えないが、監査委員としてどこかで巡回しているのだろう。今は気配がないことを確認すると、アルドは仮設の展示台の裏に軽くもたれかかった。
(ここが導火線となるかもしれない……模倣犯を捜すふりをしながら、逆に利用できるか? もし俺の名前を騙るなら、そいつらを抱き込む手段だってあるだろう)
そんな思いが脳裏を過ぎる。アリシアには断じて言えない内容だけれど、妹を救う手立てとしても貴族派への復讐の手段としても、選択肢は多いほうがいい。切り札を捨てるのは早計だ。
ただ、その一方で、アリシアが今の自分に対して「殺しはしないで」と願っているのを思い出すと、胸のどこかが鈍く軋んだ。再び殺人に手を染めるかもしれない未来に、彼女の笑顔はどう映るのか。だが、それを悩むだけの余裕は、今のアルドにはない。あくまでも冷徹に目的を果たすしかないのだ。
「……来るなら早く来いよ。ここでじっと待つのも退屈だな」
声にならない独り言を呟くアルド。その傍らでアリシアがチラリとこちらを見やり、「なにか言った?」と小首を傾げる。アルドは「いや、なんでもない」と苦笑して首を振った。彼女は不思議そうな表情を浮かべるが、それ以上は追及しない。
周囲のざわめきはまだ衰えない。新型魔道具のデモが始まれば、ホールの熱気はさらに高まるだろう。その瞬間こそが犯人にとって最大のチャンスでもある。視線の先、警備の教師たちが入り口を固めているが、模倣犯が既に内部に潜んでいる可能性もある。もはや時限爆弾がいつ炸裂するか分からない状況。アルドの胸はかすかな昂揚でざわつく。
(さあ、どう出てくる? “ルーメン・テネブレ”……)