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10 警備 張り込み

朝の澄んだ空気が学院の広大な敷地を包み込んでいる。先日の事件がひとまず落ち着いたとはいえ、学内にはまだどこか張り詰めたような空気が残っていた。とはいえ、季節が進むにつれて、日差しはほんのりと柔らかみを帯びてきている。


アルドはB区画を区切るゲートを感慨深く眺めていた。


(……俺が公式ルートで上位区画へ足を踏み入れるなんて、ちょっと前までは想像もできなかったな)


そんなことを考えながら、アルドは周囲を見回す。B区画――通常ならそれぞれの領域が完全に分かれていて、Dクラスの自分がここに入るためには特別な許可が必要だ。けれども今回は、倫理監査委員の”補佐官”という名目でアリシアが手続きを通してくれたおかげで、難なくBクラス領域に行けることになった。


もちろん、その背景にはアリシアと交わした「殺しを止める」という条件があるのだが……


「今更ではあるが……Dクラス生を補佐官なんかにしてアリシアの立場は悪くならないのか?」


「ふふ、大丈夫よ。公式に“監査委員補佐官・臨時任命”の扱いで学園側の許可を取ってあるもの。誰に咎められる謂れもないわ。あなたが先日、筆記や応用演習で好成績を残した履歴や、試験後の事情も考慮してもらっているし、あなたも何も気兼ねしなくていいのよ」


アリシアは一冊のファイルを胸に抱え安心させるように微笑みながら答えた。


アルドはその言葉に胸の奥で複雑な感情がこみ上げる。


(本来なら、DクラスがBクラス領域に行くなんてほとんど無理だったが、アリシアがここまで手を回してくれるとは。”何でも全力で協力する”と彼女は言ったが、それは復讐をやめるという”約束”があるからだろう……)


「行きましょうか」


アリシアの一言をきっかけに、2人は学院中央を横切りB区画へ通じるゲートへ向かう。やや広めの門番所では、武装した教師が立ち、来訪者を確認していた。Dクラス生がここを通るのは珍しいが、アリシアがファイルを見せるとすぐに通行が認められる。


「アリシア様、ご苦労さまです。……そちらの方は“リーシェ・ヴァルディス”さんですかね?ええと、書類によると“補佐官”ということで……はい、承知しました。通ってください」


教師はうやうやしく頭を下げ、扉を開ける。アルドはその態度を横目に見ながら静かに歩みを進めた。


(B区画……ここへ正式に入るのは先日の現場調査以来だ)


門を抜けると、視界が一気に開け、整った並木道が続いていた。Dクラスの荒れた環境と比べて、やはりここは優遇されているのがわかる。校舎に向かう道はとにかく広く、通路脇の芝生も手入れが行き届いている。時折、Bクラスの学生が談笑しながら通り過ぎ、アルドとアリシアに好奇の視線を向けるが、直接声を掛けてくる者はいなかった。


アリシアが小声でささやく。


「気を抜かないでね。いま学内で囁かれている“白銀の裁定者”……あなたのことを崇める宗教団体が潜んでいるかもしれないし、貴族派だって模倣犯を警戒しているわ」


アルドは苦い笑みを浮かべ、うなずく。


「わかってる。……どっちにしても、貴族派の生徒たちも今は警戒心を強めてるだろう。CクラスやBクラスの大量殺害を受けて、少しでも危険な気配があればすぐに騒ぎになりそうだし。そこへ“倫理監査委員”の君が来たわけだから、あいつらも動きづらい部分はあるだろうな」


一方で“白銀の裁定者”を恐れている貴族派連中も、今のところ悪事を働かずに静観しているのかもしれない。


やがて道を進んだ先に、大きな建物の入口が見えてきた。


「ここが魔法技術研究会の発表会が開催されるホールか……」


すでにたくさんの学生が出入りしており、荷物を運んだり、華やかな看板を立てている光景が目に入る。建物の壁には大きなポスターや布製の幕が掲げられ、「新作魔道具の展示会へようこそ!」といった文字が躍っている。


「賑やかだね」


「ええ、ここで大きな事件が起きる可能性があると考えると……やるせないわ」


彼女は先日、模倣犯の可能性を示す不審死の調査を通して、今回のBクラスイベントが“次の標的”になると推理した。会場には自信過剰な貴族派の有力者、特にラフエル・ド・ヘルネらが来場予定だからだ。


アリシアの見立てでは、模倣犯――“ルーメン・テネブレ”が狙うのは、そうした貴族派の象徴的な人物を狙うタイミングだろう、とのこと。


アルドは彼女の横顔をちらりと見やる。先の試験時には、貴族派の陰謀によってあれほどの魔力暴走を引き起こしかけたはずなのに、今は落ち着いた表情で「貴族派を殺して回っている犯人を捜す」という一点にだけ集中しているようだ。その姿は、事件への恐怖よりも使命感のほうが勝っているかのように見える。


(不思議なものだ……。“敵の敵は味方”という言葉があるように、俺からすればルーメン・テネブレのように貴族派を狙う連中は利用価値のある“味方”に近い。けれどアリシアにとってみれば、貴族派だろうがルーメン・テネブレだろうが、学園のルールを踏みにじる存在は同じ“敵”なのだろう……)


「じゃあ……正面入口から行こうか。監査委員として入場すれば、ホール内を自由に回れるはずだし、裏方のスタッフにも声をかけられる」


アリシアが声を落として提案する。アルドは了承の意を込めて肩をすくめると、2人は正面の受付へと歩を進めた。まるで客寄せのように大きな看板を掲げた学生が「研究会の展示は、こちらからどうぞ!」と案内しており、彼らがアリシアの監査委員バッジを認めると、多少ぎくしゃくしつつも「ど、どうぞ中へ……」と通してくれる。


ホールの入口前は人でごった返していた。Bクラスの実力者や客員教師などが出入りし、魔道具の箱を山のように運んでいる生徒もいれば、珍しい材料を並べて宣伝する者もいた。端にはBクラスの警備隊が立っているが、見たところ特段の緊張感はなさそうだ。


「一応、警備も入っているのね……。でも足りるかしら、この人数では厳しい気がするわ」


アリシアは目を細め、あちこちを観察する。アルドも同感だった。Bクラスの生徒や教師が場当たり的に警戒しているだけで、まとまった作戦があるようには見えない。もしルーメン・テネブレが本気で貴族派を狙うなら、いくらでも抜け道があるだろう。


「俺たちはまずどこを見て回る?この人混みの中、犯人が潜んでいるかどうか判別は難しいぞ」


アルドが声を落として尋ねると、アリシアは少し口ごもった後、「ホール裏の搬入口や、展示物の倉庫をチェックしたいわ。そこが意外と盲点になりがちだから」と言った。


「了解。じゃあまずはそっちへ行こうか」


2人は内部へ入らず、ホール横の脇道を回り込み、搬入用の扉が並ぶ裏通路へ向かう。ここは一般来場者が入る場所ではないので人影が少なく、逆に不審者が紛れ込むにはもってこいのルートだ。


やや暗い通路を歩きながら、アリシアが静かに呟く。


「……ここで次の事件が起こるかもしれないけれど、本当に私に止められるかしら。これだけ人がいると周囲への被害も考えなくては……」


アルドは彼女の震える声に少し胸が痛む。試験でアリシアは自分の暴走を止めきれず苦しんだし、そのあと自分に助けられた形になったのが余計に自尊心を傷つけているのかもしれない。


「大丈夫だ。……今回は準備万端で来てるし、どんな連中が来ても対応できるだろう。君の光術や結界は相当なレベルだ。俺も補佐官とはいえサポートする」


本心では“犯人が誰であれ、俺にとって利用できるなら都合がいい”という思いが拭えないが、目の前で彼女が落ち込む姿を見ると、ほんの少しでも励ましてやりたい気持ちが生じる。その矛盾がアルドの胸を複雑に染めていた。


二人は道を曲がり、さらに奥まった場所へ回り込む。そこには傾きかけた扉や倉庫らしき建物の脇を通る小路があり、人気もまったくない。すれ違う人がいないのだから、もし犯人が下調べに来るならこの辺りかもしれない。


と、そのとき奥の暗がりのほうから、ヒールの音が響いてきた。咄嗟にアリシアが“構え”を取るが、すぐに相手の姿が明るみに入る。淡い長髪をふわりと揺らし、整った顔立ちに冷やかな意思を宿す瞳。


「あら、メリディアさん、貴方も来ていたのですね」


――メリディア・リィト・ヴァイスロート。先日の試験の結果をもって1年生代表として倫理監査委員に入った新入監査委員だ。


「アリシア先輩……?こんな場所で何を?」とメリディアは怪訝そうに首をかしげる。


「ここの会場が例の”白銀の裁定者”によって狙われるのではないかと思って……」


メリディアは少し頷き、自身が来た理由を説明する。


「なるほど、私も同感です。……私がこちらに来たのも同じ理由ですよ。私も監査委員として警備に回っているところなんです」


アルドはその柔らかな声色にわずかな違和感を覚えつつ、じっと彼女を見やる。


どこか完璧すぎる雰囲気というか、このメリディアはどういった人物なのか、アルドの推測できる範囲を超えている。それでもアリシアは少し安心したように微笑み、


「私たちだけじゃ手が回らない部分もあるから、あなたが力を貸してくれるなら助かるわ」と口にする。


メリディアは「ええ、もちろん」と応じ、アルドへも視線を移す。


「それから、はじめまして……リーシェさん、ですよね?」


静かにアルドへ問いかける。


「はい、リーシェ・ヴァルディスと申します。アリシア様の補佐官を務めさせていただいております」


アルドは軽い挨拶をするだけの、ごく無難な返答で済ませた。


補佐官とはいえ、倫理監査委員相手には好印象を抱かせておくに越したことはないが、この女性が何を考えているか定かではない。


「では、あまり時間がありませんので、私はこれで……。事件が起こる前に警戒態勢を敷きませんと」


わずかな言葉を残し、メリディアは再び足早に去っていった。


「彼女が率先して動くなんてね、公爵家の娘として”白銀の裁定者”に危機感を抱いているのかしら……」


アリシアはメリディアの背中を見送りながら小声で呟く。


「とにかく、俺たちはホールのほうへ行こう。何か兆候があるかもしれない」


アリシアは頷き、軽く首を回して緊張を解す。


「……うん、そうね。行きましょうか」


そう言い交わすと、2人は再び通路を引き返し、会場のメインホールへ向かう。そこでは発表会の準備が最終段階に入っているらしく、さらなる人混みとざわめきが待ち構えている。


少し歩を進めたところで、アリシアがふと足を止め、アルドの方を振り返った。


「……そういえば、さっきのメリディアさんだけど……」


「ああ、どうかしたか?」


アルドが問い返すと、アリシアは少し考え込むように顎に手を当てた。


「彼女は優秀だけど、少し完璧すぎるというか……どこか掴みどころがないのよね。それに、初対面の私達に対して、少し警戒しているようにも見えたわ。気のせいかもしれないけれど……」


「警戒、か……。確かに、こちらの素性を探るような視線を感じた気もする。ただの警戒心が強いだけかもしれないが、警戒しておくに越したことはないだろうな」


アルドがそう答えると、アリシアは少し安心したように微笑んだ。


「そうね、私もそう思うわ。とにかく、今は事件の調査に集中しましょう」


2人は再び歩き出し、会場のメインホールへ向かう。そこでは発表会の準備が最終段階に入っているらしく、さらなる人混みとざわめきが待ち構えている。


外には暖かな日差しが注ぎ、ブースの看板がきらきら光っているが、その奥底ではいつ何時“犯人”が姿を現すか分からない。貴族派が大勢集まる今こそチャンスと狙うのなら、事件が起こるのは時間の問題だろう——アルドはそう踏んでいた。


(まぁ、俺はどうなっても構わないが……アリシアが悲惨な目に遭うのは、さすがに見たくないし、犯人がどんな連中か見極めるチャンスでもある。どこまで付き合うか……)


アルドは心中で複雑な葛藤を抱えながら、一歩ずつBクラスのホール入り口へ歩を進める。後ろからアリシアがついてくる気配を感じる。高まる雑踏の音と熱気が、2人を事件の中心へと誘っているようだった。


(さあ……始まるか)


そんな予感とともに、アルドは会場の扉をくぐっていった。

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