08 仮初の同盟
ヴァールノートに接触した日の翌日の放課後、アルドは“リーシェ”の姿のまま人気の少ないD5クラスの空き教室へ移動する。
途中でごく自然にクラスメイトを振り切り、扉をそっと閉めてから部屋の奥へと足を進めた。
今やここがアルドとアリシアの“打ち合わせ場所”になりつつある。広い机がいくつか並ぶだけの、やや埃っぽい小部屋。窓からは西日に近い陽光が射し込み、床の木板の節を浮き上がらせている。
やがて扉が軽くきしみ、スラリとした姿のアリシアが入ってきた。彼女は迷いなくアルドの方へ進み、静かに腰を下ろす。シンプルな制服姿であるはずなのに、Aクラス特有の上品な佇まいがにじみ出ていて、どうしたってDクラスに溶け込むはずもない。けれど、彼女の表情にはどこか切実さが見て取れた。
「待たせたわね。……この部屋までのルートは人気がなくて助かるわ」
アリシアは少し息をつき、アルドを見やる。その瞳には、決意と警戒がせめぎ合う光が宿っている。
「いや、待ってない。ちょうどさっき教室を抜けてきたところだ」
アルドはさっそく本題へ入るように、声を低く落として切り出した。
「……昨日、俺はヴァールノートの連中に会ってきた。 そして、いくつか情報を聞き出すことができた」
アリシアは黙って微かな息を吸い込み、次の言葉を待つ。アルドはとっさに耳を澄まして外に人がいないか確認してから話を続ける。
「まず、今回の”模倣犯”はヴァールノートとは無関係だ。 そもそもやつらは模倣犯の存在を知らず、俺がBクラスのやつらを殺ったと思っているようだ」
「そもそも手間かけてまで模倣なんてするメリットなんてないものね……。そういえば、”白銀”の件も無関係だったの?」
アリシアの問いには苦味を含む響きがあった。アルドはわずかに眉を寄せて首を振る。
「いや、そこでスペイスから妙な名前が出てきた。”ルーメン・テネブレ”って宗教団体……と言えばいいのかな。聞いたことはあるか?」
「“ルーメン・テネブレ”……?」
アリシアの声色には鋭い興味と困惑が混ざる。
「あぁ、どうやらそいつらが俺のことを”白銀の裁定者”と崇める狂信者集団らしい」
“白銀の裁定者”という響きがアルドの胸をざわめかせる。かつては“暗闇の処刑人”と呼ばれた彼が、いつの間にか”白銀の裁定者”などという好印象寄りの二つ名を得ているのだ。アルド自身も心底理解不能だった。
「”白銀”という名の由来については、ヴァールノートを抜けてルーメン・テネブレに移籍したやつ経由で伝わったようだ」
「そんな団体が……。私も聞き込みをしてみたけれど、B、Cクラスを中心に『暗闇の処刑人』という呼称を『白銀の裁定者』と呼ぶように言われた、なんて話を聞いたわ。名称を意図して変えていたのは”信仰”が原因だったのね」
アリシアは苦々しく唇を噛む。彼女も倫理監査委員として、断片的に”白銀の裁定者”の風評を耳にしていたが、まさか本当に宗教化しているとは想像していなかったのだろう。
続いて、アリシアが前日に倫理監査委員の資料から得た“検死レポート”を語り出す。
「今回の不審死の検死結果が出たわ。『外傷はないのに内面的な破損が著しい』……という、あなたの手口と似ているようで、別物だということがはっきりしたわ」
声を落として話す彼女の態度からは、事件の重要性と緊迫感がひしひしと伝わってくる。アルドは椅子をわずかに引き寄せ、目線を資料に向ける。そこには被害者の身体内部に残る魔力痕跡の記述や、通常ではあり得ない内部破壊の痕が克明に示されていた。
「見たところ、外見には確かに傷がない。でも……首筋に何か、線が走ったような痕がわずかに残っていたそうよ」
もしアルドが“存在の原型”を破壊した場合、物理的な傷は一切残らない。正確には内面のアルキウムに干渉して殺しているため、肉体的損傷は皆無だ。
サントの遺体には、うっすらとごく小さな裂け目のような傷が走っていた。血は固まっているのかほぼ出ていないようだが物理的ダメージがまるでゼロというわけではないようだ。
アリシアは書類の端を軽くなぞりながら、情報をまとめるように語り出す。
「世間一般には知られていないけれど、高度な”闇属性”術なら、肉体の組織や血流を内側から破壊し、表面に大きな傷を残さず殺害する手段があるとされているわ。検死レポートを読む限り、やはり今回の件はそういう類の攻撃痕跡を示唆していると思うの」
彼女の視線は穏やかながらも、アルドの表情を見逃さぬように注がれている。アルドはそこに軽い戸惑いを覚えつつも、小さく息をのみ、その報告を受け止めた。
「闇属性、ね……」
穏やかな机上の光の下で、アルドは苦い面持ちで呟く。彼自身が使う力は“存在そのものを壊す”という形であり、闇属性術のように“身体の内部を崩して殺す”ものとは方向が異なる。それでも結果的に“外傷なく殺害する”という点だけは似通っていたため、学内で混同されていたわけだ。
室内の静寂が一瞬落ち着いてから、アリシアは資料をめくり、続ける。
「闇属性は希少で、実際にそこまで高いレベルで扱える人はめったにいないわ。エネルギー攻撃が少ないから、隠れて習得している可能性はあるけれど……大々的に扱う人は見たことがないわね」
アルドはその言葉にわずかに頷きながら、視線を資料の細かい文字へと落とす。そこには被害者の死亡推定時刻や、微細な魔力の痕跡が述べられており、外傷こそないが、筋繊維や血液の異常凝固などが見つかっていると記載されていた。まるで身体の内部から破壊しているかのような状況だ。
「闇属性が希少というが、この学院にはどれくらい闇属性の使い手がいるんだ?」
さらりと問いかける彼の声は低い。アリシアは、顔を上げて軽く首を振った。
「私も倫理監査委員の権限を使って闇属性持ちが手がかりになるかと思ってBクラスの名簿を簡単に洗ったけど、闇属性持ちなんていなかった」
それを聞いてアルドは「ふうん」と静かに息を漏らす。一瞬、彼の思考が動き、眉がわずかに寄った。
「他のクラスはどうだ? ルーメン・テネブレも複数のクラスの混合集団のようだし、AやCに闇属性持ちがいてもおかしくないだろう」
「そうね、Cクラスは確認済みだけれど、闇属性持ちは確認できなかったわ。AクラスとDクラスはまだ調べていないけれど、どちらの可能性も低いと思うの」
アリシアは静かに資料を閉じ、机へ置いた。指先がかすかに震えているようにも見える。闇属性の上級術者の存在など、現実に考えたくないのかもしれない。
「あなたも知っての通り、Aクラスに入るには相当な精霊術の実力が必要よ。そのAクラスの基準を満たすほどの闇属性が使えるとなれば、さすがに学園で知らない者はいないでしょう。私の知る限り、そういう逸材の名前は挙がっていないもの」
「それもそうだな。逆に今回の模倣殺人を行えるほどの実力者なら、Dクラスにいるわけがない……というわけだな」
言いながら、アルドは心の中で考える。もし闇属性の使い手が強力なら、本人が意図して情報を隠蔽することもできるはずだ。だが、俺のように学園の記録には載らず、何食わぬ顔で潜んでいる可能性は……十分にある。
「えぇ、一応全学年を調査はしてみるけれど、闇属性での捜査はあまり期待ができないわね」
最後の一言に、アリシアは苛立たしげな息をつく。学園内部の記録をいくらあさったところで、真実がすべて開示されている保証などない。もし外部から闇の術者が入り込んでいるなら、なおさら当てにならないだろう。
それでも、この仮説がアルドにとって重要なのは、被害者の死因が”原型の破壊”ではないことの裏づけになる、という点にあった。自分以外の誰か――それも闇の術者なら、外傷なき殺人をやってのけるのも不思議ではない。その上で、あえて自分の手口を真似ようとしているのだから、”信仰的な意図”という考えは的外れではないだろう。
アルドは深く息を吐き、微かな騒音が外の廊下から聞こえてくるのに気を留める。遠くの方でクラスメイトが笑い合う声に、普段なら気が散るが、今は頭がひどく冴えている。
「闇属性なんて言葉、以前まではただの陰気なイメージ程度にしか考えたことなかったけど、こうやって検死結果を突き付けられると、鳥肌が立つな」
アリシアはわずかに頷いた。
「……にしても、貴族派ばかりを狙う動機は、やはり貴族派への強い憎悪や怨みなのかしら」
「そうだな……結果として俺が復讐を再開したかのように見せ、周囲には”処刑人”あらため”裁定者”が復活したと喧伝し混乱させているわけだが、ターゲットは悪評のある貴族派ばかりだ」
(……だが、わざわざ難易度の高い偽装の手間をかけているところを見ると”摩訶不思議な存在”を神のように崇めるという宗教要素が強いんだろうな)
そう考えながら、アルドは鞄から簡単なメモを取り出す。そこにはヴァールノートから伝え聞いたBクラスの”動向”がざっと書き留められていた。
「ヴァールノートいわく、最近Bクラス寮付近で妙な集会が開かれている。だけど実態は掴めないらしくてね。1~2年生の若者がこっそり何人か集まっては、夜中に姿を消すと……。まるで秘密の儀式でもしてるみたいだと」
「……まるで本当に宗教ね。それなら”白銀の裁定者”に捧げる生け贄として貴族派を殺しているのかもしれない。何か儀式めいた手順で闇属性の術を使っているとか」
アリシアはわずかに肩を震わせる。人を崇めるがゆえに殺人を正当化するという狂信。嫌悪感と戦慄が同時にこみ上げる光景だ。
「だが無策でBクラス寮に踏み込んでも成果はないだろうな。 それに監査委員の権限はあっても、寮の個室すべてを捜索するのは無理だろう」
アリシアは深く頷いた。
「そこで——私なりに推測したの。以前の事件を見返すと、『行事の前後を狙っている傾向』があるようなの。……ほら、あなたの粛清も貴族派が不正を行う時期を狙ってやっていたし、今度の模倣犯も似たタイミングを選んでるんじゃないかと思うの」
「確かに、学園行事で貴族派は露出も多いし、たくさんの護衛を呼ぶことも難しい。狙いやすいといえば狙いやすい」
アリシアは手帳を開き、日程表を指差す。
「3日後にBクラスの”魔法技術研究会”という部活が大規模な発表イベントをやるの。そこに参加する貴族派の生徒が既に2名殺されたって話を聞いたわ。——残るは3年のラフエル・ド・ヘルネ。彼は相当に悪名高い、B2クラスの重鎮よ」
「なるほど。主催者の一人がラフエルなら、当然、当日に姿を見せるだろう。そのタイミングで”白銀の裁定者”の信者が襲撃する……可能性は高いな」
アルドは納得顔でメモを記し、内心で思う。
(面白い。もしそこでルーメン・テネブレがラフエルを殺しに来るなら、俺が現場を張っていれば犯人を特定できるかもしれない”と。同時に、もしその犯人が闇属性術者であれば、その力は役に立つ)
「というわけで、次の週末。Bクラス領域で研究会の発表がある日に張り込むというのはどうかしら……? 監査委員として私が動くのは当然だけど、あなたも正式に補佐官という形で同行してくれる?」
アリシアは腕を組み、意気込んで言う。
「補佐官ならDクラスの俺もBクラスへ行くことができるな、ありがたいよ」
アルドはやや苦笑しながら返した。
(妹を救う情報を得るためにも、アリシアの協力は強力なカードだ。それにここでルーメン・テネブレに近づければ、俺にとっても得策だな)
アルドは思考の裏側でそう呟く。アリシアには「犯人逮捕」という正義の大義があり、アルドには「犯人の利用」と「さらなる復讐」の意図がある。目的の食い違いはあるが、表向きは“調査を進める”という点で一致していた。