07 ヴァールノートへの接触
アルドは闇に沈む廃倉庫の奥へ足を踏み入れた。あたりにはひどく埃っぽい空気が充満し、古い木箱が乱雑に積まれている。
薄暗い明かりの中、凹凸が浮かび上がる壁面には湿っぽい苔さえ生えかけていた。普通の生徒が近寄るような場所ではない。しかし、アルドは気配を殺しながら、その中でもさらに奥まった区画へ向かう。
(ここなら帰りに後をつけられる心配もないだろう……万一にも”リーシェ”と”白銀の男”を紐づけられるわけにはいかないからな……)
ほんの数日前、アルドはヴァールノートと連絡を取りたいという意図を示し、簡易連絡の魔道具を使って接触を図った。一方的な連絡となるため、返信などを行うことはできない。
そのためアルドが一方的に、日付とD区画倉庫C-12と呼ばれる場所へ来るよう指定したのだ。
アルドは夜の帳を縫うようにして、使われていない倉庫へ足を運んだ。学園外縁部にある古びた倉庫の一角は、人通りも少なく、闇夜の冷気が肌を刺す。錆びた鉄扉を開けると、埃臭い空気が鼻腔を突いた。
倉庫の中央には灯りが一つだけ灯っており、その周囲を囲むように数人が立っている。
アルドはローブを深く被り、ゆっくりと足を踏み入れた。
今は“リーシェ”のウィッグや女装はせず、今は“アルド”としての自分を白銀の髪を晒している。
その姿を見たヴァールノートの面々は、一瞬たじろぐかのように後ろへ重心を下げ、すかさず警戒を浮かべたが、すぐに視線を落ち着かせる。
彼らはかつて“白銀の男”に助けられた経験をもつのだ。その存在感に対し、どう扱うべきか迷いつつも、明確な敵意は抱いていないようだ。
「来たか、白銀の男……」
先頭に立つ大柄な男が声を落とす。
「おまえは……? 前回いたメンバーではないように思うが……」
「俺はこの組織のリーダーを努めている。スペイスだ。あのときの作戦には参加できなかったためお前の姿を見られなかった。けれど、仲間の話は散々聞いたよ。『白銀の髪を持つ謎の男が貴族派を皆殺しにし、我々を救った』……とね」
その男――スペイスと呼ばれる青年は、ヴァールノートのリーダーを務める人物だ。試験前後の紛争で多くを失ったものの、今再び組織をまとめ直しているらしい。アルドはスペイスを前にして、軽く呼吸を整えた。
スペイスは口の端をわずかに歪めて笑う。
アルドは肩をすくめ、「まぁ、役に立つと思ったからな」と呟く。
「お前たちヴァールノートは反貴族派組織だろう? 敵の敵は味方ってやつだ」
スペイスは仲間たちと視線を交わしながら苦笑を返す。
「ま、それで助けられた事実は変わらん。だからこうして、お前の呼び出しに応じたわけだが……。さて、本題は何だ?」
「さて、まずはひとつ確認したいことがある。どうも学内で『白銀の裁定者』という名が広まっているらしいが……どうやら、それが俺を指しているらしくてな」アルドはローブのフードを軽く下ろし、白銀の髪をはっきり露わにする。
「この白銀の髪を知っている連中は、お前らヴァールノート以外にはそう多くないはずだ。なのに、なぜ学園全体に広がるほど有名になった? 俺はお前たちが俺の名を騙っていると睨んでいるのだが?」
彼の声には静かな苛立ちが混じる。周囲のヴァールノートの面々は一瞬互いに顔を見合わせ、口ごもったように沈黙したが、スペイスが渋い顔で口を開いた。
「まず断言する。 ”白銀の裁定者”と呼び始めたのは我々ではない」
スペイスは言いづらそうに言葉を続ける。
「……だが、その”白銀”の由来は……」
アルドはひときわ低い声で「隠し立てはよせ」と促す。
スペイスは目を伏せたまま小さく溜息をついた。
「……ルーメン・テネブレ、という組織を知っているか?」
「ルーメン・テネブレ?」
「お前が貴族派連中を徹底的に蹂躙していった結果、貴族派を恨んでいたり、よく思っていなかった者たちが、お前を“救世主”あるいは“裁きの代行者”として崇め始めたんだ。小さなグループが口コミで団結し、ある意味で宗教団体みたいに“白銀の裁定者”を信奉しているようだ」
アルドは不審そうに眉をひそめた。
「宗教団体……俺を崇める? そんな馬鹿馬鹿しい話があるか?」
「現にあるんだよ。ルーメン・テネブレは、ヴァールノートを抜けた者たちも参加している。お前に助けられたイザナもそちらへ移ったと聞いている」
「イザナが……?」
アルドの脳裏にかすかな記憶が蘇る。どうして彼女がそんな宗教団体に……?
「イザナはお前の姿を見ている。貴族派を圧倒的な力で殺し、自身をも救った”白銀の男”の存在に信仰にも近い強い衝撃を受けたんだろう……」
「ルーメン・テネブレの詳細まではわからないが、お前を神格化しているのは確かだ。……だから”暗闇の処刑者”などという負の響きの名前をあらため、イザナからの目撃情報を元に”白銀の裁定者”という神聖な存在に仕立て上げたんだろうよ」
ため息が出るほど不可解で、かつ歪んだ崇拝だ。アルドは胸中で鳥肌を立てながらも、ある程度納得した。自分が大規模な貴族派粛清を繰り返してきたことで、貴族を恨む平民層や下位クラス生が英雄視したのかもしれない。
(馬鹿馬鹿しい……そんなものが、俺を真似て貴族派を殺しているというのか?)
呆れた感情が脳裏をよぎるが、同時に”利用できる”かもしれないとの打算も浮かんだ。
「……そうか。イザナがルーメン・テネブレに移籍したことで“白銀”という俺の特徴が漏れたというわけだな」
「恐らくな。お前のやり方を神格化し、仲間を集めているようだ。何をしてるのか、何か目的があるのかまではわからんが……」
「……都合がいいな」
思わず呟きがこぼれる。周囲のヴァールノートたちは微妙な面持ちを浮かべる。彼らはルーメン・テネブレが俺のフリをして貴族派を殺していることは知らないのだろう。
「話は替わるが……」
アルドの声が薄暗い倉庫の空気を切り裂いた。照明は心許なく、壁にかすかな影が揺れている。ワインのしみのような跡が床の隅に広がり、湿った埃の匂いが鼻をつく。
ヴァールノートたちが緊張混じりの視線を送る中、アルドはゆっくりと口を開く。
「俺はB区画へ行きたい。前にお前らの仲間から、ヴァールノートはB区画とD区画を自由に行き来する術を持っていると聞いた。そこを使わせてくれないか?」
倉庫に響く声は抑えめながらも強い意志を含んでいた。空気がぴりりと張り詰める。人影が奥で微動だにしないままアルドを睨んでいる。
スペイスは淡く灯るランタンの光の中で、鋭い眼光をアルドに向ける。その背筋にはどこか王者然とした空気が漂い、隙を見せてはいけないという威圧を放っていた。数秒の沈黙を置き、彼は低く言い放つ。
「B区画へ移動するルートを使うには時間と手間がかかる。それ相応の対価を要求することになる。知っての通り、我々は罠にはめられ手痛い損害を受けた。さらに新興宗教によって人材の流出が起き、壊滅寸前だ……。人手が足りない分、”何か”を助けてもらわねばならないが……いいか?」
最後の言葉を口にした瞬間、倉庫にいたほかのヴァールノートたちも息を呑む気配があった。彼らは「白銀の男」に対して恐怖と敬意を入り混ぜた態度を取っているように見える。それもそのはず、アルドは先日、彼らを救い、同時に多くの貴族派を血の底へ葬った実績を持つ。
アルドはゆっくりと視線を向けて、静かに口を開いた。
「偶然とは言え、俺はお前らの仲間を助けた。……にも関わらずお前ら経由で俺の特徴が学園中に広まってしまっている」
“白銀の男”という情報を外へ漏らした件を問い質すような響きだった。周囲の者たちが顔を伏せる中、スペイスは苦い表情を浮かべる。ほんの一瞬、唇を噛む仕草が見えたが、すぐに居直ったように言葉を返した。
「くっ……。恩を仇で返すようなことになり申し訳ないと思うが、それをやったのはうちのメンバーじゃない」
スペイスの声にはわずかな苛立ちが感じられる。だがアルドは彼の弁明を待つ気配もなく、短く静かな声で続ける。
「元ヴァールノートだろう」
言い切られたスペイスは苦々しそうに目を伏せ、肩を落とすように息を吐いた。そしてわずかに顔を上げ、諦め混じりの響きを伴って口を開く。
「……わかった、一度だけだ。一度だけはルートを使わせてやる」
その言葉が倉庫の奥にこだまする。
「助かる。でもその1回は往復で頼むよ」
アルドはわずかに眉を上げ静かに付け足す。
スペイスは口元を曲げ、鼻で短く息を吐いた。少し皮肉を込めたように応じる。
「あぁ、わかった……往復でいい、お前が貴族派を次々と消してくれるのはこちらにとっても正直都合がいいからな。いつがいい?」
「今はまだ確定していない、決まったらこちらから連絡する」
そう言い切るアルドの姿に迷いはなく、周りのヴァールノートたちも思わずたじろいでいる様子が見て取れる。スペイスは何も言わず深く頷くと、押し殺した声で答えた。
「……いいだろう。そちらが決まり次第、連絡をくれ」
これ以上のやり取りは不要だと判断したのか、スペイスはわずかに首を振って頷き、合図のように手を振る。部下たちが道を開けるように身を引き、薄暗い倉庫の一角に淡い光が揺れるランタンだけが残る。
そのまま会合は締めくくられ、アルドが踵を返すと、ドアの近くに控えていたノイルと呼ばれる男が、ぎこちなく一礼してドアを開ける。
ノイルの視線は微妙な敬意と恐怖が入り交じったもの。まるで目の前の白銀の男がいつ牙を剥くか分からない、とでも言いたそうだ。アルドはその視線を横目で受け止めながら、無言で通り過ぎた。倉庫の扉の向こうには静かな夜の風が流れ込んでおり、錆びた鉄の香りがかすかに混じっている。
(助かった、と言うべきか。これでB区画への手段は確保できる……)
胸中でそう呟きながら、アルドは顔には一切の感情をのせず、闇に沈む道を進む。倉庫の外には人気などまるでなく、満天の星空だけが冷たく輝いていた。彼は自分の髪をなびかせる風に耳を澄ませながら、今後の段取りを脳内で組み立てる。
(ルーメン・テネブレか……。信者たちが勝手に俺の名を掲げて行動を起こしているわけか。面倒ごとだが、俺を信仰しているというのは手駒にするのに好都合かもしれない)
そう思いながら、アルドはフードを深く被り直す。復讐はまだ終わっていない。Aクラスの主犯は生き延びているし、妹リーシェの救済方法も見つかっていない。しかし、状況がまた一歩動き出した気がした。
冷たい風がアルドの頬を撫でる。空には満月が輝き、彼の白銀の髪を照らしていた。彼は月を見上げ、アリシアの顔を思い浮かべた。
(アリシアは模倣犯を止めたいと願っているが、俺は利用したい。逆に模倣犯に俺の犯行の罪を被ってもらうことで、アリシアの目を欺くことも可能かもしれない……)
そう考えると、また胸の奥がちくりと痛む。
「この感情には慣れそうにないな……」
アルドは顔をしかめながら暗闇の中に消えていったーー