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06 調査

Bクラス区画への道は、いつもと違う緊張感に包まれていた。急に浮上した“暗闇の処刑人”の噂が、ここ数日の学園を再び揺るがしている。すでに試験はひととおり片付いたはずなのに、まるで後味の悪い悪夢が蘇ったように、誰もがざわめき始めているのだ。


「今回の遺体も、傷がないらしいわね……」


Aクラスの制服を纏い、凛とした姿で歩くアリシアが静かに口を開いた。その隣を歩くリーシェ――その正体はアルド――は彼女の言葉に一瞬反応しながらも、まだ心の中で色々と思案を続けている。


アルドはDクラスの生徒として過ごしているが、今日に限っては“補佐官”という肩書きを手に、アリシアの調査に同行している。


倫理監査委員の活動としてBクラス区画へ踏み込む正式な許可をもらい、彼女の“補佐官”として行動を共にするのだ。もともと“リーシェ”も1年生時に倫理監査委員だったという経歴があるため、アリシアがうまく書類を取りまとめて申請を通したらしい。


そのおかげで、普段なら越境が難しいB区画に堂々と足を踏み入れている。アルドは腕を組みながら、心中に複雑な思いを抱えていた。


(アリシアの力を借りる形で来たわけだけど、本当にこれでいいのか…… まあ、今はこの調査が目的だ。まずは犯人の正体を探る、と)


「リーシェ、聞いてる?」


アリシアがこちらを窺って声をかけてきた。アルドはわずかに目を伏せ、口の端を引き結ぶ。


「ああ、悪い。考え事してた」


「事件現場はこの先の中庭棟だって。Bクラスの試験教室の裏手で見つかったそうよ」


そう言いながら、厚みのあるフォルダを小脇に抱える。倫理監査委員特有の調査資料なのだろう。


ふたりはBクラス棟の裏手をぐるりと回り込むように進む。やや古びた回廊をくぐった先に、布で仕切られた一画があった。そこにはすでに学園職員の数名が待機し、立ち入り禁止の札を下げている。バタバタと走り回る教師と、数人の補助員も見えるが、みな戸惑いの表情が消えないままだ。


「あ……アリシア様。お疲れさまです……」


その場にいた若い教師が慌てた様子で駆け寄り、後ろに控える”リーシェ”の存在に困惑の視線を送る。けれどアリシアが「私の補佐官よ」と淡々と説明すると、教師は「なるほど」と頷いて黙った。アリシアが上位貴族ということもあるが、倫理監査委員としての権限は一部の教師よりも強い。


「今回の遺体は、Bクラス4年のサント・コディアック。貴族家の三男で、最近までいろいろ問題を起こしていましたが……」


教師がそう紹介すると、アリシアとアルドは揃って一瞬目を合わせる。やはり、標的は貴族派。何者かがアルドの手口を真似て、貴族を殺して回っているという噂はますます事実味を帯びているようだ。


教師の案内に従って、ふたりは現場を覗き見る。防護用の幕の向こうに横たえられた遺体は、大柄な青年のものだ。生気を失った顔は苦悶の表情が固まったかのようで、四肢に外傷はなく、ほとんど血痕も見当たらない。その点はアルドが使ってきた“存在の根底を破壊する”手口による傷なき死体と似ている。


(……傷がない。これ、本当に俺と同じ手口か?)


アルドは、不審死体を見下ろしながら、誰にも聞こえないよう心の中で問いかけた。

(ナジャ、お前と同じ力を持った存在はいるのか? 俺みたいに相手のアルキウムに干渉して……)


頭の中に、涼やかな声が反響する。

(妾のように“存在の原型”――アルキウムへ干渉する力を持つ者は、まずおらぬじゃろう。そもそも妾と同格の存在など見たことも聞いたこともない。確認の術もないが……まあ存在するとは思えぬ)


「じゃあ、何なんだ、これは……」


アルドはわずかに眉をしかめ、死体の顔を再度見つめる。傷は見当たらないのに、確かに殺されている。

ナジャの声が静かに続く。


(何か別の術式か、闇属性の応用か。いずれにしても、妾の力を真似できる存在など考えにくいぞ)


「……となると、誰かが“らしく見せかけている”だけかもしれないな」


アルドは低く囁く。アリシアがすぐ隣で資料を確認しながら目を細めた。


(偽装……? わざと“傷がないように見せかけている”のか。それとも、それに近い術式があるのか……)


アルドは思案を深める。世の中には傷を残さない殺し方などそう多くないはずだが、自分以外にも何らかの“珍しい手法”でそれを実現しようとしている者がいるのかもしれない。


ふと、アリシアがメモを取りながら言う。


「学園側の検証チームが一応の表面検証を行ったらしいけど、“魔力干渉による心臓停止か、または病気による突然死”なんて報告が出ているそうよ。多くは”暗闇の処刑人”の仕業だと騒いでいるわね……でも、わたしたちは違うのが分かる」


アルドは無言で肯定し、「だが間違いなく俺の手口とは異なる」と小さく呟いた。


その時、周囲で何やら囁きが聞こえてきた。


「またあれだろ……? 最近“白銀の裁定者”なんて呼ばれてる奴の仕業じゃないか?」


アルドとアリシアは同時に顔を上げ、耳を澄ます。


「どういうことだ?”白銀の裁定者”……? ”暗闇の処刑人”とは別の存在か……?」


教師たちが思わず口にしている内容を聞くに、”白銀の裁定者”は”暗闇の処刑人”にかわる新しい呼び名のようだ。より“正義”を意識したかのような名前になっているが、それ以上に気になるのは“白銀”という単語が含まれていることだ。

 

(白銀……って、俺の髪の色か?……まさか、俺の正体が漏れた?)


アルドは一瞬息を呑む。視線をアリシアと交わすと、彼女も同様に困惑を浮かべている。そもそも“アルド”が白銀の髪と瞳を持つ姿で犯行に及んだことを知っている者など、非常に限られているはずだ。


「アルド……あなたの正体を知っているのは私だけだと言っていたわよね?」


アリシアはすぐに「私じゃないわよ」と否定の意を示す。その反応は誠実そのものだ。アルドもそれに頷いてみせ、別の可能性を挙げる。


「完全に俺の正体を知る者は君しかいない……が、いくつか可能性はあるんだ」

「ヴァールノートーー。以前、貴族派を大量に潰した時に、俺はリーシェの姿ではなく、”謎の白銀の男”として彼らの前に姿を出したことがある」


ヴァールノート――学内の反貴族派レジスタンス組織。アルドは過去に何度か接触し、BクラスからDクラスの生徒で結成された彼らが貴族派と相対するなら自分の復讐に利用できるかもしれないと考えてきた経緯がある。


あの日、イザナやロクスたちが貴族派に返り討ちにされそうになった場を“白銀の男”としてアルドが奇襲し、彼らを救ってやった。その時、瀕死状態だったファロンを含む数名のメンバーがアルドの姿を目撃していた。

「連中はベルジやソシアを不審死させたものの正体が“白銀の髪を持つ謎の人物”だということを知っている。その情報が何かの形で漏れた可能性は高い……。アイツらが口を滑らせたか、あるいは外部に流したかもしれない」


アリシアは眉をひそめ、「じゃあヴァールノートが犯人なの?」と尋ねる。アルドは肩をすくめるようにして、ゆっくり首を横に振った。

「正直、わからない。連中は貴族派を憎んでいるし、俺の行動を支持している奴もいるだろう。だからこそ模倣犯が出た可能性があるとも言えるが、ヴァールノートは集団行動が主流で、痕跡を残さない暗殺はあまり得意じゃないはず……でも、それはまったくの否定材料にはならない。俺はやつらのことをよく知らないからな」


そう呟くアルドの声には苛立ちが混ざる。


「とにかく、まずは連絡手段を使ってヴァールノートに聞いてみるか。彼らに“白銀の裁定者”なんて呼び名を広めたのは誰か、模倣犯は連中なのかってことを確認したい」

アルドが低い声でそう提案すると、アリシアは頷きながらメモを取りだす。


「なら、私も何か協力できるかしら。ヴァールノートとは接点がないけど、BクラスやCクラスの生徒に聞き込みをかけて、”白銀の裁定者”に名前が変わった噂の出所を探ることもできる」


アルドは内心驚く。アリシアは“自分では聞き込み”をして、さらに“アルドはヴァールノートに接触”と明確に役割分担を決めている。まるで長年連携してきた相棒のように段取りを組む彼女の姿には、かつての倫理監査委員というよりも、どこか“仲間”に近い空気を感じる。それだけに、アルドの胸には再び罪悪感が芽生えるのだった。


現場の確認をひととおり終えた後、アリシアは職員らに軽い挨拶を残し、早々に引き上げる。アルドもあとに続いた。事件現場にはまだ教師や監査委員の別メンバーが残り、書類仕事を進めたり死体の運搬手続きを行ったりしているが、アルドはその場に長居しても得られるものはないと判断した。


廊下へ戻りながら、アリシアが小声で話しかけてくる。


「犯人がヴァールノートかどうかはわからないけど……今回の遺体、やっぱりあなたの手口と微妙に違うわね。世間一般にはそこまで詳しく見ないだろうけど、あなたの本当の”力”を知る私たちなら、その差に気づける」


アルドは頷きつつナジャから聞いた話をアリシアにも伝えることにした。


「……闇属性の精霊術を応用すればほぼ傷を作らずに死に至らしめることが可能かもしれない」


闇属性というのは非常に珍しく、学内でもあまり存在しない。通常、闇術と呼ばれるものは妨害や幻惑に特化していると思われがちだが、実際には高位の使い手が使えば物理的にも厄介な効果を発揮できるという噂もある。


「闇属性……確かに学園の記録によれば、闇術の一部には“生体の痕跡を極限まで隠す”とか、“肉体を一瞬で死に至らしめる”ような理論もあるらしいわ。ただ、正式には封印されている術と聞くし、本や禁書庫にしか文献は残っていないはず……」


アリシアの声は少し震えた。法や規則を大事にする彼女にとっては、そうした禁断の魔法が実際に使われていると考えるだけで恐ろしいのだろう。アルドはそれを聞きながらも、内心で“可能性は十分にあるな”と思い定める。


「ともかく、これで状況は少し掴めた。俺はヴァールノートに当たり、君は学園内で聞き込みか。連絡は……また監査委員の補佐官として呼び出してもらえればいいだろう」


アリシアは「ええ、そうね」と相槌を打ち、廊下の途中で足を止める。Bクラスの施設を後にし、入口付近まで来たところで、ふたりは自然と視線を交わしている。


「じゃあ、次の動きがあったらお互い報せ合いましょう。私もこのまま黙っていられないし、今回の事件は絶対に止めたい」


アリシアの言葉に、アルドは「わかった」と短く返事する。ふと、その瞳の奥を見つめれば、一瞬だけ複雑な感情が浮かんでいる気がした。彼女は心の底でまだ何かに悩んでいるのかもしれない――それがアルドの復讐そのものか、あるいは自分自身の気持ちへの戸惑いか。その全貌は分からないが、今のアルドにはそれを問いただす余裕もなかった。


こうして二人はその場で別れ、アリシアは学園上部機関へ報告に戻る。アルドはDクラス棟への帰路についた。道すがら、唇を引き結びながら心中をかき乱される。闇属性らしき術? ヴァールノート? それともまったく別の誰か? 背後で操っている者は何者なのか。そして“白銀の裁定者”という新たな呼び名を広めたのはどこの誰か。


アルドはイザークらを殺したあとから、復讐を止めているのに、勝手に“処刑人”が再来したかのような演出をされているのは都合が良くもあり気味が悪くもある。だが、もし、この犯人が俺の行為に肯定的な考えを持ってやっているのであれば、場合によっては――この模倣犯を逆に利用し、Aクラスの本命へ接近する足場が得られるかもしれない。


(まずはヴァールノートに連絡して、俺の存在をどこに流したのか問い詰めよう)


かつて、アルドはヴァールノートの命を救ったという恩がある。彼らはアルドがリーシェとして活動しているという表の素性は知らずとも“以前自分たちを助けた白銀髪の男”が”白銀の裁定者”であるということは知っているだろう。うまく行けば連中を足がかりにできる可能性がある。心中で復讐の炎がじわりと燃え上がるのを感じ、アルドはDクラス塔へ足を踏み入れる。廊下には昼休みが終わる直前で席に戻る生徒たちが行き来しているが、どこか気怠い雰囲気が漂っている。


(この模倣犯の“殺し方”、妹を救うための糸口やヒントにならないか……。闇属性や光属性は単純な自然現象の再現ではない。その応用方法を禁書庫で見つけることができれば良いのだが……)


浮かんでは消える様々な推測を抱えつつ、アルドは教室の扉を開けた。


「リーシェ! どこ行ってたの!?」


するとイルマが目を光らせて声を掛けてくる。アルドは慌てて軽く笑みを返し、「ちょっと監査委員の仕事に付き合ってね……」と説明を濁す。


イルマは「そっかあ」と納得している様子だが、ツェリが遠巻きに心配げな視線を送っていた。ファロンも黙してノートを片付けながら、アルドに何か言いたそうな表情だ。


それでも今は彼らを相手にするより、自分の計画を急ぐべきだ。次の休憩時間を利用して連絡先を経由し、ヴァールノートの反応を探ろう……そう決意を新たにする。モヤモヤとした苛立ちは拭えないが、動かなければ始まらないのだ。


(模倣犯が誰であっても、俺の役に立つのなら歓迎だ。……理想はアリシアには模倣犯の正体が伝わらず、俺だけが正体を知っている状態だな)


この日、アルドは教室の窓際に座りながら、ずっと頭の中で復讐と妹の救済、そして“模倣犯”と“アリシアの協力”をどう絡めるかを思案し続けていた。先ほど現場で見た死体の映像が何度も脳裏に閃き、まるで自分の犯行だと周囲に吹聴されたような嫌悪感が込み上げる。それをかき消すように、アリシアの笑顔がふと浮かんでくると、今度は別の感情が胸を締め付けた。


(分かってる……俺はまだ止まらない、たとえ彼女を欺くことになっても)

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