04 暗闇の処刑人
“リーシェ・ヴァルディス”として振る舞うアルドは、机に突っ伏したまま気だるい溜息をついた。ここ数日、何もしていないのに胸の奥が鬱々として、どうにも晴れない。黒板越しに眩しい陽光が揺らぎ、クラスメイトたちの声がざわつく。けれどアルドの意識はそこから遠いところにあった。
アリシアの事だ。先日いきなり訪ねてきた時は驚いたが、こちらの正体を知っているはずなのに「協力する」と言ってきたのだ。
確かに彼女は同学年のAクラスにおいて首席を誇り、化学施設への立ち入り許可も、彼女なら難なく手続きできるだろう。
そう考えれば、妹の救済という点では大いに助かる存在には違いない。
だが一方で、なぜアリシアは進んで手助けを申し出るのか。
試験の際に彼女を助けた“恩返し”のつもりで黙っていてくれているだけなのか、それとも親友であったリーシェの立場を慮って目をつぶっているのか。
いずれにせよ、もし自分が再び貴族派の粛清を始めた時、彼女がどう動くかは全く読めない。
そこが、どうしても拭いきれない不安材料だ。
他にも懸念すべき事柄があった。
(このままじゃ、何も進まない)
アルドは毎日同じような事を思い、日々焦燥感に追われていた。
思いが頭をよぎる。妹を救うため、そして貴族派への復讐を果たすために入った学園。ナジャの力を使いCクラスの仇をほぼ壊滅させ、Bクラスの主犯であるイザークとその取り巻き十数名も試験の最終日に始末することができた。それから数週間が経つ。
学園はあの頃の騒ぎが嘘みたいに静かだ。いや、正確には“暗闇の処刑人”なる者の猛威が収まり、今は一時的な平穏に包まれていると言った方が近い。「処刑人がどこかへ去った」「処刑は終わったんじゃないか」と噂し合い、怖がる者もいれば、歓迎する者もいる。
(終わってない。上位クラス領域へ行く手段があったらすぐにでも向かうところだ……)
Cクラスまでは地下の遺跡のような秘密通路を通り潜り込んだが、Aクラスへ行く方法は存在しない。妹リーシェを陥れた張本人がそこに潜み続けているというのに、手を出せずに行き詰まっている。俺には頼れる仲間もいないし、目的から共闘できそうな反貴族派組織”ヴァールノート“の地下ルートですらA区画には入れないようだ。そして禁書庫や科学施設へも行けず、妹の救済法も見つけられないままだ。
移動手段がない事で完全に復讐は途中で止まってしまった。復讐を続行できるルートがなく、俺の気持ちは宙ぶらりんになっている。
「リーシェ? おーい、ねえ、聞いてる?」
背後から軽い調子の声がかかる。顔を上げると、机の隣の席に腰掛けるイルマが心配そうに見下ろしていた。ゴーグルを首に提げたままの彼女は、最近ずっと「元気出してよ」と声を掛けてくれるが、正直今のアルドには応えきれない。
「うん、ああ、聞いてるよ……ごめん」
曖昧に笑ってみせる。
すると彼女は少し眉を寄せて少し拗ねた表情を見せる。
「またー? ほんと、どうしたの? ここ数日ずっと塞ぎ込んでるじゃない。試験終わって、みんなは少しほっとしているというのに」
イルマの問いかけに、アルドは愛想笑いで返すしかない。そもそもアルドの悩みは“妹を救うためにAクラスにどう潜り込むか”なんて話だから、彼女に言えるわけがない。
「リーシェさん、私なにか力になれることありませんか?」
今度はツェリが控えめに口を添える。
治癒術が得意な彼女は穏やかな笑みを浮かべながらも、心配げにこちらを見ている。
「ありがとう。でも……ちょっと寝不足なだけで平気だよ」
毎度のように言い訳じみた返事をすると、彼女は「もう……」と頬を膨らませた。
「でさ、リーシェ、本当に話聞いてた? Bクラスでまた“暗闇の処刑人”が現れたんだって!」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。俺自身はもう復讐を中断している。行き詰まっているから、殺す相手もいないし、むやみに行動すれば自分が危うい。それなのにどうして……?
「本当なの。昨夜、Bクラス棟近くで貴族派の生徒が不審死体で発見されたらしくて、しかも傷もなく、まるで魂が抜けたように死んでいたらしいわ」
イルマが周囲の生徒から聞いたという情報をしきりに話す。
「あの大事件の後は止まってたはずなのに、急にまた再開したみたい」と。
確かにアルドは過去、貴族派を“傷もなく殺す”手口で葬ってきた。学内ではそれが“暗闇の処刑人の仕業”と恐れられていたし、実際そうだった。だけど今度の事件は、アルドの知らないところで起きた。
(俺じゃない……誰が?)
一方で、心の中には妙な安堵がある。この模倣犯が貴族派を潰してくれるなら、復讐が捗るとも言える。でも、それはあまりに不気味すぎるし、場合によっては無関係な人を巻き込むかもしれない。
さらに自分の犯行と混同されるリスクもある。クラスメイトや教師が混乱し、学園の警戒網が厳しくなるかもしれない。それは復讐の妨げにもなり得る。
(……だけど、それを今の俺がどう止める?)
“都合がいい”とか"不安がある"という感情もあるが、そもそもBクラスの領域に行く手段がないのだ。それに、そいつが良い具合に残党を減らしてくれるのにわざわざリスクを犯してB区画にいるであろう模倣犯を止めに行くなど馬鹿らしい。
この複雑な思考に、アルドは小さく唇を噛む。
(しかし、俺が動いていないというのに誰かが勝手に同じ手口を使っている。狙いは何だ? 真似して楽しんでいるのか、何か別の目的があるのか……)
ツェリは心配そうに声を掛けてきた。
「リーシェさん、……その……怖がらなくて大丈夫ですよ。"暗闇の処刑人"は貴族しか狙いませんし」
「え? あ、そう……そうだね。ありがとう、ツェリ」
返事をしながら、頭がぐるぐる回る。まさか俺自身が“処刑人の復活”を初耳で知るとは……。ファロンはちらりと俺を見たが、今は何も言わず無表情でノートを閉じた。
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その日の放課後ーーDクラスの廊下から、嫌な気配を感じた。
Aクラスの制服を纏ったアリシアが、こちらに向かって歩いてくる。周囲のD生たちは「え……またAクラスが……」「最近多いな……」と戸惑って目を見張るが、彼女は一切動じずこちらの方に一直線だ。
俺は心臓がドクンと跳ねた。あの日は"リーシェ"として彼女と話をしたし、実際、彼女は俺の正体を知っていても黙っていてくれた。けれど、この堂々たる雰囲気は、何かを覚悟してきたようにしか見えない。
「……リーシェ、いえ、アルド少し時間をもらえる?」
廊下の雑踏の中で、アリシアは他の人に聞こえないよう小さく名を呼ぶ。偽装した名ではなく、本当の名を。
クラスメイトたちはアリシアが急に訪れた事に驚いていたが3度目ともなるとざわめきも少なくなってくる。
「……わかった。ここじゃ何だから、外に出よう」
アルドは唇を引き結び、席に戻ろうとするイルマやツェリに「後で話す」とだけ告げて廊下を離れ、階段を下りる。校舎裏の中庭へと向かう途中、心臓がやたら高鳴って落ち着かない。
アリシアは俺を捕まえに来たのか?
でも、彼女の顔にはどこか決断めいた真剣さがあって、敵意というよりは私的な感情が混じっているように見えた。