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02 言葉にできない感情

朝の空は微妙に白みが差し始めたばかりで、まだ薄い雲の層が学園の上空を覆っている。肌寒い風が吹き抜ける渡り廊下を急ぎ足で進むアリシア・フォン・フェルベールは、気持ちの整理がつかず、胸に重いものを抱えていた。


あの大騒ぎになった試験から数週間。すでに周囲は次なる行事へ向けて準備を進め始めているが、アリシアの中ではいまだ“あの日”の光景と、そこで知ってしまったあまりにも大きな秘密が色濃く残っている。


――今年の試験は波乱続きだった。はじめに「Cクラス・Bクラス貴族派の粛清事件」が起こり、複数の不審死が短期間で多発して学内が恐慌に陥った。そしてほとぼりが冷めかけた頃、今度は試験の最終日に「私の魔力が制御不能なほど乱れかける」という騒ぎが起きた。


本来ならば、こんな大事件が立て続けに起きれば学院はあらゆる手を尽くして徹底調査をするはず。ところが、表向き発表されたのは「原因不明。安全装置が機能しなかった」「該当教師が解雇され責任を取った」という曖昧な報告だけ。不審死事件および貴族派大量粛清事件は大規模な調査が行われたが「貴族派が仲間割れを起こしたとしか思えない」という調査結果だった。


しかし、大量の死者が出た不審死の件は被害者の大半が悪評高い貴族派だったこともあり、“貴族派が減ってむしろ学内が平和になった”とさえ囁かれる始末だ。殺害方法が謎に包まれていることから「暗闇の処刑人」などと呼ばれ恐れられてもいる。


学院内には、この暗闇の処刑人に恐怖を抱く者だけでなく、貴族派を嫌う平民生徒や下層クラス生からは「よくやった」と讃える声も少なくない。“処刑人”を英雄視する風潮に眉をひそめる教師もいれば、陰で拍手を送る生徒もいる。まったく混沌とした状況だ。


アリシアは自分が昨年まで憧れていた「秩序ある学園」がいかに脆いバランスで成り立っていたか、思い知らされる思いがして胸が痛む。それでも、この静けさは“ひとまずの平穏”と呼べるのかもしれない。まだ次の事件が起こらないうちに、万全の監視体制を敷くべきなのだろうが、学園上層部は動く気配を見せない。


だが、その“処刑人”が誰なのか——アリシアは、すでに知っている。


リーシェ、と呼ばれているDクラスの少女。その正体は、妹を昏睡状態に陥れられた復讐者アルド。試験の最終日に、私が魔力暴走で倒れかけたところを命がけで助けてくれた人。


自分で言うのも変だが、本来なら私は正義の監査委員として彼を糾弾すべき立場にある。動機はさておき大勢の貴族を殺害した犯罪者なのだから裁かれなくてはならない。けれど私の心はそれを拒否している。彼の行動が犯罪だと否定しきれないのは、妹を救いたいという純粋な感情を知ってしまったから……そして、何より、彼が私を救ってくれたという事実が胸に焼き付いて離れない。


アルドに救われた時に体験した記憶共有のせいでアリシアはアルドに深く感情移入してしまっていた。


「はぁ……どうしよう……」


アリシアは軽い吐息を漏らしながら目的地である会議室棟へと歩を進める。ここから先は学内でも高位クラス生や教師が行き来する区画だ。Aクラスである私が移動するのは自然なことだが、ふと後ろを振り返れば、ローブ姿の生徒や教師たちが何人か目に映る。私の存在を気にする者もいれば、無関心な者もいる。


(この倫理監査委員会で話し合うべきなのは“不審死事件の根絶”のはず。真実を知った今だから言えることだがアリシアの犯人は人を”操る“か”乗り移る“という推測は正しかった。何度状況証拠となる資料を提出しても、荒唐無稽だと馬鹿にされてきたが今度はどうなるのだろう……)


ドアを押し開けると、中は薄暗く、すでに三人ほどの委員が席についている。三年生の貴族派フィリオ・ブレイ・クレールの姿もある。フィリオは裏で事件に関与しているが、表向きは事故として処理されてしまったため、まだこうして監査委員の席に居座っている。


「遅かったね、アリシアさん」


フィリオが皮肉そうに微笑む。その隣にはBクラス代表のスレイドも座っているが、こちらは無表情で何も言わない。さらに奥の席を見ると、新顔と思しき少女が本を読んでいた。長く淡い金色の髪がサラリと流れ、貴族の端正な横顔をしているが、どこか冷やかな意志が瞳に宿っている。


「あなたが……メリディア・リィト・ヴァイスロートさん、よね?」


アリシアは控えめに言葉を投げかける。すると少女は顔を上げ、「ええ、よろしく」と短く返した。

それだけのやりとりなのに、アリシアは彼女が醸し出す威圧感に驚く。このメリディアは先日の試験の結果をもって1年生で倫理監査委員に選ばれたばかり。つまり私の後輩にあたるが、その佇まいは堂々たるものだ。


ヴァイスロート公爵家ーーアリシアはその家名を聞くだけで複雑な思いを抱いてしまう。学院理事と強く結びついた伝統貴族であり、貴族派の大物を幾人も輩出している。腐敗や利権を当然のように享受し、その歪みを見過ごしてきた一族だと私は思っている。


(また、腐敗に染まった貴族が委員会に入ってきた……ため息しか出ないわ)


自分が思わずそう考えた瞬間、メリディアが一瞥して微かに口元を歪めた。私は内心でハッとする。もしかして彼女、私の考えを見抜いている? いや、そんなわけは……。少し居心地の悪さを感じるが、今は会議に集中しなくては。


「それでは、定刻となったので倫理監査委員会を始める」


4年Aクラスのルクレト・ラ・フェンサールが淡々と宣言すると、静かな空気が部屋を包んだ。フィリオは相変わらず余裕めいた表情で椅子に寄りかかっている。


冒頭から、「私の試験中に起きたことには作為的なものを感じました。原因究明も不十分と考え、倫理監査委員としても捜査すべき事案かと思います」と提案するアリシア。


しかし、いつも通りフィリオが言いがかりのようにそれを突っぱねる。


「生徒の混乱をこれ以上煽る必要はない」


「そうだ、教師のミス、あとは機器の不具合として結論は出ている」


それに追従するのが、Bクラス代表のスレイドだ。


メリディアはそのやりとりをじっと聞いている。視線を落とし、資料を眺めているようだが、彼女の指先にはわずかな震えを感じる。怒りなのか興奮なのか分からないが、その繊細さに私は微妙な違和感を覚える。


(この子、何を考えているんだろう……。ヴァイスロート公爵家だから貴族派に属するんだろうけど……)


会議が進むうち、フィリオが「今後は人員不足ゆえ、不審死事案以外の調査は縮小するべきだ」などと述べ、他の委員も相槌を打つ。私は反論するが、数で押し切られてしまう流れだ。


メリディアはそこでも口を挟まない。ただ静かに記録を取りながら、時折うなずいているだけ。


こうして、また学内の闇が隠されてしまうのかと落胆を覚えつつ、私は他の議題へ移る。


この隠蔽されようとしている年次試験の“魔力暴走”騒ぎ……私自身の暴走。教師陣の大半が「原因は安全装置の故障」と簡潔にまとめているが、私は知っている。あれは外部から仕掛けられた罠だった、と。


しかも、主犯の一人はここにいる倫理監査委員のメンバーでもあるフィリオ・ブレイ・クレールだ——他にはフィリオと同じ3年Aクラスのマリア・シュト・ジグラー

そして私とリーシェの友人ーーだった、ミシャ・アルプウェイ


1年前、私とリーシェの友人だったはずの子。クールで知的な印象のある、いかにも猫を被った上品さを漂わせる。試験時にあのネックレスを私に渡したのは彼女だ。でも証拠はなにもない。


会議終盤、私が閉会の言葉を聞き流しながら、そっと視線を隣のメリディアに移すと、彼女は少し離れた場所で資料に書き込みをしている。なにか興味深そうに不審死報告書を読み込みながら、ごく微かに口元を上げる様子を私は見逃さなかった。


(この報告に喜んでいる……? まさか、彼女も貴族派を狙う“処刑人”に興味を抱いているの?)


背筋が軽く粟立つ。おそらく、彼女が感じているのは恐怖でも批判でもない。資料に載せられた“不審死の手口”や“傷一つ残さない死体”などを、まるで憧れでもするかのように目を輝かせている風だ。 そんな表情を浮かべている貴族の令嬢など聞いたことがない。


「以上で本日の協議は終了とする。引き続き、学園内の秩序維持に尽力せよ」


ルクレトが締めの言葉を述べ、委員たちは書類を束ね始める。


アリシアはため息まじりに席を立ち、ドアのほうへ歩き出す。フィリオを視界の端に捉えるが、彼は平然と笑っている。憎らしい……けど、今は何もできない。


「アリシア先輩」


ふいに声がかかった。振り返るとメリディアが立ち止まって私を見ている。


「ん……? どうかしましたか、メリディアさん?」


向こうは無表情に近いが、その瞳には微かな火が宿る。


「いえ、少し興味深い情報が多くて。先日のBクラス・Cクラスの大量死。アリシア先輩はどう思っているのですか?」


いきなり単刀直入な質問でドキリとする。


「え……いや……、その……以前の報告書に書いた通りよ……超常的な力が働いていると思っていたわ」


メリディアは満足げに一瞬だけ微笑む。


「そうね……、そうよね、わたしもそう思うわ。機会があれば、あなたの意見をもっと聞かせてください」


と言い残して会議室を出ていった。


(“私もそう思う”か……何を考えているの、あの子は……。でも以前までの私であれば同じ考えの仲間がいると喜んだかもしれないわね……)


しかし、彼女の眼差しの奥には妙な情熱があった。あれは正義の炎というよりも、もっと――過激で危ういものだ。


会議が終わり、アリシアは一人きりで廊下を歩く。気が滅入る。事故を装って殺されかけ、その犯人がすぐ近くにいるというのに何もできない事に強い苛立ちを感じる。貴族派が関わる不正なんて今に始まったことじゃないが、これほど露骨に捜査を妨害されるとどうしようもないもどかしさが募る。


「でも……不審死事件の犯人を捕まえようとしない私が言えたことじゃないかもしれないわね……」


アリシアは自嘲気味に呟いた。


“彼に相談したい”……思わず頭をよぎるが、すぐ首を振る。 彼――アルドは不審死を引き起こした張本人だ。けれど今はもう止まっている。私に殺意を向けるどころか、魔力暴走の時は命を懸けて助けてくれた。


(彼は今、殺しを止めているし……リーシェを救うためなら……)


アルドを捕まえられない罪悪感。正義を裏切っているという呵責。それらはアリシアの心を蝕んでいた。けれど、それ以上に彼女を苦しめているのは、リーシェを見捨てることになるかもしれないという恐怖だった。もしアルドを見捨てれば、リーシェを救う手立ては失われてしまうかもしれない。


胸の奥にある理由にならない言い訳が、私を罪悪感と安堵の狭間で揺さぶる。 そう、私は彼を“捕まえよう”としない。正義を標榜する監査委員としては完全に矛盾しているが、どうしても――できない。あの苦しみを背負って妹のために戦う心を見たら、とても逮捕なんて考えられないのだ。


それに、妹リーシェの救済に関して言えば、私がAクラスとして手を貸すことが彼の助けになるかもしれない。学園の科学施設や上層の情報を利用して、リーシェの病状を改善する術を見つけられるかもしれない……。そう考えると、私はなおさら彼に協力したい気持ちを抑えられない。


廊下の突き当たりまで来ると、角を曲がった先にはミシャの姿があった。私が一瞬目線を合わせると、彼女は柔らかく会釈をする。


「アリシア、お疲れさま」


まるで()()()()()()接してくる。けれど私は知っている――プレゼントとして渡したネックレスで私とリーシェを殺そうとした事実を。憎悪が湧きかけるが、いま証拠もなく糾弾すれば私の方が不利かもしれない。


いや、アリシアの家「フェルベール」の権力を振り翳せば下級貴族であるミシャを証拠不十分でも断罪することはできるだろう。しかし、そのような手段を取る気にはどうしてもなれなかった。


唇を引き結び、アリシアは気づかなかった振りをして足早に去る。背中に嫌な汗がにじむ。彼女と同じ空気を吸うだけで心が乱されるようだ。


(アルド……)


最近は心が乱されるとすぐ脳裏に“アルド”の姿が浮かぶ。


あの時、試験場で光と水の暴走に飲まれる私を抱きとめ、「大丈夫だ……絶対に救うよ」と囁いてくれた瞬間。 彼が犯罪者だと分かっていても、あの胸の温もりが忘れられない。私はまたその光景を思い出して、胸がドキリと鳴る。


“アルド”……妹を救うために殺戮を繰り返していた復讐者。 だけど、あれ以来、彼は殺人を再開していない。私に危害を加えるどころか、身を挺して助けてくれた。


だから私はもう一度、彼に会って話がしたい。このまま何も言わずに距離を置き続けるのは後悔しか生まないだろう。何より、“妹リーシェを救うにはAクラスや禁書庫、科学施設へのアクセスがいる”と、彼の記憶を共有して知ってしまったのだから。私が力になれるのなら、と思う反面、戸惑いから踏み出せずにいる。


(……毎日同じことを悩んでいる気がする。……でも、もう決断しなくちゃ……)


廊下の窓から見える中庭には、昨日の雨で濡れた木々が淡い陽を浴びて光っている。その美しい景色に癒やされるように深呼吸をして、私は小さく決意をつぶやいた。


「試験以来、顔を合わせてないけど……会いに行ってみよう……。もしかしたら、あの人も待っていてくれるかもしれない」


そう胸中で宣言し、私は軽やかに歩を進める。今は調査特例で倫理監査委員はクラス間の領域移動の制限が撤廃されているため会いに行こうと思えば今すぐにでも向かうことができる。校舎を出て、Dクラス棟へ向かうには結構な距離があるが、そんな苦労は些細だ。彼ともう一度きちんと向き合おう。


――なぜか、少しだけ鼓動が速くなる。復讐者であり殺人者なのに、なぜ私の胸はこんなにも高鳴るのだろう。迷いや戸惑いがある一方、深い部分で彼を信じたい気持ちがある。自分でも説明がつかない感情の嵐が、今の私を動かしているのは間違いない。


これが、私の中に生まれた“小さな恋慕”なのか、それとも未消化の罪悪感と救いへの渇望が絡み合った錯覚なのか。それすら分からない。


ただ一つ確かなのは、あの“抱きしめられた温もり”を思い出すと胸が苦しくなることだ。

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