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01 停滞の静寂

試験の熱狂が冷め、Dクラスの教室には重苦しい静けさが漂っていた。窓から差し込む光は薄暗く、まるでアルドの心を映し出しているようだった。


だが、そんな雰囲気とは裏腹に、ひとり机に突っ伏している“リーシェ”の気配はやけに重い。彼女は誰が見ても元気がなく、頭の上にはうず高くノートが積まれているのに視線を上げることさえしない。


ガシャリ、と教室の扉が歪な音を立てて開き、イルマが入ってくる。


ショートヘアにゴーグルをつけた陽気な少女だ。

続いてツェリが、細身のシルエットで薬草本を大切そうに抱えながらついてくる。


「リーシェ〜、席に突っ伏したままだと余計辛くない?」

 イルマは半分冗談まじりに言うが、机に沈む長い茶色髪の少女は返事をしない。軽い鼻息だけが微かに聴こえる。


「……リーシェさん、また元気ないみたいですね……」

 ツェリが少し眉を寄せて小声でつぶやく。彼女は以前、貴族派による不正を告発しようとして陥れられ、CクラスからDクラスへ落とされた経験がある。その苦しみをリーシェに救われて以来、心から慕っているのだが、ここ数日はリーシェの沈み込みようを心配するばかりだ。


「なんだか最近、ずっと浮かない顔してるよね。前は試験で疲れてるのかと思ったけど……もう何日経ったと思う?」

イルマはゴーグルを指でくるくる回しながら、隣の席へ腰掛ける。


「ねえ、リーシェ〜、もう少し私たちにも相談してよぉー」と手を伸ばして、リーシェの肩を軽く叩いた。


「……うん……」

 小さく声を出すが、やはり覇気はない。動いたと思ったら細い指先がノートの端をいじっているだけだ。


ファロンは教室の隅から、その光景を黙々と見ていていた。半獣人特有の獣耳と鋭い目つきの少年は、相変わらず壁際に立ってクラスメイトに交じろうとしない。しかし、その目線にはわずかな警戒心が滲んでいるように見える。


机に沈む少女――いや、本当はリーシェではない少年、アルドはそんな視線を感じながら、内心で苦い思いを抱いていた。


今さら試験がどうこう言っても仕方ないが、結果的に個人試験を放り出してアリシアを助けに行ったせいで、俺は実技得点ゼロ……。筆記とチーム演習はまずまずだったが、それで救われるほど学園は甘くない。


頬を少し歪めながら、アルドはゆっくりと顔を上げた。複雑な想いが脳裏をかすめる。あの場で試験を続けていても低得点は確実だし、そもそも精霊術を扱えない時点で個人試験は大きなマイナスだ。けれども、アリシアを救えたのだから後悔はしていない。むしろ、イザークや取り巻きを一掃できた事実は大きな成果だった。


しかし、そこで復讐が止まったままだ。


頭の中で、アルドが“妹リーシェ”のために追い詰めるべき仇の名前が幾つも浮かぶ。フィリオ・ブレイ・クレール、マリア・シュト・ジグラー、ミシャ・アルプウェイ……Aクラスの主犯たちやそれに手を貸した者たち。


しかし、Aクラスの主犯どもに手を伸ばそうにも、学園のクラス構造が頑丈な壁となって阻んでいる。


Cクラスはほぼ無力化した。Bクラスもイザークを中心としたグループはまとめて潰した。けど、その先にいるAクラス主犯へは手が届かない……。


ナジャの力は確かに強力だが、Aクラスの壁の前では無力だ。


学園のシステムは自分の所属していないクラス領域に出入りすることを厳しく制限している。潜入しようにも教師や監視システムが目を光らせており、乗っ取りによる移動を使ったとしてもAクラスに潜入し、制限時間内に復讐を完遂するなどということは不可能だ。


(どうにも動きが取れない。妹を救う情報だって、禁書庫や科学施設にあるかもしれないのに、Dクラスでは権限ゼロ。行く手立てもなく、ただ日々が過ぎるばかり……)


焦燥と苛立ちが心を焼く。そんな苦さを押し殺し、アルドは机に突っ伏した体勢を維持する。ひどく空虚な朝だ。


「ねえ、リーシェ……今日の授業は実技準備あるんだからいい加減に起きてよ」


イルマが呆れ顔で肩をすくめた。


「うん……」

アルドは力なく返事をする。


「ごめんなさい、リーシェさん。私、何か手伝えることあれば……」

ツェリが申し訳なさそうに声をかけるが、アルドは微笑むだけで言葉を返さない。


(……妹の仇がまだ残っているのに、俺は何もできずこんな所に留まっている。それにアリシア……彼女は、あれ以来、姿を見せない。俺の正体に気づいていないのか……?)


試験最終日、アルドはAクラスのアリシアを魔力暴走から命がけで救った。アリシアの性格ならば一度は礼を言いに来るだろう。だが試験以来、彼女がDクラスを訪れることはない。


能力の使用による弊害ーー記憶の流出が起こっているとしたら、彼女には”不審死事件の犯人”の正体が伝わってしまっているだろう。しかし、彼女が俺を捕まえにくる様子もない。彼女が何を考えているのか、アルドには分からなかった。


「はぁ……」


思わずため息が漏れる。


さらに、壁際に立つファロンの視線が突き刺さる。 ファロンはヴァールノートの一員であり、アルドがイザークを中心としたBクラスの貴族派を壊滅させる直前に彼へ情報を提供してもらった。結果としてイザークらは死体になり、アリシアは救われた。


ファロン自身は事件の詳細を知らないが、確実にリーシェの動きを怪しんでいるだろう。


(あの日、ファロンに貴族派連中が集う情報を聞いて、俺は向かった。そのあと、やつらが”例の不審死”として報告されたからな……タイミング的に俺への疑念は拭えないだろう。まあ、正体を特定されない限り問題ないが……)


自嘲気味に息をつく。


しかし、前より動きにくくなったのは事実だ。試験は学年合同で行われたこともあり、クラス間の交流があった。その結果、Cクラス以外にはあまり広がっていなかった「貴族派が大量に殺された」という事実が学園全体に広がっていた。


というより、周囲は貴族派を粛清して回っているものを「暗闇の処刑人」などと呼び神格化し始める雰囲気さえある。実際、貴族を忌み嫌う生徒たちは多く、アルドのやり方を称賛する声も少なくない。


「ほんと、最近は平和だけどさ……また動きがあるんじゃないかって噂も絶えないよね」

イルマが何気なく言う。


「暗闇の処刑人ってやつ、また貴族派を消しに動くかもってね?」


「確かに。私が聞いた噂じゃ、Cクラスを制圧したあとBクラスにも手を伸ばしたとか」

ツェリが口にすると、アルドは思わずドキリとするが、努めて平静を装う。


「まあ、ここはDクラスだし、貴族もほとんどいないし……処刑人に狙われる心配なんてないわよね」

イルマは肩をすくめる。


「私らみたいな下層生にとってはむしろ処刑人はヒーローだっていうじゃない? 変な話だけどさ。あっはは」と笑う。


アルドは曖昧な笑みを返すに留める。


そう、Dクラスの多くは処刑人に悪感情を抱いていない。その奇妙な事実が今の学園での位置づけを示している。アルドの内心は複雑だ。自分は妹を救うための“復讐者”に過ぎないのに、いつの間にか“英雄”扱いとは笑い話だ。


アルドは視線をそらし、机に突っ伏す。


(……どうしても俺はAクラスに行けない。どうにもならないまま時間だけが過ぎる。妹の昏睡を放置しているなんて、俺は何やってるんだ)


苛立ちがこみ上げてくるが、教室の中でそれを表に出すわけにはいかない。蓄積した鬱々とした感情を抱え込んだまま、アルドはただうつむく。


(そういえば、ヴァールノートから得た連絡手段があったな……)


かつてレヴンを倒した際、彼らを助けたアルドは、緊急連絡用の簡易魔道具を渡されている。もっとも、彼らがBクラスまでしか移動できない以上、Aクラスへのルートは未開拓。いま使っても成果が期待できない。


(結局、詰まったままか……)


アルドは心底がっかりするように溜息をつく。妹リーシェはAクラスで才能を伸ばすはずだったのに、その未来を奪った輩がまだ学園の頂にのさばる。その事実が胸を抉るのに、何もできない。


「……リーシェさん、本当に大丈夫?」


ツェリが心配して優しい声をかけてくれる。


「ありがとう、大丈夫」


アルドは小さく頷き軽く応える。実際には大丈夫じゃないのだが、これ以上彼女を心配させる訳にはいかない。

ツェリもイルマは、彼の本当の姿を知らない。


「処刑人」の事情になどに関わらず、彼女たちには安泰な日々を過ごしてほしい。

そんな気持ちとは裏腹に、アルドのなかの復讐の炎は消えていない。


Cクラス、Bクラスに続いて、次はAクラス。けれど、その手段が何もない現状が苛立たしく、ただただ思考のループに陥ってしまう。


「ま、そろそろホームルーム始まるし、話はあとにしよっか」

イルマが苦笑まじりに席へ戻る。


ツェリも「はい……また後で」と微笑むと、静かにノートを開き始めた。


アルドは、伏せたままだった頭をわずかに持ち上げると、ファロンと目が合う。彼は何も言わず、ただ視線を外して窓際に向きを変えた。まるで「お前がどう動くのか、見ているぞ」と告げるように。


(……動きたくても動けないんだけどな)


アルドは心のなかで呟き、ぐったりと机に突っ伏す。そんな姿を「また具合悪いのかな?」とクラスメイトがヒソヒソ囁いているが、誰もそれ以上踏み込まない。Dクラスにとって“リーシェ”は、精霊術を失って落ちてきたかつての天才。いわば“憧れの挫折者”という遠巻きの距離感があるからだ。


こうして、試験騒動後の学園は、とりあえずの平穏を取り戻す。けれどもそれは、アルドにとって“停滞”としか言いようのない苦痛の時間だった。


妹の仇がまだのさばっているのに、どうしようもなく立ち尽くすしかない。あの日――アリシアを救ったあの日が、復讐の最高潮だったかもしれない。今はすっかり行き詰まってしまったのだ。


机の上で視線を落とす彼の瞳には、消えかけの怒りと絶望が宿っていた。


けれど、その奥にある一筋の希望、妹を助けるための願いは、まだ強く持ち続けている。

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