エピローグ
――数週間後。試験騒動の余波が落ち着きつつある学院では、いつもと変わらない日常が戻りかけていた。あの夜の混乱から数日後に再度行われた期末試験は、概ね平穏に終了し、新たな学期へと移るための準備が進んでいる。いまだ「安全管理の甘さ」を指摘する声は少なくないが、学院側が原因調査を行った結果、施設が壊れたのも安定機構が機能しなかったのも、詳細不明のまま終わったという報告しか出されなかった。
結局、試験時に装置を担当していた教師の一人が解雇されただけで、貴族派への追及は何もなかった。
試験自体は、その後数日を置いて再開され、アリシア・フォン・フェルベールは個人成績で堂々の1位を獲得した。だが、胸の奥には釈然としない思いが渦を巻いている。
「結局、私が一位になってしまったわね」
リーシェのいない試験での1位は嬉しさよりも切なさが先に立つ。
実際、周囲の多くは「リーシェは意識不明から復帰できたが精霊術が使えなくなって大きく順位を落とした」と信じているし、「リーシェの事故があったからこそアリシアが1位を取れたのだ」と囁く者さえいる。
しかしアリシアは知っている。いまだ“本物のリーシェ”は意識不明のままで、眠り続けていることを。そして、“復帰したリーシェ”と呼ばれている人物が、本当はリーシェの兄であるアルドだということを――
あの事件で頭に流れ込んだ“彼の記憶”が、はっきりと物語っている。
「……今も、リーシェは眠ったままなのね」
学院の中庭で立ち止まり、空を見上げながら、アリシアはそう呟く。ひんやりとした風が髪を撫でる。
「わたしは……どうすればいいのだろう」
小声で漏らしつつ、アリシアは胸を押さえる。あの日、自分は殺されかけた。それも貴族派の仕掛けによって。
すべてを暴けば、大きな波乱を引き起こすかもしれない。けれど物的証拠は無く、自分が持つのは“アルド”経由で頭に流れ込んだ記憶だけだ。脳裏に焼き付いた真相を、どのように世に問えばいいのか分からない。
そして今、一番困惑しているのは、リーシェ……いや、アルド。彼が妹リーシェを救うために学内で数多の犯罪を犯している事実を知りつつ、その復讐を止めることができない。
彼とわたしは、倫理監査委員としては“犯人”と“追う者”の関係だったはず。それなのに、あの試験場で魔力暴走を起こした自分を命がけで助けてくれた“彼”を、敵として囚えるなんて考えられない。
むしろ、これ以上彼を追い詰める気にはなれず、どんな顔で会えばいいかも分からない。彼の姿を思い浮かべるだけで、胸の奥がやけに高鳴るのだ。
「アルド……」
低く呟いた言葉は、誰の耳にも届かず虚空に溶ける。彼が妹リーシェに成り代わってDクラスに潜んでいるのは分かっている。けれど、こちらからあえて会いに行く勇気が出ない。
……彼の”復讐”までは手伝えない。けれど“リーシェを救う手段”を探すなら、わたしも力になれるのではないか――そんな思いが頭から離れない。
彼が妹を救うために目指している“科学施設”ならば、Aクラスである自分に利用権がある。禁書庫は……Aクラスのわたしでも簡単には入れない。わたしはまだ、そこまでの権限を持っていないが、禁書庫に入る許可がもらえる可能性はあるだろう。
風が微かに頬を撫で、アリシアは目を伏せる。
彼の復讐を抑止しなければならないのか、それとも妹を助けるために協力すべきか―― いずれにせよ、もう一度会う必要があるのだろう。
夕刻の鐘が学院中に響いた。そろそろ宿舎へ戻らなければならない。最後にもう一度、小さく空を仰いで、アリシアは優しい夕日を受け止める。
アリシアは歩き出しながら、少しだけ微笑を浮かべる。自分の行く先には多くの困難があるだろう。けれど、あの日、彼に助けられたことを思い返すたび、胸の中に温もりを感じるのだ。
――次に彼にあった時は、今度こそ“リーシェ”ではなく”アルド”に対して「ありがとう」と告げられるだろうか。
そんなことを思いながら、今日もアリシアは学院の廊下を一人進む。夕闇に染まる影が長く伸びて、白亜の壁を彩っていた。
こうして一連の事件がひとまず幕を下ろし、学院の表面上の平穏は戻っていた。しかし、貴族派の闇もアルドの復讐も、リーシェの眠りも、いまだ解決には程遠いーー
1部完結まで御覧いただきありがとうございます。
2部は途中まで書き終えていますが、毎日投稿するほどのストックがないため少し期間をあけて投稿再開予定です。
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