59 記憶の混流2
そう、今見たものは夢でも幻想でもない。彼の生きてきた現実。その痛みと悲哀、そして復讐の凄惨さ。自分が追っていた“不審死”の犯人は、リーシェに“成り代わったアルド”だった。この真相がズシリと心にのしかかり、涙が滲む。
どうしてここまで悲惨な道を歩まねばならなかったのか。リーシェの事件がすべての始まりなら、彼をここまで追い詰めた学園の闇にも、責任がある。
アリシアは苦しくて仕方ない。
彼の復讐劇を止めなければならない。しかし、一方で妹のために必死になっている彼の想いを否定できるのか――
(どうすればいいの……わたしは何を……)
アリシアの思考は混乱の極みにあった。彼女はここで初めて、アルドの怒りと絶望を――その真の姿を知ってしまった。それも、ただの噂や報告書の類ではなく、本人の“魂の叫び”として、痛みごと受け止めてしまったのだ。
その衝撃は計り知れない。
「アルド……リーシェ……」
言葉にできないほどのもつれを抱きながら、アリシアはただ小さく呟く。
――妹を救いたいという必死の願い。それがアルドを殺人という修羅の道へ突き動かした。自分がリーシェを救えなかった痛みが、そのまま凝縮された殺意になったのだ。
やがて断片の光が弱まり、闇が再び濃くなる。アリシアは歯を食いしばり、涙が浮かぶのを感じた。自分の身体が戻るのかどうかもわからないまま、彼女は祈るように両手を胸に当てていた。
遠くで誰かの声が聞こえる。けれどそれもかすかなノイズのようで、現実か幻か判断できない。身体感覚が戻る兆しはなく、代わりに息苦しさだけが増す。
――魂が深い水底に沈み、溺れていく――そんな感触。
頭の中に乱反射する光と影が、次第にひとつの映像へ集束していく。暗闇の奥から最後に見えたのは……
(あれは……”私”……?)
自分の姿――激しい魔力が抑えきれず暴走し、空間を歪ませていた。目の前には倒れ込む教師たち、悲鳴を上げる生徒たち。
けれど、そのとき、“彼”が、猛り狂う私の暴走を止めようと飛び出した。
(なんで……どうして?)
あり得ない光景だ。私はずっと貴族派による不正や不審死を追っていて、その影に潜むリーシェ姿の存在を追い詰めようとしていたのだから。彼にとって私は自分を捕らえようとしている”敵”なのに……。
──まるで逆だ。映像の中で、私は崩れ落ちた身体をかろうじて支えようとあがくが、あの暴走に飲まれそうなところを“彼”が必死に抱きとめている。私を見つめる瞳には、怨敵に向けるはずの殺意などなく、ただ守りたいという強い意思が宿っていた。
思わず胸が熱くなる。暴走の只中、光と水の嵐に翻弄され、誰も近づけない中で彼だけが身体を張って私を助けようとしている。熱が耳の奥で脈打ち、呼吸が苦しくなる。
彼はリーシェのために復讐という闇の道を歩み、数多の不審死を引き起こした“犯罪者”だった。私はその正体を暴こうとしていた。けれど──彼にとって、私は敵であっても関係ないのだろうか。
私がどんな立場だろうと、「救おう」と強く願う気持ちが記憶の透き間から真っ直ぐに流れ込んでくる。
強烈な殺意や苦悩を抱きながら、”妹”を想うように、”私”を守ろうとする矛盾。あんなにも血に染まった復讐心を抱えたはずの人が、こんなにもあたたかな感情を捨てきれずにいる……その事実が、胸の奥を切なく締め付ける。
映像の私は呼吸も乱れ、魔力暴走で視界が曇っていた。しかし彼の腕はしっかり私を抱えていたのを思い出す。あれほど憎しみに囚われた人が、どうして私の命など惜しむのだろう? その問いが頭を離れないのに、答えは記憶の滲みのように曖昧に伝わるだけ。
──それでも確かに、“助けたい”という強い意志が伝わった。そこに利害はなく、敵味方の区別もない。妹を救えなかった苦しみが、今度は私を同じ悲劇から救おうとさせているかのように感じた。
私は静かに瞼を閉じ、脈打つ心臓を抱きとめるように胸に手を当てる。今は体感があいまいで、意識だけが宙に浮いているようだけれど、この痛みだけは確かに私のものだ。
(アルド……あなたは……)
弱々しく呼びかける言葉が息に滲む。彼の複雑な感情が私の思考に混ざり合い、善悪の判断が乱される。しかし不快ではない。その裏にある深い愛や懸命さが、何よりも優先して心を打つのだ。
「アリシア……もう大丈夫だーー」
頭の中にはっきりと声が聞こえた。そして、かすかな光が、暗闇の隙間から差し込んだ気がした。