05 夜
日が傾く頃、アルドはDクラス生用の居住区画へと戻ってきた。
長い廊下を抜けて辿り着いた部屋は、外観からして簡素で、さびた金具やくすんだ木板が目立つ。
扉を開けて中へ入ると、狭い室内には最低限の家具があるだけだった。
小さな机と、軋みそうな椅子、そして片隅に置かれた粗末なベッド。
壁には染みが残り、窓枠は古く、昼間ならまだしも夕刻の光量では、部屋全体が薄暗く沈んでいる。
アルドは扉を閉める前に周囲をもう一度確認し、しっかり鍵をかけた。
この階層では物騒なことが起きても不思議ではないし、自分の真実を隠すためにも、外からの不用意な侵入は避けなければならない。
しっかりと施錠してから、安いランタンを手に取り、室内を簡単に物色する。
机の引き出しは浅く、中には適当な紙片や古いインク瓶が転がっている程度。
特に役立ちそうな物はない。
ベッド脇の床には少し埃が積もっており、掃除も必要かもしれない。
Dクラスだから当然のように劣悪な環境だが、今は不満を漏らす時ではない。
アルドはそっとランタンを机上に置き、扉の前に立つ。
部屋の鍵を確認し、念のためもう一度カチリと音を鳴らす。
周囲に人の気配はない。よし。
深呼吸してから、頭へ手を伸ばす。
茶色の長髪をなびかせていたウィッグを、静かに外した。
飾られた少女の姿が、一瞬で変貌する。
下から現れたのは、白銀に近い輝きを持つ短髪だ。
あの茶色い髪が、妹リーシェのトレードマークを再現するために不可欠だったが、今この密室では不要だ。
鏡はないが、白銀の髪が揺れる感覚で、ようやく本来の自分を取り戻せた気がする。
ウイッグを丁寧に畳み、鞄の奥へしまう。
表では美しい少女に見えていたが、この部屋では違う。
ジャケットを脱ぎ、シャツを外し、余計な布を取り払うと、引き締まった筋肉質な上半身が露わになる。
鏡はないので見えないが、以前妹が「身体、鍛えたんだね」と冗談めかしに笑った表情を思い出す。
精霊術が使えない自分にとって、身体を鍛え戦う手段が必要だった。
筋肉が動くたび、ランタンの弱い光が薄く流れ、影を刻む。
床に敷いたマットに移動する。
腕立て伏せ、スクワット、体幹トレーニング――日課としてこなす。
精霊術なしでは、直接対決で負ける可能性が高い。
だが、体力と知力があれば戦略でカバーできる余地もあるだろう。
体を動かしながら、今日を振り返る。
今朝はDクラスでの初めての授業日だった。
周りは冷たい視線や困惑で満ちていたが、表情を柔らかくしたことで少し状況を改善できた。
目的のためには昇格が必要となる。少なくとも学力・理論面で苦労しそうにはない。
精霊術以外の分野であれば、アルドはAクラスでも通用するだろう。
「……だが精霊術を使えないハンデは大きいな」
腕立て伏せを100回、200回と繰り返す。
筋肉にじわりと熱がこもる。
この熱量こそ、精霊術が使えない代わりの武器。
明日も少しずつ周囲との関係を改善し、情報入手への道を敷いていくしかない。
負荷をかけ、汗が滲み、呼吸が荒れかけたところで筋トレを終えた。
着替えを済ませ、ボロいベッドへ歩み寄る。
金属のばねが軋むが、気にせず横になる。
ランタンの薄い光が揺らめき、埃が舞う。
妹の顔が頭をよぎる。
白銀の髪が枕に触れ、天井を仰ぎながら、静かに妹の名を呟く。
「……リーシェ」
意識不明で眠り続ける妹。
事件の日、あれほど輝いていた妹が魔力暴走に呑まれ倒れる姿を見て、絶望した記憶がよみがえる。
妹が元気だった入学前の僅かな日々、笑い合った時間を回想する。
ただこの床に近い小さな部屋で、妹を想い、呟く。
「必ず……救うから」
身体を横たえたまま、睫毛が震える。
眠気が少しずつ迫り、灯を落とす必要がある。
ランタンに手を伸ばし、光を絞る。
薄暗い中、昼間見たDクラスの哀愁が脳裏に浮かぶが、そこに想像で妹の笑顔を重ね、未来を思い描いて眠りにつく。