57 原型改変《アルキウム・オルトレーション》
「アリシアのアルキウム層にアクセスし、暴走を鎮める……」
情報収集のときに使った原型閲覧の応用。あのときは記憶を覗いただけだったが、今は相手の存在そのものを安定させるため、直接的な干渉が必要だ。
今まで力を使ってきた相手とは異なり、アリシアは存在の力が強大ゆえ容易ではないが、アルドにはナジャがいる。精霊術で捉えられない領域への干渉、それこそが根源を司る始祖精霊の真骨頂。
アリシアの体から溢れる光粒が頬をかすめる。痛みで舌を噛みそうになるが、アルドはアリシアの体を包み込むようにし両腕を強く締める。見た目には抱擁にしか見えないが、その中で意識と意識が交錯し始める。
「……落ち着いて、アリシア。君は制御を失っているだけだ、もう少しで戻れる」
アリシアは混乱の中でも、アルドの呼びかけをかすかに感じ取ったのか、眉が動く。アルドは目を閉じ、呼吸を整えてアリシアの胸元に手をあてる。そこにあるアルキウム層――彼女の存在の根底へアクセスするため、自分の魂を同じ層に投げ込むイメージを抱く。
ごうっ……と脳内で風が唸るような音が響く。
ナジャの声が低く反響する。
(流れを切り拓け。彼女の原型に触れ、暴走する魔力を安定させるんじゃ)
「――くそっ、これは……俺も制御を失いそうだ……だがやるしかない!」
覚悟を決めた瞬間、アルドの腕から不可視の鎖とは異なる力が滲み出す。
原型閲覧では相手の根底に軽く触れ、記憶を覗くだけだったが、今はそこからさらに奥深くまで踏み込み、相手の存在と自身の存在を両立させたまま相手の存在を編集するかの行為。極めて危険だ。
アリシアの瞳がアルドを見つめる。光と水が噴き出しているが、何かを伝えたがっているように見える。「逃げて欲しい」「助けて欲しい」相反する切実な感情が伝わってくる。
「大丈夫……絶対に救うよ」
アルドは両手でアリシアの背を抱き寄せ、頭を預けるように支える。光の激流は少し和らいだが、水の螺旋が吹き荒れ、アルドの髪を鞭打つ。衝撃が連続し、身体はズタボロになりそうだ。
――集中。
意識の底へ沈みこみ、アリシアのアルキウムとリンクするイメージを描く。
「……っ!」
アルドが短い息を漏らす。高次の感覚でアリシアの“原型”を見た。二属性が荒れ狂う螺旋を成し、互いにぶつかり合って制御を失っている。
(ここを落ち着かせないと……)
ナジャが助言する。
(まずは娘のアルキウムに直接介入して、魔力の結合を緩和するんじゃ。そして汝が娘の代わりに制御を行え)
ごうんっ……!
光の波が一気に溢れ、アルドの意識が砕けそうになる。思わず悲鳴を上げかけるが歯を食いしばり、
「ぐぁ……! 落ち着け、アリシア……!」
アリシアは生徒の中でもトップクラスの強さ。こんな形で内面に接触するのは、大嵐の海へ飛び込むようなもの。アルド自身も巻き込まれて沈む危険がある。
それでもアルドは諦めない。腕の中の彼女がどれほど辛いか、ここで放置すればリーシェと同じ末路を辿ってしまうのだから。
周囲の光景が歪む。時間感覚が薄れ、アリシアの魔力が別の空間を作り出しているかのようだ。夜空がぐるりと回転し、地面が波打つように揺れる。水の波濤が視界を包み、アルドを飲み込もうとする。
「止まれ……っ!」
アルドは己の意識でアリシアのアルキウム層に干渉し、嵐そのものを鎮めるイメージを投げかける。相手は強大かつ抵抗も激しいが、少しずつ手応えがある。
アリシアの鼓動が伝わり、無意識に「止めたい」と叫ぶ彼女の意志がアルドの意志と合わさって、魔力の回路が徐々に収束を始める。
(もっと近づけ、深く強く抱きしめろ。暴走する術者の中枢へ接触しきらぬと、制御を奪うのは無理じゃ)
アルドは限界間近の身体でアリシアを抱きしめ続ける。耳元にアリシアの乱れた呼吸が聞こえる。
「あぁ、もう大丈夫だ……」
その瞬間、アルドの瞳に白銀の光が宿り、アリシアの血走った瞳と共鳴する。激しいノイズのような魔力振動が頭を裂く痛みを伴い、二人の意識が融合し始める。
視界がホワイトアウトし、鼓膜がパチパチと焼け切れる音がする。地面を踏む感覚が失われ、水と光が空間を塗りつぶした後、色彩が急速に消えていく。
――アルドは、一瞬息を飲む感覚を覚える。
世界が崩れ去る。