55 迫る危機
アルドの意識が闇の中から浮上してくる。さっきまで、彼は原型閲覧――《アルキウム・リード》を使い、イザークの記憶の深層に入り込んでいた。凍えるような虚無の中で、相手のアルキウムに干渉し、妹の事件に関わる真実を探るためだ。
その深い交錯の末、イザークの内面は暴かれ、彼が学園で行ってきた不正やリーシェ陥落計画に積極的に関与していた事実が一層鮮明となった。
アルドは目的を果たすと同時に、強烈な復讐心が膨れ上がってきた。
「時間か……」
アルドは深い息をつく。《アルキウム・オーバーライト》には制限時間がある。精神世界は時間の流れが異なるが、やがては自動的に元の身体へ戻される。
制限時間ギリギリだ。
イザークの記憶を読み終えた直後、アルドは冷徹に右手を持ち上げ、風の精霊術を行使した。
「……これで終わりだ」
イザークの瞳の奥に混濁した恐怖が浮かぶ。最後にかすかに声なき声を上げるが、次の瞬間、鋭利な風刃がイザークの首を叩き落とした。血飛沫さえ追いつけないほどの一瞬の斬撃――残酷にして迅速だった。
同時にアルドは使用していた身体の持ち主であるシトラールの存在を内部から砕く。乗っ取っていた相手の魂を覆った意識そのものを完全に破壊し、相手は二度と意識を戻さない。
気が遠のくような感覚の後、アルドは自分の元の身体に押し戻される。息が詰まるほどの圧迫感から解放され、彼は倉庫の片隅で伏せていた体を急激に起こす。
「……っ、ぐは……」
肩で息をし、頭が痛む。イザークの記憶を覗いた衝撃や、乗っ取りと殺害の余韻が、体内で渦を巻く。
(妹を傷つけた相手を排除した。それだけ……なのに、何だ、この胸の痛みは)
アルドは手で胸元を押さえ、苦い思いを噛みしめ、しばし足がすくむ。記憶や感情が混ざりあった影響か、自身の精神が汚染されている感覚があった。
その瞬間、外で甲高い悲鳴が上がるのが耳に届いた。
「まさか……」
アルドの頭に一瞬、アリシアの姿が浮かぶ。戦いの最中に装置は破壊されたが、やつらの計画は装置の破壊だけでは防ぐことができない。根底となる“首輪”――ネックレスが暴走を引き起こす。
「くそ……!」
アルドは、身体を起こす。イザークら処理は済んだが、妹を苦しめた真犯人は複数人いる。イザークを仕留めたところで計画は止まるわけじゃないのだ。
ドスン、とまた外から振動音。誰かが大きな魔道具を使っているのか、あるいは精霊術の衝突が起きているのか。会場全体を守るはずの装置が機能していないようだ。
「いや……考えてる暇はない」
アルドは走り出す。自分の身体で路地を飛び出し、会場へ向かい全力疾走する。会場からは人がどんどん逃げ出してきているが、アルドは流れに逆らい会場へ向かう。
アルドの吐く息が荒い。足音が石畳を叩き、闇を裂くように響く。先ほどまで胸を抉る嫌悪感がありながらも、今は目の前の危機がそれを押し込めている。
「間に合え……!」
やがて試験会場ステージの入口には霧のような薄い魔力結界が張り巡らされている。その先から何か戦闘音めいた爆発が届く。中からまた悲鳴がかすかに聞こえた気がする。アリシアの姿は見えないが、彼女が中にいる可能性は高い。
(試験の最中だから、普通は安全管理が行き届いているはず。にもかかわらず、この異常……!)
アルドは大きく息を吸い込み、入り口のひとつへ駆け寄る。どこかに警備員や教師がいるかもしれないが、時間は惜しい。彼らに見つかっても仕方がないと割り切り、中へ飛び込む決意をする。
「……行くぞ」
最後に短くつぶやき、アルドは試験会場の中へ走って向かう。彼の胸中にはまだ妹を守れなかった苦しみや後悔がこびりついているが、それ以上に、今はアリシアや無関係の生徒たちを救う行動を優先しようという想いがある。
夜の暗がりに霞むような結界の向こうで、一体何が起きているのか――アルドは全速力で飛び込むしかない。