54 陰謀の裏側
ぐらりと視界が揺れ、いきなり黒一色の空間に落ち込む。
薄暗い虚空を背景に、何かの映像がちらちらと焼き付くように浮かび上がってくる。声も、動きも、断片的で、まるで割れた鏡の破片を覗くようだ。
――あぁ、これは、イザークの記憶だ。
アルドが原型閲覧で深層意識に干渉し、引きずり出した断片情報。やがて映像はゆっくりと明るさを増し、イザーク本人の視点が再現されていく。
視界に広がるのは、学園外の閑散とした小径。時期は1年生の最終試験が迫る直前で、空気がそわそわしていた頃だ。
夜の闇を縫うように、イザークは黒い外套を羽織って歩く。足元の砂利がかすかに音を立てる。
「やあ、イザーク」
低い男の声がかかる。
イザークが振り返ると、そこにはAクラス所属の貴族派の男――フィリオ・ブレイ・クレールが立っていた。
「準備は順調に進んでいるか?」
彼は倫理監査委員のバッジをコートの内側に隠しつつイザークに話しかけてきた。
その隣には艶やかな赤い髪を揺らし、冷えた微笑みを貼りつけたような顔の女がいた。ジグラー家の長女のマリア・シュト・ジグラーだ。Aクラスの中でも名門とされる家柄である。
「ミシャにはもう首輪を渡しておいたわ。彼女を落とすのは容易かった。あとは当日、あの首輪をリーシェに着けさせるだけ」
マリアは淡々と言う。
「細かい現場仕事は君らの部下たちがやるんだろう?」
フィリオが言うと、イザークは面倒くさげに肩をすくめる。
「あぁ、会場外の準備は人手が必要だしな……」
イザークは辺りを見回し、小声で確認する。
「しかし、ミシャは何と言ってリーシェに首輪をつけさせるつもりだ?」
「友人からの感謝の贈り物――そんな体で渡すそうよ。本当、ひどい話よね」
マリアは堪えきれないとばかりに笑う。
「それに、ミシャは裏で研究成果の独占も匂わせている。あの子、意外と打算的だわ。友情がどうこう言いながらね」
フィリオは鼻を鳴らす。
「いいんじゃないか。打算のない関係など脆いものだ。実家を餌にすればころりと寝返る。……問題は当日のオペレーションだな。マニエラ教師をどう動かす?」
イザークは目を伏せてから答える。
「あの教師には悪意はない。だが、こちらから“リーシェはトライコントラクターのため、通常よりも安全対策をもっと厳密に”と依頼し、実はルーンをオフにさせるよう仕向けている。彼女は自分が安全だと思ってやっているが、実際には安定装置を半分止めるのと同じだ。それで外部工作が容易になる」
マリアは満足げに頷く。
「学園外の魔力環境歪曲器は君の部下が設置してくれているのよね?」
「あぁ、そちらは問題ない。レヴンやベルジらが現場で準備中だ。CやBの連中も動員して、試験開始タイミングで魔力振動を誘発する。通常なら安定装置が抑えるはずだが、マニエラ教師の調整をすり抜ける形になる」
「あとは首輪の仕掛けがリーシェ本人の高い魔力制御を逆手に取って、暴走を誘うのを待つだけ……か」
フィリオが笑う。
「何が面白いって、彼女が優秀であればあるほど、制御不能になったときのダメージは大きいってわけだ」
イザークは興味なさそうに目をそらす。
「まあ、貴族でもないあの女がAクラス一位なんてふざけた話だ。我々にとって面倒な存在だから、今のうちに消しておくに限る」
マリアは唇を歪める。
「これでリーシェ・ヴァルディスは”不幸な事故”により消える」
暗い路地の奥で笑いが小さく響く。
そして、視界がぶつりと途切れたーー
視点が揺れ、学園の試験会場付近の映像に飛ぶ。
空は朝から爽やかな青を宿し、試験会場ホールには多数の生徒が入っていく。
イザークは外へ通信魔道具で合図を送り、歪曲器を起動させるとすぐに微妙な魔力振動が走る。周囲の学生は気づかない程度だが、イザークは「よし、始まった」と口元を曲げる。安定化ルーンが半分オフ状態なら、この振動は自然に拡大し、リーシェが高度な精霊術を扱ったタイミングでネックレスが制御を大きく乱すはずだ。
ーーそして数分後、会場内で大きな悲鳴が上がる。
リーシェが中央で魔力制御術を披露しようとした瞬間、ネックレスが内部回路を起動させ、外部からの魔力振動と本人の制御力を逆手にとって魔力を爆発的に暴走させたのだ。
強い閃光と熱風、そしてリーシェの苦悶の声が響く。
マニエラ教師が慌てて制御装置を操作するが、何かが噛み合わずまったく効果がない。周囲の教師も狼狽し、状況を理解できずにいる。フィリオら貴族派の数名が動揺するフリをしながら、別の場所で起きた体調不良や小さな火花騒ぎを報告し、教師たちの目を一瞬逸らす。
リーシェは激しく咳き込み、魔力回路が暴走して視界を失い、遂には意識を手放して倒れ込む。辺りには破壊の跡が残り、血はほとんど見えないが身体は内面からダメージを受けている様子だ。
見物していた生徒たちは固唾をのんで見つめ、「まさかこんな事故が?」と囁き合う。教師たちは「安全装置が作動しなかった……? なぜ?」と頭を抱える。
イザークは廊下の隅からその光景を見て、ひそかに胸を撫で下ろす。
リーシェは倒れ、奇妙な暴発事故として処理されるだろう。少なくとも今回で彼女は学内での地位を失い、長期の治療に入るはずだ。これが貴族派の望む結末だった。
作戦が終わると、イザークは通信魔道具に触れ、「撤収しろ」と簡潔に命令し、レヴンやベルジたちも速やかに退場する。目撃者にも動揺が広がり、誰もがリーシェを助けようと駆けつける中で、貴族派実行部隊は何食わぬ顔で会場から離れていった。
――計画は成功だ。