04 初日の挨拶
まだ早い時刻のせいか、教室内は閑散としており、ちらほらと別の生徒が入ってくるものの、まだ全員は揃っていない。
リーシェ姿のアルドとイルマの間に気まずい沈黙が落ちたその時、廊下のほうから軽い足音が聞こえた。
数秒後、教室の扉が開き、入室してきたのは中年の男性教師だ。
短く刈り込んだ黒髪に淡い青色の瞳、地味な色合いのローブを羽織っており、背筋は比較的伸びているが、厳格というよりは淡々とした印象を漂わせる。
「えー、全員揃ってはいないが、とりあえず始めようか」
彼は教壇前に立ち、D5クラスの生徒たちを見渡す。
「2年生への進級おめでとう。とはいえ大半は昨年からD5で変わらない面子だな。今年もよろしく。あと、今年はこのクラスに新しく入った生徒も何人かいるから、簡単な自己紹介くらいはしてもらう」
そう言って、教師は黒板端に書かれた自分の名前「クライネル」を軽く示す。
「俺はクライネル。去年からD5担当だ。質問があれば後で来い」
淡々とした口調に、数名が苦笑する。
「新しくD5に入ったのは3人だな。まずはファロン・キェルダ」
教師が名前を呼ぶと、教室の一角で腕を組んでいた少年が無言で立ち上がる。
黒髪は短く整えられ、小麦色の肌に半獣人特有の獣耳が小さく動いた。
全体的に引き締まった体躯が印象的だ。
彼は一瞬、周囲を見回す。
視線は鋭いが、言葉に迷うそぶりも見える。
やがて低く、短い声が落ちた。
「……ファロン。D3……から、こっちへ」
それだけ言ってから、少し躊躇したように口を開くが、すぐ言葉を呑み込み、代わりに首をわずかに振る。
「……風属性。嗅覚……偵察、得意」
さらりと付け足した後、唇を結び、教壇を見ることなく小さく頷く。
「……ああ。以上だ」
それで終わり、とばかりにファロンは静かに席へ戻った。
「じゃあ、次は……ツェリ・シャーラ」
教師が名簿をちらと確認し、静かな声で名を呼ぶ。
教室後方で座っていた少女が、ゆるやかに立ち上がる。
灰色の髪は三つ編みにまとめられ、茶色の瞳が柔らかく揺れた。
首元には小さな刺繍入りのスカーフが巻かれ、異民族的な雰囲気を帯びている。
彼女は一度周囲を見回し、穏やかな声で語り始める。
「ツェリ・シャーラと申します。前はCクラスにおりましたが、今期からDクラスへ移ってまいりました。水属性の術で、多少の治癒を扱えます。どうぞよろしくお願いします……」
背筋を伸ばし、軽く頭を下げてから、ツェリは静かに席へと戻った。
「最後は……リーシェ・ヴァルディス」
この名に、教室がわずかに沈黙する。
同級生たちは噂では知っている天才の名を、まさかD5で聞くとはと思っているに違いない。
教室内がわずかに息を呑む空気に包まれる中、アルドは静かに立ち上がる。
「リーシェ・ヴァルディスです。もとは別のクラスにいたのですが、縁あってこちらへ来ました。精霊術は……少し難しい状況ですが、今はできる範囲で頑張りたいと思っています。まだ慣れないことも多いですが、よろしくお願いします」
わずかに頭を下げ、柔和な表情を装って席へ戻る。
Aクラスだった天才がDクラスに降りてきたという事実だけで衝撃は十分だが、彼女はあえて丁寧に振る舞い、周囲にわずかな親しみやすさを示してみせる。
この一言で多少なりとも、冷たい印象が和らぐことを期待して。
この一連の自己紹介で、クライネル教師は「これで大体わかったな」と、手持ちの書類を眺める。
「何か質問があれば後で。授業は去年と大差ないが、昇格目指すなら勝手に頑張るといい。Dクラスから上がる例は少ないが、不可能じゃない」
半ば投げやりな語り口に、幾人かの生徒が乾いた笑みを浮かべる。
教室内はざわめき始める。
D5にはリーシェ以外にもファロンやツェリという新たな面子が加わった。
他にも多くの生徒がいるが、今は名前を呼ばれた一部のみが印象を残した状態だ。
隣のイルマが小声で、「あなた、本当にあのAクラスのトップだったリーシェ……なんだね」と改めて呟く。
先ほどは気負いもあったが、すでに彼女は少し馴染んだのか、不自然な硬さが取れ始めている。
「そうだよ、色々あってね」
柔らかく返すと、イルマは戸惑いつつも「ま、よろしく」と再度確認するように笑みを浮かべる。
ファロンが獣耳をピクリと動かし、ツェリが少し不安げな視線でこちらを一瞥するが、今はまだ本格的な交流には至らない。
みな様子見だ。
だが、自己紹介を終え、最低限の立場を明確にしたことで、完全な孤立は避けられた。
これから多くのことを成し遂げなければならない。
まだ表面的な会話しかないが、こうしてD5の教室でアルドは、クラスメイトたちと顔合わせし、初対面の段階を終えた。
周囲の態度を踏まえ、先ほどより表情と態度を軟化させた彼女は、これで情報収集や友好関係構築が少しは可能になるだろう。
元気の良いイルマが隣にいる事実は心強い。
新しくD5クラスに編入してきたファロン、ツェリ、そして他の生徒とも、ゆっくり距離を縮めていけるに違いない。
そうして、Dクラスでの日々が本格的に回り始めたのだった。