42 試験勉強
午後の教室。
試験まであと一週間となり、午後は自習時間として開放されていた。Dクラスの生徒たちは、それぞれが思い思いの対策に励んでいる。普段はざわざわと騒がしいが、今日は穏やかな集中の空気が漂っていた。
アルド(リーシェ姿)は、イルマ、ツェリ、ベルティアと机を近づけて囲み、その中心で資料を開いていた。
ファロンは見当たらない。彼は別メニューで体術や斥候の訓練をしているのだろうと予想がつく。
「はい、ここがこの間の模擬テストで引っかかった問題ね」
アルドはノートを指し示し、優しい笑みを浮かべながらも、はっきりした声で続ける。
「イルマ、あなたは魔術理論は大筋で分かってるけど、細かい魔力数値の計算が苦手みたい。ここは基本公式を丸暗記しておけば確実よ」
イルマは額に手を乗せながら弱音を吐く。
「うわぁ、公式か……数字苦手なのよね」
アルドは笑いつつ言う。
「でも大丈夫。私がわかりやすい暗記フレーズを考えたから、こういうときはイメージで覚えるといいわ」
「イメージ? 例えば?」
イルマが身を乗り出すと、アルドは冗談めかして説明する。
「ほら、魔力制御の飛翔速度算定式 V = (W + F²) / Rとかあるでしょ。これ、pをパイナップル、qを糸で表現して、パイナップルを糸で割るなんてできないから、√が絡む不思議……って想像して記憶するの。変な語呂だけど印象強いから忘れにくいのよ」
イルマはケラケラ笑う。
「なにそれ、めっちゃ変だけど笑えるから覚えられそう!」
ツェリは紙をめくりながら尋ねる。
「リーシェさん、私にも苦手なところがありまして……薬草学理論で、複数の薬草成分比較がどうしても頭に入らないんです」
アルドはツェリのメモを覗き込み、淡々と説明する。
「ああ、ここね。A属のフィアン薬草とB属のカズラ草は成分構造が似ていて紛らわしい。でもA属は一時的な筋力増加、B属は神経鎮静が主作用。そこを区別するには名称由来の語源を覚えると便利よ」
ツェリは熱心に頷く。
「なるほど、語源ですか。フィアンは古代語の“力強い”fiāから来ていて、カズラは“静けさ”を表すkaz……あ、分かりましたわ! これなら区別簡単です!」
ベルティアは肘を机に乗せ、目を輝かせる。
「ねぇねぇ、わたしは音響術の理論をもっと応用したいんだけど、筆記試験にどんな問題が出るのかしら?」
アルドは苦笑いを浮かべる。
「ベルティア、音響術は珍しいから、基本的な音波伝達理論や、音階ごとの魔力振幅が問われるかもしれない。音響術師がうっかりミスしやすいのは、周波数と魔力リンクの数値管理よ。そこを重点的に復習ね」
「周波数と魔力リンク……頭痛くなりそう。でもがんばる!」
ベルティアはグラフをチラ見しながら「頑張れ、わたし!」と自分を鼓舞する。
イルマが口元に微笑みを浮かべる。
「リーシェ、本当に教師みたい。よくこんなみんなの弱点をまとめて、個別カリキュラムまで考えられるわね」
アルドは肩をすくめる。
「元々学術面は得意だから。それに私、実技が苦手な分、理論で補うしかないのよ。知識があれば本番で不利にならないし、仲間が困ってたら支援できるでしょ」
ツェリは嬉しそうに微笑む。
「実は、こうやって教えてもらえると本当に助かります。それぞれ苦手分野があるので、独学だと時間がかかるんです。リーシェさんの指示でかなり効率的になりました」
「うんうん、それにさぁ、わたしとか数字苦手タイプにはありがたいよ」
イルマが言うと、ベルティアも楽しげに笑う。
「勉強って退屈だけど、リーシェのおかげで楽しめてるわ!」
アルドは少し照れくさそうに頬をかく。
「皆がそう言ってくれるなら良かった」
するとイルマが思い出したように声を上げ、小さな歯車や金属パーツを取り出す。
「あ、そうだ。実技じゃないけど、前にリーシェに相談した魔道具の改良でね。簡易障壁生成器の内径を広げたら出力は上がったんだけど、制御が不安定になっちゃって……」
アルドは興味を示す。
「魔力結晶を固定するフレーム素材を柔軟性の高いものにして、0.3ニトほど内径を小さくしてみれば、振動が減って不安定さが少なくなるわ。ほんのわずかな差だけど、共振を抑えられるのよ」
「0.3ニトって微妙な数値ね……確かに振動変わるよね」
「そうそう。振動を減らすと共振で出力が跳ね上がる現象を防げるの。たとえばパイナップル√糸のイメージじゃないけど、魔力流の語呂を頭に入れながら……」
アルドが半分ふざけて説明すると、イルマは吹き出し笑いながらも納得する。
「またそのパイナップルと糸?! まあいいや、わかった! これ本番で活かせるじゃん!」
ベルティアが感心し、ツェリも「実技対策に繋がりそう」と微笑む。
アルドは満足げに頷く。
「全ては総合点。理論で魔道具改善って珍しい手だけど、こういう発想が当日有利になるかも」
そのとき、ツェリがふと思いついたようにつぶやく。
「そういえば、戦闘で役立つ足止め用薬草を探していて見つけたんですが……一時的な短期記憶障害と軽い眩暈を引き起こす成分がある薬草を粉末にして投げれば、使えるかもしれないと思って」
「短期記憶障害? そんな薬草あるの?」
イルマが驚く。
ツェリは少し考え込む。
「使い方次第だと思います。相手の連携を崩すくらいはできるかも……。実験データは少ないので何とも言えませんけど」
アルドは心中でドキリとする。
(短期記憶障害……存在上書き時の不自然な空白を誤魔化すのに使えるか?)
ただし表情には出さず、「さすがツェリ。医療用の薬草にも色々あるのね」と褒める。
ツェリは照れながら、
「ま、実用に耐えるかわかりませんが、手段は多いほうがいいですし」
イルマがくすっと笑う。
「確かに。興味あるなら作ってみたら? ただ聞いただけで怖いけどね」
ベルティアは「記憶障害薬なんて聞くだけでハラハラだわ」と目を丸くする。
こうして四人は学習を進め、互いの知識を補完し、魔道具や薬草のアイデアまで共有していく。昼間ならではの安心感がそこにはあった。
放課後、再び五人で合流することになった。
イルマが「ファロンが校舎裏の小グラウンドで待ってるみたい」と聞きつけ、四人は教室を出る。
夕暮れの光がグラウンドの端をオレンジ色に染める中、ファロンは無言で立っていた。
今日は連携確認の軽い実技練習をする予定だ。
五人が輪になって立つ。
アルドが提案する。
「じゃあ、応用演習っぽいシナリオで動いてみようか」
「OK! わたし、音響士気UPいくわよー!」
ベルティアが軽くステップしながら口笛を吹き、イルマは簡易障壁生成器を起動、ツェリは治癒ポーションの用意をするフリ、ファロンは周囲を見回して風属性術で小枝を揺らし、動きやすさを確保。
アルドは指示を出し、本番では体術や小道具を活かして戦闘にも参加する予定だ。
「ベルティア、その音階はもう少し低めにすると集中力UPしやすいよ。イルマ、今度調整した魔道具だよね? 安定してる」
「ツェリ、薬瓶は腰帯に引っ掛けると詰め替えが素早いはず。ファロン、正面じゃなく側面から探ったほうが相手を錯覚させやすい」
わいわい指示を出し合う短い練習で、五人の動きは予想以上に噛み合う。
ファロンが無言でも的確に位置取り、イルマが瞬時に障壁を張り、ベルティアが士気を上げ、ツェリが回復サポート、アルドが判断を下す。この絶妙な連携に、互いは自然に頷き合う。
練習を終え、全員が軽く息をつく。
イルマが上機嫌に声を弾ませる。
「いいじゃん、これなら応用演習でそこそこいけるよね!」
ベルティアは弾む調子。
「思ったより楽しいわ! 音響バフとみんなの動きが合うと、まるでダンスしてるみたい!」
ツェリは安心したように微笑む。
「みなさんが積極的に動いてくださるから、私も余裕が持てました」
アルドはファロンに向き直り、
「あなたのおかげで視界が広がったわ。ありがとう」
ファロンは短く頷くだけだが、雰囲気は悪くない。
他の三人(ベルティア、イルマ、ツェリ)が少し離れて水分補給している間、ファロンはそっとツェリに近寄る。
小声で警戒を促す。
「ツェリ。今年も貴族派が不正を仕掛けるらしい。詳しくは分からないが、気をつけろ……」
ツェリは息を呑む。
ファロンさんの裏情報……例の組織経由かな……と思いつつ、小さく頷く。
「分かりました……ありがとうございます」
ファロンは表情を変えずに距離を取り、また無言になる。
遠くでベルティアが「何の話?」と首を傾げるが、ツェリは「なんでもないです」と笑ってごまかす。
イルマは気づかずペットボトルを振り、アルドは二人のやり取りに薄く気づきながらも詮索はしない。
こうして五人は小グラウンドを後にする。
それぞれの思惑や秘密を抱えつつも、表向きは仲間として機能するこの奇妙な集団は、試験に向けて着々と準備を進めていた。
昼間の学習で高めた理論と、放課後の応用演習練習で磨いた連携が、当日どこまで彼らを導くかは分からない。
だが今は、笑い声と微かな警戒心、そして裏の企みが交錯する中で、五人は試験に向けて前進していく。