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03 底辺クラスの教室

静かに、しかし確かな意思を込めて扉を押し開ける。わずかな軋みが耳元で響き、内部にこもる淡い光と埃っぽい空気が出迎えるかのように漂ってきた。


この場所――学園「グラン・アカデミア」の最外縁部に割り振られたDクラス用施設は、あまりにも古びていて、その現実が視界に広がるたび、皮肉が胸中にじわりと滲む。


かつて、リーシェが在籍していたAクラスは各学年三十名ほどの最上位クラスで、豪奢な教室や先端的な魔導設備が整っていた。

Aクラスと比較すれば、ここはまるで時代から取り残された空間だ。床板は軋み、壁には雑な修繕跡が残り、魔力ランタンも旧式で光が弱々しい。


Dクラスには学年三百人もの大量の生徒が詰め込まれているため、D1~D5と五段階に分割され、その中でも「D5」は最下層とされる存在。

アルドには――いや、今は“リーシェ・ヴァルディス”として、ここに居場所が用意されたらしい。


この学園では、クラスが変わればそれは()()()()同然。

頂点のAクラスには特権階級が君臨し、Bクラスには貴族派が浸透している。 そしてそれぞれのクラスの領域は厳重なセキュリティで区切られており、立ち入ることすらままならない。


Dクラスは底辺、競争に漏れ、出身や不遇な才能を理由に押し込められる大量の生徒が雑多に集まる層だ。

そんな中でもD5は特に奥まった区画に隔離され、古い校舎と粗末な備品に囲まれている。まさに底辺中の底辺。

最上位のAクラスの中でも特別な存在だったリーシェが、精霊術を失ったことでDクラス、しかもD5に落ちるなど、誰も想定していなかっただろう。


茶色い髪……今はそう見せているだけだが、その髪を揺らし、少女の姿をとった存在は室内を一瞥した。

以前の温もりは薄れ、瞳には冷徹な輝きが宿る。


ここに来たのは強い意志と冷酷さを秘めた“アルド・ヴァルディス”――妹を救うため、仇討ちのために仮面を被った存在であることを本人だけが知っている。

嘲笑や好奇の視線が待ち受けているのは明らかだが、アルドはそれを気に留める様子を見せない。


廊下へ出ると、塗装の剥がれた床板が目に入る。

所々、窓は木製枠で軋んでおり、隙間風がヒュウと冷えた空気を運ぶ。

外からの薄明かりが、まばらな魔力ランタンの光と交錯し、貧弱な光源が教室棟の暗さを際立たせている。

ここでは誰もが努力しても報われないかもしれない、そんな空気が滲む。


生徒たちが行き交うが、みな黙り込み、遠巻きにこちらを窺うような気配がある。

喉元で囁かれる声は決して大きくないが、聞き逃せない断片が風にのって届いた。


「……本当にあのリーシェ・ヴァルディスがここに来たのか?」


「前は特別な存在だったらしいけど、今は精霊術も使えないって話だし……」


「Dランク落ちしたから、あんなに不機嫌そうなのか?」


AクラスからDクラスに落ちてくるという異例の事態に戸惑う声、様子の変化に対する驚きの声――そんな様々な喧噪が四方から染み込んでくる。

Dクラスの生徒たちが通り過ぎざまに好奇な目を向けるが、直接声を掛ける者はいない。


学園は四年制だ。本日から“リーシェ”は二年生になるため「2-D5」の札が示す方向へ進む。

Aクラスは豪華なプレートでクラス名を誇示するが、ここは木片に墨文字、手作り感ありありの表示物。

あまりに対照的な環境……リーシェ(アルド)はそんな格差を再確認するだけで、感情を動かさない。

これが今の現実であり、戦場なのだ。


ドアの前でふと立ち止まる。

中には、D5所属の同級生がいる。

精霊術に恵まれず、不遇の才能が埋もれた者たちが、諦観と微かな野望を胸に集うクラス。


彼らの中に、“リーシェ”としての新たな立ち位置が生まれるのか?

俺はそれを利用し、情報を掴み、妹救済へ繋ぐ足場とできるのか。

そんな計算が無言のうちに組み立てられている。


声を掛ける者はいない。

淡い囁きが背後で踊るだけだ。


リーシェが過去に所属していたAクラスとは、この場所は別世界だ。

立ち止まったその瞬間、脳裏にかつての笑顔――リーシェとして明るく笑い合った記憶が微かに過るが、彼はその微笑を押し殺す。

今は仇討ちのため冷徹でいなければならない。


教室の扉を開けると、内部は思った以上に質素な空間が広がっていた。

木製の机と椅子が並ぶが、いずれも使い古され、角には小さな傷やインクの染みが残る。

教壇は平凡な台で、背後の黒板には先週の授業から消し切れていない記号が薄く残っている。

窓はあるが、小さくて光量は限られ、外の鮮やかな日差しを充分取り込めていない。

室内には古い魔力ランタンが一つぶら下がり、淡い光で補助する程度だ。


視線を走らせると、すでに何人かの生徒が席についている。

Dクラスはさらに五つのクラスに分かれていてD5には六十名ほど在籍するはずだが、この朝の時刻にはまだ数名しか揃っていないようだ。


机と椅子はほぼ同じ仕様だが、中には微妙な違いがある。

魔道具を入れた小さなポーチを机上に置いている者、ボロボロのカバンから中古の教科書らしきものを取り出している者。

質の良い教材を入手できないため、全員が中古品や譲り受けた古道具でしのいでいるらしい。

上級クラスなら最新モデルの魔導計測器や光学板が利用できるが、ここでは無縁なのだろう。


ここにいるのは、精霊術の評価を受けられなかった者、出自で不利な扱いを受けている者、または単純に成績不振で落とされた者たち。


購買で良い教材を買う余裕もなく、他クラスからのお下がりを頼る生活だろう。

日常でこれほどの格差が存在する学園風景は、おそらく上層部にとって都合がいいのかもしれない。


彼女は無言で、空いている席を探す。

注目を浴びている。


「本当に、あのリーシェ……?」


「違和感あるな」


「でも同じ顔だし……」


彼らは同じ学年の生徒たちで、以前のリーシェがAクラスにいた頃も、遠巻きに噂を耳にした程度だったに違いない。

DクラスとAクラスの間には大きな隔たりがあり、実際に接点などあるはずもない。


「明るい天才」と伝え聞いていた印象と、今そこに立つ鋭い眼差しの少女とのギャップが、薄い緊張感となって教室内に漂っている。


今のまま、鋭い眼差しと無言で過ごせば、誰も近づかないだろう。

冷ややかに距離を置く態度を続ければ、情報収集や仲間づくりは困難に違いない。

そう考えると、この環境で妹を救うための情報確保や、クラス昇格を達成するには、周囲との友好関係を築く必要があるだろう。


表情をわずかに緩める。


冷徹な光を帯びた瞳を、ほんの少し柔らかくする。

周りから見れば、先ほどまでの険が消え、わずかに人当たりが良くなったように感じられるはず。

これだけで、同級生たちが少し近づきやすくなるかもしれない。


未使用のように見える席を見つけ、アルドは静かに腰を下ろした。

薄汚れた椅子に腰を下ろすと、スカートの裾が微かに揺れる。

この服を着ていると、以前とは全く違う位置にいることを、空気が伝えてくる。


視線を横へ向けると、隣の席にも一人、同級生の少女がいた。

淡い栗色の髪を短くまとめており、机の上で小さな金属片をいじっている。

その道具が何なのかは一見わからないが、魔道具関係の何かだろうか。


少女は微かに眉を寄せて集中していたが、新たな顔ぶれに気づいたのか、ふと目を上げる。

深呼吸をするような仕草の後、その栗色の髪の少女は、こちらをちらりと一瞥した。

戸惑いと好奇心が混在した視線。

以前のリーシェについて何か聞いているにせよ、今のこの雰囲気に戸惑うのは無理もない。


このまま黙っていては距離は縮まらないし、目的を果たすのは難しいだろう。

アルドは、ほんのわずか表情を柔らかくし、短い言葉を発することにした。


「……おはよう」


その声に、隣席の少女が一瞬驚いたように瞬きをする。

数秒の沈黙の後、相手は少し警戒したような表情を和らげた。


「お、おはよう。リーシェ……だよね?」


声には戸惑いがあるが、そっけなく突き放すよりは前向きに応えようという雰囲気が伝わる。


「うん、そう呼んでくれればいい」


答えを得た少女は、少し気後れした様子で首を傾げ、手元の金属片から視線を上げた。

気まずい沈黙が流れる中、アルドはわずかに口元を緩めて問いかける。


「……ごめん、あなたは?」


その問いに、少女は戸惑いながらも「あ、えっと……イルマ、イルマっていうの」と言葉を返す。


名乗る声は微妙に上ずり、緊張と困惑を隠せないが、それでも名前を告げたことで二人の距離が一歩近づいたように思える。


軽く返事をすると、イルマは金属片を机上に置いて姿勢を整える。


「ここに来るって聞いて正直びっくりしてるんだけど……」


言葉尻が弱く、どう切り出すか悩んでいるようだ。


「私も驚いてるところ。正直、慣れないことばかりだけど、よろしくね」


表情を軟化させ、片手で軽く頬に触れて、照れ笑いでもないが、以前より親しみやすい表情を作る。


イルマは、少し安心したように息をつく。


「正直、噂が多くて。精霊術を失ったとか……まあ、無理に聞かないけどさ」


彼女は魔道具の小瓶をこっそり机の中へしまう。


「Dクラスって見ての通り、設備も道具も二流以下でね。リーシェがどれくらい本気か分からないけど、助け合えるなら助け合いたいな」


その言葉に、アルドは軽く頷いた。


「助け合う……いいね」


声に温度を持たせる。

これまで鋭い光で相手を威嚇するばかりでなく、少し柔軟性を示せば、相手も歩み寄ってくる。


周囲で別の生徒が「おはよう」とか「今日の授業、何がある?」など話し出している。

先ほどまでの厳しい静寂が、微妙にほどけてきた。

表情と態度を軟化させたことで、同級生たちが「怖くないかも」と思い始めているようだ。


イルマが自分の鞄から小さな欠片を取り出し、「これ、魔道具の部品なんだけど……材料が足りなくてね、今度素材探し手伝ってくれる? ここだといい材料も手に入りにくくて苦労するんだ」と唐突に持ちかける。


「いいよ、私もここでうまくやっていきたいし、協力できることなら協力する」


短い応答だが、これだけでイルマは安心したように笑みを浮かべる。


「えへへ、リーシェって思ったより話せる人なんだね。最初、すごく冷たい目してたからビビってたけど」


「……ごめん、ちょっと慣れなくて」


こうして数言交わしただけで、隣席のイルマとの距離が微かに縮まる。

まだ表面的な会話で深い関係には程遠いが、最初の一歩としては上出来だろう。


周囲の同級生たちも二人のやり取りを見て、「あ、ちゃんと話せる人なんだ」と理解し、少し肩の力を抜く。

彼女が鋭い瞳を持っていても、まったくコミュニケーション不能なわけではないと察する。


こうして、D5クラスの教室で、アルドはわずかながら柔らかい空気を漂わせることに成功した。

まだ目的は遠く、妹救済や事件解明には長い道のりがあるけれど、ここでの友好関係の芽生えが、後々の助けとなるだろう。


朝の時間が進む中、アルドは苦笑気味に思う。

底辺からのスタートなら、いずれ上位クラスへ這い上がるためには協力者が必要だ。

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