38 試験対策
朝のD5クラス教室は、相変わらず薄曇りの空気に包まれている。
ボロい机や椅子は、慣れれば味わいがあるとも言えるが、決して快適とは言えない。板壁に刻まれた古い傷、窓枠から微かに入り込む冷たい風が、やけに心に染みるこの頃だ。
リーシェ――いや、“リーシェ”として振る舞うアルドは、この一週間ほど頭を悩ませていた。
理由はアリシアの捜査である。
まさか、ここまで積極的に動くとは思わなかった。
ゲート通過記録や記憶喪失被害者への聞き取り、貴族被害者たちの相互関係を丹念に調査し、さらに現地での聞き込みや防犯の巡回を強化している。
アリシアは想定以上に的確な行動を積み重ね、こちらの目論見を着実に狭めてきている。
アルドもCクラスの残党狩りの際に、《アルキウム・オーバーライト》を連続使用し、捜査を撹乱しようと試みたが、根本的な解決には至っていない。
「リーシェ、どうしたの? 元気ないねえ、最近」
隣の席でイルマが首を傾げる。
ゴーグルを額に乗せ、細かな金属片を指先で弄びながら、心配そうにこちらを見ていた。
「そうですよ、リーシェさん。さっきから深いため息ばかりついて……大丈夫ですか?」
ツェリも静かに問いかける。
治癒薬草の匂いが微かに染みついたスカーフを揺らしながら、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめる。
アルドはあえて俯いてみせる。
「ごめん、考え事してて」
本当はアリシアの捜査に頭を抱えているが、話せるわけがない。
イルマやツェリは信頼できる仲間だが、自分が裏で何をしているかを知らないほうが安全だ。
「何か困ってるなら相談してよ」
イルマが頬を膨らませる。
ツェリも「私にできることがあれば言ってください」と優しく声をかけてくれる。
アルドは内心苦い笑みを浮かべながら誤魔化す。
「いや、その……試験、もうすぐでしょ? 全二年生共通魔力適性標準試験。そろそろ対策を考えないといけないなって」
「ああ、試験かあ!」
イルマが手を叩く。
「リーシェさんなら、精霊術が使えなくても学術分野でトップ狙えるんじゃないかな? 頭いいし、理論や歴史に詳しいし!」
アルドは少し考える。
実技が不利でも学術筆記で高得点を取れば、総合上位を狙えるかもしれない。クラスランク昇格を目指すには悪くない策だ。
「応用実践演習って、グループ戦になるんですよね?」
ツェリが微笑む。
「混合チームでポイントを競うらしいので、精霊術が苦手でもリーダーシップや戦略面で評価されるかも」
「そうそう、リーシェはリーダー適性あると思うし、仲間をうまく活かせば実技面も何とかなるよ」
イルマがウィンクして続ける。
「私の作った簡易防御結晶があれば、精霊術なしでも攻撃を凌げるしさ!」
(なるほど……いいヒントだ)
「うん、私も二人と一緒に頑張りたい」
アルドは二人に笑みを返す。
試験で学術部門の高得点を狙い、実技は工夫してポイントを補う。応用演習はチームカバーで乗り切る。
戦略次第では上位入賞も夢じゃない。
ふと思考に沈んでいると、イルマが「ねぇ、リーシェ、聞いてる?」と不満げに声を上げる。
「ごめん、また考え事してた」
試験でランクアップすれば、行動範囲や情報アクセスが広がる。B区画へ進出する道も見えてくる。
アリシアの捜査が止まらない以上、C区画で無理に動けば危険だし、B区画を攻略するにも力不足だ。
ツェリが再び声をかける。
「リーシェさん、本当に大丈夫ですか? 試験対策が不安なら一緒にやりましょう」
「うん、ありがとう。すごく助かる」
アルドは笑みを作る。
今は試験に集中するのが得策だ。Cクラス残党の一掃はしばらく難しい。警備も強化されていて動きづらい。
AクラスやBクラスへ進む糸口は、試験を利用して整えるほうが安全だろう。
イルマとツェリは意気込んだ表情で「学術筆記で高得点を狙おう」「応用演習でリーダーシップを発揮すれば評価アップ!」と張り切っている。
アルドは自然な笑顔で答える。
「私、精霊術は使えないけど、学術面や戦略面で頑張る。イルマの魔道具とツェリの治癒があれば安心だね」
これで決まった。
試験に集中して上位クラスを狙い、今後の展開を開く。
アリシアの動きは厄介だが、焦らず基盤を固めるときだ。
窓の外には淡い曇り空。
全二年生が集う試験が迫り、この熱気と混乱が新たな転機を呼ぶはず。
アルドは気持ちを引き締め、考え続ける。
試験で得点を重ね、Bクラス昇格を狙い、黒幕へ通じる道を切り拓く――
今はそれで動くしかない、と。