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32 原型閲覧《アルキウム・リード》

深夜。D区画の静けさは、血と闘気が渦巻くC区画の惨状とは無縁のように思えた。

アルドは第二体育館裏の暗がりに佇んでいる。さっきまでファロンに乗り移り、ヴァールノートの動きを探っていたが、計画が裏目に出て彼らが悲惨な状況に陥ったことを知り、緊急離脱して戻ってきたのだ。


「やっと見つけた敵だ。この機会を逃すことはできない」


アルドは苦い表情でそう呟く。

妹の件に絡んでいるかもしれない敵――ベルジを取り逃がすわけにはいかない。


だが、今アルドはリーシェ姿でD区画にいる。C区画へ行くのに、この姿のままでは都合が悪い。

そこでアルドは一計を案じる。


「ヴァールノートのやつらをこのまま見殺しにはできないが、リーシェの姿をさらすわけにもいかないな……」


アルドはウィッグを外し、女性用のブレザーを脱いで倉庫に隠す。

白銀の髪を露わにし、さらに原型上書き《アルキウム・オーバーライト》を使うときの要領で瞳を淡い白銀色に変えた。

髪色も瞳色も、性別を示す服装も変化させてしまえば、顔の造形が同じでも“まったくの別人”に見える。

先ほどまでの長い茶色髪の美しい女学生の印象は消え失せ、白銀の髪と神秘的に輝く瞳を持つ中性的な青年がそこに立つ。


「これなら誰も俺とリーシェを結びつけて考えないだろう」


アルドは体育館の鏡で自分の姿を確かめ、微かに頷く。

そして迷いなく行動を開始した。


再びレリックルートを使うため、四半刻前にイザナが詠唱していた呪文を思い出す。

低い声で精霊語を紡ぎ、床板を動かす仕掛けを起動させると、機構が応じて地下へ通じる隠し通路が開かれた。さっきはファロンとして通ったため、地形も頭に入っている。


「さあ、間に合ってくれよ……」


時間は刻一刻と過ぎている。

ヴァールノートが全滅する前にベルジを仕留めなければならない。


アルドは可能な限りの速度でレリックルートを走り抜ける。先ほどはファロンの身体で行軍していたため遅かったが、今はアルド自身の身体だ。鍛え上げた筋力と体術で段差を跳び越え、全力疾走する。呼吸を乱さず、暗がりの曲がり角を素早く抜け、傾いた通路を駆け上がった。



こうしてC領域へ到達した頃には、息は少し上がったものの問題はない。


レリックルートからC区画へ抜け出て、少し走ると鼻腔を満たすのは血と焼け焦げたような臭いが漂ってきた。

戦闘が激化している証拠だ。遠目に見える補給資料庫周辺は薄明かりに照らされ、地獄絵図と化していた。

倒れ伏すヴァールノートのメンバーは体中を切り刻まれ、誰かが苦悶の声を漏らしている。


アルドは闇に溶けるように姿勢を低くし、辺りを観察する。


そこにはベルジ、ソシア、ハザルの三人が満足げな笑みを浮かべ、まだ生き残っているヴァールノート員を嬲っていた。

血反吐を吐くロクス、呻くイザナ、そして地に倒れ落ちるヴァールノートの面々。何名かは既に息絶えているようだ。


ハザルが嘲笑とともに一人を踏みつけ、精霊術で命を刈り取る。ソシアは意識を失ったイザナを蹴り転がしている。

ベルジの前にいた男も、最期の息を漏らして力なく首を垂れた。


アルドは怒りで拳を握る。

この光景は耐え難い。


(こんな屑どもに、容赦は不要だ)


白銀の瞳と髪が闇に溶けるように輝き、アルドは死角を縫うように接近する。


(まずは一瞬でソシアを仕留める)


月光に溶け込む白銀の髪。瞳には冷たい炎のような光が宿る。

アルドはソシアの背後から手をかざし、遠距離から原型上書き《アルキウム・オーバーライト》を試みる。視線を定め、魔力を集中させ、ソシアへ向けて“無形の鎖”を放つイメージで能力を発動する。


ソシアは「あれ……?」と呟く間もなく動きを止めた。瞳が白銀に染まり、その意識は瞬時に奪われる。

アルドはソシアの体内へ入り込むと同時に、軽く首を回し動作を確認。

外見上はソシアが立っているだけだが、完全にアルドが支配している。


(さて、まずは罠の解除だな)


ソシアの契約精霊を感覚で辿り、炎の精霊術を使えることを確かめる。

仕掛けられた幻惑と毒霧を抑えるため、キーとなる魔術陣を焼き払わなければならない。ソシアの精霊術を用いて陣の一部を焼き払う。結界の抑止力が弱まったことで、周囲の幻惑が薄れていく。


「ねぇ、ベルジ。そういえば、あのリーシェ・ヴァルディスの年次最終試験のこと、覚えてる?」


ソシア(アルド)が穏やかな声で話しかけると、ベルジは不審げに目を細め、やがて薄笑いを浮かべた。


「まぁそりゃな、あれほど大きな仕事、忘れるわけがない……。死んでいなかったのは予想外だがな」


ハザルが調子に乗って吐き捨てる。


「今のリーシェは精霊術が使えねえ雑魚だ。もう一度仕留めるのは容易いぜ」


彼らは、リーシェを弄んでいた過去を暗に認めた。


アルドは心中で冷笑する。


(やはり関わっていたな。妹を陥れたゴミどもが)


「そう……」


ソシアの口元に氷のような笑みが走る。


次の瞬間、アルドはソシアの体から炎術を激発させた。標的はハザル。魔術の発動は一瞬だった、そして唐突な裏切りにハザルは気づけない。

炎が音もなく迸り、ハザルは悲鳴を上げる間もなく火達磨になった。


「ソシア、貴様っ!」


ベルジが驚愕で後ずさる。

アルドはソシアの体に流れる魔力で加速し、ベルジに迫った。ベルジが精霊術を発動しようと両手をかざすが、アルドはそれを読んでいる。すれ違いざまに腕へ高熱の炎を叩きつけ、ベルジの四肢を文字どおり焼き払った。


「ぐああああぁ……! なぜ、ソシア……!!」


ベルジは絶叫するが、ソシアを操るのがアルドだとは知らない。

アルドは睨みつけるベルジにさらに体術で追撃し、顔面に拳を叩き込む。続けざまに肋骨へ強烈な蹴り。反撃の余地は皆無だ。

ベルジは痛みと混乱で崩れ落ち、魔力を集中することもできない。


焦げた肉の臭いと血が粘つく音が耳に届くが、アルドの感情は冷めた怒りのままだ。

ベルジは情報源として生かしておく価値があるし、ヴァールノートへの手土産にもなる。だから殺さない――徹底的に苦痛を与え、四肢を使い物にならなくしておけば、逃げられもしない。


ベルジは「ハッ……なぜ、おまえ……なぜだ……」と唸り、焼かれた四肢を失って意識を失ったように見えたが、荒い息をつきながら微かに声を漏らしている。


(ベルジ……こいつが妹・リーシェの事件にどれほど関わっていたのか、確かめる必要がある)


アルドは心中で決意した。

これまで、《アルキウム・オーバーライト》で標的を葬ってきたが、妹を狙った計画の全容は未だ闇の中。

ここまで来たからには、リスクを取ってでも、より深い干渉を試すしかない。


(ナジャ、やるぞ……)


アルドがそう呼びかけると、脳裏でナジャの声が返る。

それは禁断の技――《アルキウム・リード》だ。

相手のアルキウムに干渉し、記憶を閲覧できる。しかし、《アルキウム・オーバーライト》と違い、“同層レイヤー”で相手と接触する危険な行為。相互汚染の恐れが高く、アルドはこれまで使用を避けていた。


だが、今ここでベルジの記憶を読まなければ、(リーシェ)の事件の真相に辿り着くことはできない。


(……よかろう。ただし相手と存在の一部を同期すれば、互いの記憶や感情、苦痛、人格の破片が入り込む。数秒で戻るんじゃぞ)


ソシア《アルド》の顔から感情が消え、代わりに静かな決意だけが宿る。


(あぁ、わかった)


そう答えて、アルドは炎に照らされた夜気の中、半死のベルジへ歩み寄る。

アルドはソシアの細い指先でベルジの頭を無理やり起こし、顔を正面から掴んだ。


「リーシェの件について……教えろ」


ソシアの唇から漏れる低い声が、記憶誘発のトリガーとなる。

問いを明確に投げかけることで、相手の意識深層へ潜り込みやすい――そうナジャは説明していた。


アルドは指先に意識を集中し、相手のアルキウム層へ意思を注ぎ込む。

最初は何も見えない黒い空隙。頑丈な扉を無理やりこじ開けるような感覚だ。

ソシア(アルド)の額から汗が一滴落ちる。強い抵抗にあいながら、やがてノイズ混じりの映像が流れ込んできた。


---


そこは薄暗い部屋。

長机の向こう側に複数の人影があり、上等な布地の衣服や金属装飾がちらつく。


「――首輪がついていることを確認した」


誰かが言う声が聞こえる。


「リーシェ・ヴァルディスもまさか――に裏切られるとは夢にも思うまい」


ぼやけた笑い声が交じる。


「暴走する瞬間の顔が楽しみだな……」


アルドの胸に怒りが走る。


妹への軽蔑と薄ら笑い、冷たい悪意がベルジの感情を通してアルドに染み込んでくる。

記憶は混沌としているが、ベルジが仲間とともにリーシェを陥れる計画に歓喜していたのは確かだ。


---


次の記憶の断片――建物の裏庭らしき風景で、ハザルが魔道具を地面に埋め込み、ベルジは“イザーク”と呼ばれる見覚えのない男に報告している。


「イザークさん、外部4番設置完了です」

「ソシアの炎術サポートも準備完了!」

「これでリーシェも終わりでしょう」


残酷な喜びが流れ込む。

アルドは拳を震わすほどの憤怒を覚えるが、同時に頭痛が襲い、相手の記憶が精神を焼くようだ。


---


さらに断片が見える――リーシェが真面目な表情で試験準備に励む姿を、遠巻きに見下すベルジ。


「ふはは、今日で終わりだってのに、無駄な努力をしてやがる」


その嘲笑が伝わり、アルドは妹への悪意が確固たる形で刻まれていくのを感じた。

記憶読み取りがピークに達し、意識が消滅しそうな苦痛が迫る。


アルドは即座に《アルキウム・リード》を打ち切った。


暗転していた意識が再び現実へ戻る。

黒く焦げた床、血染めの夜風、崩れた補給資料庫の周囲がはっきり形を取り戻す。

アルドは苦しげに息を吐く。頭痛が酷い。


足元では四肢を失いながら、今わの際で息づくベルジが苦しげに呻いていた。


「お前は……ソシアじゃない……」


ベルジの目は恐怖と困惑に見開かれている。同一階層で存在に触れ合ったことで、ベルジにもアルドの記憶や感情が逆流したらしい。

ベルジは声にならない嘶きを上げ、妹への復讐心の断片を理解し、「お前……リーシェの……なぜ」と掠れた声で口走る。


「なぜ?そこまで()()のなら俺の目的など聞くまでもないだろ?」


ソシアの美しい容姿が、アルドの憎悪で歪む。

声は低く澄んでいるが、その内側には怒りの奔流がうねる。

ベルジは抵抗できず、目を泳がせ、痙攣する唇で何か言おうとするがもう遅い。


「せめて、お前もリーシェの苦しみの一端を味わえ」


アルドは再びソシアの炎の精霊術を行使する。

空気を震わせる微かな音とともに、熱波がベルジの身へ走った。

四肢を失い、地面を這うような姿のベルジの視界に、真紅の炎が映り込む。


「地獄へ堕ちろ」


酷薄な一言が夜風へ溶ける。

炎はベルジを包み込み、瞬時に焼き尽くすことのないよう火力が調整されていた。

ベルジは最後の瞬間まで苦しみ、そして息絶える。


夜は再び深い沈黙を取り戻していく。


風が血の臭いを運ぶ中、ソシアの姿を保ったアルドが立ち尽くし、微かな疲労と達成感、そしてわずかな不安を噛みしめる。

《アルキウム・リード》による記憶干渉は危険だった。頭痛も残り、相手にも自分の素性や目的を知られてしまう危うさがある。

しかしベルジはもう焼き払われ、死者は何も語らない。


これでまた一歩、妹の仇への復讐が進んだ。

アルドはそう考え、暗闇へ足を運び始める。


妹を陥れた者たちを一人ずつ狩り、最後には事件の真相に辿り着くために。そして妹を救うために。

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