29 ヴァールノートの計画
ツェリとファロンが廊下に戻ってくると、アルドは壁際の陰から静かに身を引いた。
ツェリは少し俯き気味で、考え込むような表情を浮かべている。ファロンはさほど気に留める風でもなく通り過ぎていくが、その背中からはどこか緊張した空気が漂っていた。
アルドは一歩下がり、静かに後を追う。
(組織……ヴァールノートとやらもベルジを標的にしているか)
内心でそうほくそ笑む。まさか仇相手が他人の標的とも重なるとは。運がいい、漁夫の利を狙えるかもしれない。
もし組織がC区画へ潜入する手段を持っているなら、そこに乗っかることも可能だ。試験まで待たず、明日の計画を利用してベルジを始末するほうが早いし、成功すればヴァールノートへの“売り込み手土産”にもなる。
ファロンは一人で先ほどの部屋――ロクスが待つ小部屋――へ戻るだろう。ここで能力を使ってファロンに乗り移るつもりだ。
アルドは即座に行動に移した。曲がり角の陰に身を潜め、階段付近でファロンがツェリを見送った瞬間に背後から原型上書きを発動する。
アルドの瞳が白銀色に滲み出し、ファロンが「誰だ?」と反応する暇もなく、不可視の鎖がファロンの意識を絡め取った。
アルドはファロンの身体を完全に支配すると同時に、自分の身体が倒れている場所へ慌てて戻る。
……リーシェ姿のアルドは、そこに崩れ落ちていた。すぐに人が来れば不審に思われるだろう。ファロンとして動くアルドは、自分の元の身体を片隅に隠す必要があった。ちょうど近くに箱や古いマットが置かれた小倉庫が空いている。
素早く倒れた身体を引きずり、暗がりの隅に押し込む。埃を払う時間はないが、外からは見えにくい角度だ。短時間で露見する危険はそう高くないだろう。
作業を終えると、ファロンの姿で身なりを整え、再びロクスの部屋へ向かう。
今度は余裕を持って堂々とドアを叩く。
「悪い、ロクス。俺、さっきの話をもう一度確認したくてな」
少し緊張しながら扉を開ける。ファロンは元々無口なタイプだが、作戦を再確認する程度なら不自然でもない。
中に入ると、ロクスは腕を組んで待っていた。
「なんだ、ファロン。さっきツェリが断ったことに動揺したのか?」
皮肉めいた口調だ。
アルドはファロンになりきり、苦笑を浮かべるような声色で答える。
「悪いな、ロクス。俺、どうも細かい段取り覚えるの苦手でさ。明日の作戦、集合時間と場所をもう一度頼む」
ロクスは小さく溜息をついた。
「はぁ、お前は相変わらず覚えが悪いな……いいか、もう一度だけ説明するぞ」
そう言いながら、薄汚れた机を軽く叩き、その上に広げた簡易な学内地図を示す。
ロクスの話によれば、ベルジは不正に使える魔術素材を盗み出すため、C1塔から少し離れた「補給資材庫」を深夜に訪れるらしい。セキュリティを一時的に無効化して魔術触媒を盗むつもりだ。これらの素材は次の大規模試験で有利になるうえ、貴族派内部の暗い取引にも使えるという。
「俺たちヴァールノート側はルート3から乗り込むんだ」
ロクスがマップ上の一点を指し示す。
「三十分前には第二体育館の裏で待機すること。そこで少数精鋭が合流し、廃隧道からC区画へ潜り込む。補給資材庫で待ち伏せし、ベルジが素材を手にする瞬間を狙って強襲する。ファロン、これで理解できたな?」
アルドはファロンの声で短く返事をする。
「おう、わかった。もう大丈夫だ」
ロクスは納得したように頷き、「今度は忘れるなよ」と念を押すように目を細めた。
アルドは背を向けて部屋を出る。その足取りには微かな満足が混ざっている。
この計画でヴァールノートがベルジと戦う時間と集合場所がわかった。レリックルートやルート3が何かはわからないが、ファロンの立場で詳しく尋ねると不自然だろう。明日、直接確認すればいい。
後はD5の教室に戻りファロンの机に座り、顔を伏せた状態で能力を解除すればいい。解除後のファロンは混乱するだろうが、「教室に戻って寝てしまった」と考えるほかないはずだ。
アルドは、試験まで待つつもりだったが、もうその必要はなくなった。このチャンスを活かせば、ベルジを仕留めるだけでなく、組織の移動手段までも知ることができるかもしれない。
明日決行だ。そう決意を固めながら、アルドはファロンの姿で教室へと戻っていった。
その日の夜。
静かな空気が敷地に染み込むような時間帯に、アルドは明日の作戦に向けて第二体育館の裏へ足を運んでいた。
ファロンから聞き出した集合場所と時刻を活用するためには、原型上書きを使う下準備が必要だ。
まずは自分の身体を隠す場所を確保しなくてはならない。原型上書きを使うたび、アルドの本体はその場に倒れる。もし目立つ場所で倒れ込めば怪しまれるし、隠しておく場所も必要になる。
そこでアルドは、体育館裏手の暗がりを丁寧に探索し、古びた棚や積み重なった木箱を動かして人一人が隠れられるスペースを確保した。
簡易な布をかぶせ、外からは何もないように見せかける。
さらに、ヴァールノートのメンバーに乗り移る瞬間を誰かに見られれば疑念を招く。
アルドは角度や死角を慎重に計算し、周囲の地形を頭に入れる。器具庫から突き出た梁や立てかけられた用具が自然な遮蔽になりそうだ。手探りで高さや奥行きを確認し、最適なアングルを選ぶ。
集合時間直前にファロンを捕らえるとして、ファロンがこの辺りを通るであろう動線も予測する。人目の少ない夜中なら、校舎の影や倉庫裏が最適な待ち伏せポイントだ。
突発的な足音を立てずに接近し、速やかに原型上書きを使えばいい。
準備が終わる頃には、周囲はすっかり闇に包まれていた。
アルドは最後にもう一度作戦を確認し、満足げに微かに頷く。ヴァールノートの計画に潜入する準備は整った。あとは狙いを定め、本番に備えるだけだ。




