19 後始末
血と肉片の嵐が通り過ぎ、復讐と怒りが抜けた倉庫には静寂が戻っていた。
倉庫の奥ではまだ意識を失っているイルマが、眠るような静かな顔で横たわっている。
その安らかな表情を見ていると、胸に渦巻く苛立ちや虚無感が、わずかに和らぐ気がした。
妹をめぐる怒りや疑問が頭を離れないが、少なくともイルマには惨劇を見せずに済んだのは良かった。
(冷静になったか?)
頭の中で澄んだ声が響く。ナジャの声だ。
アルドは深く息を吐き、心中で応じる。
(ああ……先ほどの力はお前の力なのか? 教えてくれ、どういうことだ)
ナジャの声は静かだが明瞭で、世界の骨組みにまで干渉するような存在感が感じられる。
「汝が求め、妾が汝に与えた力は、魂より深い層――原初の設計図へ干渉し、相手の体と意識を奪える。先ほど見せた通り、汝は相手を完全に己の掌中に収めることができる」
アルドはその説明を噛みしめつつ、内心で血が沸き立つような感覚を覚えた。
いま自分が得た力は、精霊術や普通の武力では及びもつかない、まるで世界そのものの理さえ揺さぶるほどの異様な力。
言い知れぬ戦慄と興奮が胸を刺す。
ちらりと惨状を見やる。
(なぁ、そんな凄いことができるなら、この惨状をどうにか隠蔽することはできないか?)
ナジャは淡々と応じる。
「妾は精神や魂など個人の内面世界には干渉できるが、外世界……つまり火を出したり風を起こしたりといった物理的な改変はできぬ。死んでしまっては何もできぬな」
つまりナジャは外部環境への直接的な影響手段を持たない。
今回、レヴンたちを殺し、兵器になり得る肉体や情報を得られるはずの者を失ったのは痛手だが、今さら悔やんでも仕方がない。
アルドは少し焦りながら魔道具を取り出す。 火をつけて証拠隠滅をはかるかーー
いや、小さな火を起こす程度はできるが、火事になれば人が集まり、目撃や調査が激化するリスクが高まる。
(どうする……?)
証拠隠滅についてアルドが頭を悩ませている最中、イルマがうっすらと身じろぎした。
(まずい……イルマが目を覚ます前にここを離れるべきだった)
しかし、もう間に合わない。
イルマがゆっくり瞼を開く。
「……ん、リーシェ? ここは……?」
イルマが目を擦り、周囲を見回した瞬間、その瞳は血と破壊の跡を捉え、顔から血の気が引いていく。
「ひっ……な、なにこれ……」
震える声で恐怖を露わにする。
アルドは心中で即興の言い訳を組み立てながら、イルマに問いかける。
「イルマ、何があったか覚えている?」
静かな声をかけると、イルマはこわばった表情で答えようとする。
「えっと……たしか、Cクラストップのレヴン・ハークレストが出てきて、風の精霊術を受けて……そこから……えっと、覚えてない……」
アルドは少し考えるそぶりをして、言葉を紡いだ。
「あぁ、実はその後、彼が突然暴れ始めてね。見てわかるように、風の精霊術で自分の仲間もろとも巻き込んだのよ。本人は苦しんで倒れたんだけど……ほら、そこにいるでしょう。あれがレヴン。私もイルマの隣で意識が朦朧としてたから、はっきりとは理解してないけど……」
イルマが呆然とした表情で周囲を見直す。
確かに風で切り裂いたような痕跡が残っている。
風属性による凄惨な軌跡が、レヴン自身が引き起こしたとしか思えない状況だ。
「な、なぜこんなことが……」
とイルマは震えつつ問いかけるが、アルドは首を振る。
「危なかったけど、レヴンが部下ごと自滅したみたい。細かいことはわからない。でもイルマを助けられてよかった」
アルドはイルマの肩に手を置き、目を合わせると真剣な表情で言う。
「このことは先生に言わないで。私たちが巻き込まれたと知れば大変なことになる。Dクラスが他クラスに狙われる口実になるかもしれないし、私たち自身が面倒な立場に陥るわ」
イルマは混乱しながら、リーシェへの信頼と不安の板挟みになっているようだが、ひどい惨状を前に何も言い返せない。
か細い声で「……わかった」と頷くしかなかった。
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後日、学園側が調査に乗り出したが、すでに破壊の程度はひどく、肉片や血痕はほとんど識別不能だった。
風属性の痕跡だけは残るものの、犯人の証拠はなく、レヴンの死体が無傷で横たわっていたことから「レヴンが部下を巻き込んで暴走し、自滅した」という結論で片付けられる。
決定的証拠が見つからず、不審な点は多いが、行方不明となったのがレヴンと親しい者たちだけであったため、事件性は薄いと判断され、これ以上の捜査は打ち切りになった。
一方アルドは、これから疑われないよう、慎重に行動することにした。
そして、次に敵を手に入れたときは情報を吐かせてから殺す。
そう心に決め、気を引き締めるのだった。