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01 初登校

その朝、学園の正門付近には、いつになく落ち着かない空気が漂っていた。

春の光が石造りの門柱を照らし、通学路を行き交う生徒たちは普段どおりのはずなのに、なぜか少しざわざわとしている。


理由は誰もが察していた。


ーー以前、Aクラスで輝いていた、あのトライコントラクターの天才少女――リーシェ・ヴァルディスが、”例の件”以来初めて学園に戻ってくるらしい。


「リーシェが復帰するって本当なの?」


「精霊術を失ったって噂が流れてるんだけど……」


門の近くで待ち伏せするように立つ2年生数人が、声を低めてささやく。

周囲にも似たような会話が散らばっている。

前は彼女の登場といえば歓声や賞賛が当然だったが、今は戸惑いと不安が入り混じっていた。


どれほどの天才でも、一度意識不明に陥った後、能力を失ったらしいという話が出回れば、周囲が静観モードになるのも無理はない。


「あ、来た……」


誰かが小さく言った。その声に吊られ、少し離れた場所から門を見張っていた上級生たちも動きを止め、目線を一点に集中させる。


石畳の道の先、緩やかな坂を下って学園へ向かってくる人影がある。

朝の光を背負い、茶色いロングヘアが風に揺らめく。

視線を向けた者は一瞬「以前のリーシェと変わらない」と思う。

その髪色と美しい顔立ち、端整なプロポーション、歩くたびにほんのかすかな花のような印象を伴う空気――

「やはりリーシェだ」と多くが納得しかける。


しかし、すぐに違和感が全身を走る。

近づいてくる少女は確かにリーシェそっくりだが、身につけているのは簡素なDクラスの制服。

かつてAクラスの上質な制服に身を包んでいたあの圧倒的な存在感は、服装の段階で大きく損なわれている。

周りの生徒が息を呑む。

誰も理解できない。

なぜ彼女がDクラスに?


さらに近寄ると、その表情も前とは異なっていた。

以前のリーシェは、誰にでも柔らかな微笑を浮かべ、瞳は穏やかで安心感を与える存在だった。

いま目の前に現れた彼女――外見はほとんど同じなのに、瞳の奥に鋭い光が差し込んでいる。

かつての柔和な光は消え、代わりにすっと細くなった目つきが、警戒や決意にも似た、しかしどこか刺々しい空気を放っている。


「え……本当にリーシェさんなの?」


少女が小声で隣の友人に聞く。


「間違いないわよ、あの顔、あの髪……でも、なんでDクラスの服なんか……」


周囲は答えを持たない。

当時1年生だったリーシェは事件以来、意識不明の状態が続いていたという。

意識を取り戻したとしても、精霊術が使えなくなったと噂される。

もしそれが本当なら、Aクラスから一気にDクラスへ落ちるのも学園制度上あり得る話だが、ほとんどの生徒は信じたくなかった。

あの天才が、そんな形で墜ちるなど……。


少女は、門をくぐった後も周囲の反応を気に留めないように見える。

無言で前を見据え、まっすぐ学園内部へ進み出す。

その足取りは、以前の軽やかさや朗らかさよりも、冷静で揺るぎない強さを感じさせるが、それは観る者に強烈な違和感を与える。


以前、彼女が中庭を歩くときは明るい笑顔で振りまき、上級生からも称賛を受けていた。

その様子がまるで遠い記憶の幻だったかのように、いまの彼女は黙り込み、冷めた瞳で周囲を拒絶するかのよう。


1人の上級生が意を決して声を掛けようと前へ出る。


「リ…リーシェ、久しぶり。体は……?」


と尋ねようとしたが、言葉が出る前に彼女は顔を向けることすらせず通り過ぎる。

その時、上級生は背筋がぞわりとした。

あの瞳――まるで別人だ、という震えるような感覚。

美貌はそのままなのに、柔和な余裕は影を潜め、何か鋭利な刃を纏ったような威圧感がある。


「どうしちゃったんだ……」


上級生はその場に唖然と立ち尽くす。

周囲の者たちも同様で、昨日までの噂、「リーシェが意識を取り戻して戻ってくる」と聞いて期待していた人々が、実物を見て口を閉ざす。

Aクラスの天才が精霊術を失った?

だからDクラスの制服なのか?

美しい外見は変わらないが、人格が変わったような雰囲気に、誰も近づけない。


遠巻きに観察するだけで精一杯だ。

こうして彼女は、誰も声を掛けられないまま、校舎へ向かう道を淡々と進んでいく。


数名の生徒が、すれ違い様に小声で囁く。


「…やっぱり後遺症じゃないの? 精霊術を失ったって話、本当なんだ…」


一部の上級生が遠巻きに様子を見つめる。


「あの事件で落ち込んでるんじゃない? 前みたいな笑顔が見えない」


「でも相変わらず美人だな……ただ、なんか近寄りがたい」


小声が飛び交う中、全員の注目を集める少女は校内へ足を踏み入れる。

校庭を横切る間、彼女はふと視線を上げる。

遠くにあるAクラス塔が朝の光に淡く浮かび上がっている。

それを見て、周りの生徒は思う――あそこはかつて彼女が当然のように通うはずだった場所。

いまのリーシェは、その栄光から滑り落ち、底辺のDクラスへ――


だが、彼女は気後れした様子を一切見せない。

むしろ、その沈黙と冷やかな表情が、なんとも不可解な決意を感じさせる。


「すごく…変わったね…」


「うん…前みたいに誰にでも笑いかけてくれるリーシェさんじゃない…」


後方で漏れる声を、彼女は振り向かない。

茶色の長髪が揺れる。

見た目こそ美しい彼女のままだが、昔を知る者には悲しいほどの違和感が突きつけられる。


門から校舎へ続く道の最後で、彼女は一瞬立ち止まるように見えたが、気のせいかもしれない。

すぐにまた歩き出し、Dクラス棟の方向へ曲がっていく。


この場面を目撃した者たちの胸には、不可解な感情が残された。

あの事件から復帰した“リーシェ”は、見た目こそ同じで相変わらず美しい。

しかし、その瞳が鋭く雰囲気がまるで別人――そんな強烈なコントラストが、人々の心に奇妙な引っかかりを残す。


何が彼女をこう変えてしまったのか?

精霊術を失うと、人格まで変わってしまうのか?

それとも事件のショックで気性が変わっただけなのか?


誰も答えを持たず、ささやかな困惑が学園内に薄く広がっていく。

こうして、再び学園に舞い降りた“リーシェ”は、かつての明るいアイドル的存在から一転、静かに、冷ややかに、その姿を見せるだけだった。

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