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13 人質

翌日、倉庫での一件があった日の放課後。

D5クラスの教室には、柔らかな夕光が差し込み始めていた。

日中の授業を終え、生徒たちは帰り支度をゆるやかに進めている。

そんな中、イルマが、慌ただしい動きで鞄に道具を詰め込んでいるのが目立った。


リーシェ姿のアルドは、その様子を不審に思い、声をかける。


「今日も、急いで帰り支度?」


柔和な表情で問いかけると、イルマは一瞬手を止め、振り向いた。

茶色のショートヘアが揺れ、ゴーグルを上げた額には少し汗が滲んでいる。


「え? ああ、ちょっと足りない素材があってね、またCクラス寄りの資材倉庫に行こうと思うの」


イルマはいつも通りの笑顔を浮かべるが、言葉尻には小さな焦りが混じる。


「どうしても必要な素材なんだ」


アルドは心中で眉をひそめる。

昨日、イルマはCクラスの不良に狙われ、危うくひどい目に遭うところをアルドの機転で救出されたばかりだ。

あの一件があった直後に、またCクラス寄りの危険な場所へ行くなんて、普通なら慎重になるはずである。


「昨日、あんなことがあったのに……もう行くの? いくら脅したとはいえ、相手が本当に懲りてるか分からないよ」


アルドは戸惑いを隠せないまま、控えめに忠告する。

イルマは苦笑し、肩を軽くすくめる。


「大丈夫だよ、リーシェ。あんなに見せつけてくれたんだから、さすがにもう手は出さないでしょ。今度は私も気をつけるし、すぐに帰ってくるから」


アルドが「明日なら付き合えるよ」と申し出るが、イルマは「ありがと、でも今日すぐ必要なの」と断る。

彼女は慌ただしく鞄の口を閉じると、軽く手を振って


「ほんと、大丈夫だから。行ってくるね!」


と足早に教室を出て行く。


アルドは机に手を置き、わずかに唇を噛む。


「本当に大丈夫かな……」


小さな独白が、静まりかけた教室で消え入る。

アルドは軽く頭を振って、夕刻の光が長く伸びた教室の床を見下ろした。

まだ何も起きていないが、不穏な予感が胸をかすめる。


知らず知らずのうちに、イルマが再び危険な罠へ足を踏み入れようとしていることも知らずに、アルドはしばし微動だにせず、戸惑い混じりの思考を巡らせていた。



---



夜、Dクラス領域は静まりつつあった。

星明かりとわずかなランタンの光が頼りの細い路地を、アルドは小さな袋を手に自室へ戻ろうとしている。

先ほどまで、教師に頼まれた用事で書類を届けに行ったり、雑務を手伝わされていて、放課後の時間を取られてしまった。

そのせいで、イルマが素材探しに行くときにつき添うこともできなかった。


(大丈夫だろうか……)


足元に落ちる影を見つめながら、アルドは胸に不安を覚える。

あれから何の報せもないが、無事にイルマは素材を手に入れられただろうか。

昨日、危ない目に遭ったばかりなのに、あんな場所へ一人で行くなんて――

考えれば考えるほど、胸がざわつく。


(まあ、昨日脅したし、相手も懲りてるはず……)


自身にそう言い聞かせながら、アルドは暗い路地を歩み続けた。


そんな不安が頭をよぎった時、路地の先に人影が立ちふさがった。

視線を上げると、そこには先日アルドが撃退したCクラスの不良がいる。

頬に青あざを残した彼は険しい表情で笑みを歪めた。


「おい、リーシェ。昨日手間をかけさせたあの女、今度こそ捕まえてやったぜ」


低い声で言い放つと、その言葉は鋭くアルドの心を突き刺す。


「助けたければついて来いよ」


不良は嘲笑を含んだ視線を送り、「さあ、どうする?」とでも言いたげに顎をしゃくる。


アルドは一瞬、戸惑う仕草を見せるが、すぐに「わかった」と短く答え、静かに頷く。


不良は勝ち誇ったように軽く鼻で笑い、先に立って路地を歩き出す。


だが、それは致命的な油断だった。


アルドは不良が踵を返した、その刹那を見逃さなかった。

不良の足が地面を踏みしめる音が耳に届くと同時に、アルドは闇に溶け込むように一歩踏み出す。

夜の空気が肌を刺し、胸の奥に冷たい熱が走った。


「……っ!」


不良が振り向く前に、アルドはまるで獣のように懐へ飛び込む。

視界の端には街灯の鈍い明かりが揺れ、路面に伸びる二人の影が重なって軋む。

一撃――渾身の拳を狙い定め、後頭部付近を叩きつける。


バキリ、と鈍い衝撃音が手首から肩へと伝わり、不良が苦痛に歪んだ声を上げて地面に崩れ落ちる。

息を飲んで逃げようともがく相手の腕を、アルドは躊躇なく掴み上げる。

路地に散らばる小石が靴底をギリギリと削る音さえ、やけに鮮明に聞こえた。


「いッ――!?」


驚く声を上げる間もなく、アルドの拳が不良の後頭部付近を正確に打ち据え、男はたまらず前のめりに倒れ込む。

街灯の薄明かりの下、不良がうめき声を漏らしながら地面に伏せた。

アルドは容赦なく腕を掴み、逃がさぬよう固定する。


「どこに連れて行こうとした?」


アルドは低い声で問い詰めながら、不良の腕をひねり、逃げられない体勢を作る。


「お前らはなにがしたい? 敵は何人だ? 誰の指示だ」


低く凍てついた声が、不良の動揺を増幅させる。

夜風がかすれた呻きと混じり合い、狭い路地を切り裂くように流れていく。

不良の額には汗が滲み、目は恐怖に見開かれていた。


「くっ……何も言うもんか……」


唾を吐きかけるような視線を返すが、アルドは躊躇なく再度拳を振るい、不良の頬を殴りつけた。

鈍い衝撃音が路地に滲み、男が短く呻く。


「言え。人質まで取って脅すなんて、何が目的だ?」


アルドの声は低く押し殺され、そこに秘めた焦りと怒りがにじんでいる。

不良は痛みと恐怖で唇を震わせながら、ようやく断続的に言葉を吐き出す。


「わ、わかった! 話す、話すから、やめてくれ……」


不良は涙目になりながら、ようやく口を開く。


「昨日の資材倉庫で待ってるんだよ。ボスを含めて10人くらい揃えてな。お前を呼び出して、そこで殺すつもりなんだ!」


10人……しかも“殺す”だと?

アルドは「人質まで取って殺すなんて、そこまでするか?」と疑問を洩らす。

先日はせいぜい脅しや嫌がらせ程度だったはず。

なぜ今回はそこまで徹底して殺意を向ける?


「レ、レヴンさんがそう言ったんだよ! …あんたを()()()()確実に殺すって……」


不良が口走る名前に、アルドは目を細める。


「レヴン?⋯⋯それはレヴン・ハークレストか?」


「あ、あぁ⋯⋯」


レヴン・ハークレスト――(リーシェ)が残したメモにも記されていた名だ。

(それに()()()()だと?)

妹の“事故”が事件だった可能性がさらに高まる。

この機会を逃せば、真相に近づけないかもしれない。


アルドは拳を緩め、不良を地面へ突き飛ばした。


「そいつの元まで連れて行け」


不良は叩きつけられ、痛みに顔を歪めるが、アルドに逆らえず怯えた視線で進んでいく。

さっきの話が本当なら、イルマが人質にされている。

救出しなければならないし、この“レヴン・ハークレスト”が妹の事件に関わっているなら、ここは真相を掴む絶好の機会だ。


「しかし、Cクラス10人か……」


妹・リーシェの事件を思い出し、あのとき何もできなかった自分への怒りがこみ上げる。

間に合わなかった過去を、もう繰り返したくはなかった。


(それにイルマは自分のせいで危険に巻き込まれたのかもしれない……)


拳を強く握りしめながら、アルドは心の内で決意を固める。


「どんな数が相手でも、俺はイルマを取り戻す。何があっても……絶対に」


妹のときに味わった無力感を払拭するため、そしてイルマを救い出すため、アルドは踏み出していく。

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