09 Dクラスでの日常
数日が経ち、D5クラスでの日常が少しずつ形をなしてきた。
朝の教室には、昨日より微妙に落ち着いた空気が漂っている。
アルドは席に着くと、先日より柔和な表情で周囲を見渡す。
誰もが下層クラスとしての境遇を嘆きつつも、それなりに日々を送っている。
他愛のない雑談や、古い教材をめくる音、魔道具の小さな調整音などが混ざり合い、D5クラス特有の雑然とした雰囲気を醸していた。
「リーシェ、今日の実技授業どうだった?」
と、イルマが軽い口調で声をかける。
まだ二人がそう親密というわけではないが、ここ最近少しずつ打ち解け始めている。
アルドは窓辺でノートを広げて振り向く。
「うん、精霊魔術が必須な課題は相変わらずダメね。精霊術が使えないから、基本的な攻防も体術頼みになるわ」
少し苦笑しながらそう言うと、イルマはふむと考え込む顔をする。
「まあ、精霊術なしは正直不利だよね。でも、魔道具を使える実習や試験も多いし、工夫次第で十分カバーできると思うな」
イルマは机に肘をついて、ゴーグルを軽く指で押し上げる。
彼女は魔道具いじりが好きなようで、昼休みにも小さな歯車を磨いているところを何度か見かけた。
アルドは目を細める。
「そうだね、魔道具は私にとっても生命線になるかもしれない。イルマは魔道具に詳しいんだよね?」
イルマは嬉しそうに微笑み、腰掛けていた椅子をアルドのほうへ寄せる。
「お、興味出てきた? 魔道具ってのは魔力と工学のハイブリッドなのさ」
「魔力と工学のハイブリッド……言いえて妙ね」
リーシェは顎に手を当てる。
イルマはくすっと笑う。
「そういやリーシェは学術にも詳しいよね。じゃあ魔力結晶って知ってる? 魔力を蓄える特殊な鉱石なんだけど、それをコアにして、金属や木材を特殊加工して魔力がスムーズに流れる回路を作るの」
「魔力結晶ね。わかるわ。……たしかバッテリーみたいな役割よね?」
「そうそう、電池みたいなイメージでも悪くないかもね。でも魔力は単純なエネルギーじゃなくて、周波数や振動数がある。魔道具職人は、結晶と素材の組み合わせで特定の効果を引き出すように回路をデザインするの」
「照明用の魔道具は結晶の魔力を光に変換する回路があって、攻撃用魔道具なら炎や風を発生させる別の回路があるのよね」
イルマは指を立てて「そのとおり!」と楽しそうに言う。
「低級な魔道具は照明器具や熱源器具が定番。中級になると障壁発生器や幻影装置なんかもできる。高級魔道具はもっと複雑な回路で、強力な結界とか属性増幅ができるらしいけど、貴族派とか上級生しか持ってないみたい」
アルドはひと呼吸置いてから笑う。
「なるほど、それじゃあ、貴族派が試験で優位に立つのは、精霊術だけじゃなくて高級魔道具も関係しているのかもね」
「う〜ん、まぁ魔道具は便利だけど、精霊術と比べると威力に天と地ほどの差があるからね……」
精霊術が“兵器”だとするなら、魔道具はあくまでも“便利な道具”でしかない。
精霊術を使える者に対し、魔道具のみで対峙することは剣を持った軍隊に果物ナイフで立ち向かうようなものだ。
「あ、でも実は闇市場もあって、裏で違法な改造魔道具を手に入れる奴らがいるって噂もあるのよ」
イルマは声を低める。
「……試験中にこっそり使えば、不正だって容易なわけ」
「不正に魔道具……か。魔道具は通常の試験でも使用可能なものだから、違法性のあるものを使ってもばれにくいかもしれないわね」
アルドは溜息まじりに言うが、イルマは眉を上げる。
「ま、そんな悪用ばかりじゃないよ。私みたいな魔道具好きは、日常生活を便利にしたり、試験でも自分の弱点を補う程度で使うだけ。でもリーシェなら精霊術がなくても、魔道具だけでもそれなりにやれるかも」
アルドが興味深げに「たとえば、どんな魔道具がおすすめなの?」と問うと、イルマはキラリと目を輝かせる。
「んー、たとえば、この簡易障壁生成器……」
と鞄から小型装置を取り出す。
「これ、魔力結晶と金属フレームで簡易バリアを出せるんだ!」
「障壁生成器か……使えるシーンは多そうだね」
アルドは関心したようにイルマから装置を受け取る。
「でも、時々出力が不安定なの。もし理論に強いリーシェがアドバイスくれたら嬉しいな」
「理論面ねぇ……」
アルドは考え込む。
「経路設計を考えると、魔力流が細くなりすぎる箇所があるんじゃない? 内径をほんの少し拡げて魔力抵抗を下げれば出力はかなり上がると思うけど」
イルマは目を丸くする。
「すごい! そっか、内径ね。数字苦手だから適当に作ってたけど、理論的には抵抗下げるのが鍵だったんだ!」
アルドは笑う。
「私も精霊術の代わりになる魔道具に興味があるし、何かあれば協力するわ」
イルマはぽんと手を叩く。
「おぉいいね! こうやって協力できれば、今度の試験でも上位を狙えるかもしれない。私も頑張って魔道具作るよ!」
「そうだね、一緒に頑張ろう」
教室の片隅では、何人かの生徒が窓際で談笑している。
遠くから笑い声が聞こえ、Dクラスらしい賑わいも感じられる。
昼下がりの柔らかい光の中、二人の会話は自然体で、理論の深い話も重くならず、心地よい空気を生んでいた。
アルドは意図的に態度を和らげ、イルマ以外の同級生たちとの距離も詰めようと努めていた。
今は多少親しくなったクラスメイトの一人、ツェリ・シャーラと言葉を交わしている。
灰色の三つ編み髪の彼女はCクラスから落ちてきた身であり、最初は沈んだ雰囲気だった。
だが、何度か挨拶を交わし、彼女が薬草調合を試みる姿を褒めたりしているうちに、ツェリは少し笑顔を見せるようになった。
「最近、雰囲気が柔らかくなりましたね、リーシェさん。最初は近寄りがたかったのですが、お話すると意外と話しやすいです」
ツェリは穏やかで丁寧な口調で告げる。
「私もCクラスからここへ来て、最初は落ち込んでいたけど、あなたが工夫で実技をこなすところを見て、少し元気づけられたんです」
アルドはスラックス姿で腕を組み、微笑みを返す。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい。私もまだ手探りだけどね。一緒に頑張ってみよう」
「はい、努力します。水属性の治癒術も、もう少し使えるようになれば、クラスの役に立てるはずです」
ツェリは嬉しそうに頷き、控えめな口調で言う。
しかし、彼女は今の段階でも小規模な傷なら即座に癒せる実力がある。Cクラスでも十分活躍できる水準だろう。
それなのに、なぜ彼女はDクラスに落とされたのだろうか。
(何か理由があるのだろう。もう少し親しくなったら、それとなく聞いてみるか……)
午後になると、教師が実技試験の告知を行った。
「今日は小テストとして簡単な実技対決を行う。ペアを組んで、精霊術の初歩を試す。結果は評価に反映するから、手を抜くなよ」
Dクラス専用の狭い実習場で行われる即興模擬戦は、単純な術発動や基礎的動作を確認する程度らしい。
生徒たちがざわつく中、名前が呼ばれ、次々と対決のペアが決まっていく。
「……リーシェ・ヴァルディスと、ラウル・ヴェイゼン」
教師が読み上げると、教室が瞬時に静まり、二人が前へ出る。
相手のラウル・ヴェイゼンは茶髪で細身、眼鏡をかけ、どこか理論家然とした落ち着きを漂わせる男子生徒だった。
視線は鋭くないが冷静で、淡々と対象を観察する雰囲気がある。
ラウルは軽く眼鏡を押し上げる。
「君がリーシェ……精霊術が使えなくなったと聞いているけど、最近は何やら成果を出してるようだね」
声は落ち着いたトーンで、情報を整理するかのような口ぶりだ。
「はい、残念ながら今は精霊術が使えませんが、他で補おうと頑張っています」
アルドは軽く笑みを浮かべる。
ラウルは「ふむ」と短く頷く。
「僕は風属性を扱える。戦闘は得意ではないが最低限の精霊術は使える。君がどう対処するか、楽しみだ」
リーシェを侮っているような挑発ではなく、純粋な関心を示す発言に近い。
合図とともに試験が開始された。
ラウルは風術で空気を操作し、軽い突風で足元を乱す。
「ふふ、風でバランス崩せば、自由に動くことすらできないだろう?」
だがアルドは一歩踏み込み、風に逆らわず軌道を利用してラウルへ近づく。
予測を裏切る動きに、ラウルの眉がわずかに上がる。
「へえ、逆らわず受け流すか……なるほど」
彼は次の術式を組もうと手を動かすが、アルドがすでに間合いを詰めてくる。
風術士は距離が命。
「あ、ちょっとまっ……」
間合いを潰されたラウルは、術を完全に詠唱する間もなく、アルドが巧みに足を払うような動きでバランスを崩させる。
「っ!」
ラウルは再度風を集中させようとするが、近接戦に慣れた動きでアルドが腕を軽く押さえこむ。
術発動にはタイミングと安全な距離が必要だが、その余裕を与えられない。
「遠距離手段のない君が不利かと思ったが、こう来るか……」
ラウルは苦笑混じりに、悔しさと感心を滲ませる。
「負けたよ。まさか精霊術なしでここまでやるとは、想定外だ」
教師が「そこまで」と告げ、周囲の生徒が感嘆する。
「すごい、精霊術なしで風術士に勝った!」
「リーシェ、やっぱりただ者じゃない!」
拍手や称賛が教室に広がる。
ラウルは眼鏡を直しながら、静かに言う。
「なるほど、精霊術なしでも、知識と体術で補えばそれなりにやれるというわけだ」
声は冷静だが、僅かに悔しさも混じる。
「いい刺激になったよ、ありがとう」
アルドは礼を言わず微笑するだけで、ラウルもそれを不満なく受け止める。
敵対感情は薄く、むしろ面白い相手を見つけたというニュアンスが漂っていた。
イルマは驚きと尊敬を込めて「すごい……ほんとに精霊術使わずに勝っちゃうなんて」と隣で囁く。
「なんで、学年最強のトライコントラクターという地位を失ったのに、こんな風に強くなろうと努力することができるの?本当に……」
ツェリが近くでつぶやきながら視線を向けてくるが、気づかないふりをした。
周囲の女性陣も「リーシェさん、めっちゃカッコよくない?」「精霊術なしで戦えるなんて思わなかった」と口々に賞賛し、男性陣も素直に感心して「これは俺も勝てないわ⋯⋯」と漏らしていた。