元平民の芋臭聖女、婚約を破棄される。
「お排泄物ですわ!」
可愛らしい少女の叫びが伯爵邸に響いた。
彼女の名前はピルカ。平民出身の聖女である。
このメークイン王国において聖女とは治癒や浄化、豊穣といった魔術に強い適性のある女性のことを意味しているが、平民の中から見出された彼女たちは、教会によって保護される。囲われるといっても良い。
そして教会が勢力を増すために貴族たちと縁づけられるのであった。
これは彼女たちやその家族たちにとっても一概に悪いことであるとは言えない。確かに家族から引き離されて暮らすことにはなるが、家族には平民の年収ほどの額が与えられるし、少女たちにとっても魔術を研鑽する機会、教育を受ける機会などが与えられるのだ。それは農村などでは不可能なことであった。
ピルカもまた親元から離れ魔術と礼儀作法の教育を受け、豊穣の聖女として活躍していたのだ。
ではなぜそんな彼女が暴言を吐いたのか。
それは彼女の前に立つディンキー・スタールビー、スタールビー伯爵家の長男であり継嗣である令息が原因だ。彼は言ったのだ。
「ピルカ、お前との婚約を破棄させて貰おう!」
と。ピルカは酷く驚いた。この男は教会の強く関わる婚姻を破棄してくるのかと。自殺志望者かよ。
「理由を、お聞かせ願えますか?」
だがここではまだ淑女の言葉遣いで我慢できていたのだ。
「君の豊穣の力で我が領土の土地は確かに豊かになったとも。それは感謝しているさ。だが君のような平民と僕が婚約を結ぶのはこの歴史あるスタールビー家としてはどうかと思ったのだよ。わかるだろう、んん?」
「ちっ」
思わず舌打ちが漏れる。話の内容もだが、妙に語尾を上げた発音が彼女を苛つかせた。
ともあれ、驚くと同時に納得もしていたのだ。彼は浮気性である。ピルカがこのあたり一帯の農地を回って豊穣の術を田畑にかけていた時、彼は王都のタウンハウスで女性たちと親交を深めていたという。
「それに僕は真実の愛に目覚めたのさ」
「なんだそれ」
思わず声がぽろりと漏れた。咳払いを一つ。そして改めて言葉を紡ぐ。
「畏まりました。ディンキー様は教会との関係よりそのなんちゃらの愛を選ばれるのですね」
「なあに、問題ない。僕の愛するジョアンナは子爵家出身の聖女なんだ」
ピルカはジョアンナを知っている。面倒な聖女としての修行や務めもサボり碌な魔術も使えないくせに、ちょっと可愛いからって王都の教会でちやほやされていただけの女である。
それが伯爵家に嫁ぐと。自分の婚約者を奪うと。
別にピルカはディンキーに愛を感じたことはない。だがその不条理に思わず叫んだのだった。
「お排泄物ですわ!」
その言葉に対し、ディンキーは顔を顰めてみせた。
「ほらみたことか、平民の聖女め。淑女教育も進んでない!」
だがその時だった。
「お言葉ですがご主人様、教育はしっかりと進んでおります」
すっと背後に控えていた若き執事が前に歩み出て、綺麗な仕草で一礼して言う。
「何がだ!」
「半年前でしたらピルカ嬢はご主人様に対して『クソ野郎!』と仰ったでしょう。3ヶ月前でしたら『クソ野郎ですわ!』と仰ったでしょう。それが『お排泄物ですわ!』と進歩されていること、このコロール感激しております」
「コロール……」
思わぬ援護にピルカは感激した。
コロールはスタールビー家の中でもディンキー付きの執事である。将来の家令としての教育を受けている身でもあった。
そして婚約者を顧みないディンキーに代わり、ピルカをもてなし、仕事を手伝っていたのも彼であった。
だがその言葉は主人の心を動かさなかったようだ。
「排泄物から離れろ!」
「失礼いたしました」
すまし顔でコロールは再び壁際に控える。
「まあいい、芋臭聖女め! 払うものは払ってやろう。とっとと出ていくがいい!」
そう言って彼は金額の記入された小切手を差し出した。婚約の違約金である。
しかしそれは婚約が事情あって解消となった場合に支払われる額である。今回のような一方に明らかに非がある場合の慰謝料にはとうてい不足していた。
だが、彼女はそれに不満を唱えなかった。
正直、この男との婚約期間に二人の間には何も関係性が築かれなかったのだ。裁判沙汰にするのも面倒だった。
「ふん、ケチくさいと言いたいところですが金に貴賎はありませんわ。こいつは孤児院の喜捨箱に叩き込んでおきますわよ」
そう言ってピルカは深く淑女の礼を取った。
「ご機嫌よう。ディンキー様。貴方に不毛の災いあれ」
そして振り返ると、さっさと部屋を後にした。
ディンキーはコロールに問う。
「おい、最後の言葉はどういうことだ。災いあれとは」
「良かったですね。たいした呪いではなくて」
「おい、あの女、俺を呪ったのか!」
激昂するディンキーにコロールは首を傾げた。
「聖女とはある意味で魔術の達人ですよ? 祝福ができるなら呪いもできるに決まっているじゃないですか」
ディンキーの顔が青ざめる。
「まさか不毛とは、この土地を不作に……!」
「いえいえ、それでしたらこの地に不毛の災いあれと言うはずですから。それに仮にも聖女、それも農家出身の方が不作の呪いなどかけますまい」
「じゃあどういうことなんだ!」
コロールは満面の笑みで答えた。
「不毛の災いあれってことですよ」
「ひぃっ! あ、あいつを連れ戻せ!」
「お断りします。私は今この場で一身上の都合で退職いたしますので」
「はぁっ!?」
コロールはスタールビー家の家紋の入ったボタンをジャケットから引きちぎり、バラバラと床に落とす。
「聖女を追い出すような家の執事なんてやってられないということですよ。お世話になりました。では失礼します」
そう言って紳士の礼をとり、部屋を後にする。
「ちょ、ちょっと待て!」
しかしそれには答えはなく、部屋の扉は閉じられたのだった。
…………
ピルカが歩くのは速い。
広大な農地をてくてく歩きながら魔術で祝福をかけていくのである。そこらの令嬢とは別格の健脚であった。
「ピルカ様!」
ゆえに後を追ったコロールが彼女に追いついたのは伯爵家の敷地を出てからであった。
「あら、コロール」
ピルカが振り返る。
「私の元主人が申し訳ありません」
彼は頭を下げ、ピルカは笑った。
「なに、伯爵家の執事、やめてきちゃったの?」
「ええ、泥舟に乗り続ける気もないので」
「あなたも言うようになったわねえ」
コロールはピルカや農村の平民たちと共に仕事をしていたのだ。口調が多少荒くなるのも仕方ないことと言えよう。
「ピルカ様の薫陶のたまものです。ピルカ様はどうなさるおつもりですか? 教会に戻られます?」
ピルカが思いっきり顔を顰めた。
「教会はさー。私から尻軽ジョアンナへの婚約の変更を認めたってことよね」
「そういうことになりますね」
「それって割とお排泄物じゃない? もちろん報告には一度戻らなきゃだけど、そこにまた居つく気にもなれないかなあって」
コロールは彼女の前に膝をついた。
「それでしたら、私は貴女と共にいさせてはいただけないでしょうか」
「私についてくるの?」
「はい、男爵家の出身である自分では分不相応ですが……」
執事は基本的に平民が就けるような職業ではない。教育がいるからだ。貴族の次男以降が就くことの多い職業であり、コロールの出自もまた男爵家の三男であった。
ピルカは気にしていないと言うように彼の肩をぱんと叩く。
「いいわよ。爵位なんて。わたしの魔術とあなたの領地経営の知識があれば、開拓地の一つや二つなんとかなるわ」
ピルカは長い髪を弄りだした。
「ピルカ様?」
竹を割ったような性格のピルカだ。それが言い淀むのは珍しいことだった。
「……そ、そういうことよりもっと大事なことがあるんじゃないかしら?」
コロールは手を差し出して彼女の手をとり言った。
「お慕いしております、ピルカ様」
「……んっ」
何かを飲み込んだようにピルカの喉が鳴った。コロールは続ける。
「民のために畑の中で膝をつき、汚れるのも厭わずに一生懸命に祝福をなさる貴女の横顔からいつか目が離せなくなっていました。貴女と共に人生を歩ませてください」
「そっ、そうね!」
「ピルカ様、貴女は如何でしょうか」
ピルカの頬が紅に染まる。
「い、いいと思うわ。……そう! つっ、月が綺麗ね!」
それはメークイン王国の文学で、貴族の間では有名な『愛している』を意味する言葉であった。ピルカもまた淑女教育の中で覚えたのだろう。
コロールは笑みを浮かべて言った。
「ええ、綺麗な月ですね。今はお昼ですが」
本日は二人を祝福するような雲ひとつない晴天であった。
…………
それから3年の月日がたった。
ディンキーの父、つまりスタールビー伯爵が引退し、ディンキーがその爵位を継ぐ日がきた。
今日はこれより王城にて授爵の儀である。
ディンキーは妻であるジョアンナを連れ、意気揚々と謁見の間へと向かった。だがその機嫌の良さは広間に入るまでであった。
「あら、スタールビー伯爵ではありませんか」
会場にピルカがいたからだ。彼女の隣にはコロールの姿がある。
ディンキーも話には聞いていた。彼らが北方の荒地を開拓し、その功績を以て授爵すると。
まさか自分と同じ時になるとは思っていなかったが……。
「ふん、芋臭い聖女が王城に上がるとは……」
この二人が婚約を解消したことは貴族たちの間で有名である。会場の者たちは聞き耳を立てようとした。
だが嫌味の応酬が始まることはなかった。国王陛下が入場したからである。誰もが頭を下げ、王が玉座へと座る。そして式典が始まった。
ディンキーが壇上の王に向けて紳士の礼をとる。腰を折り、頭を下げた。
「メークイン王国の太陽、トヨシロ王にご挨拶申し上げま……」
そこに横から伸びてきた手があった。
「おっと手が滑りましたわ! ごめん遊ばせ」
ピルカである。彼女はディンキーの頭に手をやり、その髪を引いたのだ。それはずるりと滑り落ちた。そう、ディンキーの髪は鬘であったのである。そこには見事な不毛の地が広がっていた。
「ぶふぅ」
目の前でそれを見た王が思わず吹き出した。謁見の間の役人や貴族たちは何かを飲み込んだかのような表情で笑うのを堪えている。
「妻が失礼しました」
コロールが歩みでて鬘を拾い、それを持ったまま元の位置に戻る。
怒りのせいかぱくぱくと口を開け言葉も出ないディンキーに王が言葉をかける。
「うむ、スタールビー伯、王国のために励……ぶふっ……励めよ」
「……はっ」
そう言ったディンキーはぷるぷるとその身を震わせていた。
次いでピルカが前に出る。
「メークイン王国の太陽、トヨシロ王にご挨拶申し上げます」
そこでピルカは隣のディンキーの禿頭に視線をやった。
「おや、こんなところにも立派な太陽が」
「ぶふっ」
陛下と、その隣にいた宰相も吹き出した。
「あー……汝らはメークイン王国北部荒地を開拓するという難行を成した。それを賞して子爵位を授爵する」
「はい、不毛の地を歩き回る日々でした……」
ピルカは再びディンキーに振り返って、わざとらしく驚いたような表情を浮かべる。
「まあ、こんなところにも不毛の地が!」
会場の貴族たちは耐えきれずに笑い出し、儀式は中座した。
聖女ピルカはその日一日、満面の笑みを浮かべていたという。
芋臭聖女って言ってるけど登場人物全部イモ。
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