不登校への対策について、まとめて語ってやる!
不登校対策。この言葉には不登校は悪い事と無意識に思わせる【呪い】が込められている。
言わば【言霊】だ。
非現実的のように思われるが、言葉はそれ自体が思考に直結している。
強ち間違いではない。
では、その呪いを解くにはどうしたら良いか?
簡単のようで難しい。
結論!
【小学校卒業程度認定試験】を作れば良い!
そうすれば、学校から素行不良の問題児と、モンスターペアレントを追い出す事は可能だ。
塾だけ通わせたい親もいるだろう。
我が子の教育に、学校を頼りたくない親もいるだろう。
誰でもホームスクールが開ける。
不登校と言う言葉自体が意味を成さなくなる。
もし、我が子を小学校に通わせず、認定試験も受けさせない親には、罰則を課せばよい。
義務教育を放棄した罰則は【親権】の停止。
そもそも【中学校卒業程度認定試験】と【高校卒業程度認定試験】があるのだから。
【小学校卒業程度認定試験】があっても良いだろう。
『学力格差が拡がるからダメだ!』
と、言う者もいるが…もうとっくに拡がっている!
塾に通っている者と、そうで無い者とでドンドン拡がっている。
勉強の出来る者は、上記の認定試験による【飛び級】で、ドンドンうえへ上げてしまえ!
既存の学校は学力底辺層のセーフティーに徹し、目的を学力底上げに絞らせる。
社会学者〘P・F・ドラッカー〙の云う。
【選択と集中】を行う。
そうすれば、現場の教師の負担も、幾分は減らせるだろう。
閑話休題。
ここまで書いても、既存の学校に通わせる論調が、後を絶たない。
学校の環境が悪いと分かっていても、慣習には逆らうのは勇気がいる。
『日本は学歴社会と言っても最終学歴しか見ない』
『小中高に通ってなくても、気になるなら、その時になって大学なり専門学校なり通えばよいのだから』
いくら言っても、表向きは正しい……だけ。
多様性は大事だが、世間が求めているのは同質性。
私事だが、ある集りで言われた事がある。
『男性なのに…最終学歴が短大卒なんだ!?』
男性で短大を出ている者は意外と多い。
しかし、卒業後、4年制大学へ進学する者が殆どだ。
それは3回生に編入するカタチで行われる。
私も望めば近畿大学・法学部(通信制)に、3回生から入学できたが……諸事情から諦めた。
男性の短大卒は珍しいから、世間からの奇異な目で、見られる事もある。
覚悟はしていたが……。
おそらく…同じ男性で、短大卒の人を見つけると、嬉しくなってしまう自分が想像できる。
多様性が大事と理性が求めても……。
結局、本能的には同質性を求めてしまう。
世間も同じだ。
『類は友を呼ぶ』
本能に身を任せた方がラク…。
でも、それでは収まりの着かなくなる事もある。
結局、不登校対策は対策する側(役所側・学校側)としたら、対策しない方が楽なのだ。
遅々として進まないのは、そのためだろう。
だから【小学校卒業認定試験】を作って、子どもの逃げ道とするのは、対策する側にも、ある意味プレッシャーになるだろう。
語っているうちに芸術家・岡本太郎の言葉を思い出した。
『調和とは突き破る力だ』
調和は1970年に開催された、大阪万博の主要なテーマだった。
披露された【太陽の塔】は調和を表している。
天高く突き破る力。
異なるモノが調和する姿。
多様性と同質性が成立する、教育の在り方のヒントなのかもしれない。