メイドに勝てない「無能王子」が実は人類最強だった話
――大国、ミリタリア王国。
この国は何よりも「武」を尊ぶ。
それが剣であれ、槍であれ、弓であれ、魔法であれ。家族を、友人を、恋人を、戦友を守るための「武」を身に着けなさいと子供の頃から教えられる。
そこにはミリタリア王国の地理的要因もある。
東西南北、周囲を大国小国に囲まれており、その中には敵対国家も複数存在する。
それに加えて、国内各地には魔物が湧き出るダンジョンもあり、常にスタンピードの危険性がつきまとう。
ゆえに、国家を統治する国王、また王族に何が求められるか、は言うまでもないだろう。
ミリタリア王国第三王子、カイル。
現国王レオと側妃リズベットの長男である。
カイルが誕生した時には誰もが祝福した。なぜなら、レオは「剣豪王」であり、リズベットも隣国の友好国、スペルファイ魔導国の元王女という文句のつけようもない血統だからだ。
しかし、現在、13才となったカイルの評価は地の底にあった。
曰く、騎士ではなくメイドと剣の訓練をしている。
曰く、そのメイドにボロボロに負ける。
曰く、ペットの子狐、コウモリ、小妖精、スライムにもボロボロに負ける。
よって、カイルは「武」がない「無能王子」と周囲に蔑まれている。
◇◆◇◆◇◆
とある日のミリタリア王国王都。
広大な王城の端には森林浴ができる森があるが、その一部が「人払いの結界」によって隔離されている。
結界は近年、新たに作られたもので、許可のない者の立ち入りが禁止されていた。
それはその中で行われているだろう「恥」を他者に見せないため国王が指示したものと噂されている。
その「恥」とは何か?
「無能王子」カイルと彼の専属メイドの剣の訓練であった。
「今日こそは、絶対、勝つ!」
木刀を持った少年、カイルが気合十分に声を上げる。
「ふふ、どこからでも、どうぞ?」
対するメイドは優美に佇むだけで木刀を構えすらしていない。
彼女の名前はイリアと言う。
イリアは美しかった。いや、美しすぎた。
白金のたなびく髪も、磨かれた黒曜石のごとき瞳も、メイド服に包まれた抜群のプロポーションも。
だが、そんな人知を超えた「美」もカイルにとってはどうでもよかった。
たかがメイドごときに余裕綽々な態度をされるという自分の「武」のなさ加減への苛立ちが、王子らしくない舌打ちに表れる。
「チッ――いくぞっ!」
瞬き一つ二つの僅かな間。
その一瞬だけで十数メートルはあった距離がゼロになる。
カイルは最初の一撃でねじ伏せてやるとばかりに全力で剣を振るう。
だが、イリアに楽々と片手で受け止められる。
両者の剣は拮抗することなく、カイルが押し負けて、カイルの体が浮き上がる。
空中で無防備状態のカイルに対し、イリアはスカートを優美に広げながら回し蹴りを放つ。
「ぐがっ」
それはカイルの側頭部にクリーンヒットした。
カイルは吹っ飛びながらも、何とか姿勢を立て直して着地する。
イリアは彼の様子を見て小首をかしげた。
「おや?切れてしまいましたか?カイル様は相変わらず脆いですね」
カイルの頭から血が流れていた。
カイルもそのぬるっとしたものを感じたが、服の袖で拭ってすぐに戦線復帰しようとした。
その機先を制するように、イリアが指をふると、カイルの額が温かな光で包まれる。
傷が修復され、血さえも分解されて綺麗になる。
イリアの回復魔法だ。
カイルも同じ回復魔法を使えるが、患部の特定や治すイメージの固定で集中力がいるため、イリアのように戦闘の片手間にはできない。
回復魔法一つでも、たかがメイドに劣ることを見せつけられカイルは悔しげに唇を噛む。
「情けをかけたつもりか……っ」
「いえ、別に?ただ、カイル様の可愛らしいお顔に傷が残るのはメイドとして失格なだけです」
「男に可愛らしい、なんて言うなっ!」
カイルの年齢は13才である。
この国では13才というのは周囲に大人として見られる年頃だ。
例えば、ダンジョンの探索を生業とする者たちの組織「冒険者ギルド」の加入条件は13才以上である。
ゆえに、カイルにとって「可愛らしい」は侮辱と言えた。
その鬱憤を晴らすため、カイルはイリアをたたっ斬るつもりで突貫する。
だが――、
「フェイントが甘いです。そんなのゴブリンでも引っかかりませんよ?」「がはっ」
「剣の振りは大分よくなりましたね。まだゴブリンレベルですが」
「ぐはっ」
「それでゴブリンに勝てると思っているのですか?ゴブリンに謝ってください」
「ごはっ」
何度も吹っ飛ばされながら、いちいち最弱の魔物の一角であるゴブリンと比較され、最後にはカイルの体とメンタルはボロボロになって地面に大の字になった。
一方、イリアはと言えば、メイド服にシワの一つさえない。
イリアはカイルのそばにやって来ると、レジャーシートを敷き、そこにカイルをのっけて、ついでとばかりに彼の頭を自分の膝上にのせて膝枕した。
「カイル様、はい、お水です」
「俺に構うな。ほっといてくれ」
「すねるカイル様も可愛いです。汗、タオルでお拭きしますね」
「くそ……っ」
イリアの手をすぐにでもはねのけたいが、体力が尽き果てており、指一本も満足に動かせない。
カイルが負けた相手に世話されるという屈辱に耐えていると、ひと通り汗を拭き終えたイリアが立ち上がった。カイルがほっと息をついたのも束の間、イリアはカイルの体をひょいと抱きかかえた。
お姫様抱っこである。
「何をするんだ!離せ!」
「このままではお風邪を引いてしまいます。今日は少し冷えますからね」
「どこがだ!太陽が燦々と輝いているじゃないか!って、おい!どこに連れて行く!」
「お風呂に決まってますよね?」
「風呂くらい一人で入れる!」
「最近のカイル様はそうおっしゃって私に手伝いをさせてくれませんが、ゴブリンにも勝てないカイル様など、まだまだ子供。子供がお風呂に一人で入ると溺れますよ?」
「溺れんわ!」
「ふふ、お体を隅から隅まで洗って差し上げますからね♪」
「あぁーっ、離せーっ」
カイルがじたばたと抵抗するが、イリアにがっちりホールドされる。
カイルとイリアの素の身体能力に然程の開きはないが、両者ともに身体強化魔法を使っており、その練度が歴然の差となって現れていた。
王族が日常生活をする離宮まで行く間、カイルはイリアにお姫様抱っこされていた。
ここは王城であるから道中には当然、城務めの者たちが大勢いる。
平然とするイリアと、頬を一筋の涙で濡らすカイル。
二人を見た彼らは「メイドにボロボロに負ける無能王子」ということを再認識する。
だが、結果ではなくその過程を見ていたら――。
このイリアという人外の「美」を持つ存在が「武」においてもただのメイドではないと分かったはずであり、そしてそれを相手にするカイルの戦闘能力が尋常でないと理解できただろう。
ただ今はそれを知らない者が圧倒的多数だった。
カイル自身も含めて。
◇◆◇◆◇◆
この日、カイルは王城の廊下を歩いていた。
カイルにしてみれば自分が「無能王子」と蔑まれていることは分かっているため、あまり行政機関で人の出入りが多い城の方には近づきたくないが、今日は城の大図書館に用があるので仕方がない。
地下の書物は持ち出し厳禁なのをカイルは常々、不満に思っている。
父親で国王のレオに訴えてみたものの、一考の余地すらしてもらえず却下された。その時のレオの引きつった顔を残念ながらカイルは見ていなかった。
カイルは知らないが、大図書館の地下に封じられているのは「禁書」である。
表紙を見ただけで目眩や吐き気に襲われ、1ページでも読もうとすると、精神が崩壊する代物ばかりだ。
持ち出しなんて考える事自体、とんでもなかった。
カイルの認識のズレは、たかがメイドのイリアが普通に読んでいるためだ。
それに加えて、彼のペットの存在もある。
四匹のペットもそれらを読み、適宜分からない所を教えてくれるのだ。
このことについて、カイルがペットにも劣る知識量のなさ加減に不甲斐なく思い、歯ぎしりしているのは言うまでもない。
そんなわけで、カイルは今、粛々と後ろを付き従うメイドのイリアに加えて、ペットを四匹つれてい歩いてる。
子狐とコウモリと小妖精とスライムだ。
それらは魔物として弱い部類のもので、ペットとして使役する者も多い。
その点で言えば、カイルに落ち度はないが――王族ならばワイバーンやキマイラなど上級の魔物をペットにするのが相応しいという先入観はあるが――、彼の使役の仕方に問題があった。
ミリタリア王国は「武」を尊ぶ国ゆえ、魔物の使役法も「武」でもって抑えつける方法をとる。
だが、カイルの今の状況を見てみれば――小狐は彼の服から顔を出し、コウモリは彼の首に噛みつき、小妖精は彼の周りを飛び回り、最弱の代名詞、スライムに至っては彼の頭の上でふんぞり返っている。
どう見ても「武」で抑えつけているようには見えない。
これらの様が「ペットにもボロボロに負ける無能王子」という蔑みに繋がっている。
よって、二人と四匹を見る周囲の目は厳しい。
一部、人外の「美」を持つイリアに熱烈な視線を向けている者もいるが。
対して、渦中の彼らは特に気にすることなくお喋りに興じていた。
頭の中で念話であるが。
『カイ坊の中、温かいのじゃ~、匂いも最高なのじゃ~』
『おい、そこの発情狐。カイル様から距離を取れ。銀河の果てまで距離を取れ』
『ん?ん?イリアよ、羨ましいのか?カイ坊とベッドで一緒に眠る妾が羨ましいのか?』
『そんなこと言ってないし、ベッドは貴様が勝手に潜り込んでいるだけだろうが』
『あ~、カイルの血、美味しいですわ~。太ってしまいますわ~』
『だったら飲むな、発情コウモリ。それか太って地獄に堕ちろ』
『あら?冗談ですわ。わたくし、生まれてこの方、太ったことがありませんもの。イリアさんと違って』
『それは戦争か?戦争がお望みってことでいいな?』
『そんなことより、イリアちゃーん、なんでタニアがあげた蜜をカイルさんのお食事に使ってくれないんですかー』
『発情妖精、貴様の蜜はどこで採れた蜜だ?言え』
『あー、イリアちゃん、デリカシーがないですねー。そんなの聞かなくても分かってるくせにー』
『それが答えだ。カイル様に変な物を食べさせるな』
『……イリア、そんなにカッカしないで。君が一番の年長者だからみんな、少し言い過ぎてしまうんだ』
『むぅ、すまない。シアン、貴様に諭されるとはな』
『……怒ったら小ジワが増えるよ?ボクのツルツルボディを見習うといい』
『殺すぞ、発情粘液?』
『なあ、喋るのはいいんだが、いい加減、俺から降りてくれないか』
『『『カイルが試合で勝てたらね』』』
『くそ……っ!いつか絶対、お前らのことを負かしてやるからなっ!』
悔しさに打ち震えるカイルの様子から「武」でこの四匹のペットに勝てないのは本当のようである。
ただ、彼らはイリアと同じく見た目通りの存在ではない。
なぜなら、一般的に意思を持ち人語を喋る魔物など高位の魔物でしかないから。例えば、超級のドラゴンがそうである。
つまり、小狐、コウモリ、小妖精、スライムは一見無害そうに見えるが、それらはドラゴンと同等以上の魔物であり、なおかつ、国の中枢である王城を闊歩していることになる。
その事実に気づいている者はほとんどいない。
カイル自身も含めて。
◇◆◇◆◇◆
また別の日のこと。
朝食後、剣の訓練のため、カイルとイリアが離宮を出ようとした時のことだ。
今日こそは勝ってみせると意気込むカイルの前に人影が立ち塞がる。
ミリタリア王国第一王子、ジークであった。
ジークは国王レオと正妃イザベラの長男で19才になる。容姿に優れており、また学生時代は学園主催の武闘大会で優勝するなど、次期国王としての「武」を兼ね備えていると周囲に高い評価を受けていた。
つまり、カイルとは真逆の人物。
そのせいか、二人はあまり話すことはない。
かと言って確執があるわけでもないが。
この時も無難に挨拶を交わしたのだが、その後もジークがどかないので、カイルが訝しんでいると、
「その、なんだ……」
「どうかしたか、ジーク兄上」
「いや、剣を練習しているようだな?」
「ああ、それが?」
「そこのイリアというメイドに習っていると聞く」
「ぐっ……」
カイルにしてみれば、騎士に教えてもらえない自分の「武」のなさ加減を詰られた気分だった。
だが、ジークにそんな意図はない。
ジークはイリアの方をちらちらと見ながら、
「今日の午前中、時間があるんだが、試合をやらないか?」
「試合?俺とジーク兄上で?」
「そうだ。カイルがどんなふうに戦うか興味があるんだ」
「はあ。まあ、いいけど」
「イリアも見に来るといい。俺の剣技を君に捧げようじゃないか」
ジークはイリアにキメ顔でそう言った。
爽やかさと力強さが同居する甘いマスクに学生時代はファンクラブが出来た程である。
ちなみに、「武」が尊ばれるミリタリア王国で自分の「武」を異性に捧げるというのは古典的な口説き文句の一つだ。
当然、イリアは知っていたが、平然と受け流す。
そもそもイリアはミリタリア王国の出身ではないのだが。
彼女の反応は予想外だったのだろう、ジークは頬を引きつらせたが、それでもめげずに気合を入れ直すと、兵舎の方へ歩いていった。
一方のカイルはというと、話の流れから自分が恋の鞘当てに使われていると分かり、やる気が急転直下した。
「はーっ、わざわざ俺を巻き込むなよ。そんなことをしなくても、ジーク兄上が飯に誘えばデートくらい行くだろ。なあ?」
「は?行きませんが?」
「……俺、時々、お前に連れられて飯食いに行くんだが?城を抜けさせられるんだが?」
「それはカイル様だからで……もうっ、カイル様のバカ……っ」
イリアはすたすたとジークの後を追っていった。
「あいつ、メイドのくせに、王子の俺にバカと言いやがった」
『いや、今のはカイ坊が悪いじゃろ。のぅ?』
『ですわね。さすがに同情してしまいますわ』
『カイルさんはもっと女心を知るべきですねー。タニアの扱いも雑な時がありますしー』
『……さて、ゴブリンに女心を教えるのとどっちが難しいかな』
「お前ら、どっから湧いてきやがった」
カイルの周りを子狐、コウモリ、小妖精、スライムが纏わりつく。
いつもはイリアとの剣の訓練には同行しないが、どうやら今回は興味があるあるらしく、早く追いかけろとカイルを促してくる。
カイルが渋々、四匹をのせて前二人に付いて行く。
『真面目な話なんじゃが、カイ坊が戦って大丈夫かのぅ?』
『あ~、ヘタしなくても死にますわね~。一瞬で』
『欠片があればいいですけどー、欠片さえあればタニアが元に戻せますしー』
『……欠片さえ残らない可能性が微レ存?』
『お前ら、散々な言いようだな!俺だって欠片くらい残るわ!』
『『『……』』』
『……え?残るよな?本気でやれば、俺の肉片残るよな?』
『カイ坊の認識がこれではのぅ。何気にカイ坊って妾たち以外と試合するの初めてじゃしなぁ』
『ん~、これは最初から本気で行くべきですわね。逆に』
『なるほどー、お相手の王子がそれなりなら、それがいいですかねー』
『……消滅してしまったら、その時はその時』
四匹のペットの不穏な会話を聞いて、カイルは段々、不安になってきた。
常々、たかがメイドのイリアにゴブリン以下の剣技とダメ出しされるのだ。次期国王のジークとは雲泥の差があるだろう。
だが、一度試合を受けたらからには逃げる選択肢はない。そこは「武」を尊ぶ大国の王子としての矜持があった。
ペットたちのアドバイス通り、最初から本気で挑もうと考えている。
――四匹とカイルでは認識に食い違いがあるようだが。
『それとじゃ、カイ坊、イリアの機嫌はちゃんと取るのじゃぞ?』
『え、嫌だよ、面倒くさい』
『おぬしっ!イリアがヘソを曲げたら誰がご飯を作るのじゃ!』
『それは……大問題だな』
カイルの食事はすべてイリアの手料理だ。
国王の指示で建てられたイリア専用の調理室で作られている。
カイルだけが違うメニューなのは「無能王子」に高級食材は分不相応であるから、という理由だと周囲には思われているが、イリアがカイルのために用意した食品をひと目見て、国王は胃をさすりながら調理室の建設を決めたと言う。余人の目に晒さないために。
『わたくしはカイルの血があれば事足りますわ~』
『タニアは大気中のマナがお食事ですねー』
『……ボクは食いだめがあるから三年は平気かな。ぶい』
『なんじゃっ!この中で食事がいるのは妾だけか!カイ坊、頼むのじゃ!断食は嫌なのじゃ!』
『んなこと言ったって、一体どうすれば……』
ぺしぺしと子狐に叩かれ困り果てたカイルに四匹のペットは策を伝授する。それを聞いたカイルは顔をしかめたが、そもそもそれでイリアの機嫌が直るとは思えなかったが、やること自体には同意した。
◇◆◇◆◇◆
カイルが兵舎に到着すると、訓練場周辺には大勢の観客がいた。
騎士だけでなく、一般兵やメイド、王城にいた貴族の姿もある。
どうやら今回の試合が耳ざとい者からあっという間に広がったらしかった。
対戦相手のジークはというと、すでにその中心で堂々と待ち構えている。
カイルはそれを横目で見ながら、人外の「美」によって周囲を寄せつけず、ぽっかり空白地帯となっている場所へ向かう。
そこにはカイルの専属メイド、イリアがいた。
「イリア」
カイルが呼びかけてもイリアはそっぽを向いて目を合わせない。
「つーん。カイル様なんて知りません」
子供っぽい態度をとる彼女に対し、カイルは構うことなく距離を詰める。
いつにない真剣な眼差しと積極的な行動。
イリアは明らかに動揺し、ゆえに、カイルが背後に発動した土魔法に気づくのが遅れた。
「……え?壁?」
驚く隙にイリアを壁に追い詰めたカイルは彼女の顔すぐ横に手をついて、もう一方の手で彼女の顎を掴んで強引にこちらへ向かせる。
いわゆる、「壁ドン」だ。
13才という若さのため少々背が足りないが、雰囲気は出ていた。
ちなみに、「武」を尊ぶミリタリア王国において「壁ドン」は強い男性像を求めるミリタリア女子に圧倒的な指示を受けており、それはミリタリア女子ではないもののそういう読み物が好きなイリアにも少なからず影響を与えていた。
よって、好意を寄せる男に「壁ドン」されたイリアは――、
「こっちを見ろよ、イリア」
「んっ……」
「今から俺の剣技をお前に捧げてやる。見逃すんじゃねえぞ」
「ふぁい……」
一発でメス顔となった。
その様子を四匹のペットたちが近くで見守っていた。
『チョロいのぅ、チョロいのぅ』
『さすがはイリアさん。万年、拗らせ処女なだけありますわ~』
『カイルさーん、後でタニアにもやってくださーい』
『……ボクは食べられるより食べる方が好きかな』
カイルはぼんやり惚けるイリアを開放し、好き勝手に言っているペットたちを睨みつけながら、律儀に待ってくれていたジークの方へ歩いていく。慣れないことしたせいで腕に鳥肌がすごい。さすりながら愚痴る。
「ったく、食事のためとはいえ、なんで俺があんな臭いセリフを……」
「見せつけてくれるじゃないか、カイル」
戦意をみなぎらせるジークに、カイルは苦笑を返す。
「俺も命がかかっているからな」
「そうか、イリアのことが命より大事というわけだな」
「まったく違うが?」
「それはそうと、先程の土魔法、基礎とはいえ、発動までがスムーズだった。日頃、努力しているのが分かる」
「褒めているのか?ありがとう、と言っておく」
「さて――後は剣でお互いに語ろうじゃないかっ!」
ジークが剣を構えたのを見て、カイルも剣を構え――、
「ああ!最初から全力で行かせてもらうっ!」
自身の内に眠る圧倒的な魔力と覇気をジークに叩きつけた。
精密にコントロールされたそれらを全てぶつけられたジークは、一瞬で顔を青くし、冷や汗をだらだらと流し始める。
そして――おもむろに剣を下に降ろした。
カイルが怪訝な顔をしていると、
「俺の負けだ、カイル」
「あぁ?何言ってんだ?」
「ここまでとは思わなかった。試合が成り立ってない」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!このままじゃ終われない!せめて一太刀でいい!お願いだ!」
ジークはゆるゆると首を振り、剣を構えることは二度となかった。
「認めるよ。イリアにはカイルこそが相応しい」
カイルは愕然とした。
自分の実力がゴブリン以下なのは分かっていたが、戦ってさえもらえないなんて、と。
うなだれて膝をつくカイルに、近づく人影。
イリアだと分かったが、カイルはあまりの恥ずかしさに顔を見ることができなかった。
「笑え!あんなセリフを吐いておきながら、俺は剣すら振らせてもらえなかった!」
「いえ、素晴らしい立ち会いでした。カイル様に惚れ直しました」
イリアは少し赤らんだ顔でそう言うと、カイルの頬に口づけした。
だが、たかがメイドの言葉ごとき、カイルは受け入れることは出来ない。まるで子供をあやすように慰められていると感じて悔しさに打ち震える。
「くそ……っ!いつか、絶対に、強くなってみせる……っ!」
カイルは地面を掴んで決意を新たにした。
今、この時この場で、カイルの実力を正しく認識できていたのは、イリアと四匹のペットを除けば、ジーク一人だけだった。それ程までにカイルの魔力と覇気は完璧にコントロールされていたので、観客が感知できなかったのは無理はない。
結局、試合結果はカイルの不戦勝。
この肩透かしの結果は二人の評価の明暗をさらに分けた。
ジークは弱者をいたぶらず自ら負けを認めた真の「武」を持つ「次期国王」として――。
そして、カイルは試合する価値さえない「武」のない「無能王子」として――。
さらに、そこにメイドに手を出す女癖の悪さも加わったのは余談である。
◇◆◇◆◇◆
その日の夕方。
夕日で赤く染まった王城の執務室。
黒檀色の仕事机越しに向き合う二人の姿があった。
国王レオと第一王子ジークだった。
「カイルと試合したらしいな」
「ええ。父上から少し話を聞いてましたが、到底信じられませんでした。でも、今なら理解できます。カイルはミリタリア王国、いえ、この世界における圧倒的強者だ。父上、カイルは何者なんですか?」
「カイルが何者か……カイルと言うより、全ての原因はあのメイドだ」
「メイド?とはイリアですか?」
「そうだ。お前、あれに懸想してカイルに仕掛けたそうだな?」
「あはは……」
ジークは照れ笑いするが、対象的にレオは真剣な表情を崩さない。
「あれに不用意に近づくな。近づく時は細心の注意を払え」
「……それは一体、なぜです?」
「あれは『天魔』だ」
「は……?」
ジークはその言葉の意味をたっぷり時間をかけて飲み込んで、
「『天魔』というのは……あの五大災害の?」
「ああ。五大災害の最初の一つにして、災害級の魔物だ」
「……」
「そして、カイルが使役しているペットと見られているあれらは、残りの五大災害――つまり、『九尾』、『不死王』、『世界樹』、『悪食』だ」
「まさか……いえ、父上がこんな冗談を言うとは思えませんから、真実なのでしょうが……」
ミリタリア王国を始めとしてこの世界の各地にはダンジョンがある。
ダンジョンでは魔物が湧き出ており、時おり、その魔物がダンジョンから外へ出て大群となって村や街を襲う現象――スタンピードが起きる。
数あるスタンピードの中でも国が滅んだものがある。
1000年前からおよそ200年周期で起きるそれらを総称して五大災害と言う。
五大災害は一体の超級を超える災害級の魔物が中心となった。
――影をも滅する光の雨を降らせた「天魔」
――人々を狂わせ老若男女を同士討ちさせた「九尾」
――万の亡者を黄泉から呼び起こした「不死王」
――マナを吸い尽くし森を砂漠に変えた「世界樹」
――生物非生物、時空さえも喰らった「悪食」
五大災害は唐突に始まり、唐突に終わった。人類に対抗する術はなく、祈るしかなかった。決して勝利できる存在ではない。ゆえに、災害級。
「五大災害が一体なぜ、カイルの周りに……」
「あれらが来たのはカイルが7才の誕生日を迎えた日だ。突然、俺の前に現れてカイルの身柄を要求した」
「なっ!つまり、父上はその要求通りカイルを渡したと?それではまるで生贄じゃないですか!」
「生贄か。確かにそうかもしれないが、そのおかげでカイルは余人に並ぶことのない『武』を手にした。俺のあの時の判断は間違ってなかったと思う」
「それは……」
ジークは釈然としないが、カイルの桁外れの実力の片鱗を垣間見た身としては頷かざるを得ない。「武」を尊ぶミリタリア王国の国民であれば、カイルを羨むだろう。魔物とはいえ、強大な「武」を授けられたのだから。
「五大災害はカイルを育ててどうするつもりなんでしょう」
「殺して欲しいそうだ」
「殺して?誰を?」
「自分自身をだ。五大災害は唐突に始まり、唐突に終わったが、その間、彼らは意識を乗っ取られていたそうだ。気づいた時にはすべてが終わったと言っている。一度、乗っ取られたならば、もう一度、乗っ取られない理由はない。もしそうなった場合、カイルに殺して欲しいそうだ。己が愛した男に――」
ジークは押し黙った。
カイルが知らず背負わされた運命に何も言えなかった。
ため息をついて、重い口を開く。
「これから我が国はどうなるのでしょう」
「さてな。もうそろそろ200年の周期になる。どこかで新たな災害級が生まれるのか、それとも――。いずれにせよ、カイルがそれに関わることになるのは間違いないだろう」
レオはそう言うと窓に近づく。
夕日に沈む城下町、そしてその先を静かに見据えるのだった。(Fin)