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見えない男



 電車の中で一人の男がまどろんでいる。年は大学生くらいで、切るのを面倒くさがったのか長い髪をまとめている。

 ショルダーバッグを脇に置き、授業内容の書かれたノートを膝の上に広げている。右手にはシャープペンシルがある。指に引っ掛かっていたそれが床に落ちて、乾いた音を響かせる。

 ゆっくりと目を開ける。ペンを拾うと窓の外へ視線を移し、夢うつつというようにしばし固まる。

 二両編成の列車は暗闇の中を無音のまま、進んでいるのか止まっているのかもわからない状態にある。


「やばっ」


 短くつぶやくと男は立ち上がり、運転席へ声をかける。






「すみませーん」

「えっ、まだ乗ってらしたんですか」


 運転手は驚いた様子で缶の食料を口から離した。男の鼻におでんの匂いが届き、空腹をおもいださせる。


「えっ、わと、ごめんなさい。休憩中……?」

「他に走る車両もないので」


 光源ひとつ無い場所を、無音で走る車両。それを手放しで運転手はおでんの出し汁をすすっている。

 違和感を覚えながらも、男はつづける。


「もしかして、あの、車庫行きですか」

「次が終点ですよ」


 運転手はふと不安げな調子でぽつりと付け加えた。


「多分、ですが」


 慣性が作用するのを感じとり、男は車両が停まったことを知った。ドアの前、ガラスの向こうへ目を凝らしながら立っている。

 運転手の気が抜けるような声が聞こえてきた。


「終点です」


 ドアが開いた時、その空間へ吸い込まれそうになり男は思わずのけぞった。


「うわっ!?」


 そこに足場はなく、ただただどこまでも続く宇宙空間のような深遠の闇が広がっていた。


「え、嘘。なんだこれ?」

「何も見えませんか」


 よろめきながもドア縁に手をかけ、覗いていると肩を引っ張られた。いつの間にか背後にいた運転手は無表情に闇を見つめている。


「あっ、ありがとうございます」

「珍しいですね。皆さん何かしら見えるものなんですが」


 男は事態の異常さを受け入れ、運転手にひとつの疑問を投げ掛けた。


「ここ、何処なんですか」






 運転手はきょろきょろと、ドアの外に広がる闇を観察している。


「さあ、この状態ではなんとも言えませんね。危ないので下がってて。本当になにも見えないんですか?」

「あの、さっきから何を」

「そういえば説明していなかった。この電車、本来は死んだ人しか乗せないんです」


 間。


「あ、そういう設定の夢オチ」

「そう思いたいならいいですけど。でしたら夢の世界観として聴いてくださいね」


 運転手はそう言ってこちらへ向き直った。ドアが閉まる。


「どうやら見る人によってこの辺は変化するようです。本質は同じでも下車のルールに多少の差が出るようですね」


 ある人には川の上に見えたり、ある人は何かに引きずり出されたり。

 本人のイメージによってその通りに霊体が動いていくのだから奇妙な事だと彼は言う。もちろん運転手自身の視界も干渉するらしいのだが、それは微々たるものだという。


「死後といっても人によってイメージの差異がありますので」

「はあ」

「このお話をすることになるのは何十年ぶりですかね、みなさん何かと勘が良いというか人の話を聞こうとしないというか」

「……死んでるんですか、僕」

「わかりません。まあ、とにかく、ご自身の宗教観に則した想像をして頂ければ」

「………」


 フラフラと、男は近くにあった座席に身を預けた。


「どうすれば」

「自分が降りる場所すら決めることができないのは……あえて言うなら『未練』があるんですかね。なにか理由に心当たりは」

「………関係あるかわからないのですが」

「なにも気にせず。ここはあなたの夢の中なのですから」


 じゃあ、独り言のつもりで。と、断ってから男は話す。


「死後の世界とか、神様とか、そういうものにあまりピンと来ないんですよ。昔から」

「はあ」

「だって毎日、毎日人は死んでるじゃないですか。両親だって会いに来なかったし」

「ご両親はいつ?」

「中学生の頃です。インフルエンザが流行ってて。あ、今はバイト掛け持ちしながら奨学金貰ってて」

「ご苦労なさいましたね」

「同級生から空飛ぶ夢とか、芸能人に会う夢とかそういう話聞かされることもあったんですけど、僕そういうのも見たことないから」

「ほう」

「見るのは授業やバイトに遅刻するやつ、行こうとしてるのに身体が全然動かせなくて、焦るとか……」

「いいんですよ。関係あるかもしれないと思っているのなら。なんでも」


 男は自分の頭を撫でて、それから軽く頬を叩いた。


「想像力がないんじゃないかな」

「いいえ、まったく想像力がない人間というのは珍しいものですから」


 運転手は向かいの席に座っている。


「たしかにそうか、不安を感じたりご飯を決めたりする時も、使ってますもんね」

「ええ。今日の夕飯を決めるのと同じです。どこに終着駅を決めるか」

「そんな簡単でいいのかなあー……?」


 頭を抱えてしまった男に、指を組んだ運転手は語り掛ける。


「決めてもらえた方が助かります。こちらとしても」

「もしかして、僕のせいで出られなくなってます?」

「せいではなく、あなたのために運行しております」

「ええっと……つまり」

「夢の中」

「ああ、そうだった」


 男は、記憶を探して視線を天井篭へ向ける。


「死ねば人間、骨しか残らないじゃないですか」

「なぜ、そう思いますか?」

「実際に見たから。両親どっちも、見分けがつかないくらい同じで」


 男が目を閉じる。

 窓の外が僅かに明るくなった。赤い炎。


「もう少し穏やかなイメージがいいですかね」

「えっ、駄目でしたか」

「火葬されて不死鳥コースというのは、ちょっと私も体験したことがないので」

「はあ」


 炎が遠ざかる。


「火葬する前の棺もあったでしょう」

「………苦手なんです、花」

「なぜ?」

「くさい、じゃないですか。百合の花って特に集まると。ああそれで生野菜も苦手なのかも」

「なるほど」

「両親の周りに親戚の人達が、百合をどんどん詰めて行って、顔も見えなくなるんじゃないかって」


 また窓の外に光が見える。今度は白い、花畑の光。


「父母を連れて行ってしまった花だから」

「そんな詩的な表現されても」


 車輛は真っ白な百合畑に到着した。

 男は立ち上がらない。開いたドアの隙間から、強い花蜜の芳香が流れ込む。


「ここは嫌です」


 列車はドアを閉じ、また終わりのない闇の中を進む。


 列車は停車と発車を繰り返す。高原、歓楽街、輝く天上人が踊る雲の上、ただただ白い光が包む場所。

 男は降りない。


「地上ですか」

「いえ、あなたのイメージが作り出したものです。ほら細部が粗いでしょう」

「本当だ」


 通いなれた大学と職場を繋ぐ商店街を映したあの世。

 そこでも彼は降りようとはしなかった。


「すみません僕一人のために時間を使わせてしまって」

「いえ、あなた一人というわけではありません。ここまで結構捌けましたし」

「え」


 男は車内を見回す。人影を見つけることはできない。


「今はまあ、十名くらいですかね」


 運転手はそれ以上説明しなかった。


「このまま降りる駅が見つからないと、どうなるんですか」

「わかりません」

「いっそここで働くことってできますか。あの、掃除とか」

「給料出ませんがいいですか」

「………」

「冗談ですよ。手は足りてるので」


 列車は闇の中を進む。






 男の姿は薄れつつあった。

 他の霊体との境目がなくなり、自己を保っていられなくなっている。


「ここは嫌です。本当だ。苦手なんです、花。ああ、そうだった」


 男は、言葉を繰り返している。

 運転手は帽子の鍔を直して、窓の外を観察している。


「あの、掃除とか」

「給料出ませんがいいですか」

「いっそここで」

「では、よろしくお願いします」


 運転手は列車の先頭へ一度消えて、それからモップを持って戻ってきた。

 男の手に柄を握らせる。


「あっ、ありがとうございます」


 闇に吸い込まれそうになった時と同じ調子で、彼は礼を言った。


「死ねば人間、骨しか残らないじゃないですか」

「そんなことはありませんよ」






「今はバイト掛け持ちしながら奨学金貰ってて」

「苦労しましたね」

「もしかして、あの、車庫行きですか」

「降りる駅も、いつか見つかりますよ」

「そんな詩的な表現されても。僕そういうのも見たことないから」

「見たことない場所というのは、想像するのも疲れますからねえ」


 モップに寄り掛かった男は、不意に顔を上げてたずねた。


「死んでるんですか、僕」

「わかりませんね」


 幽霊列車はいつも満員だ。

 彼のような乗客が残っているためでもある。




  了

昔、別名義で発表した作品のリライト。

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