「お兄様と薄汚い田舎者では釣り合いませんわ」「時期に別れるさ、こんな役立たずとは」「流石お兄様♡」 自分の妹が可愛いなら勝手にしろ。私はただの雑用係??調子に乗るのもいいかげんにしろ、この居候がァ!
「妹のアリスが屋敷に遊びに来たいそうだ」
馬鹿面下げた旦那のテールからこんな話を持ちかけられ、ルチアは顔を歪めてしまった。
「分かりましたが……またですか?」
「何だ。僕の可愛い可愛いアリスが遊びに来ることに不満でもあるのか?」
「別にそういうわけではないですけど……流石に毎週遊びに来られるのは」
「何を言ってるのか。さっぱりだ。まるで、アリスが邪魔者みたいな言い方じゃないか」
(いや……普通に考えて邪魔なんですけど。テメェの家じゃないっての。そもそもな話、どうしてわざわざ事前連絡しないのかな。このバカは。来るにしてももっと早めに教えるべきだと思うのだが)
「というわけで、アリスのためにさぞかし美味しい料理を作れ。分かったな!!」
「あのー。私にも予定というものがあるのですが……」
「なぁ!? 夫よりもその予定とやらが大切なのか?」
はい、そうです。
と言いたい気持ちは山々なのだが、それでもルチアは言い出せなかった。
一度キレると、この男はねちっこく喋り出すのだ。だからこそ、もう何も言わない。
「一応作らせてもらいますが……それ以上は求めないでくださいね」
「何だ。料理の自信がないのか?」
(料理の腕にはそこそこ自信がある。問題はお前達の舌だ)
「それなら少しでも今日から練習することだな。精々頑張りたまえ」
冷たい口調でそういうと、テールは手に握りしめた我が妹——アリスの写真にキスを何度も繰り返し「アリス、アリス、アリス。我が生涯で最も愛している女性よ。あぁー早く会いたいよ。其方に早く会いたい」などとアホ面晒して、自室へと戻っていくのであった。
「何が精々頑張りたまえだ、あのバカは。頑張るのは、テメェの方だよ。居候の分際で」
ルチアとテールは結婚生活数ヶ月の仲だ。恋愛結婚ではない。ただの政略結婚。
元々実家同士が強いパイプがあるらしく、生まれた瞬間から結婚する運命にあったのだとか。
そういうわけで、ルチアは好きでも何でもない、というか殺意さえ芽生える親の臑齧り男テールと結婚生活をする他なかった。
最もテール自身もルチアのことをあんまり好きではないらしく、自分の妹——アリスに夢中であるのだが。
◇◆◇◆◇◆
週末が来た。
だが、ルチアは自室の窓から空を眺めて、溜め息を出してしまう。
平日週五で働くルチアにとって、休日は貴重な時間なのだ。
それにも関わらず、プライバシーの欠けらも知らないバカ男がトランペットを鳴らして起こしに来たのだ。
「何だ、情けないな。休日だからと言って、怠けるのはおかしいと思わないのか?」
「あの……わ、私は仕事があって」
「言い訳はいいからさっさと飯を作れ。今日はアリスが来るのだぞ。分かっているのか?」
(黙れ。お前は働いてないくせに。ていうか、誰のおかげで今暮らせると思ってるんだ?数ヶ月前に、両親からの仕送りも途絶え、今は私の給料で暮らせているんだぞ。それにも関わらず……何だ、この態度は!)
「あのね。私からも言わせてもらいますけどね」
「あーいい。そーいうのはもう聞き飽きた。口を動かすぐらいなら行動しろ」
(あ……やばい……もうコイツ殴りたい。てか、魔法でボコボコにしたい)
「そもそも、キミはアリスの為に飯を作る仕事を任されただろ?」
「そうですけど……あ、あれは無理矢理というか……」
「いいかげんにしろよ。しっかりと責任を持て。遊びじゃないんだぞ!!」
(あーもう。むかつく。ここは言い返してやらないと気が済まない)
下手な音色で起こされたルチアの怒りは治ることなく、テールの声を聞けば聞くほどに増幅していった。
そもそも、寝起きは苦手で、多少口が悪くなってしまうのだ。
「遊びじゃないなら、給料は出るんですか?」
◇◆◇◆◇◆
「フンッ。何を言い出すかと思えば、給料だと??」
鼻で笑ったテールは青い目を見開きながら言った。
「はい。これは遊びじゃないと言いましたよね?」
「そうだが……」
「ならば、これは仕事ですよね? なら当然お金を貰うのは当然です」
ルチアの言い分を聞いたものの、テールの表情は呆れ顔になった。
やれやれと言った感じで深い溜め息を吐き出してから。
「呆れたものだ……これが我が妃とは。本当に頭の緩い田舎者だな」
(田舎者ですって?? 確かに私の実家は山奥にあるけど……)
「そもそもだな。あれはただの言葉のあやだ。これだから教養のない女は困る」
(いやいやいや。テメェが遊びじゃないからって言ってたじゃん!! てか、教養がない女? 私、帝国魔法第一大学首席なんですけど。勉強はこれでも得意だったんですけど!!)
「そもそもだな、キミはオリンピアという言葉を知らんのか?」
「オリンピア? 遺跡の名前ですか?」
「年増の癖に。こんな一般常識さえも知らんのか。今までよく生きてきたものだ。恥を知れ」
得意気な表情になったテールは、ふふんと鼻を指先で掻きながら。
「オリンピアとはな、自分の意思で進んで行動することなのだよ」
「あの、それってボランティアじゃないですか?」
「ぼ、ボランティアだと??」
「はい。オリンピアは遺跡の名前だし。ボランティアが正しいかと」
間違えていたのが恥ずかしかったのか、テールは顔を真っ赤にさせた。
だが、開き直ったようで、態度をいつも通り尊大にさせて。
「誰にでも間違いはあるものだ。それにこれはキミを教育してあげたのだ」
「はい?」
「キミのような教養のない女が、しっかりと言い間違いを正せるかのな。
多少は勉強になっただろ」
(いやいやいや……普通に間違えただけじゃん。その癖に失敗を認めようとしないなんて)
「ボランティアと言われましたが、私は自発的にやりたくないです」
「折角義理の妹が遊びに来るのだぞ。それなのに無礼な態度を取りやがって」
(このまま言い返すのは面倒そうだ。もう適当に料理を作ってやればいいか)
「あんなに可愛い妹が来ると言うのに、給料を払えだの。金にガメツイ女だな」
「分かったわよ。作ればいいんでしょ。作れば!!」
(痺れ薬とか便秘薬とかその他諸々入れてやろう……絶対に許さん)
「はしたない女だな。田舎育ちの悪さが出ている。年相応の振る舞いもできないのか」
ルチアの年齢は27歳。
結婚年齢が早い魔法界では割と遅い方である。
それは元々ルチアが魔法大学院の博士課程まで取得し、治療薬の開発に勤しんでいたからだ。
実際に彼女が作った薬の効用は凄まじく、不死の病と呼ばれていたものさえ治療したもの。
だが、そんなことを無教養でボンボン育ちのテールが知る由もない。
「最初から素直に作りますと言えば良いのだ。ごちゃごちゃ言わずにな」
そう呟くと、テールは部屋の外へと出て行った。
だが、一度だけ振り返ってから。
「さっさと支度をして飯の準備をするように。分かったな?」
捨て台詞にそれだけ言い放ち、やっと邪魔者は消えてくれた。
「はぁー!? アイツマジで何なの。マジでキモい!! 死ねっ!!」
怒りを胸の奥に押し込めながらも、ルチアは服を着替えて屋敷のキッチンへと移動した。
冷蔵庫には食材が豊富だった。肉や魚、野菜と何でも揃っている。
作ろうと思えば何でも作れる。
さて、何を作ろうかと悩んでいるルチアの元に、テールが駆け寄ってきた。
「おい!! 何をやっているのだ。まだ一品も出来ていないのか?」
「いや……まだ一分も経ってないですし」
「ノロマだなぁー。時間が沢山あると思ったら、大間違いだぞ」
「料理というのは時間を掛けて作った方が美味しいんですよ」
「フンッ。言い訳だけは達者なようだな。口答えで鍛えただけはある。褒めてやろう」
(コイツ……真面目に喋らないでくれるかな?? 料理の邪魔なんですけど)
「妹さんはどんな料理が好きなんですか?」
「そんなことも知らないのか。アリスが好きなものは————」
(いや……誰も知らんがな。一度も聞いたことないし。てか、本当は知りたくもなかったけど)
テールから聞いたものの中で、一番効率良く作れるものをルチアは選んだ。
料理に関しては魔法を使えば、文明の利器を使用するよりも早く作れる。
流石は一流の魔法使い。ルチアはパパッと全てを作り終えることができた。
と、それと同時に、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
「お兄様♡アリスが遊びに来ましたよー!!」
「うぽおおおおおおおお。アリスー、待っていたぞ。良くぞ、来てくれた」
バカ兄妹は抱き合って一週間振りの再会を分かち合っているようだ。
だが、ルチアの気持ちは冷めていた。てか、体温さえも下がっていた。
(何なの、毎週休日は遊びに来る夫の妹とかマジでうざいだけだから!!)
◇◆◇◆◇◆
「お兄様、あの田舎者はどうして挨拶しに来ないのですか?」
「言われてみればそうだぁ!! あ、あの女めっ!?」
ドタドタと足音を立てて、テールはキッチンへと向かった。
「おい!! この田舎者っ!? どうして我が妹が来たのに挨拶の一つもできないのだ」
「はぁ? ここは私の家でしょ? 挨拶するのは相手側でしょ?」
「ふんっ。客人をもてなす礼儀もないとはな。聞いて呆れるわ」
(勝手に人の家に……あんな可愛くない妹を呼んだくせに)
「うむっ?? もしかして嫉妬しているのだな」
「はぁ? 嫉妬?」
テールの中では何か思い当たる節があったらしい。
物凄く納得した様子で、腕を組んでうむうむと頷いている。
「一応、お前は僕の妃だもんな。僕が妹にばかりかまっていて嫉妬したのだろ?」
「そ、そんなはずがないでしょうがぁ!! だ、誰がするかぁ!?」
「ふむ。これが俗に言うところの、ツンデレというやつだな。まぁまぁー落ち着け」
それから客の間へと視線を向けて、テールは大きな声で言った。
「何っ?? まだ料理はできていないのか!」
「もうできてますけど?」
「なら、何故料理を並べていないのだ!」
「温かい方が美味しいからです。先に並べると、冷めるでしょ?」
「いいからさっさと並べろ。アリスの機嫌を損ねるのは許さんからな!」
(黙れ……シスコンが。勝手にしろ)
「おい、返事は?」
「はいはい」
「はいは一回でいい。生意気な女め」
テールはそう呟くと、急いで妹の元へと走って行った。
ツルッと滑りそうになっていた。
そのまま転んで死ねば良かったのにと、ルチアは思った。
「アリス。聞いてくれよ!」
テールは大袈裟な声を出した。
それに伴う形で、アリスも訊ねた。
「どうしたんですか? お兄様」
「実はな、まだ食事の用意ができてないのだ」
「えええええええええええ!!」
「驚くのも仕方ない。客人が来るというのに、役立たずの雑用係がグータラと寝ていたのだからな」
(アンタは平日寝てるでしょうがぁ!!)
「役立たずにもほどがありますね、あの田舎者は」
「まぁーアリスよ。そう言うでない。アイツは田舎育ちだから、教養も知能もないのだ」
「なるほど……お猿さんってことですね!」
「まぁーそういうことだ。今回の件はアイツの夫である僕からも謝るべきだろう。すまなかったな」
「いいえ!! 全然ですー。お兄様が謝る必要などないですよ。寧ろ、謝るのはあの女の方です!」
長い金髪に青い瞳をした少女の鋭い視線が突き刺さってきた。色々と申したい気持ちではあるのだが、心を落ち着かせて、ルチアは頭を下げた。
「ごめんなさいも言えないのですの?」
(はぁ?? 何を言ってんだ? あの小娘は)
「ポカンと猿顔してる雑用。あなたに言ってるんですよ。もしかして言葉も喋れないんですか?」
「喋れますが……ごめんなさいというのは?」
「客人に対する礼儀がなってないからです」
(だからさ……ここは私の家だっつの)
(んで、お前らが勝手に入ってきたんだろうが)
「何ですか? その表情は。歯向かう気ですか?」
「おいおい……アリス。もうやめとけ」
「ですが、お兄様!! 調子に乗らせるわけには」
(調子に乗ってるのはテメェらだろうがぁ!!)
(人様の家で何してやがるんだか……出てけよ)
「アイツが猿だと教えただろ。これ以上言うと、暴力に訴えかけてくるだろうさ」
「まぁぁ!? そ、それは怖いです!!」
「大丈夫さ。マホウ大学で鍛えた技で返り討ちにしてやるさ。あんな野蛮女などイチコロさ」
(マホウ大学って……ボーダーフリーじゃん)
(魔法の才能がなくて、授業も中等レベルとか)
(てか、妹の前だからって調子に乗るな。あのバカは。イチコロにできるならやってみろっての)
「まぁー戦う前にお兄様の美貌にイチコロだと思いますけどねー♡」
「ぬはははは、妹よ。嬉しいことを言いよって」
(お前らの顔にファイアボールぶち当ててやろうか?)
(もしくはアイスボールで凍らせてやろうか?)
◇◆◇◆◇◆
「お兄様♡」
「何だい、アリス?」
テールとアリスは兄妹だ。
だが、二人の関係は恋人やそれ以上にも見える。
抱き合ったり、唇を軽く重ね合ったりと、スキンシップの度を超える行動をしているのだ。
(うわぁ……私の前でやるなよ。キモいから)
「お兄様……」
そう呟くと、アリスはテールの耳元で囁いた。
「ふむふむ。な、何っ!?」
何を教え込まれたのかは分からない。
ただ金髪少女がルチアのことを陰口したのだけは確かであった。
「おい、ルチア。こちらを見ないでくれ」
「別に見たいわけではないのですが……」
(ていうか、お前らがこんな場所でするなよ。さっき部屋に戻ろうとしたら呼び止めたくせに。今は見るなとかマジで何なの、この男は!)
「なるほど……嫉妬しているのだな。可愛い妹だけに相手をしてあげてるから。お前にかまってやる時間がなかったからな」
「えー!! いやですー!! お兄様はアリスのだけですー!!」
「おうおう。分かっているよ。アリスに比べれば、あんな女など取るに足らんような奴だ」
「お兄様……アイツは女じゃないですよ?」
「なぁ?? 女じゃないと言えば?」
「可愛い可愛い豚さんです。ブヒブヒー」
アリスは自分の鼻を親指でグイッと押さえている。
その顔を見てか、テールは「可愛い」と呟いている。
それから二人は下品な笑い声を上げた。
ルチアは黙って二人の姿を見ていた。
(勝手に言ってろ、このバカ兄妹が)
「それよりもさっさと食事の準備をしたらどうですか?」
全く使えないですね。
と、貶す言葉まで吐かれるのだが。
ルチアは黙って淡々と業務を熟した。
「おい、ルチア。さっさと食事を持ってこい。何度言わせるのだ」
(テメェらが何回も言うからだよ。このクズ男が)
一通り食事の準備を終わらせることができた。
散々嫌味を言ってきた二人だったのだが、ルチアの手料理を見ると、態度は豹変である。香りも良ければ、見た目もいいのだ。
高級料理店のシェフが作った代物と比べても遜色ないだろう。
「これでいいですか? 私はもう部屋に戻っても」
部屋に戻る気満々だったのだが、アリスに呼び止められた。
「待ちなさい。田舎者!!」
田舎者という表現にはイラッとしてしまう。
「何ですか?」
「何ですかじゃなくて、謝罪しなさいよ! 遅れたんだから!」
「はい?」
「客人を待たせているのよ。普通に考えて謝罪が必要でしょ?」
(謝るのはテメェだよ。勝手に人の家に来やがって)
(そのくせに何を言ってるんだ?)
「お兄様もそう思いますよねー? 一般常識として!」
押しに弱いというか、妹に弱いテールはアリスの味方に付き。
「そうだぞ! 一般常識だぞ。謝罪をするのだ。今すぐに!」
理不尽すぎる状況に、何も言い返す言葉が出て来なかった。
「正論すぎて何も言い返せないみたいですね。飛んだ愚か者です」
「おいおい。アリス、弱者をいじめるな」
「大丈夫ですよ、お兄様。こいつはただの豚ですから」
「豚か……面白い言い方をするものだな。アリスは」
(人様を豚扱い……?)
(調子に乗るのもいいかげんにしなさいよ)
(あんたらの命なんて、魔法でイチコロなんだからね)
「あら、いやだ。お兄様、豚がこっちを睨み付けていますよ?」
「あ、本当だな。飯が欲しいのかな?」
「お兄様のカッコよさに惚れているのでは?」
「いやー違うよ。アリスの可愛さに嫉妬してるんだよ」
「きゃーいやだーお兄様ったら。可愛いだなんて」
「本心だよ、アリス」
勝手にイチャイチャし始める二人に対して、ルチアはどこまでも呆れた瞳を浮かべてただ呆然と立ち尽くすほかなかった。
(あのバカ兄妹が不幸になりますように)
と、念じながら。
◇◆◇◆◇◆
「アリスが大好きな豚の丸焼きだぞ。早く食べてくれ!」
「お兄様♡ やっぱりアリスの大好物を!!」
「可愛い可愛い妹のためだ。これぐらいの準備をするものだ」
(いや、テメェはやってないけどな)
(全部やったのは私だ。この妹バカ)
「ありがとうございます、お兄様。大変嬉しいです!」
(その感謝は普通私に向けられるのでは?)
(食事の準備をしたのは私だぞ)
(ていうか、この二人。何様のつもりなんだか)
アリスが豚の丸焼きにナイフを入れる。
グサっと刃が入り、スゥーと肉が綺麗に切れた。
これも全てはルチアが切れやすいように魔法を使用していたおかげなのだが、飛んだバカ兄妹はお互いに顔を見つめ合わせて。
「凄いぞ! アリス! どれだけナイフ捌きが上手いのだ!」
「お兄様が側にいるからです。これも愛の力ですー」
(そーいうのどうでもいいからさっさと食えよ)
(ていうか、毎回毎回褒め合うな。気持ち悪いから)
一口食べたアリスは体をビクビクと痙攣させて。
「……うう……お、お、お、おい、美味しいですわ」
「ふんっ。当たり前だろ。僕が作らせたんだからな!」
(別に自慢することではないだろ。作らせたんだから)
「お兄様の指示が的確だったわけですね」
「そういうことだ。あの女は……いや、あの豚は使い物にならないからな」
やれやれと言った感じで、テールは両手のひらを見せて。
「こんなに可愛い妹が来るというのに、全く働く素振りを見せず、僕が仕事を任命してから、いやいや行動する始末だ。ぐーたら豚だよ、本当に」
「まぁー!? 酷いですね、あんなのがお兄様の妃だなんて……」
「あぁーそうだろ? そう思うだろ? どうしてあんな奴がって」
「大丈夫ですよ、お兄様。アリスが絶対に守りますから。あの豚から」
「そうだな、アリス。あんな豚は忘れて、さっさと二人で暮らそう!」
「はい! お兄様、醜く可愛げもない豚はさっさと排除しなければ」
(私の中では、あんたらが一番の害虫なんだが?)
(今すぐに殺してもいいんだけど?)
(それぐらいイライラが溜まっているのに気付いているのかな?)
「それにしても……この焼き豚。あの女にそっくりですね」
「そうだな、でもあの女はこんなにも可愛くないがな」
「ふふっ。確かに。お兄様を独占しているアリスへの嫉妬心と、異常なまでの自己中心的な考えが蠢いていますからね。あの汚れた体には」
その後も、テールとアリスの食事会は続いた。
ルチアは自分が作ったのにも関わらず、食べることを許されず、かと言って部屋に戻ることさえも許されずに、ただ立っているだけだ。
「あっ……」
アリスがパンを落とした。
コロコロと転がり、パンはテーブルの奥へと行ってしまう。
「お兄様……ごめんなさい。パンを落としてしまいました」
「大丈夫だよ、アリス。こういうときにはな」
得意げな表情を浮かべたテールは、パンパンと手を叩いた。
だが何も起きるはずがない。
それでも、もう一度同じように手を叩いた。
だが何も起きるはずがなく、彼は怒りの顔を浮かべて。
「おい!! この雑用係!! さっさとパンを拾え!!」
(はぁ? 誰に口答えしてるんだ? こ、この男は)
「さっさと動け。このノロマが。ほら、さっさと!!」
(うざい)
(この男。何様のつもりだ)
(どうして私がこんなことを)
反抗的なことを考えつつも、ルチアは彼の指示に従った。
テーブルの奥へ落ちたパンを取るためには、体を四つん這いにして、取りに行かなくてはならなかった。
パンが手に届く瞬間であった。
高いヒール靴が、パンをぐにゃあと踏みつけたのだ。
「………………」
ルチアは黙り、顔を見上げる。
アリスが笑みを浮かべていた。
満面の笑みだ。
「豚さん、このパン食べていいわよ。欲しいでしょ?」
「………………どうして踏みつぶした?」
「別にただの気まぐれよ。ほら、田舎者。早く食べなさい」
「食べ物を粗末にするな……」
「はっ?」
「食べ物を粗末にするなと言ったんだ。聞こえないのか?」
「そんなことを人様に言うんだったら、食べてみなさいよ。このパン」
踏み潰されたパン。
泥が付着しており、誰もが食べるのを躊躇してしまいそうだ。
それでも、ルチアは戸惑うことはなく、それを口の中に入れた。
「ふふふふふ……本当に豚ね。ぎゃはははははははははははは」
「そうだな、アリス。落ちたパンを食べるなんて……豚だな」
「滑稽ですわ滑稽ですわ。この豚さん。本当に田舎者というのは、何でも食べるんですね。もう本当にバカ。圧倒的にバカですわ」
「私は食べたぞ。次は、お前が食う番だ。さっさと食え、このパンを」
◇◆◇◆◇◆
「何を言ってるんですの? 気持ち悪い」
意味が分からないとでも言うように、拒絶の意を示すアリス。
それでもルチアは決して言葉を止めることはなかった。
「食べ物を粗末にするな」
「はぁ? 田舎者の分際で、アリスに口出しするんですか?」
「田舎者とかそういうのは関係ない」
「うわぁー。出た、キモッ。何それ? お兄様、変なことを言ってますよ。この豚さん、頭がおかしくなっちゃったのかー?」
「頭がおかしくなったのではない。元からおかしいのだ」
「あーそうですねー。元々頭がおかしい豚さんでしたー」
高笑い声。
小馬鹿を通り越していた。
それでもルチアは黙ってもう一度言う。
「いいから食えッ! 食べ物を粗末にするのは」
アリスの口元へと汚れたパンを近づけるのだが。
バチンッ!?
ルチアの手からパンが落ちた。
「アリスにそんなものを近づけてくれるかしら? ていうか、田舎風情の、貧乏人がアリスみたいな可愛いお嬢様に口出しするな! 無礼者!」
自分より下の人間に言われるのが癪に触ったのだろうか。
アリスは激怒の表情を浮かべて。
「さっきから話を聞いていれば、ずっとずっと何ですか? どうせ、お兄様に可愛がられているのがアリスだから嫉妬してるんでしょ? 醜いですよ、本当にうざいです! もうさっさとどこか遠いところへ消えちゃえ! お前みたいな貧乏人は森に帰れ! さっさとくたばれ! もう消えろ、お前みたいな人間は生きる価値なんてないんです。消えろッ!」
ここまで言われて黙っていられるはずがない。
温厚な性格であるルチアだったとしても、限界だった。
「さっきから黙って話を聞いていましたが、この家、私のですよね?」
沈黙が訪れるのだが、テールがここぞとばかりに説明してきた。
「何を言ってるのだ? ルチア、これは僕の家だろ?」
「はぁ? ふざけなんなよ。お前の家なわけねぇーだろうが!」
「口が悪いですね。これだから嫌なんですよ、田舎者は」
(田舎者で悪かったな。お前の出身だって、世界的に見れば、田舎のくせに。生意気なことばかり言いやがって。この高飛車勘違い女が)
「おおー何と言うことか。アリス! ルチアは頭の中がパァーらしい。何も分かっていない。学がない奴だとは思っていたが、これまでとは」
「私は至って正常だ。お前らが異常なだけだ」
「ほら、この時点で相当頭が汚染されているらしい」
「お兄様ー♡ アリス怖いです。こんな豚さん、もう殺しちゃいましょう」
「それはダメだよ。使い物にならない豚にでも優しく接してあげる、それが貴族として嗜みなんだからさ」
「流石ですわ! お兄様ー♡ そんなお兄様が大好きですー!」
「人の家でイチャイチャするなよ。気持ち悪いから。お前らのイチャイチャ見せられる側の立場を考えてみろ。このバカ兄妹が」
「うわぁ。醜い嫉妬です」
「女の嫉妬よりも醜いものはないな。本当に哀れだな」
「だからねー。アンタらさっさとこの家から出て行け!!」
「それはこっちのセリフだぞ。ルチア、さっきから僕とアリスに向かっての何度も何共侮辱的な発言をしてきてるじゃないか」
「はぁ? 何を言ってるの?」
「この家は僕のものだ。そんなことも分からないのか?」
「はぁ? アンタはただの居候でしょ? 勝手に人の家に入り込んで、ぐーたら生活を遊んでるだけでしょ。そのくせに、何を言ってるの?」
「原理は年貢と同じだ。貴族は、奴隷を働かせて利益を得るのだ。つまり、ルチアのものは、僕のもの。僕のものは、僕のものというわけだ」
◇◆◇◆◇◆
(こいつら……話しあっても分かりあえないな、完璧に)
(もう限界だ。こいつらまとめて魔法で殺してやろう)
(もう無理だ。今まで我慢していたけど)
ルチアが密かに魔法を発動させようとしていたところ。
「お兄様と薄汚い田舎者では釣り合いませんわ」
「時期に別れるさ、こんな役立たずとは」
「流石お兄様♡ 賢明な判断です」
でも、と呟いて、アリスは不快な笑みを浮かべて。
「今もう別れちゃいましょう。あんなお兄様の魅力も分からない女とは」
「そうだな……だが、あの女は僕に惚れているのだ。可哀想だろ?」
「言葉遣いも暴力的で、尚且つ落ちたものを食べるほどにいやしい豚ですよ。一度お兄様が別れを告げることで、豚さんもお兄様のありがたみに気づくはずです。というわけで、もう別れちゃいましょう!」
「たしかに。今日の一件があって、これを蔑ろにするのはダメだな。ここは一つ、別れを切り出して……あの豚を教育する必要がありそうだな」
「はいっ! お兄様なら絶対に分かってくれると思ってました!!」
「というわけでだ。ルチア、お前とは離婚することにした。今までの自分の非を認めて、しっかりと反省しろ。どうせ行くあてなどどこにもないと思うがな。そして、僕のところに来て、散々行った無礼の数々を謝罪するかもしれないが……まぁー許さない。だが、雑用係ぐらいにはしてやる。と言っても、お前の役目はただの残飯処理係だけどな。エコの時代だし、お前には生ゴミでも食わせてやるよ、ぎゃはははははははあははははは」
「そうですそうです! お兄様、頭いいですー! 環境にも気配りができるなんて素敵です! やっぱり、アリスのお兄様は最強です!」
「……………………」
ルチアは黙っていた。
黙って下を向き、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そんな姿を見たテールは薄気味悪い笑みを浮かべて。
「やれやれ、もう言葉も出ないか。仕方ないなー。僕というイケメンで、マホウ大学を卒業したエリートに振られてショックなのだろうなー」
「もう一度言ってくれる? 私の聞き間違いかもしれないから」
「あーそうか。聞き間違いの可能性もあるからな。言ってやるよお、何度でも。でも、これも全部は自分が悪いのだぞ。もっと反省しろよ」
テールは得意気に言い放ち。
「ルチア、もうお前は要らない。僕はお前と離婚する」
「離婚したい?」
「そうだ。お前が僕とよりを戻したいなら……まぁー少し考えてやってもやらないこともないが」
「お兄様ー! 甘いですー。もっと厳しくしないと。豚には教育を!」
「まぁまぁー落ち着け、アリスよ。僕が一番好きなのはアリスだけだ」
「お、お兄様……大が抜けています」
「あーごめんごめん。僕が一番大好きなのはアリスだけだぞ」
「むふふー。お兄様だーいすきです。ずっとずっと一緒に居たいです」
「あー僕もだよ。その前には、この害虫に正義の鉄槌を与えねば」
テールは視線をルチアへと向けた。
ルチアの肩が震える。
最初は小さな揺れだったが、次第に大きくなっていく。
そして、テールは気づいた。彼女が笑っていることに。
「もう笑うしかないか。あまりにもショックで涙も出てこないのだろ」
ふんっと鼻を鳴らしたあと、テールは口元を歪めて。
「ほら、さっさと離婚は嫌だと言ってみろ。ほら、泣き叫べ」
「はぁ? 誰が言うと思ってるの? 寝言は寝て言え」
「はぁ……?」
「離婚の件だけど、喜んでお受けさせて貰うわ。ずっと前から離婚の準備はしていたの。ほら、さっさとここにサインして。はい、もう終わりね」
ルチアがそこまで考えているとは思ってなかったのだろう。
為されるがままに、テールはちょいちょいとサインを書かせられた。
「本当にいいのだな? 本当に? この僕と別れるのだぞ?」
「邪魔者が消えてせいせいするわね。むしろ、ありがとうって感じ」
「な、何!! ルチア、もうお前は絶対に許さん! お前が幸せになれないようにしてやる。この僕が救いの言葉を掛けてやったのに、恩を仇で返しやがって。この礼儀知らずが!」
「あぁー良いわよ、別に。但し、もう二度と関わらないでね」
自分に惚れている女と勘違いしていたので、テールの心は予想以上に傷ついてしまったらしい。もう何も言うこともできずに黙っている。
そんな兄を助けるためか、妹であるアリスが切り出してきた。
「出て行け!! さっさと出て行け! お兄様とアリスの大切な時間を奪おうとしているんですね。もう分かりきっているいるんですわよ。ほら、さっさと出て行け……出て行け……ぜ、絶対にし、死刑にしてやる……貧乏人のくせに……何も知らないこの無礼者が……絶対に殺してやる!」
「出て行けと言われても困るんだけど。だってここ私の家だし」
(でも……まぁーいっか。私がこの家を出て行ってやるか)
(元々この家……そろそろ売ろうと思ってたし)
「言われなくてもそうするつもりよ。じゃあね、ブラコンさん」
ウキウキ気分で実家へと帰る支度を終わらせたルチアは、そのままスキップを交えながら屋敷を出るのであった。
でも最後に一言だけ、彼女はあの二人に言い残したことがある。
「食べ物の恨みは大きいってことだけは忘れないでね」と。
◇◆◇◆◇◆
「思っていた以上に涼しいわね」
森林だった。
周りを見渡しても、緑しかない。
一応、道は舗装されていると言えども。
女性一人で歩くにはあまりにも無用心である。
「モンスターか盗賊でも現れそうね。このままじゃあ」
ルチアは冷静にツッコミを入れる。
並大抵な女性ならば、一人で森を歩くなど持っての他。
ていうか、一人で暗い場所を歩くだけでも嫌がるだろう。
だが、ルチアは別だった。
魔法に精通し、自分の身は守れる自信があるからだ。
(ん? 後ろから何かが来る。一体誰が?)
馬だ。野生ではない。
誰かが乗っている。馬車ではなさそうだ。
地面に擦れる蹄の音を聞く限りでは、余程鍛えられているようだ。
(歩くのも疲れたし……後ろに乗せてもらうか?)
(少しぐらいのお金はある。これを使えば)
◇◆◇◆◇◆
「本当にいいんですか? 無料で乗せてもらって」
私は馬に乗せてもらっていた。
騎士様の後ろ。黒髪の超絶イケメン。
彼の背中にしがみつき、私は決して離すことができない。
(髪からとっても甘い香りがする……女性の髪みたいに綺麗)
「キミみたいな美しい女性を乗せるのにお金が必要なのかい?」
「わ、私は別に美しくありません。お金は絶対に渡します」
「渡されても困るよ。俺は騎士だ。市民を守るのが役目さ」
「そ、それでも……」
「ならキミの笑顔をもらおうかな。お駄賃として」
◇◆◇◆◇◆
「ありがとうございました。わざわざ実家まで送ってくれて」
「騎士の役目だ。お安いものだよ」
それに、と呟いて、騎士様は真剣な口調で。
「最近あの森ではモンスターが現れるらしくてね。危険なんだよ」
(モンスターか。でももう私には関係ない話だな。実家から遠いし)
「特にキミみたいな美しい女性には」
「心配してくれてありがとうございます。私のことはお気になさらず」
(モンスターが現れたとしても、魔法で一発だと思うし)
「それではまた会えることを願っているよ、ルチア」
「はい……騎士様ッ!?」
騎士様は行ってしまった。
迷えるひとを助けるのだろう。
(あ、しまった。名前だけでも聞いていればよかった)
(それにしてもとってもいいひとだったな……)
◇◆◇◆◇◆
実家に戻ってきた。
両親からは何も言われなかった。
離婚したと言ったらもっと怒られると思っていたのに。
「拍子抜けだな……予想以上に……」
仕事のお休みをもらった。
長期休暇だ。お金には余裕あるし。
周りからは夫に振られて、可哀想な妻とか思われてるのか。
勝手に思われてばいいか。休みがもらえるのならば、ありがたい。
「幸せだ……幸せすぎる!?」
お父様もお母様は旅行に出かけてしまった。
一緒に行くかと誘われたが、一人でゆっくり過ごしたかった。
好きなだけ寝て。
好きなだけ食べて。
好きなだけ読書に励んで。
好きなだけまだ見ぬ魔法の研究をして。
疲れたと思ったら、我が家の温泉に浸かって。
「もうこれでいいじゃん。お一人様最高なんですけどー!!」
結婚なんて絶対にしない。
もう二度としない。
あんなもの何の意味もない。
もちろん、良い男と結婚できればいいかもだけど。
それ以外だと。
特にクズみたいな男と一緒になったら地獄だし。
「もうあんな……ゴミとは会うものか。絶対に!!」
と誓ってみたものの。
一週間も経たないうちに再会しました。
「戻ってきてくれー!? 頼む、ルチア!! 僕に力を貸してくれ!」
変わり果てたテール。
衣類はボロボロで泥だらけ。
実家の門番にコテンパンに殴られたらしいが。
多分、それ以外に何かがあったと見ていいだろう。
(ていうか。頭を地べたに付けて必死に謝ってるんだけど)
(何だろう? これじゃあ、私が悪者みたいじゃん)
「何を今更……。絶対に嫌よ。他を当たってくれる?」
「お前しか居ないんだよ。頼む、この通りだ。ルチア!!」
「もう二度と関わらないでと言ったでしょ? 早く出て行って!」
◇◆◇◆◇◆
「これだけ僕がお願いしているのだ。どうして助けないのだ?」
「慢心ね。助ける義理がどこにもない」
「僕とルチアは夫婦だろうが!」
「ふざけないで。今更何を……」
「もしも助けてくれたら、もう一度僕の妻にしてやるから」
「はぁ? 絶対にしないから。何? その最低条件」
「僕の子供を授かることを許してやろう」
「あの……キモいのでやめてくれませんか?」
「久々に会えて嬉しいのに。ツンツンして。かまってほしいのかな?」
(勝手に言ってろ)
「助けてくれと言われても、何があったの?」
テールは興奮気味に説明した。
自分の家にモンスターが襲来したのだと。
必死に抵抗してみたけれど、それでも敵わなかったこと。
「僕は大丈夫なんだ。だが、アリスは……」
モンスターが来たときに、アリスはキッチンで料理を作っていたらしい。
屋敷が崩れると同時に、火が床に燃え移った。
かと言って、天井から落ちてきた瓦礫の山に埋れてしまい、アリスは逃げ出すことができなかったらしい。
「屋敷を立て直す。お金を貸してほしい。いや、もうこの際だ」
テールはふざけることもなく。
「お金を渡すんだ。ルチア、僕を助けてくれ。いや、僕たちを」
「はぁ? 嫌に決まってるでしょ? 何を言ってるの?」
「可哀想だと思わないのか? 僕やアリスを」
「可哀想? 同情はするけど共感はしないわね」
「な、なんて酷いんだ。この悪魔ッ! 悪魔女めッ!」
「ほら、お金を借りようとしているのに、この態度。誰が貸すと思うの? ありえないでしょ、普通に考えて。人に物を頼むときには相応をするでしょ?」
「切羽詰まってるのだ。いいからさっさと貸せ。渡すんだ」
(バカだと思っていたが、ここまでバカだったとは……)
「そもそもだな。僕とルチアは夫婦だろ?」
「元でしょ? ていうか、離婚宣言したのはそっちでしょ」
「関係ない。正式に書類を出したのか?」
「婚姻届さえも出してないじゃない」
「ふんっ。屁理屈を言いやがって。そんなに金が好きか?」
「それはアンタよ」
「共同財産という言葉を知らないのかな? ルチアは」
「一人で稼いだし。テメェは一度も働いたことないだろうが」
「ルチアが安心して働けたのは誰のおかげかな?」
「自分一人のおかげだと思ってるけど。アンタは役立たずだし」
「他人を敬う気持ちさえもないのか。哀れな奴だな」
「物を考える脳さえも持ち合わせていない奴よりはマシね」
「もうこの際だ。屋敷のことはどうでもいい」
(屋敷は元々私のものなんだけど。コイツ分かってる?)
「アリスを助けてくれ。アリスだけは助けてやってほしい」
「いやよ。もう私には関係ないことだし」
「それでもお前は人間か!! これだけ助けを求めているのに」
「私は人間だけど。善人じゃない。嫌いな奴は助けない」
「最低だな。最低だ。最低だ!?」
「泣いて叫んでも助けないわよ」
「どうしたらいいんだ? どうしたら……アリスを」
「別に何も求めない。私は何もする気ないし」
「どうしてそんな酷いことを」
「どうせ助けたところで、何かと言いがかりを付けてくるでしょ? もうね、私は面倒なことから避けたいのよ。特にテメェらみたいなバカ兄妹に付き合うのは嫌なの」
「そ、そんなことしない!!」
「本当に?」
「あぁーそうだ。約束する。助けてくれるなら何も言わない」
「ふーん。本当なのかしら? 信じられないわね」
テールは土下座した。
下手くそな出来だが、誠意だけはある。
妹のアリスを助けたい気持ちだけは本音のようだ。
「一生のお願いだ。頼む。アリスを……アリスを……」
泣きじゃくるか。
こんなことしかできないのか。
もうどうしようもなくなって。
泣いて喚いて。
誰かが助けてくれるのを待つしかないのだ。
この男は。
哀れな男だ。
あれほどバカにしていたルチアの元に来るとは。
「これで最後よ。もう二度と私の前に現れないで。それが条件」
◇◆◇◆◇◆
「う、嘘でしょ……な、何よ、こ、これは」
テールの後ろを追いかけ、ルチアは我が家へと戻ってきた。
そこで見た光景に思わず驚愕してしまう。
一週間も経たないうちに、屋敷が損壊してしまうとは。
モンスターが暴れたのだろう。
立派な屋敷は粉々に打ち砕かれている。
ルチアの思い出が募った幸せな家だったのに。
「モンスターはどこに?」
辺りを捜索する。
だが、モンスターの姿はどこにもない。
と、思いきや、まさかのまさかで人影がある。
あ、あれは……。
「騎士様!?」
「ルチア。また君と出会うことがあるとは光栄だよ」
「あ、あの……ここでモンスターが出たとお聞きしたのですが」
「あーそのことか。それなら安心してくれ!」
騎士様はニコッと白い歯を見せて微笑んでから。
「もう俺が倒したから。これからは安心して暮らせるはずだ」
(モンスター退治は、私の役目ではなかったわけか)
(つまり問題は屋敷の立て直しと、高飛車ゴミ女の手当てか)
「テール。さっさと、あのばぁ……えーとアリスのもとに」
(危ない危ない。騎士様の前で、バカとか言えない)
(もう本当に危ない危ない。注意しないと)
「おい、待て。ルチア、この男は誰だ?」
(何、不機嫌になってるの? テメェは)
(私のことを散々コケにしてきたくせに)
「それはこっちのセリフだ。貴様とルチアはどんな関係かな?」
(騎士様も何を言ってるのよー。こーいうときに!)
「僕とルチアの仲を教えろだと。良いだろう、僕とルチアは——」
「何もないです、この男とは」
「ふぇ?」
テールは情けない声を出した。
顔も歪な形になっている。
こんなことを言われるとは思ってもなかったのか。
「そうか。何もないなら、消えてくれないか? えーと名前何だっけ?」
「テールだ、テール。僕の名前を知らないとは、さては……お前よっぽどの田舎者だろ。なるほど、なるほど、田舎者同士、仲良くしてるわけか。本当にざまぁーねぇーな。だけど、残念なことにこの女は僕の——」
「何もないから。アンタみたいなゴミ男とは何も」
「普通に考えて、ルチアがこんな男を好きになるはずもないな」
「流石です! 騎士様、私の気持ちをここまで理解してるなんて!」
「はは、当然だよ。見るからにダメ男臭漂うからね、彼からは」
「ふ、ふざけやがってー!? こ、この野郎。僕をコケにしてー!」
テールが魔法を使おうとした瞬間。
まさに、一瞬の出来事であった。
目にも止まらぬ速さの風が吹き渡っていた。
「ふんっ。僕の魔力が暴走しているようだな。覚悟しろよ、三下」
調子に乗るテールだったのだが。
スポーン。スポーン。スポーン。スポーン。
「え? え? え? え? え? ど、どうして?」
身に付けていた衣類が、全て脱げ落ちてしまっている。
残ったのはパンツのみ。
アリスの顔がプリントされている。
ここまで妹が好きなのは、かなりどうかしている。
「ままぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!」
為す術もない。
自分が最強だと勘違いしていた哀れな男は大恥を掻く羽目になった。
◇◆◇◆◇◆
「それでは、ルチア。またどこかで会おう!」
「はい。騎士様。またきっとどこかで!」
ルチアと騎士様は別れを告げた。
馬に乗っている騎士様の姿はもう殆ど見えない。
(あ、しまった。また名前を聞くのを忘れてた)
(本当もう……最悪。でも、また会えるよね、きっと)
「遂にあの男も逃げ出したか。僕にビビって逃げたんだな」
「さっきまで怯えてたくせに……」
木の後ろから騎士様を見つめてたし。
どれだけ怖がっているんだと感じだったし。
「違う。アレはそういうふうに見せていたんだ!」
「あ、そう。今更そーいうギャップを見せてもキモいだけだから」
本題はアリスだ。
アリスの怪我が酷いらしい。
それを治すために、わざわざここまで来たのだ。
「…………だ、だれ? これ?」
ルチアが見たもの——それはもう人間とは呼べなかった。
重度の火傷。
一部の骨は炭になっている。
肉はドロドロに溶けてしまい、人間の原型を留めていない。
それでも必死に呼吸をし、生きようとする意思だけはあるようだ。
「アリスだ。頼む、お願いだ。治してくれ、アリスを。僕の妹を」
治せ。
不可能な話だ。
一流の医者でも。一流の魔法使いでも。
人間から掛け離れた存在を治すのは無理だ。
ここまでの重傷ならば、もう打つ手は殆どないだろう。
「残念だけど助からないわ。今、生きてるだけでも奇跡だわ」
「嘘だろ……嘘だろ……そ、そんなの嘘だ。そんなの嘘、そんなの」
テールは叫んだ。
地面をバタバタを転がるように。
何の意味ないのに。
そんなことをしたところで、妹は回復しないのに。
「残念だけど本当。私だって、悪魔じゃない。治そうと思ってた」
善人ではないけれど。
それでも苦しんでいるひとが居たら助けてしまう性分だ。
敵も味方も関係ない。
そんな生き方を好むのが、ルチアだ。
「だけど、これでは打つ手なしね、もう無理よ、こんなのは」
「頼む……お願いだ。お願いだ、助けてくれ。助けてくれ」
「泣いて叫んでも無理よ。私は神様じゃないんだから」
「ふざけるな。ふざけるな……どうしてアリスが。どうしてこんなにも可愛いアリスが……こんな酷い目に遭わなくてはいけないのだ。おかしい」
「罰が当たったんじゃないかしら?」
「罰だと……?」
「日頃の態度が悪かったし」
「ふざけるなよ、ルチア。こんな仕打ちを受けるほど、アリスは悪い子ではない。ただの良い子だったのだ。それなのに……侮辱しやがって!?」
(アンタらだって、侮辱してきたじゃない。そのくせに生意気ね)
「どうにもならないのか? あんなにも可愛いアリスはもう助かることもできないのか……こんなところで。こんな終わり方があっていいのか」
テールはボロボロと涙を流したまま。
「せめて……せめて……顔だけでも可愛くなれば」
(顔だけでも可愛くなれば?)
「もしもの話だけど。妹が生きるならどんな手段を問わない?」
「もちろんだ。アリスが生きてくれるなら何でも差し出す」
「本当ね。何もあとから言いがかりとかは付けない?」
「あー約束だ。絶対に言わない」
「分かったわ。最善を尽くすわ。妹さんを可愛くしてあげる」
◇◆◇◆◇◆
出来得る限りの最善を尽くして、ルチアはアリスを可愛くした。
元の状態へと戻すことはできなかったまでも。
一応可愛いの条件を超えることはできた。本人自身も言ってた通りに。
「ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーー!?」
テールは叫んだ。
その横には、可愛らしいピンク色の子豚さんが踊り狂っている。
そうだ。
あの子豚の正体こそが——アリスなのである。
「どうしたの? 荒い声を出して」
「アリスを……こ、こんな豚に変えやがって!」
「妹さんを豚扱いして可哀想じゃない?」
「ふざけるな。な、何てことをしてくれたんだ」
「可愛い顔にはしたでしょ?」
「だ、誰が豚の顔なんかを」
「豚の丸焼き。覚えてない? 二人で可愛いって言ってたじゃない」
「はぁ? そ、そんなことは……」
思い当たる節があったのか、テールは黙り込んでしまう。
「そもそも手段を問わないと言ったでしょ? 言いがかりもなしの約束でしょ?」
言語を喋ることができない子豚は「ぶひぶひ」と鳴くことしかできない。怒っているのか、それとも喜んでいるのか、全く分からない。
「あ、そうだ。テールも豚にしてあげよっか?」
「はぁ? ぼ、僕はいい。僕は豚なんて絶対に」
「そんなことを言わずにさ。あ、そうだ。アリスちゃんにも、聞いてみよっか? ねぇーテールも豚になってほしいよね?」
子豚は「ぶひぶひ」と鳴いた。
何を訴えかけているのか、検討も付かない。
それでも、ルチアには十分だった。
「えっ? お兄様にも豚になってほしいって」
「う、うそだよな……あ、アリス。アリスはそんなこと言わないよな。そんなことはぜったい……ぜったい……ぜ、ぜったいに……う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんん」
◇◆◇◆◇◆
朝だ。爽やかな朝だ。
カーテンの隙間から入る風が異様に気持ちいい。
このままベッドの上で何時間も過ごしたくなる。
でも、愛する夫のためにお弁当を作らないといけない。
「ルチア。今日もありがとう。早起きしてお弁当を作ってくれて」
(大好きな騎士様)
(私は彼と結婚し、幸せな生活を手に入れた)
「大丈夫です。これぐらいもう慣れたものです、だ、旦那様」
「ルチア。何かあったらすぐに俺に知らせること。いいね?」
「はい。分かりました。旦那様。でも心配しすぎなのでは?」
「ルチアが悪いのだ。あまりにも可愛いからな」
「またまたご冗談が上手いですね、旦那様は」
◇◆◇◆◇◆
騎士様が出て行ったあと、ルチアは屋敷を出た。
立派な木造建造物だ。モンスターの手により一度は壊されたものの、お得意の魔法で立て直したのだ。
あの頃、住んでいたときよりは小さいものの、騎士様との距離が近いので、何かと楽しい生活を送ることができる。
そんなルチアが屋敷を出て向かった先は、小屋である。
ルチアの瞳に映るのは二匹の豚。
雄と雌の一匹ずつだ。と言えども、雌は最近子供を孕んだらしく、少しずつではあるが、お腹が膨らんでいる。生まれるのは時間の問題だろう。
「ほら、今日も持ってきてあげましたよ。お二人さん」
ルチアの手にあるのは残飯だった。
料理の際に出てきた余ったものだ。
けれど、二匹にとっては、ルチアが持ってくる飯がさぞかし美味しいらしく、バクバクと勢いよく食べるのだ。
「ぶひぶひ」
「ぶひぶひぶひ」
可愛らしい泣き声を放つ二匹の豚を見ながら、今日もルチアはほくそ笑むのであった。