第1話 名前は、もうある。
始めまして、夏目くちびるです。
楽しんでもらえると嬉しいです。
「ねぇ、ご主人」
「ん?」
「ちょっと、こっち来て」
「ん」
ご主人とは、この家の家主の小説家のことである。
「ほら、あれ。ドア、開けたから」
そう言って、ネコ人のヘチマはどこかへ行ってしまった。
「……ん」
小さく返事をして、静かに扉を閉める。そして、主人は再び机に戻ると、カタカタとキーボードを叩いて小説を書き始めた。
ネコ人は、人間が猿から進化したのと同様に、猫から進化した二足歩行の生き物である。見た目は人間に似ているが、目が大きく、耳と尻尾が生えているのが特徴だ。
ネコ人が見つかったのは、つい最近のことである。何がきっかけかは判明していないが、とにかくいつの間にかそこにいた。愛玩動物とは言えないが、知性は未熟で働かせる訳にもいかないため、基本的には人間の監視下にある。
そして、この家には三人のネコ人が住んでいる。ある日、主人が軒下で丸くなって震えていたのを保護したからだ。野良の数があまりにも多いため、ネコ人の保護には国が助成金を出している。
三人は、いずれも生後半年程度。見た目は、人間の14歳相当。オスが一人、メスが二人。さっきのヘチマは、メスである。
これは、そんなネコ人たちの特に何も起こらない平和な日常を記した、写実的な物語である。
× × ×
「ご主人」
「ん?」
「お腹減った」
ヘチマか言う。ネコ人は、基本的には人間と同じモノを食べている。しかし、肉や魚を好む上、気に食わないものには見向きもしないため注意が必要。
「作るから、ちょっと待ってね」
「早くな?」
一分後。
「まだ?」
「うん」
一分後。
「まだ〜?」
「うん」
一分後。
「にやぁぁぁぁあぁぁ!!」
「うん」
いつもであれば、主人はこうならない為に先に用意をしたり、おやつを作っていたりする。しかし、今週は彼も小説の締切が近く、そこまで気が回っていなかったのだ。
「にやぁぁぁぁぁぁぁ!まあぁぁぁぁぁ!!」
「どうしたどうした」
「なにがあったの?」
ヘチマの声を聞いて、メスのベタと、オスのクラゲがやってきた。
「ご主人がご飯作ってない!」
「やだ!」
「んなぁぁぁぁぁ!!」
「「「にゃあぁぁぁぁぁぁ!!」」」
大合唱。普段は仲がいいのか悪いのかも分からないのに、こういう時だけは息がピッタリなのが、主人には不思議でならなかった。
ヘチマは、すっきりした灰色の長い耳と長い尻尾を持っている。顔はやる気のなさそうな、ジトッとした目とムッとした口で食いしん坊。名前の理由は、臀部にヘチマの形のアザがあるから。
ベタは、もふもふとした白い毛の長く丸い耳に、途中で折れた尻尾。顔はパーツが全体的に丸く、どこか間抜けなイメージ。名前の理由は、三人の中で一番ベタベタくっついてくるから。
クラゲは、黒い尖った耳と、途中で丸まっている尻尾を持っている。顔はシャープなツリ目と小さな口で、鳴き声がとにかく大きい。名前の理由は、いつもプカプカ浮かぶように寝ているから。
余談だが、ネコ人は目の形のせいでオスでもメスに見られがち。そして、三人は避妊と去勢を済ませてある。ネコ人は、盛りの時期になると所かまわず性行為を始めてしまうからだ。
「はい、これ」
「なにこれ」
「刺し身の切れ端」
「でかした」
小皿を受け取ると、三匹はテーブルについてフォークでそれを食べる。醤油はかけない。薬味も乗せない。純粋な赤身のマグロ。ネコ人は、ネギや塩を食べられないわけではない。むしろ好きだが、主人が乗せないから食べないだけ。
「悪くない」
「うん、悪くないね」
「まぁ、悪くないや」
しかし、別に文句は言わない。一定の水準を超えていれば、とりあえずは満足する単純な思考回路なのだ。
声を聞きながら、豚の生姜焼きと刺し身を皿に盛り付け、主人はそれらをテーブルに並べた。そうすると、3人は決まって主人の顔をじっと見る。前に一度だけ、勝手に食べ始めて主人が本気で怒ったからだ。実際は、喧嘩をして皿をひっくり返したから怒られたのだが、ともかく一度怒られると、それだけはやるまいと反省するしおらしい側面も持ち合わせている。
「いい?」
「どうぞ」
「ホントに?」
「うん」
「嘘じゃない?」
「うん」
全員の確認が済んでから、一斉にフォークを動かす。奥歯で噛みしめながら、時折上目で様子を確認してくる三人の食事姿を見るのが、主人は好きだった。
そして、一度食事を始めれば食べ終わるまで一切口を利かなくなる。聞こえてくるのは、時折温度調整を間違えて「にゃあ」と驚く声だけ。その時も、三人はジトっとした上目で主人の事を見る。これは、別に睨んでいるわけではなく、ただ驚いているだけだ。
食事が終われば、「にゃす」という特有の挨拶をして、それぞれが自分の生活に戻る。「にゃす」は、「おはよう」から「おやすみ」まで全ての挨拶を担う事が出来る便利な言葉。これを言っておけば、後は全て主人に任せることが出来る。ネコ人は、本気でそう思っているのだ。
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