友人、エリザベス・ランツ
エリザベス・ランツは完璧な伯爵令嬢だ。
優雅な身のこなしに、作法、センスもパーフェクト。
策略家のランツ伯爵家の人間らしく、機転が利く為に貴族社会でうまく立ち回れる。
とびきりの美人というわけではないけれど娘らしい初々しさを持つ快活な女性であり、エレノアの数少ない友人の一人でもある。どこの家からも評判が良い、それ故、エレノアの祖母も彼女との交流を許したという訳だ。
エリザベス・ランツは完璧だ。しかし、彼女にも秘密はある。
***
「わぁ、イメージチェンジという訳ね。エラ?」
エレノアは現在、ランツ伯爵邸を訪問していた。
「マリアが選んでくれたのよ。…変?」
「ううん、すごく似合っている。以前の感じよりずっと素敵だわ。」
フレンチスリーブにレースがあしらわれた白藍色のドレスはマリアが強く勧めた一着だ。
「それで、今日なんだけれど、」
「分かってる。新刊、買ってあるわよ。」
「ほんと!」
そう、ランツ伯爵令嬢の秘密、それはー…大衆小説を愛読しているということだ。
庶民の間で人気を博している大衆小説だけれども、貴族社会ではいまだ十分な人権を確立していない。
それはほとんどの作者が平民出身のために貴族の共感を得られない場合が多いということ、そして、あからさまな表現を忌避する貴族文化にとっては内容が生々しく下品なものとして映るからだろう。とにかく高貴な令嬢にとって、大衆小説を嗜んでいるというのはあまり褒められたことではないのだけは確かだ。
エレノアもこの類の小説、とりわけ恋愛小説が大好きだった。
身分違いの恋、ドロドロの愛憎劇、ちょっぴり大人な物語ー
しかし保守的な祖母がそのような(彼女の言葉を借りて言えば“下劣”な)本を許すはずもなかった。そこで彼女はエリザベスの家に訪れるたびに、彼女の愛読書を読ませてもらっていたのである。
「はぁ…このシリーズってどうしてこんなに素敵なの。ねぇ、三巻の最後で主人公が皇太子に“命が絶えようとも、あなたを愛し続けるわ”っていうところあるでしょ。私が何度、あのページに泣かされたことか…!」
「あなたって純愛ものに弱いわよね。」
「…リジ―はマニアックな禁書に弱いじゃない。」
「こら。」
本日の読書会のお伴として用意されたのは王室御用達の菓子店“ミー・マルコン”のフィナンシェだ。外はさっくり、中はしっとりの生地は、口に入れるとバターとアーモンドの香りを楽しませてくれる。
「おばあ様のことは本当に残念だけれど…でもこれで家に本が置けるわね?」
本屋に行くべきだわ、と言われてページをめくる指がピタリと止まった。
「実は行ったのよ…だけど、その…ちょっとアクシデントがあって買い忘れてしまったの。」
「まぁ、まぁ。本を買いに本屋へ行ったあなたが本を買い忘れるだなんて、一体どんなアクシデントだったというわけなの?」
「それが…」
エレノアは話した。
美しい男、気後れした自分。しかし一部については、すなわち彼と対面した時に感じた不可解な動悸や頬の紅潮については黙っておくことにしたのだった。なぜそうしたのかは彼女自身にもよく分からなかったが、とにかくこれらについては話さなかった。
「一体どちらの殿方かしら?そもそも貴族?」
「さあ…どうかしら。」
エリザベスは読んでいた本をすっかり机の上に置いた。
ホラーサスペンスよりも、今年の秋に控えたデビュタントの話へ興味が移ったらしかった。