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プロローグ

 ”メメント・モリ”ー死を忘るるなかれ。先人が私たちに遺した中でも最も価値あるもののうちの一つだ。だけれども忙しない日常の中で私たちは忘れてしまう。当然のこととして未来を甘受してしまう。


 幸いにも、エレノア・オーケンフェルトは思い出した。バスルームで石鹸に足を取られ、タイルに頭を打ち付けた時にー

“メメント・モリ。人生は一度しかないのだ。”


 死の淵を前にした時初めて、生の意味を知るなんて一体全体どういう皮肉だろうか?

 しかし人生とは大概こんなものだ。


 薄れゆく意識の中で、エレノアはニヒルな笑みを浮かべたのだった。


****


 エレノア・オーケンフェルトは一見恵まれている。名門オーケンフェルト伯爵家の末っ子としてその生を受け、経済的には何の問題もなく育てられた。娘時代には社交界の華として名を馳せた母親の美貌を受け継ぎ、代々学問に熱心な父方の家系の素養もあってか頭も悪くない。


 しかし、富や美貌が必ずしも人々に幸せをもたらすものではないように、彼女もまた幸福ではなかった。もちろん不幸のどん底ではない。だからといってそれが幸せを意味するわけでもない。

 

 エレノアの父親は仕事人間だった。世間では立派な人間として通っていたけれど、家庭に関心はなかった。たまに家に帰ってきては妻と派手な夫婦喧嘩を繰り広げた。さらに、真面目な男にありがちなことだが、外の女にどっぷりとはまり込んで娘まで作ってしまった。相手は冴えない平民の女性で、そのことは妻を激昂させた。自分が一番であることが普通だったエレノアの母にとっては、格下の女に負けるなどという事は到底受け入れられず、結果発狂した。以来、一か月に数回は食卓をひっくり返すようになる。

 子育てどころではなくなった母親を見かねて、屋敷にやってきたのは父方の祖母。オーケンフェルト家第一の冷徹な女性で、底意地が悪く、厳格で、エレノアをはじめとする孫たちからは“性悪ババア”と裏で呼ばれた人物だ。彼女とその教育係により、批判と規律の軍隊さながらの教育を施されたエレノアは、自分に自信がなく、おどおどして、言いたいこともグッとこらえるような、“素敵”な少女へと成長した。


 実際にはエレノアは美しく、スマートであった。けれども、自信というのは現実がどうであるかはあまり関係がない。つまり、素晴らしい人間であるから自信があるという訳でもなく、その逆もまた然りということだ。自信とは、根拠のない有意義な妄想に近い。


話を戻そう。これから語るような話を綴るとき、序章として本来理想的なのはこんな感じだろう。


“エレノアの生家は笑いの絶えない、愛情にあふれた家庭だった。”


だが、実際にはこうだ。


“エレノアの生家は罵声と争いの絶えない、敵意に満ちた家庭だった。”



嫁姑の折り合いが最悪だったせいで、両者のバトルは日常茶飯事。

過酷な環境ゆえに新人メイドの二人に一人は1週間以内に辞めていった。



しかし人生とは何が起きるか分からない。地獄の様相を帯びた家庭が、ある日突然の悪魔の退場によってマシになることもある。この場合の悪魔は祖母だった。ようやく少しは平穏な生活が訪れる―とオーケンフェルト家の全員が思った。



そして葬儀の夜、エレノアはバスルームで足を滑らせ、話は冒頭へと戻る。




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