すり抜けたその手は
………兄弟、姉妹。
その全てが仲がいいだなんて、ありやしない。
少なくとも私は、そう思っている。
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産まれたのは、貧民街の小さな家。今にも潰えてしまいそうな多数の中の小さなひとつ。
父と母が必死に働いても小さな贅沢さえ叶わないような家だったのに、私を長女として、下の子が3人産まれた。
家族みんなで助け合う、なんて綺麗事はほざけなかった。
産まれた小さな子にさえ容赦せず、ご飯は父と母のお零れを奪い合う日々。少し大きくなると母が内職を持ち込んできてそれをひたすらにこなす日々。
少しでも油断すれば、他の家の人にご飯やお金を盗まれるのだ。常に気を張り、夏の暑さにも、冬の寒さにも、飢餓にも、両親からの暴力にも耐える。
ーーー気がつけば、2人減っていた。
私と、一つ下の弟。
仲は、良くはない。話すことはあるが、それ以上のことも無い。養い分が減り、私達も工場や市場で働く事が増えた今、争うことは減ったが、慈しみ合う事もなく、ただ時を過ごすばかりだった。2人で稼いだお金を合算してご飯を買いに行く時でさえ、笑い合うことは無い。もう、遠く昔の事なんて、忘れてしまったから。
時は過ぎ、私は11歳になる頃。誕生日は覚えていない。知らない。弟は10歳になった。
両親からの暴力は減ったが、未だに私達の身体はガリガリだったし、傷だらけだった。まぁ、貧民街では浮くことは無かったが。
盗まれない為に、侮られない為に騙し騙ることを覚え、頭を使うことを覚えた。逃げ足も速くなり、それなりに上手く立ち回る方法を次第に理解していった。
「くっそ、俺だって………痛!」
新しい傷が付いた弟の肩に水をかけてやる。
弟は女の私よりも足が速く、小賢しい奴だったが、最後の最後で詰めが甘い。その証拠に、今日も怪我をして帰ってきた。
「逃げ切ったと思うのが早いからだって。ほら、終わり。」
私はそれなりに上手く頭を働かせ、地形もスリのやり方も騙り方も習得していたが、運動神経では劣る事がある。
その時に、既に私達は別々の道を歩もうとしていたのだ。
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その日は、晴天だった。
だが、朝から妙に心の奥底がモゾモゾとし、嫌な予感を伝えてきた。
そんな日は、何も下手なことをしないに限る。だから私は、普通に仕事に行き、何も買わず、何もせずに帰路に就くことにした。
「…………?」
工場を出ると、妙に騒がしい。珍しいことだ。今日はお貴族様の気まぐれ施しは無いはずだったのだが………。
ふと、家の方向を見つめる。
「……………ぇ……?」
その方向は、黒煙に包まれていた。思考せずとも、その正体など容易に察せられる。
ーーーー火事だ。
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………はぁ……」
息を切らしながら、家に向かって走る。発生場所は分からないが、そこら一体の家が燃えているのが分かる。
…………嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……
「…………何が?」
分からない。あの家はずっと住んでいて思い入れはあったが、ほとんど使い果たす給料も今は置いておらず、燃えて困るものなんて無いはずだ。
だが、今日は……朝から、母が体調を大きく崩して倒れている。
多少の体調不良なら放っておくが、母は高熱で苦しんでいる。
逃げることが出来ているはずだ。小さな家だから。入口さえ塞がれなければ、簡単に………。
必死に走る。晴天の空に、烏が1羽飛んで行った。
「…………姉貴……」
家の前で、呆然と弟が立ち尽くしていた。辺りの家は燃え、どの家も完全に火が広がっている。今日は晴天だ。火は、止まることを知らない。
「……………なぁ、姉貴。親父がよ、中に……………でて、来ねえんだ…」
「……………母さんは?」
「………………。」
無言で、家を見た。そう、そうなのか。
しんで、しまったのか。
3日後には、完全に火が消えた。
現場の金目のものを荒らされる前に、家を見に行く。私と弟は、それぞれ働いている工場でずっと働いて過ごしていた。
中で見つかった遺体は、2体。折り重なるように、真っ黒になっていた2人。
………裏切られたような気分になった。
そうか、そうなのか。
父は、母を。母は、父を。
そんなに、愛していたのか、と。
頬を伝った涙を見ても、弟は何も言わなかった。
ほとんど燃えてしまった家で見つけた売れるものを売り、弟と半分にした。嫌いだったはずの両親が死んで、何故か心が沈んでいる。近頃反抗期気味だった弟も今日は幾分か静かで、これから先の不安を感じさせる。
「………。」
私は、何となく半分渡そうとしていたお金を戻し、少し多く弟に分けてやった。
「…………?」
弟が驚いたように私を見るが、素直に受け取った。
深い意味なんてない。ただ、
「………治安が、悪くなりそう。気をつけてよね」
親を失った子供が、きっと盗みをする。少しこの地も荒れるだろう。私よりも、弟の方が逃げられる。ただ、それだけ。
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その後、私達は自然に暮らしが分かれていった。元々、男と女では出来る仕事も収入も時間も違う。それに、私達はその頃には12と11になっていた。独り立ちしても、おかしくない。
弟は、力仕事の道に。
私は、繊細な工場の道に。
私は頭は悪くなかったから、それなりの道に進めた。弟が小さな団体に入って盗みなどもしていると、風の噂で聞いた。
思った以上に、治安が悪化している。仕事も収入も減ってきている。私も今の仕事をクビにならないように必死に喰らい付いていた。
そして、奇跡が起こる。
貧民街の近くの街で、仕事の採用をされたのだ。とても親切な老夫婦の営むお店で、計算をしてくれる人を探していたのだという。私はお金の計算くらいなら出来たので、雇って貰えた。私の出身を聞くと、大変だったねとここに住むことを提案してくれた。
まともな店で、綺麗な家で、まともな収入。
夢のようなその話を受け、私の生活は一変した。
お風呂に入れる。ご飯を食べられる。笑顔を向けてもらえる。感謝してくれる。どれも経験の無いことで、自分も笑えたのだと初めて知った。
老夫婦には感謝してもしきれず、精一杯働いた。
街の人たちも、私を見ると挨拶をしてくれるようになった。訳ありだとは察せられていたと思うが、深入りはされずに助かっている。貧民街は何かと差別されやすいのだ。
それに、私の身体に刻み込まれた虐待の跡から、親から逃げたのだと思われていた。
「ハル、次はこれを頼んでもいいかい?」
「はい! 分かりました!」
ハル。呼ばれることがほとんどなかったその名前に、やっと相応しい生き方が出来ているような気がした。
そのうち字が読めるようになり、計算も上達していく。元々そんなに贅沢をしない私に、貯金が増えていく。
貧民街に居た頃には考えられないその給与を手渡される度に、あの日を思い出す。微々たるものだったけれど、あの後弟はちゃんと生きているのだろうか、と。
仲が良かったわけではない。家族に今更執着しているわけでも、恋しくなった訳でもない。
ただ、無性に気になった。
あの家を見に行きたいと、ふと思う。
「ハルはしっかり働いてくれているからね。少しくらい休みはあげられるよ。
………深くは聞かないが、行っておいで」
本当に、優しい人達に恵まれたと思う。私は、捨てることが出来なかった貧民街に居た時の服を着て、早朝にあの家に向かう。
ダボダボだった服は、いつの間にか背丈に合うようになっていた。他の人達に見つからないように、あの日1度だけ通った道のりを歩いていく。
お金は置いてきた。服も、貧民街で多い服装。ガリガリだったのはマシになっているが、怪しまれない程度には痩せているつもりだ。
だが、15歳になった私。3年の月日は、私を貧民街から離すのには十分過ぎた。下手に綺麗な自分で行くと、住民達からは直ぐに分かってしまう。
弟は、14になった頃だろう。逢いに行くつもりはない。そもそも、どこにいるのかさえ分からないのだから。
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………結論から言うと、私達の住んでいた家は既に他の人の家になっていた。井戸から水を汲みに行く女の子の姿を見て、急速に熱が冷めていくのを感じた。
もう、そこはかつてのように、私の居場所では無くなったのだ。
働いていた工場は、そのままだった。当時共に働いていた人達もほとんどそのままで、不覚にも涙が出てしまった。
でも、姿を現すようなことはしない。せいぜいお金をたかられるのがオチだろうから。
市場を歩きながら、しばし感傷に浸る。入れ替わりの激しいこの街に、もう私が居ていい理由は無いのだ。
私が、生まれ育った街。
クソみたいな人生。ずっと、変わりたかった。
愛着なんてないと、思っていた。
それなのに、それなのに。
「………………。」
こんな気持ちになるなんて、知らなかった。
何となく、市場から外れた家の多く立ち並ぶ道を進む。そろそろ帰ることにしたのだ。
すると、子供達が家の裏に隠れていくのが見えた。あの行動には心当たりがあった。何か争い事やトラブルがあった時、巻き込まれないようにする為の行動だ。家に入らないのは、入れば両親に殴られるからだろう。
「……ーーーー!」
「ーー! ………ーーーーーー!」
暫くし、喧騒が聞こえてくる。私も巻き込まれないように家の影に隠れた。
「……………捕まえたぞ! ちょこまかしやがって!」
……運悪く、近くで騒動が始まってしまったらしい。
大方盗みだろう。近くに隠れていた子供達が移動していくのが見える。私はそこまで身体が小さくないので、ただ見つからないことを祈る。
「くそっ!お前らにどれだけ盗まれたと思ってやがんだ! 返せっ!返せよ!」
殴る音。呻き声から、少年と店の人だと分かる。
「お前らのグループの奴にやられた事忘れてねえんだぞ!」
数人の男性が、1人をボコっている。よく見かける光景だ。グループで逃げていて、1人が捕まったのだろう。
「くそっ! 死ね! お前らだけじゃねえんだよ! ドブネズミはくたばれ!」
「…………くそ! 金がねえんだよ! みんなを賄うには足りねえんだ!」
少年が、そこで初めて反論した。
「……………………」
私は、その声に聞き覚えがあるのを感じる。
まさか、そんなはずは無い。根拠の無いその考えで、私は陰からそっとそれを見る。
忘れられる、はずがない。血を分けた、姉弟なのだから。どんな事があっても、呪いのように付きまとう。
そこに居たのは、
「………………ユキヤ……」
私の、弟。
手足が震える。会うはずなかったのに。なんで、なんで出会ってしまうのだろう。向こうからきっと私は見えないから、弟には見られてない。
早く立ち去りたいのに、身体は動いてくれない。あぁ、だから嫌だったのだ。ただ家族というだけで、その人は特別になるから。
そんな他人への甘さで命を落とすこの貧民街では、こんな特別を作るべきではなかったのに。
ご飯を、毛布を、愛情を奪い合った。そのせいで妹と弟が死んだ。でもそうしないと、私達も死んでいた。
ここでは、優しい人は命を落とす。
甘さが、自分の首を絞める。
それでも………
キラリ、と男のひとりがナイフを持っているのを見た。
「…………………っ!」
理由なんて、なかった。
「……………あ………ね、き?」
呆然とする弟に覆いかぶさったのに、理由なんて、なかった。
背中に深深と突き刺さった異物。完成された殺意をその身に受けた私はゴホッと血を吐き、弟の方へ倒れる。
「いたぞ! ユキヤ!無事か!」
そうしているうちに、弟の仲間が大勢戻ってきたのだろう。さすがに分が悪いと思ったのか、男達は逃げてく。だが、私は、それどころでは無かった。
「………なんで、姉貴…………んで、なんで、なん、で…………………………」
弟が私を見て壊れたように繰り返す。弟もどうやら、私を認識出来たらしい。男たちに咄嗟に引き抜かれた傷口から、血が大量に抜けていく。急速に、意識が朦朧としていく。
「なんなんだよ! 戻ってくんなよ! 姉貴! なんで………なんで………」
なんで、か。そんなの知らない。
「就職したんじゃねぇのかよ! 綺麗な服きて、こんな街出てって…………」
あぁ、知ってたの? いつの間に…
「くそっ! なんで………血が……血が……」
「落ち着けユキヤ! は、早く、診療所…」
「んな金ねぇよ!ユキヤ、急いであの人のとこにでも………!」
「…………だめ、だよ」
自分の声が、頼りなく聞こえる。
「……………………ユキ、ヤ……隣、街の……『みなとや』ってみせ……」
なんとか、伝える。私には、もう使えないから。
貯金は全て残ってる。どうして使わないのか、今やっとわかった。
「しあわせに…………なんなよ…」
不敵に笑う。
………兄弟、姉妹。
その全てが仲がいいだなんて、ありやしない。
今でも私は、そう思っている。
でも、それでも……
姉弟だから。それだけで、きっと良かった。
優しい人は命を落とす。
甘さは、自分の首を絞める。
現に今、死にかけてる。なのに私は弟しか目に入らない。
笑いあったのは遠い昔。でも、その昔の数回の出来事は、何よりも大切だったんだ。
…………あぁ、やっぱりクソくらえだ。
弟も、甘さを捨てられない私も。
本当に、私も、弟も。
最後の最後で、詰めが甘い。
久々に見た弟の泣き顔を最後に、視界が黒く塗りつぶされた。
評価頂ければ幸いです(_ _*)