第九話 うねうねの魔法
ミランジェと別れ、フィノは決戦の場を目指し、狭い通路を走る。
決勝の時間はもう過ぎてしまっていた。
レンや観客をこれ以上待たせてしまうのは申し訳ない。
フィノは走る速度を上げる。
レンとは戦わねばならない理由がある。
それも一つではない、ついさっき増えてしまった。
フィノはさらに速度を上げる。
別に戦いが好きなわけではなかったが、その表情は明るい。
純粋に楽しいと感じていた。
山を下りた日から、胸の底でこの感情が消えたことは無い。
フィノは風のように素早く駆けて行く。
楽しいだけでもない。
今は、『勝ちたい』とも思う。
こんな気持ちは生まれて始めてだ。
もしかしたら、ミランジェに火をつけられてしまったのかもしれないな。
そんな考えが頭をよぎって、フィノはくすっと笑った。
フィノの速度は既に、常人では視認不可な速度にまで達していた――
◇
『え~決勝の時間ではありますが、フィノ選手の到着が遅れているので、あらためて自己紹介をさせていただきたいと思います。決勝で実況解説を担当しますのは私、アルシー・メメメンと――』
『人呼んで嵐の剣姫……ワタクシ! エリザ・ティンバーレイクが務めさせていただきますわ! オ~ッホッホッホッホ』
『エリザ先生は当校の教員、それも学院長補佐というとても強くてえら~いお方です! ミランジェ選手に付き添って、医務室に行ったリンネ先生の代わりに来ていただきました!』
『ミランジェさん……心配ですわね。ただ、不謹慎ではありますが、ああいった若気の至りというのはどうしてこうも大人の心を揺さぶるのか。失ってしまった過去の自分を思い出すからなのでしょうかね』
『エリザ先生まだ二十代ですよね? なんだかおばさんみたい――いたっ! いたた! 太ももをつねるのはやめてください! スカートが履けなくなってしまいます! そ、そうだ! 今回の決勝は新入生同士という珍しいものですが、頂いた資料によれば過去にも一度だけ、新入生同士の優勝争いがあったそうですね!?』
『…………そうですわね』
『なんとビックリ! エリザ先生はその時の準優勝者じゃないですか! やはり新人の頃から天才的な戦闘センスを発揮していたんですね~』
『優勝を逃しているので、あまり良い思い出ではありませんが』
『ちなみに、その時の優勝者はどんなお方だったんですか?』
『……すかしたガキですわ』
『へ?』
『あ~思い出したらイライラが……あんの電気兎……! なぁにが……「まぁ、負ける要素はありませんでしたからね」――だ!』
『おお……その方は今どこで何を?』
『知・る・か! ある日突然休学して去っていったんですのよ! 永遠のライバルであるワタクシに! 何の相談もなくッ!』
『……もしかしてエリザ先生が教員になったのって、その人が戻ってくるのを待つためですか?』
『キーッ! んなワケないでしょー!』
『いててててて……だ、だから太ももをつねるのはやめてくださいってば…………おお~っとォ!? フィノ選手がついに到着したようです!』
◇
「遅れてごめんなさい! あたしはまだ戦えますか!?」
猛スピードで決闘場に入ったフィノ。
ズザァっとブレーキをかけ、観客席に向かって大きな声で謝った。
『問題ありませんよ。ルール上認められる範囲での遅刻です』
実況席からアルシーが答えた。
それを聞いたフィノはほっと胸をなでおろす。
「このまま逃げ出しておいた方が良かったのではないか?」
声のした方に向き直る。
腕組みをしたレンが立っていた。鋭い目つきでフィノを見ている。
「レンもごめんね? 待たせちゃった」
「問題ない。この後の本番のために魔力を集中しておきたかった」
後? とフィノは聞き返す。
今から始まるのが決勝のはずだが。
「貴様が決勝の相手だと分かってガッカリしたんでな。私は教員と戦うことにした。貴様を"殺せば"連中も動かざるをえん。出来ればあのリンネと決着をつけたかったが……あそこの金髪――エリザだったか? 奴でもなかなか楽しめそうだ」
ニヤリと笑うレン。
「そっか。そんなことを考えてたんだ……じゃあ、もしあたしが来なかったら――」
何かに気が付き、フィノの瞳が冷たく沈む。
その様子を見たレンは感心したように言う。
「察しが良いな? 観客の連中を痛めつけてやる予定だったよ」
フィノの表情から感情は消え、拳を握り込んで構えを取った。
『両選手、決闘場の中央で何やら話し込んでいたようですが、準備が整ったようですね? それでは――いよいよ始めましょう! フィリス魔導学院闘魔武会、決勝戦……フィノ対レン! いっっってみましょおおおおお!!!!!!』
これまでで一番大きな歓声が、決闘場の建物全体を震わせた。
◇
試合開始の実況が響いても、拳を握り込んだままフィノは動かない。
そこにレンは歩いて近付いていく。
その瞳はすでにフィノを見ていない。彼女にとってこれから始まるのは戦いではなく、エリザをおびき出すためのただの作業。
『さぁ始まりました、ついについに決勝戦です。フィノ選手、まずは様子見といったところでしょうか? 動く気配がありません。一方レン選手は大胆に詰めていくぞ!? エリザ先生はこの勝負、どちらに分があるとお考えですか?』
『やはり、レンさんでしょうね。彼女の長所は攻、防、技、全てが高水準に揃った接近戦にあると言えますわ。これを素手で正面から打ち破るのは至難。長射程の武器や魔法で戦うべきですが、フィノさんにはそのどちらもない。魔導輪を一つ持ってはいるようですが、距離を取らないところを見ると、攻撃でも生成でもない、防御系の魔法である可能性が高いでしょう。これではレンさんの得意な接近戦につき合うしかありませんわ』
『…………ハッ!? ガチすぎる解説にぼーっとしてしまいました! 申し訳ありません! とにかくフィノ選手にとっては厳しい戦いになるようですー!』
拳を強く握ったまま動かないフィノ。
レンは無警戒に近付き、たやすくフィノの首を掴んだ。
「やる気が無いのか? これから死ぬというのに……」
じゃあな、と言ってレンはその指に力を込めた。
こいつを虫の息にしてやれば、血相を変えたエリザと戦えるはず。
もしかしたらリンネも来るかもしれないな? そんな期待を一瞬するが――
「レン、いくよ?」
その言葉を聞いた直後、レンの視界は大きく歪んだ。
◇
実況のアルシーも、観客も。
戦闘においては専門家であるエリザさえも、その光景に言葉を失う。
彼女たちの目に映るのは、血を吐き宙を舞うレンの姿。
数秒後――派手な音を立て、彼女の体は地面に落ちた。
「ごほっ! げほっげほっ――が……あ……ああ……」
両手で腹をおさえ、声をあげてのたうち回るレン。
拳を振り上げた姿勢のフィノがゆっくりと腕を下ろし、苦しむレンに話し掛ける。
「弱いと思われてたみたいだけど、あたしはね、レン? ここに来てからまともに戦ったことなんて、一回も無いんだよ」
決勝戦だというのに静まり返った決闘場。
無防備に地を這う選手に、対戦相手が落ち着いて話し掛けているという異様な光景。
「先に忠告をしなかったのは、初めて会った時のお返し。でも半分くらいの力でゲンコツしたんだよ? 氷の鎧を使ってなかったみたいだから、思いっきりやったら死んじゃってたかもしれない……次からはしっかり防御してね」
リンネから氷の鎧の話を聞いた時、本気で悩んでしまった。
もしかしたら……"全力で殴っても"大丈夫かもしれないと。
『………………あ……と……フィ、フィノ選手のきょおおおれつなボディブローがヒットォォォ! レン選手いまだ立ち上がれません! これは大きなチャンスです……が……なんで……追撃をしないのでしょうか……? エリザ先生?』
『……さぁ?』
『はい、ありがとうございました……えっと、フィノ選手、何かを待っているようです……皆さんもお待ちくださ~い』
激しく呼吸をしながら、レンはどうにか立ち上がる。
見開いた目は血走っていて、表情から先程までの余裕が消えている。
「き……さま……」
「あたしの名前はフィノだよ。レン、あらためてよろしくね?」
「後悔させてやる……手を抜いたことも……わざわざ待っていたことも……」
レンの肉体から爆発するように冷気の魔力が広がった。
「不意打ちで勝っても意味が無いんだ。レンとは思いっきりぶつかり合いたいから」
「何の……ためだ……?」
「あたしを認めてもらって、みんなに酷いことをしないようにしてもらいたいの。それと――」
笑顔を見せて、フィノは告げる。
「あたしと……友達になってほしいから――」
◇
フィノとレン。
二人の影が交差する。
レンはその小さな手を開き、フィノの腕を掴みに行くが――失敗。
触れることすら出来ず、フィノの拳がレンの体を殴り飛ばした。
地面には破壊された氷の破片がまき散らされる。
その後も二人がぶつかるたびに、拳や蹴りでレンの体は大きく弾き飛ばされた。
だがダメージは無い。すぐに体勢を整え向かって行く。
レンは魔力の衣を最大出力で展開。氷の鎧を何重にも張り必殺の一撃を受け止め続ける。
『強い! 強い! 強い! フィノ選手! 予想を裏切り接近戦でレン選手を圧倒しています! しかしレン選手も諦めないぞ!? 何度吹き飛ばされても挑み続けます! エリザ先生! これはどういうことなんでしょうか?』
『格闘能力の差は歴然。レンさんも当然分かっているでしょうから、何か狙いがあると見るべきですわね。魔力が底をつき、氷による防壁が使えなくなってしまえばすべてが終わる……そう遠くないうちに仕掛けると思われますわ』
これで何度目の衝突か、一つ覚えのように掴みにいくレンの手をあっさりとフィノはかわす。
そして反撃の拳を構えたその刹那、その呟きを聞いた。
「アイスニードル!」
ツララ……というよりは氷で作られた槍。
それがレンの体からフィノへ向かって突き出た! だが――
「ミランジェに使ってた魔法だね? この変化は分かってたよ、レン。この状況を待ってたんだ!」
「なっ!? し、しまっ――」
不意打ちは失敗。
レンの体から突き出た氷の槍を、フィノは左腕でしっかりと固定していた。
次にフィノの言葉を聞いて、自らの置かれた絶望的な状況を知る。
これでは……逃げ場がない!
フィノは右手に作った拳を大きく振りかぶる。
その超人的な身体能力から生み出される圧倒的なパワーを全て拳に集め――
「どぉっぅりゃあ~~~!!!」
全力でレンの顔面へ叩きこんだ!
両手持ちの大斧を片手で軽々と振り回すほどの腕力で放たれる、運動エネルギーのインパクト。
それは氷による防御を楽々と貫通し、レンに甚大なダメージを与えた。
レンの体は水平に飛び、大きな音を立て壁に激突、地面に落ちて……動かなくなった。
◇
『レン選手ダウーーーン!!! 物凄い音が聞こえてきましたぁ! これは決まってしまったかー!?』
頭にガンガンと響く、やかましい実況の声。
途切れそうになる意識をどうにか掴み、レンは立ち上がった。
「ぐっ……う……ハァ……ハァ……」
よく見れば服が真っ赤だ。
自分の顔から出血していたことを触って確認。
「お……のれ……」
残された魔力はもう半分以下、体も十分には動かない。
軍人、騎士、傭兵、賞金稼ぎ、冒険者――あらゆるタイプの強者と戦った経験を持つレンではあったが、ここまで追い詰められたのは人生で初めてのこと。
それもやったのは年端も行かぬ素人の女の子。レンよりは年上だが。
レンが立ち上がったのを確認して、フィノはこっちに迫って来る。
次はもう、待ってはくれない。
「くそ……くそおおおおおおおおお!」
叫び、魔力をどうにか手に集め地面を叩いた。
するとフィノの足元から巨大な氷の柱が出現。
容易く避けられてしまうが……これで良い――当てることが目的ではない。
「おおおおおおおおお!」
レンは何度も地面を叩く。
そのたびに氷の柱が生まれる。
やがて、大量の氷柱がフィノを囲った。
「これで逃げ場はないぞ! フィノ!」
初めて名前を呼んだ。
それは、無意識に彼女のことを認めた瞬間だった。
「アイスニードル!」
気合と共に魔法を放つ。
氷柱によって逃げ場を無くしたフィノの足元から、巨大な氷槍が突き出した。
これをフィノは大きくジャンプして避けた。
「バカめ! これが狙いだぁ!」
レンは残された全ての魔力を両手に集中。
自らの持つ、最大最強の氷魔法を発動させるために。
レンの魔力が膨れ上がったことを空中で察知したフィノ。
落下しながらしまった、という表情に変わった。
しかしもう遅い、空中で取れる選択肢など何一つ存在しない。
フィノが着地する瞬間。
レンは両手を地に置き、その魔法を発動させる。
「アイス・エイジ!!!」
決闘場の地面と壁が一瞬で凍結。
戦場は氷の世界へと姿を変えた。
フィノは分厚い氷に足を取られ、動きを封じられる。
「フィノォォォォォォ!!!」
声と力を絞り出し、レンは自由を奪われたフィノに接近。
その両腕を掴んだ!
「私の……勝ちだぁぁぁぁぁ!」
異常発達した握力を使い渾身の力でねじり上げる。
「うわあああああああ!」
フィノの両腕の筋肉は破壊され、肩が外れる。あまりの痛みに悲鳴を上げた。
そしてレンは再びフィノの首を掴む――
これで、決着だ!
――だが!
「ぶっ! げっ……」
みしぃ、とフィノの頭部がレンの顔面に食い込んだ。
下半身を凍らされ、両腕を破壊されてもなお、人間の体には武器があった。
「う……うう……」
うめき声を発しながら、レンはよろよろと後退、尻もちをついてしまった。
手足がガクガクと震えている。
意識を保つだけで精一杯。
彼女の肉体はもう限界だった。
レンのそんな姿を見たフィノの表情は――笑顔。
その顔を見たレンの胸に走るは――恐怖。
「あはは……これ……すっごく痛いね……レン……でも……戦いはまだ続いてるからね……あたしも……奥の手を使うよ?」
こんな姿になって、何が出来るというのか……
そう考えていたら、フィノの手にある指輪が光りはじめた。
ぼんやりとした緑色の光。
「実はね……これまだ練習中で……制御が出来ないんだ……でもこんなに腕が痛かったら……どっちにしろ魔力操作は無理か……はは」
困ったように笑いながら、フィノはその魔法を唱える。
「名前……なんだっけ? 学院長先生から聞いたんだけど忘れちゃったな……なんか……『うねうねした魔法』!」
――次の瞬間、フィノの腕から緑色の触手が大量に発生した!
◇
「な、な、な、なん……え……ええ?」
レン、混乱。
伸び続ける無数の触手は粘液を垂れ流しながら激しく暴れ回る。
「え……?」
そのおぞましい光景を放心状態で見ていたレン。
触手は何かに気付いたようにビクっと動きを止めると、なんと! レンに向かって一斉に集まって来た。
「う、うわあああああ!」
触手がレンの体に取り付き宙づり状態になる。
そのゴリゴリとした体をレンの頬や太ももになすりつけ、彼女の肌を粘液塗れにした。
何かの準備をしているようにも見える。
「や……やだ! 嫌だぁ! やめてくれ! 負けでいいから! 私の負けでいいからぁ!」
あ、泣いちゃった。
「レン! だったら酷いことをしたみんなにちゃんと謝らなくちゃダメだよ?」
「あ、謝る! 謝るから……」
「もう他の子をいじめたりしちゃダメだよ?」
「しない! 私が悪かった!」
「下着を盗んだりお風呂を覗くのもダメ!」
「それは私じゃ――あひゃあんっ!?」
にゅるん! とレンの服の中に触手が侵入。可愛い声が聞こえた。
いつの間にか観客たちから大きな、とても大きな歓声が上がっている。
本日最大の盛り上がりを見せているような気もする。
「分かった! もういいから! 全部私が悪いし謝るから……これをなんとかしてくれぇ!」
「最後に……あたしと友達になってよ!」
「何でもなってやる! もう好きにしろ! あっ……ちっ違う! お前に言ったんじゃ――ふぅっ、うっ、ふぁああ……」
「やった! 実はあたしこのためだけに大会に出たんだよね」
にぱっと笑ったフィノ。
とっても嬉しそう!
「え~っとね……レン。かわいそうなんだけどさ……実はこの魔法……あたしにも制御できないんだよね。魔力がなくなるまで勝手に暴れ続けちゃうの……ごめんね?」
申し訳なさそうに謝るフィノ。
「フィノ! キッサマー! ――んぅくっ!? やめろ! どこに入ろうとしてっ――ひうっ!?」
その後数十分に渡りフィノとレンの触手ショーは続き、レンが意識を失ったタイミングでフィノの優勝が決定。
エリザが割って入り、レンは無事救出されました!