第五話 小さな氷魔導士
「……いけっ」
魔法で生み出した人型の土ゴーレムにリンネが指示を出す……が。
「――アイスショック」
既に駆け寄っていたレンが触れた。彼女がぼそっと呟いたと同時にゴーレムは一瞬で氷像へと変わる。
レンはそのままの勢いでリンネに接近。開いた手を素早く突き出し、少女とは思えぬ恐るべき握力で腕を掴んだ。
その指がリンネの腕の肉に食い込んでいる。
「終わったぞ、先生」
そう言うと同時に、レンは掴んだ腕を強引にねじり上げた!
「ッ!!!」
腕の筋肉が悲鳴をあげ破壊される。
衝撃は上へと伝わり肩は外れた。
外された肩を抱いてしゃがみ込むリンネ。
「これで終わりか? 期待外れだな……あの犬は貴様らの中でも余程出来る奴だったらしい」
見下ろし、冷たく吐き捨てるレン。
やがてリンネはゆっくりと顔を上げ…………
「なんちゃって~」
ペロッと舌を出して言う。
それと同時にリンネの足元からは土で出来た巨大な腕が出現。
人間の頭ほどもある大きな拳でレンの顔面を殴り飛ばした。
レンの小さな体は勢いよく吹き飛んでいく。
「ふふ……安心しちゃダメだよ……レンちゃん……足が無事なのに逃げようとしないなら……相手は必ず何かを企んでいるから……魔導士は特にねぇ~」
壊された腕をだらんと垂らして、とても楽しそうにリンネは語る。
そしてその場でとん、と足踏み。すると二体の人型ゴーレムが左右に現れた。二体とも剣と盾を持っている。
「これは戦闘用ゴーレムだから……気を付けてね……? ……次は……ちょっと本気出すよ……レンちゃん……」
ニタァとした口元を見せる。
一方、飛ばされたレンはむくりと起き上がる。
「……痛みで悪だくみなどしている余裕はないはずなんだがな。薬か何かでマヒさせているのか」
殴られたはずの顔は無傷、攻撃は顔に張られた氷の膜によって防がれていた。
クモの巣のようにヒビが入った氷の膜が、立ち上がると同時にぽろぽろと崩れていく。
再び構えを取ったレン。彼女の周りを冷気が纏い始める。
それを見たリンネはさらに口角をあげた。
「どうやって……今の攻撃を防いだのかと思ったけど……『魔力の衣』……か……その年で出来る人を見たのは初めてだよ……キミは……もう卒業試験を受けてもいいんじゃないかなぁ?」
両者は構えを取ったままにじり寄っていく。
リンネは楽し気に二体のゴーレムと。
レンは無表情なまま、輝く冷気を纏って。
互いに全力のぶつかり合いになる事を感じ、踏み出した瞬間――
『リンネ! その辺にしておきなさい! 既にあなたの負けですわ! レンさんに掴まれた時点で入学式は終わっていますのよ!』
どこからともなく聞こえてくる大きな声。
それを聞いて初めてリンネは困った様子を見せる。
「うっ……エリザ先輩……う~ん……確かにそうか……レンちゃん……おめでとう……キミの勝ちだ」
「チッ……面白くなってきたところだったのに……つまらんルールだ」
そんな二人のやり取りの後、世界はぐにゃりと、大きく歪んだ――
◇
――遠くで、ざわざわと人の話し声が聞こえる。
ぐらつく意識は次第に固まり、声はどんどん大きくなってくる。
たしか自分は、森の中で自由を奪われ、リンネとレンの戦いを見ていたはずだ。
そう、フィノは思い出す。
「……っち、フィノっち!」
名を呼ばれ、フィノの意識は完全に覚醒した。
「あ、ミランジェ……ここは……」
目の前にはミランジェ。
周囲には大勢の同期たち。
自分たちがいるのは、入学式をするために集まった部屋だ。
「あれ? あたし寝ちゃってた?」
「違うと思う……フィノっちはさっきまで森の中にいたんじゃない? あの先生とレンが戦ってた」
「うん、そんな夢だったような」
「うちもだよ、多分同じ場所……きっとあれが入学式だったんだ。妙な空間に意識だけを飛ばされてて……レンが先生を捕まえたから終わった……向こうでモンスターにやられた子も生きてる」
周りの者たちもさっきの現象について話をしているようだ。
騒がしい部屋の中、隅で立つレンだけが、冷静に腕組みをしてとある人物を見つめていた。部屋の前、口元だけで笑顔を見せているリンネを。
「みなさん! お静かに! わたくしの方から説明をいたしますわ」
リンネの隣にいたエリザが大声で言った。
場は静まり、エリザの説明が始まる。
内容はこうだ、さっきまでいた世界は学校側が用意した仮想空間だということ。
何故そんなことをするのかといえば、新入生にモンスターや実戦の恐ろしさを知ってもらいたかったということ。
フィリス魔導学院ではこれを最初の授業とし、入学式と呼んでいるということ。
エリザの説明が終わり、今度は学院長が簡単な挨拶をした後に、入学式は無事終了した。
◇
入学式が終わり、太陽は朝と夕の中間ほど。
フィノとミランジェは複雑な思いを抱えながら食堂へ。
「う~っす! フィノ、ミランジェ!」
昼食をトレイに乗せ歩いていた二人に、テーブルに座りながら声を掛けたのはニケ、人間モード。
嬉しそうに手招きをして二人をそばに座らせた。
「聞いたぞ? 初日でリンネを捕まえて入学式を終わらせたらしいな。今期は優秀じゃの~」
「やったのはレンだけどね……」
「お? 元気が無いなフィノ。ミランジェもへこんどるし……流石のお前さんらもこたえたか?」
茶化したような笑顔のニケ。
疲れ切った顔でミランジェが口を開く。
「そりゃまぁね……本当に死ぬかと思ったし……っつーか死んだ子もいるしね……実際には生きてたけど」
「ニケさん……どうして先に教えてくれなかったの?」
少しだけ怒りの感情を見せながらフィノが聞く。
仮想空間で殺された者のショックは特に大きく、青ざめた顔で寮に帰っていく姿を見たからだ。
「そりゃ教えちまったら意味が無いからの。自分たちがこれから踏み込む世界を知ってもらうための入学式じゃ」
「う~ん……理屈は分かるけど……これで潰れちゃう子もいるかもしれないよ?」
「これがトラウマになって魔導士を諦めるのならばその方が良いんじゃよ。現実の戦いではもっと辛く、理不尽な状況に放り込まれる事もある。その時になって後悔しても遅い」
笑顔を消し、ニケは真剣に語り続ける。
「冒険者を見てみろ。誰でも簡単になることが出来るが、そのせいで大抵の者はすぐに死ぬ。死の間際になって、自分の甘い選択を後悔した若者がどれほどおるか……最近では冒険者協会でも色々手を打ってはいるようじゃが……それでも依然として死亡率は高いのが現実じゃ。わしも学院長もな、生徒たちにはまずそれを伝えたい。そのための入学式なんじゃ」
そう言ってから再び笑顔を見せたニケ。
それは長い年月を生き、様々な死を見て来た者の言葉。
普段の軽い態度の裏に、どれほどの想いを抱えているのか……
ニケの言葉から、そんな重みを感じるフィノとミランジェだった。
◇
入学式から数日後、学院での授業が本格的に始まった。
午後まで座学を受けていたフィノは教室から出て校舎の外へ向かう。
実技や課題はともかく、魔法関連の理屈っぽい授業はどうにも苦手である。
町に出て甘いものでも食べようか……
疲れた顔でそんなことを考えながら歩いていると、手を振りながらミランジェが近付いて来た。
学院に来てからはもう何度も見た笑顔で。
「うっす、フィノっち。どぉ? 進んでる?」
「座学の方がさっぱりだったから、今日は朝からまとめて取ったよ……」
そう言って生徒手帳を広げて見せるフィノ。
「おぉ、大分進んでるね~……うわ、ほとんどリンネちゃんのサインじゃん。あのセンセの授業は分かり辛そうだな」
「あたしは誰に説明されても難しい話について行けないから……一緒かな」
「あ、南の洞窟で証を取って来る課題まだやってないんだね。あそこのゴブリンはスケベだから気を付けた方がいーよ?」
フィリス魔導学院の授業は自由に受けることが出来る。
必要な授業を全て受け、課題をこなせば二回生への進級試験に挑戦することが可能になるのだ。
ちなみに進級試験に合格できない場合はいつまで経っても一回生のままである。
五回生まで進み、条件を満たすことでようやく卒業試験を受けられる仕組みだ。
だがその道のりは険しく、ほとんどの学生は卒業どころか五回生に進むことすら出来ていない。
「フィノさん! フィノさ~ん!」
ミランジェと雑談していると、学院の生徒が一人走ってきた。
入学式でフィノが助けた女の子だ。
「ラキ、どうしたの? そんなに慌てて」
「フィノさん! "また"なんです! 例の通り魔が!」
「また!?」
「とにかく来てください! こっちです」
再び走り出したラキにフィノとミランジェは付いて行く。
◇
学院の敷地内、人目に付かない狭い食堂裏。
フィノとミランジェはラキに案内されやって来た。
騒がしい人だかりの前に出ると、そこには……今にも泣きだしそうな表情で凍り付いた生徒の姿が。
大勢の生徒がその姿を見て話をしている。
「あれ、四回生のアガサだよ」
「五回生への進級試験に受かったのに、素行不良で取り消されたって噂の?」
「アガサ先輩のあんな表情初めて見た……」
「ハイハーイ! 医療班でーす! 道を開けてくださーい!」
凍った生徒は担架に乗せられ医務室へと運ばれて行った。
その様子を見ていたフィノにラキが話し掛ける。
「フィノさん……あのアガサって先輩はそれなりに名の知れた使い手だったそうです。これまで犠牲になった人はみんな強い人ばかり……私、フィノさんも狙われるんじゃないかって心配で……」
「……あたしのところにはこないと思う……多分……弱いと思われてるから……」
フィノは犯人に心当たりがある。
強い者を狙う、氷属性の魔法を操る魔導士。
それも上級生を倒すほどの実力を持った者といえば――
「レンちゃん……だよねぇ……」
「うわ!?」
近くにあった木の影からいきなり声を掛けられた。
影から生まれたようにゆらりと現れたのは、一応フィノたち新入生の担当教員、リンネだ。
相変わらず長い前髪で口元しか見えない。
「やられたのはこれで三人……いずれも血の気が多く……生徒の中では上位の力を持つ者ばかり……証拠が無い以上……本人に詰め寄るわけにもいかないけど……」
「リンネちゃんセンセー! やられた人って死んだわけじゃないんでしょ? 聞いてみりゃ犯人なんてすぐ分かるんじゃないの? おチビの肩持つ気はないけどさ、大した証拠も無いのに決めつけるのってうちはちょっとどうかと思うよ」
「うふふ……やられた子はね……犯人のことを絶対に言おうとしないの……ただ悔しそうにするばかりでね……新入生にコテンパンにされた……なんて言えるわけないだろうしね……」
フィノちゃんはどう思う? とリンネは聞いてきた。
「あたしもレンだと思います……初めて会った時……あたしにも仕掛けてきたから……」
なんとか、しなくちゃな……
真剣な顔でそう呟いたフィノを、リンネは上機嫌に見つめていた。