第十二話 先っちょだけ
夕日に照らされたフィリスの町。
石で舗装された道を軽快に走る女の子の姿があった。
半袖に半ズボン、短めに揃えられた黒髪から受ける印象は少年のよう。
彼女の名前はフィノ。
フィリス魔導学院の生徒で、特異な魔力『樹』の性質を持つ魔導士の卵だ。
入学式やら歓迎会やらが終わり、学院での生活にも慣れて来た彼女は一時的に故郷の山に里帰りをしていた。
今は再び町に戻り、学院へ向かっている。
(予定より遅れちゃったけど、暗くなる前に戻れてよかった)
風を切り、並び立つ家々を横目に走る。
特別仲の良い友人二人にお土産でも用意してくるべきだったか。そんなことを考える余裕も出てきたあたりで、学院の門が見えて来た。
慣れた手付きで開け、塀の中へと入る。
(あれ……?)
通った瞬間に違和感を覚える。
「うっ!? な……なにこれ……」
門をくぐった先に見たものは……変わり果てた学院の姿。
まずフィノを襲ったのは今までに嗅いだことのない悪臭、思わず口と鼻を手でふさぐ。
何かが腐ったような生臭さ、吐き気を催す生理的に受け付けない臭いだった。
そして目を疑うのは妙な明るさだ。
さっきまで町を走っていた時の日は沈みかけだったはずである。だが学院の中は太陽が見えないにも関わらず昼間のように明るかった。
雲はなく、紫色の空は一目で異常な世界に足を踏み入れてしまった事をフィノに理解させた。
遠くからは女の唸り声が聞こえる。
人としての知性は感じない、ケモノが何かを求めているような声。
地面や建物の壁には所々謎の白い液体が付着していた。
慌てて門へと振り返り、町に出ようとしてみたが失敗。
見えない壁で門が塞がれてしまっている。
(閉じ込められた!? 敵……!)
構えを取り、門に向かって渾身の力を込めた飛び蹴りを打ち込む。
並の魔法障壁など容易く破壊する威力ではあったが、門は破れない。
(無理か。こんな魔法もあるんだ……ミランジェたち大丈夫かなぁ)
どうするべきか門を見て考えていると、後ろから声を掛けられた。
「へへ……へ……フィノさぁん……」
「ラキ!?」
聞き覚えのある友人の声、彼女はラキ。
学院に来て知り合ったフィノと同期の女の子。
振り返って無事な姿を確認したフィノは少し安心する。
「ラキ! 何があったの……って、それ……どうしたの?」
フィノの視線はラキの下半身に。
スカートの前部分が不自然に盛り上がっていた。
「へ……へ……へ……うぇ……」
ラキは答えない、血走った目でしゃっくりをするように笑いフィノを見ている。
「ラ……キ……?」
じりじりと近付いて来るラキ。
異常な様子にフィノも警戒する。
「フィノさぁん…………いただきまぁ~~~す!」
「うわ!?」
ガバっと両手を広げて襲い掛かって来たラキ。
フィノはするりと抜けて距離を取った。
「ラキ! どうしたの!?」
「チッ……大人しくしてくださいよぉ……あ~ムラムラする……」
先程までとは一転、明らかな殺気を滲ませながらラキはフィノを見た。
「フィノさんが悪いんですよぉ? そんなに可愛いから!」
(敵に操られてる? どうしよう、ラキとは戦えないよ……)
一瞬考え、すぐに答えを出した。
「……逃げるか。 ラキ! 必ず助けるから待っててね!」
笑顔でそう告げて、学院の敷地内へ向かって走り出した。
◇
「フィノちゃんだぁ! うおおお!!!」
「ヤらせろぉおおおおおお!!!」
「はぁはぁ! フィノちゃん! フィノちゃん!」
学院の敷地内に寝転がっていた生徒たち、走り抜けるフィノに気が付くと声を掛けて来る。
それだけならいつものことだが、皆目を血走らせ涎を垂らしながら追いかけようとする。股間を不自然に膨らませながら。
(みんなおかしくなってる! 無事な人はいないの!?)
建物の影に隠れ彼女たちをやり過ごす。
誰にも見つからないように進み、目に付いた武器屋のドアを開け中へと入った。すると――
「動くな!」
「ッ!」
武器屋の中に入ると勇ましい少女の声が聞こえた。
藍色のクセ毛に小さな黒いリボン。
カウンターの向こうからこちらをにらみつけ、クロスボウを構えていた。
フィノは彼女を知っていた。両手を上にあげ声を出す。
「シェスカ! 撃たないで! あたしだよ!」
シェスカはクロスボウを向けながらフィノの下半身を確認。
数秒後ふぅ……と息を吐いてから体の力を抜いた。
「フィノか……ふん! どうやら無事だったみたいね」
そう言いながらカウンターを飛び越えフィノに近付き、ドアを閉めて鍵をかけた。
「いったい学校で何があったの!?」
「私にだって分かんないわよ! 気が付いたらあいつらおかしくなってて…………が生えてて、次々にみんなと……」
「え? ゴメン聞こえなかった。何が生えてるの?」
シェスカは顔を赤くして言葉を探している。
じっと彼女を見つめるフィノと視線が合って恥ずかしそうに目をそらした。
シェスカはフィノに対していつもこうなのだ。
言葉と態度がきついので、フィノは最初嫌われてしまっているのかと思ったが、フィノの追っかけ連中に混じっていたりでよく分からない女の子である。
そして、黙ってしまっていたシェスカが口を開きかけた時だった。
ズドン! と音がして建物の壁に大きな穴が開いた。
そこから数人の生徒たちが現れ近くにいたシェスカに飛びつき押し倒した!
「オンナァァァァァァ!!!」
「いやっ! いやぁああああああ!」
「シェスカ!」
フィノは助けようとするが、
「――ええええ!?」
想定外の光景に体が固まった。
股間を膨らませた女生徒は押し倒したシェスカの唇を奪っていた!
ぶっちゅううと吸い付いている。
「んー! んー!」
シェスカは涙目で手足をばたつかせるが、次第にくたっと力を無くしてしまった。
次に他の女生徒がシェスカの服を脱がし始める。かなり慣れた手付きでするすると脱がしていく。
「いっ、今助けるからね!」
何か違った危機を感じたフィノ。
彼女を救うべく体に力を入れたが――
「フィノ、戻っておったんじゃな」
聞こえたと同時に、大きな衝撃がフィノの背中を襲った。
◇
武器屋の壁を突き破り、フィノの体は外へ吹き飛ばされる。
地面に落ちてもその勢いは弱まらず、何度も何度も地面を転がった。
ようやく勢いが弱まり、立ち上がる。
「今の……声……ニケ……?」
背中に鈍い痛み。殴られたか蹴られたか。
肺にまでダメージが伝わり呼吸が上手く出来ない。
過去、クマの突進を受けた時もここまでのダメージにはならなかった。
「フィノォォォ…………」
唸り声をあげ、武器屋の壁に開いた穴からゆっくりと、そのケモノは姿を現した。
形だけは人間の女であるが、逆立った白い髪に鋭く伸びた牙は見ただけで人外の者であることが分かる。
黒いコートに身を包み、赤く光る瞳をフィノに向けた彼女の名はニケ。
学院長の使い魔で、フィノたち生徒の世話をいつも焼いていた優しき犬神。
うっすらと笑みを浮かべ、フィノに近付いて来る。
「フィノォォォ!」
(ニケまでおかしくなってるなんて!)
叫び、大地を蹴りニケは接近。人間には決して真似できない低い姿勢で走り込む。尋常ではない速度。
両の拳を強く握りフィノは迎えうつ。手加減など出来る相手では無いことは分かっていた。
轟音と共に拳をぶつけあう二人。
互いに数発の打撃を打ち込んでから距離を取った。
(甘くみてたわけじゃないけど……やっぱり強い……!)
よろけるがどうにか持ち直したフィノ。胸に手を当て苦しい表情。
一瞬のやり取りではあったが、ニケの力量を知るには十分であった。
一方ニケは両手足を地につけ継戦体勢。
笑みを浮かべながらもにじり寄る。
フィノとの戦闘を楽しんでいるようにも見える。
(どうする……どうしよう……)
急がなければシェスカが危ない。
しかしニケを突破するのは容易ではない。
苦しい現状を打破するべく思案するが――
「フィノォ……大人しくならんな……ならば、本気でやらせてもらうぞ……」
「ッ!」
空間が歪んで見える程の"濃い"生命エネルギーをニケは纏った。
魔力ではない、何か別の力。
正体は分からないが、その力強さを野生動物のような鋭さで感じ取ったフィノに突き付けられるは強烈な負のイメージ。
それは、フィノから瞬時に他の選択肢を奪った。
(ごめん、シェスカ。絶対に戻ってくるから!)
フィノは、残された力の全てを逃走に費やした。
◇
傷付いた体で学院の敷地内を走るフィノ。
目指しているのは学生寮。
(ミランジェかレン……先生たちの誰かが無事でいれば……)
うかうかしていたらニケに追いつかれてしまう。
ニオイを探られてしまえば隠れても無駄である。
全力で走り学生寮の前までやって来た。何としてでも協力者を見つける必要がある。
「誰か! 誰か無事でいませんか!」
精一杯の声を出しながら中に入る。
「フィノっち!」
探していた人物はすぐに見つかった。
よく手入れされた桃色の髪、女性にしては高い身長、流行りの化粧とアクセサリーを見ればどこにでもいそうな若い女の子ではあるが、腰から下げた一振りの刀は彼女が戦場に身を置く者であるということを示している。
彼女はフィノの最初の友達。
「ミランジェ! 無事だった……の?」
言葉の途中で疑問符が付いた。フィノの視線が下に動く。
「なぁに言ってんの~フィノっち! 無事だったに決まってんジャン。走って来るフィノっちが見えたからさぁ、急いで部屋から出て来たんだよ?」
フィノは黙ってミランジェを見ている。
あやしい、とってもあやしい。
何故かって言えばフィノに向かって血走った目でウインクしていたミランジェの姿勢は思いっきり前かがみだったからだ。
まるで膨れ上がった股間を隠しているかのような……
「ほらほら! そんなトコでぼけっとしてないでさぁ。うちの部屋にいこーよ。里帰りはどうだった? 話聞かせてよ」
つま先でちょこちょこ歩いてフィノの手を握るミランジェ。その手はじっとりと汗で濡れていた。ちょっとぷるぷるしてる。
顔だけは素晴らしい笑顔。嘘くさい笑顔。
「え? いや、あたしそんなことしてる場合じゃ……」
「いーからいーから! うちの部屋すぐそこだしさぁ、こんなトコで話するくらいなら寄ってこーよ! ね、ね、ね? いこいこ! ちょっとだけ! ちょっとだけだから! 先っちょだけだから! 少し休憩するだけだよ。いこーよぉ、ねぇ、いこーってばぁ!」
早口。顔は笑っているが目が笑ってない。
前かがみの姿勢を取ったままミランジェはフィノを強引に部屋に連れ込もうとする。
「う、うん。話をしたいのはあたしもなんだ。えっとね――」
「よっしゃあ! フィノっちご案内ィ!」
ミランジェはガッツポーズしながら言うと小柄なフィノの体を抱き上げた。
お姫様抱っこをした状態で走って部屋に向かう。凄い速度だ。やたら息が荒いのは走っているからだろうか……?
◇
抱えられた状態でミランジェの部屋にやって来たフィノ。
部屋に入った途端ベットに放り投げられ入り口の鍵を閉められた。
「わぁ。いつになく強引だね……」
ミランジェは返事をしない。
鍵をかけたドアの方を向いたまま何やらブツブツ呟いている。
「あの……ミランジェ?」
「フィノっちさぁ……一緒に山を下りた時のこと覚えてる?」
さっきまでとは打って変わって落ち着いた声でミランジェは話始めた。
「あの時フィノっちはうちの体をあのにゅるにゅるした魔法でキズモノにしたよね? やっぱりさ、責任取ってほしいって思うんだよね」
「えっと……あの……」
こんな時に何を言っているのか。
魔法の暴走に巻き込んだことを申し訳なく思う気持ちはあったが……
「だからさぁ……やっぱりフィノっちはうちの嫁になるべきだと思うんだよね。責任とってさ」
「ええええ!?」
意味が分からなかった。
「フィノっち……大好きだよ……」
想いを込めた言葉を送り、ミランジェはベッドに座るフィノに振り返った。
その身にまとった衣を脱いで、愛しき者に彼女の全てをさらけ出した。
「&%$$(&W’$%~~~~!!!???」
その姿を見たフィノは全身の毛を逆立て声にならない悲鳴を上げた。
体と心が石のように動かなくなる。
視線はミランジェの下半身に釘付けだった。
そこにあったのは雄々(おお)しくそそり勃つ本来ならば男性の股間にしか生えていないはずの――
「フィノっちィィィ! 愛してるよぉ!」
ミランジェがフィノに飛び掛かったその刹那!
ドアの向こうからその声は聞こえて来た。
「派手女……貴様のは愛ではない……」
粉々に吹き飛ぶドア、部屋に飛び込んできた小さな影。
その影は空中でフィノに覆いかぶさろうとしていたミランジェの横顔に蹴りを入れた。
吹っ飛んだミランジェが家具に激突し大きな音を立てる。
ぽふっとフィノの座るベッドに着地する乱入者。
彼女もまたフィノの大切な友達。
「……あ」
その姿を見て正気に戻るフィノ。
彼女はフィノを見下ろし、その幼い姿には不釣り合いな冷静な声で言う。
「危ないところだったなフィノ。もう少し遅ければ手遅れだったぞ」
すらりと立ち、腰まで伸びた長い水色の髪が揺れる。
鋭い碧の瞳は今となっては頼もしく光り輝いて見える。
フィノより年は下だが、一番のライバルでもある彼女の名は――
「レン!」
それは、フィノが学院に戻ってきて初めて安心した瞬間だった。