第十一話 悪夢の始まり
フィリス魔導学院。
フィリスの町にある長~~い塀に囲まれた、一流の魔導士を育成するための学校。
敷地内には寮や各種施設、店が揃い、塀の中に存在するもう一つの町と言ってもいいくらいである。
ここは生徒たちの声でいつも騒がしい。
きゃあきゃあ言いながら水晶で動画を見たり、訓練場から脱走したモンスターを慌てて追いかけまわしたり、学院のアイドルを巡って決闘を始めたり、暴発した風の魔法で大勢のスカートがめくれたり――。
そんないつも通りの日だった。
「つったかた~♪ つったかた~♪」
学院の敷地内を大股で歩く女の子。
上着のポケットに両手を突っ込んで、上機嫌に何処かへ向かっている。
灰色の髪をした彼女の名はトカナ。
この学院の生徒だ。
「おや、トカナさんですか。こんな所で何を? 向こうには職員寮以外ありませんが……」
「ぬあ!?」
声を掛けて来たのは見事な金髪を持った女性。人形のように整った顔をしている。
外で掃除でもしていたのか、ホウキを持っていた。
彼女の顔を見てう~む……と考え込んでしまったトカナを見て、呆れたようにため息をつく。
「またワタクシの顔と名前を忘れたんですの……? よし、思い出すことが出来たらこの後ランチを奢って差し上げましょう。最近ジパング料理の食べ放題店が町にオープンしましたの」
「なぬー!? う~ん……う~ん……ハッ!? そうだ! たしか――『そよ風のオフィーリア』なのだ!!!」
「んっ! 惜しいっ! ですわ。正解は『神風のエリザ』です。風の属性までは合っていましたわね」
そう言ってエリザは笑顔でトカナの頭をなでる。そして懐からチケットを取り出し握らせた。
残念賞、ということだろうか。
「あっ! 手ごね麺屋サブローのお食事無料券なのだー!」
「ふふ、先日ハイパーデラックス特盛オールマシマシに挑戦して見事に完食! この券は賞品として頂きました。あそこは店員の人相がやや悪いですが、味とサービスは保証しますわ」
「エリザ先生ありがとうなのだ! 今日行ってみるのだ!」
きちんとお礼を言ってから去っていくトカナ。
笑顔で見送ってから、エリザはあっ……と声を漏らす。
(結局職員寮に何をしに行くのかは聞き出せませんでしたわね。教員に魔法や戦技の相談……ではないでしょうね)
いたずら程度なら可愛いものだが、良からぬことを企んでいる可能性もある。
再びため息をついて、エリザはトカナの後をつけることにした。
◇
「だぁもぉおっせーよぉ、トカナぁ!」
「がはは! 主役は遅刻の常習犯! なのだ!」
職員寮の前、とんがり帽子を被った女の子が腕組みをして待っていた。
艶やかな黒髪に切れ長の目、キツそうな印象こそあるものの間違いなく美形の部類。
「自分から呼び出しといて遅れるかフツー?」
「すまなかったな! そこでエリザ先生と楽しくおしゃべりをしていたのだ」
「いや、理由になってねーぞ!? 人待たせてんのに楽しく喋ってんなよ!」
「まぁまぁ、この後昼メシを奢ってやるから許してほしいのだ」
エリザに貰った食事券をぴらっと見せる。
「ん? ……仕方ないなぁ」
機嫌が直った! チョロい女だ。
「それよりヴァリンよ、肝心の使い魔の姿が見えんようだが?」
「当然連れてきてるって。出でよ! 我が使い魔よ!」
とんがり帽子の魔導士――ヴァリンは札を一枚取り出すと魔力を込めて真上に投げた。
空中の札はボンッ! と爆発。
そこから現れたのは小さなゼリー状のモンスター、スライム。
落下してヴァリンの手のひらにべちゃっと着地。
「ぷるぷる……(あのぉ……ボクに何かご用ですか?)」
つぶらな瞳でトカナを見つめる。透明な水色のボディがぷるんと揺れた。
「グフフ、スラ吉よ。役に立ってもらうぞ」
不敵に笑うトカナの笑みが、スラ吉のボディに映り込んだ。
◇
職員寮に入ったトカナ、ヴァリン、スラ吉の三人(?)は、トカナを先頭にして建物の中を進む。
「で、アタシ――っつうかスラ吉に何をさせようってのよ? そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」
手の中でぐにゃぐにゃとスラ吉を弄びながらヴァリンが聞く。
「そう焦るな。じきに着く」
少し歩き、赤い扉の前で足を止めたトカナ。
「ここだ。ヴァリンよ、スラ吉を貸すがいい」
「ちょ、ちょっと待て!」
急に焦りだしたヴァリン。扉の横に書いてある名前を見ながら言う。
「ここはあのリンネって先生の部屋じゃねーか! アタシあの先生だけは苦手なんだよ! 関わりたくない! 帰る!」
ヴァリンは振り返って歩き始めるが、
「アルガンダースの煮卵」
ぴたっと足が止まった。
「ローハン豚のチャーシューも好きなだけトッピングするがいい」
振り返りスラ吉を投げて渡した。
「好きに使いな」
「うむ」
「ぴきー……(マスター……)」
渡されたスラ吉を持ったトカナ、扉の前で構えを取る。
「ぐふふ、これを……こうするのだ!」
「ピキー!?」
なんと! トカナは扉の鍵穴へスラ吉を強引に突っ込んだ。
「ぴぎゃあああああ……」
「よし、奥まで入ったぞ! スラ吉よ! 固まるがいい!」
言われるがままに硬化するスラ吉。
トカナがスラ吉を捻るとかちん、と音がして扉の鍵が開く。
「でかしたぞスラ吉! がは! がはははは!」
笑いながらスラ吉をヴァリンに投げて返す。
先端が鍵の形になってしまったスラ吉は力なくふにゃふにゃと体を元に戻していく。
モンスター愛護団体に見つかったら大変なことになりそうだ。
「では行くぞ! ついてこいヴァリン! 突撃なのだぁあああ!」
「はいはい」
三人(?)は扉を開け中へと入った。
◇
リンネの部屋。中に入ったヴァリンは顔をしかめる。
昼間だというのに薄暗く、壁に作られた棚には用途不明の道具が並ぶ。
怪しい液体や肉塊のつまった瓶などもあるが、調べる気にはならない。
お世辞にも長くいたい場所とは言えなかった。
「トカナぁ、リンネ先生いないみたいだよ? とっとと帰ろうよ……こんなトコにいたら食欲なくなるって……」
手に持ったスラ吉も怖がっているようだった。小刻みにぷるぷる震えている。
「いないのを知ってて来たのだ。狙いはリンネ先生があのエロい恰好をした新入生から取り上げてた指輪なのだ。あれには超凄い炎魔法が込められているのだ」
部屋の中を物色しながらトカナは答えた。
「おいおい、それじゃアタシら泥棒じゃんよ。勝手に入っただけでもヤバイってのに……」
「フン、あの先生には一度このトカナ様の大切な杖を奪われているのだ。指輪の一つくらい借りたってどうってことないのだ」
トカナは話を聞きそうにない。
バレてしまったら正直に話すしかないな。と覚悟を決めた時、トカナが声をあげた。
「うおおお!? 宝箱なのだ! きっともの凄いアイテムが封じられているに違いないのだ!」
「え、マジ?」
近付いて確認してみると、そこにあったのは本当に宝箱だった。
トカナが無理矢理開けようとしているが開かない。しっかり鍵もかけられていた。
「ヴァリン! スラ吉を貸すのだ!」
「おうよ!」
「ぴぎゃっ!? (またですかぁ!?)」
またもや強引に鍵穴へねじ込まれるスラ吉。
ほどなくして宝箱はパカっと開いた。
「「ぃええ~いぃ! よっしゃー!」」
二人はハイタッチしてから拳をガシッと合わせる。いつの間にかヴァリンもノリノリになっていた。
「どれどれ~? ……水晶玉かぁ」
ひょいっと水晶玉を拾い上げたヴァリン。
よく見ると中では黒い炎が燃えていた。
「――いっ!?」
のぞき込んだ瞬間、今までに感じたことのない嫌な魔力の気配がした。
全身に鳥肌が立ち、汗が噴き出してくる。
呼吸が荒くなり体に力が入らなくなった。
原因は、間違いなくこの水晶玉。
これは怒られるだけでは済まない事態になる。
直感的にそう判断し、水晶玉を宝箱に戻そうとするが――
「ズルいのだヴァリン! トカナ様にもよく見せて欲しいのだ!」
水晶玉を奪い取ろうとするトカナ。
体のバランスを崩すヴァリン。
落ちる、水晶玉。
床に落ちた水晶玉は大きな音を立てて砕け散ってしまった。
「あ……ああ……」
「し……知らないのだ! 落としたのはヴァリンなのだ!」
「ぷるぷる……(あわわわわ……)」
その時、部屋に漆黒の炎が広がった。
閃光のように広がった黒炎は徐々に集まり、人影に変わっていく。
人影は二つあった。
『奴の封印が破られたか。数百年ぶりの現世だな。こんな形で復活することになるとは思わなかった。嬉しい誤算だ』
聞こえてきたのは女の声。
一切感情の含まれない、鉄のような声だった。
『でも、リリィ様、完全じゃない、まだ、足りない、魔王様とも、勇者とも、戦えない』
次は低い男の声だった。
『そうだな……しかし幸運は続くようだ。若い女の生気を大量に感じる。ここはヒトの寺か何かのようだ。F-ウィルスを使って回復を図るには都合が良い』
そんな話が聞こえた直後、恐怖で言葉を失っていたヴァリンとトカナを黒い霧が包み込んだ。
「ひっ!? たっ、助けてくれぇぇぇ!!!」
驚いたトカナは慌てて部屋を飛び出していった。
一方ヴァリンは霧を吸い込まぬよう呼吸を止める。そして指に魔力を集めその場で一回転、心の中で魔法の名を叫ぶ。
(ソニックブーム!)
弱めに発動させた風圧の壁が周囲の霧を吹き飛ばした。
部屋の物が風に巻き込まれ床に散乱する。
「ぶはっ! はぁはぁ……くそっ! やるぞスラ吉! 戦闘モード!」
「ピキー! (はい! マスター!)」
二つの人影に向かい指を構えるヴァリン。もう片方の手でとんがり帽子を目深に被る。
スラ吉も床に降りて体を膨らませた。
『下級モンスターとヒトが共にいる理由は気になるが、今は力の回復が最優先か。ゲラルド、なるべく傷をつけずに倒せ』
『了解……げへへ、こいつ、結構、かわいい、ヨダレが、出る』
『後でいくらでもくれてやるから今は我慢しろ。我の回復と、あれから世界がどうなったかを知るのが先決だ』
男の方が下卑た笑みを浮かべヴァリンに近付いて来る。
一歩、また一歩と距離を詰められるたびに分かる、圧倒的な魔力の差。
逃げ出したくなってしまう気持ちを抑え、ヴァリンは口を開く。
「チッ……ゲス野郎が。テメーに触られるくらいなら死んだ方がマシだっての」
『ちがう、お前じゃ、ない、かわいいの、そっち、調子に、乗るな』
「ぴきっ!? (えっ、ボクぅ!?)」
「そっちかよォ!? 舐めやがって! 大体ナニモンだテメーらぁ!」
風の魔法を発動させたヴァリンを眺めながら、女は一言――
『魔族』
とだけ呟いた。
◇
「――ん……」
うつ伏せになって倒れていたヴァリンの意識が戻った。
場所はリンネの部屋、本や道具に埋もれて眠っていた。
部屋の中にはヴァリンしかいないようだった。
「アタシ……あいつらに負けて……」
体を起こして部屋を見回す。
「あっ、スラ吉」
すぐ隣で水たまりのように広がっていた使い魔を発見。意識を失って文字通り伸びていた。
指でトントンと叩いておこす。
「きゅー……(マスター……)」
死んではいないことが分かってほっと胸をなでおろした。
「はぁ、とりあえず無事で良かったな。あいつらどこ行ったんだ……?」
戦ってみてハッキリと分かったが、自分の力でどうにか出来る相手では無い。
急いで教員たちに助けを求める必要があるだろう。
とりあえず立ち上がろうとした時――異変に気が付く。
「……あれ?」
股間に違和感。
なんだかいつもより重い。
パンツがやたら窮屈に感じる。
触って……
「ッッッ!!?」
何かがある!
棒状の何かが!
これまでの人生で触ったことのない何かが!
それもあるだけじゃない、触った瞬間に強烈な快感が肉体から脳へと走り抜けた。
気のせいではなくその棒はどんどん大きく硬くなっていく。
「う……うう……」
恐る恐るスカートを脱ぎ、パンツを下ろす。
そこにあったモノは、女性として生まれた自分には本来生えていないはずの……
「うっぎゃあああああああ!!!!!!」
これは、後に学院史上最悪の事件と呼ばれ、生徒たちの心に深い傷を残すことになる、辛い戦いの始まりであった――――