本日の引きつぎ
年の瀬に向かう広島の空へ、路面電車の音が響きます。
がとんごとん がとんごとん
「レールもないのに……」
つぶやいたのは新米の運転手。彼の目に映るのは、木々の中、平らに続く黒土の道でした。
「ここも線路さ。見えないけれどね」
返したのは年老いた先輩。先達が運転席の隣に立つ、いつもの新人教育の姿勢でいます。
彼らが乗っているのは、やや旧式の一両電車でした。前後には運転席と大きな窓、その間に日の差す座席と乗降口。窓の外には見慣れぬ木々があふれ、雨の日にはすべりやすい床には、いくつかの荷物が置かれています。
「着く前におさらいをしておこうか」
「はい。今日はクリスマス列車を飾る支度のため、星の森で光る石を集めます」
「石の名は?」
「……えーっと」
新米の目が泳ぎます。
「ともし石、だよ」
「あっ。はい、そのともし石を集めるのが俺たちの仕事です!」
勢い込む新米に、先輩は口元だけで笑いました。
「今時は人の作ったあかり――電飾といったか――もあるが、やはり昔なじみのこいつには、ともし石がよく似合う」
「年末には砂になっちゃうんじゃ、掃除が大変ですけどね」
そうこう言う間にも、旧式の一両電車は、木々の間を奥へ奥へと進んでいきます。はらはらと燃えながら落ちていく広葉樹から、鬱蒼とした中に光を揺らす常緑樹へと変わっていけば、ともし石の場所はもうすぐ。
「ほら、あそこでとまるんだ」
澄んだ色のログハウスを指さして、老年の先輩が言います。新米運転手が緊張しながら電車をとめると、いつも通りのブレーキ音が鳴りました。
「ほうき出しますね!」
「いや、まだだよ」
「え?」
首をふる先輩に、新米はきょとんと目を見開きます。
「ほうきでからめて集めるんですよね?」
「何のために電車で来たと思っているんだい。まさか君だけで集められるわけがないだろう」
「って、手伝ってくださいよ~」
「この体では無理さ。それに、適役は他にいる」
座席に回り、大きな紙袋を取りあげると、先輩は電車の腹にある乗降口から、ログハウスに向かって呼びかけました。
「シミワタルヨルノオンカタ! 今年のバターケーキをお持ちしましたよ!」
『よかろう』
突然ひびいた低音に、電車の窓がビリビリとふるえます。新米があぜんとする中、ログハウスのドアがぱかりと開き、奥から長い腕が伸びてきました。あおい筋がいくつか見えるほど白い、優美な細い腕でした。
その先にある手のひらが、先輩の老いた顔に触れました。皺の刻まれた目元をなで、毛の生えたあちこちをたどっていきます。
『ヒトは相変わらず古びていくな』
「はい、私も時がまいりました」
視線でうながされ、新米はおそるおそる、乗降口に近づいていきました。
――春に入社して以来、先輩とともに様々な"ヒトならぬもの"と出会い、その引き継ぎを行ってきましたが、毎度怖れと緊張にまとわりつかれるのは、どうしようもなかったのです。
ようよう乗降口に着くと、べたん、と正面から白い手のひらが当てられます。しみるほど冷たい手のひらに、鼻から口から一緒くたにもみこまれ、指で目がつぶれませんようにと新米は必死に祈りました。
『――みえるだけか。年々ひ弱になっていくのは気のせいか?』
「弱いからこそ、隣人の助けが必要なのです。私の後をまかせておりますので、この者にもオンカタの加護をいただきたく」
『ふん、こいつもケーキを持ってくるならそれでいい』
ようやく手のひらが離れます。その手で紙袋を取りあげると、するりとログハウスに引っこんでいきました。
ぱとり、戸が閉まります。
「……あれ、ちょっとはしゃいでましたよね」
「君もだいぶ読めるようになったようだね」
もみこまれた顔をほぐしながら、新米ははたとあることに気づきました。
「で、結局、ともし石を集めるのはどうするんです?」
「まあみていなさい」
しばし後、ログハウスの戸が再度ぱかりと開きます。無意識に身がまえる新米の目にうつったのは、大小さまざまなボール状の、白い毛むくじゃらのむれでした。ころころと転がり、ぽんとはねて、なでれば猫のようにやわらかそうです。
そんな白い毛玉たちが、ぽんぽんころころと散らばって、それぞれ常緑樹のもとへと向かっていきました。そして葉の中に体を突っこむと、ぐるるんぐるりと身をひねります。とたんに粒のような光がひらめき、毛玉のほうに移っていきます。
「さ、ほうきを準備して」
「えぇ?」
「彼らがすぐに来るからね」
そうこうしているうちに、電車の腹と前後にある乗降口から、毛玉たちが乗りこんできました。床のなかばまで転がると、その場でぬれた獣のように、勢いよく体をふるわせます。すると毛についた光の粒が、ぽとこと音を立てて散らばりました。
「これがともし石だよ。毎年バターケーキと引きかえに、こうして集めていただくのさ」
ひとつ取りあげて先輩が言う。
「石っていうか、光る木の実みたいですね」
「オンカタは食用になさっている。そのことでもめた時期があってね、以来好物のバターケーキをお持ちしているんだ」
「なるほど――ところで先輩」
ふいに新米は、じとりと目をすがめさせて、
「乗降口から座席まで、石が散らばり放題なんですけど……?」
「来年からは一人なんだ、がんばりたまえ」
「やっぱりこのほうきってそのためだったんですか?!」
ああちくしょう! と叫びながらも、新米は石のはき集めに駆け回ります。
伸びやかにはねる手足、くるくるとよく動く頭と目、ケーキのかすが混ざっていると騒ぐ大声――それはかつて、先輩も持っていたものでした。
「……あの頃のあなたに、私は追いつけましたかねえ」
引き継ぎのたびよぎる記憶に、その中でたたずむ一年限りの先達に、老いた先輩は思いをはせます。
教わったことはたくさん、教わりたかったことはさらにたくさん、けれどこの数十年を振り返れば、学びはあまりに多様にすぎて。
愚直であることをやめられぬまま、この春から始まった一年限りの関係も、そろそろ終わりを迎えようとしています。
――彼ならば、きっと……
「って、先輩寝るなら座席に座ってください! 今掃除しますから!」
「寝てはないさ」
「寝てる奴はみんなそう言うんですよ……」
その間にも、ともし石は集まっていき、ついに電車に飾るには十分な量が、いくつもの箱におさめられました。なるほど電車ごと来るはずだ、と新米は息を整えます。
その足下に、毛玉たちがころころ集まってきました。中には元気よくはねているものや、すそからもぐりこもうとするものもいます。
「気に入られたようだね」
「めっちゃこそばいんです、けどっ」
「ひとつずつなでてねぎらうんだ。そうしたら帰っていく」
すりすりと体をこすりつけ、何やら期待を寄せてくる気配に、新米はそろそろと手を伸ばし、毛玉のひとつを手でおおいます。ふわりとやわりの合いの子のような感触がして、やはりどこか猫に似ています。思い切ってわしわしとなでてやると、満足げな気配とともに転がり去っていきました。
「あ、先輩の足下にもいますよ」
「いや……私はもう、触ってはいけないから」
穏やかな声と直立不動の姿に、新米はつと目をふせます。勤続数十年の重みを、彼が理解することは難しい。ただ、数えられる回数しかなでに来ることはないのだと、それだけは察することができました。
「ちょっ、わき! わきは勘弁しろって?!」
「ははは」
よじ登られながらもどうにかなで続け、最後の毛玉が帰っていきます。
「さあ、会社に戻ろう」
「飾りつけはどうするんですか?」
「がんばりたまえ」
「またですか?!」
「冗談さ。明日にでも、管理部の誰かが行うだろう」
残りの石が落ちていないか確信しつつ、来たときとは反対の運転席へ。新米はいすに腰をかけ、老いた先輩はその隣に立ちました。新人教育の基本姿勢です。
「信号よし、ポイントよし」
背筋を伸ばし、新米の運転手は指をさします。たとえ実際はそこになくとも、確認するよう教育されているのです。
ようやく握り慣れてきたレバーを引き、がとんごとん、路面電車は森の中を走りはじめました。
「次は冬山の引き継ぎをしなくてはね」
「あー、結局四季全部あるんですね……」
二人が言い交わす後ろの席、ことことゆれるともし石から、バターケーキの残り香がたちのぼりました。
読了ありがとうございました。
広電のクリスマス電車から思いついたお話なので、冬に出せてよかったです。
毎年運転手さんや車掌さんが、サンタに扮したりトナカイのツノをつけていたりするのですが、その中に先輩や後輩も混ざっているかも……と考えると楽しいです。
彼らを気に入っていただけた方は、ぜひ感想や評価などでリアクションください。
数が多ければ、前日譚など考えようと思います。