1 入学早々
「...」
澄み切った青空の下、思いつめた顔をした制服姿の男子の名前は、藤堂光。
彼は、ある決心をして、高校に入学することを決めた。
「...嫌われてぇな」
これが、中二病だったらどんなに良かっただろうか。
彼は、光は、至ってまともな生活を送っているのであった。
少し、彼の過去の話をしよう。
彼は、小中と、モテた。
それはもうモテた。
さらさらの黒髪に、平均よりは少し大きい身長。優しい言動に、スポーツ万能、頭脳明晰。誰にだって平等に接するから、女子にも男子にも人気が出た。
小学校の時には、廊下を歩けば女子が常に隣にいるし、どこに出かけようにも、そもそも女子から誘われるから、彼自身の趣味に割く暇は無かった。
中学校も同じだ。席に座っているだけなのに、毎日毎日、違う女子と話しているし、休み時間に勉強すらできない。
彼の心の休まる時間帯はなぜか、授業中と、稀にある校長先生の長話だけだった。
自分の時間を作りたいと考えた光は、人に嫌われる努力をした。
しかし、それらは全て逆効果となり、なぜか本人の高感度を更に上げた。
下手なことをしても、この場では何をしても高感度が上がってしまうのだと知った。
だから、少し遠出をして、実家からかなり離れた高校に通うことにした。
幸いに、これまで優等生だった光は、両親からは全く反対されず、背中を押してくれた。
光の目的は、嫌われることだというのに。
「...もう校舎についたのか」
登校中は、イヤホンを付けて、大音量で曲を流して歩く。
ネットで調べて適当に買ったアーティストだったが、これがまた良い声をしている。
『踏み荒らして 嗅ぎまわって』なんて歌詞が流れてくる。この後は、他の奴ら全員に嫌われるみたいな話なんだが、これが今の僕にはためになる。
なるほど、こういったことをしたらいいのかと、光はまた一つ、学習した。
流石に校内までイヤホンをつけて歩くわけにもいかない。教師に見つかる前にイヤホンを外し、鞄にウォークマンを押し込んでいる最中に、いきなり後ろから背中を叩かれた。
まずった、光は教師に見つかったことを覚悟した。
初日だということで、ここは一つ、見逃してくれないかと思ったが、振り返ると、そこにいたのは、同じ制服を着た女子だった。
黒髪長髪の女子で、まだ四月で、マフラーを首に巻いている少女だった。
顔は綺麗に整っており、これまで見てきた中でも断トツに美少女だと、光でも断言できるほどの少女だった。
唯一気になった点は、マフラーを巻いているのに、なぜ下はミニスカだけなのだろうか。
靴下も短い。謎である。
「おはよ! 君も新入生でしょ?」
「ええ、そうです。君『も』と言うのは、あなたも?」
「うん、そう!」
その話を聞き、光は、そうなんだ、これからよろしくね、と口から出そうになるのを耐え、握手をしようと差しだそうとした右手を左手で止める。
そう、今の光は、これまでの光ではないのだ。
先ほどまで言おうとしていた言葉をそのまま言えば、この学院でも嫌われることは無いだろう。
しかし、それでは僕がこの高校に来た意味が無くなってしまう。
そう考えた僕は、思いつく限りで最低の対応をした。
「そう。じゃ」
まるで、僕は関係ないでしょ、とでも言いたげな反応。自分でもわかる。
「あ...」
僕がそう言って校舎に向かおうとすると、女の子の寂しそうな声が後ろから聞こえた。
その声に反応して、つい後ろにふりかえろうとする光。しかし、その直前に思いととどまり、再び校舎に向かう。
この先も、こうしていちいち気を這っていなければ、癖で反応してしまうんだろう。
春休みの間に、嫌われるコミュニケーションをマスターしておけばよかったと、光は後悔していた。
一方、光に声をかけた女子、胡桃沢ありすは、とても後悔していた。
話しかけるタイミングを間違えた。せめて、クラスでの自己紹介を終えた後とか、何かしらのイベントを待つべきだった。
私としたことが、慌ててしまったと、反省していた。
彼女は、見た目が完璧に整っているせいで、同性の女子からは事あるごとにはぶられ、異性の男子からは、性的な目で見られ続けた。
中身は完璧ではないので、年相応の女の子のように、友達と喋ったりしたいし、恋愛もしてみたかった。
しかし、それは全て実現困難だった。
小中の時は、周りが子供だったというのもあると考えたありすは、高校で一からやり直すことを決めた。
しかし、現実は意外にも難しいものだ。
(あの男の子、私と同じ年なのに、変な目で見られないのは初めてかも)
性的な目で見られるのが当然と思っていた彼女は、特に何の反応もされなかったこと対して、興味を持った。
その前に、することがある。
教室に向かって、自己紹介を済ませて、友達を作る。
究極的な目標は、多少は性的な目で見ても構わないから、私自身の、ありすの、内側を愛してくれる人と付き合うこと。
それが、この高校に来た理由だ。もちろん、面接ではそんなことは言ってはいないが。
入学式も終わり、現在はクラスで自己紹介をしている最中だ。
そして、その中で、光は悩んでいた。
(どうする、何を言えば嫌われるんだ...?)
ある程度の常識を備えている人なら、下ネタでもかますか、中二病でも出しておくかと思うのだろうが、光はそう言った方面には疎いのだった。
男女の体つきの差は既に知識として頭に入っているが、それだけで、特に恋愛感情を持ったことは無い。
アニメなどは見ることには見るが、有名なものしか見ないし、現実との区別はしっかりしている。
要するに、ただの経験不足なだけだったのだ。
そうこうしているうちに、光の前の座席の人が立ち上がる。
何やら名前を言っているが、まったく光の耳には入っていなかった。
(どうするどうするどうする!?)
そして、光の名前が教師に呼ばれる。
「次に、藤堂光」
「は、はい!」
普段通りに言えば、いつも通りの日常が待っているだけだろう。自身の容姿にはある程度理解しているつもりだ。
しかし、普段通りではないものが思いつかない。
そこで、光は決意する。
ええい、もういっそのこと、ぶちまけてしまえ、と。
「藤堂光です。...あー、俺のことは嫌いになってください。以上」
それだけ言って、光は座席に座りなおした。
しかし、いつまでたっても、後ろの座席の人が立ち上がらない。光の席は、なぜか教室のど真ん中だ。生徒全員が光の方を向いているから、それはもう全方位から見られているわけで。
(...何かまずっただろうか)
内心、びくついていた。
光とは隣の教室。
光がどうしようかとひたすら悩んでいるその隣の教室では、ありすも悩んでいた。
(な、なんて言ったらみんな好きになってくれるかな)
そもそもの話、自己紹介だけで全員に好かれるのなら苦労はしない。しかし、そういったことが分からないありすだった。
要するに、経験不足なのである。
結局、何を言おうかまとまらずに、前の席の人が自己紹介を済ませてしまい、着席してしまった。
ちなみに、前に座っていた男の子の名前は、田中圭吾だ。考え事をしながら、しっかりと聞きとっていなければ、好かれはしないだろうとありすも理解しているようだ。
この教室の自己紹介は、教師に促されることなく、前の人が座れば次の人が立ち上がり、自動的に進んでいく。
(適当に自分をほめて、そう、私です、とかやってみる? いや、殺される!)
誰に殺されるのかはわからないが、ありすは本能で殺されると感じた。
しかし、いつまでも座っているわけにもいかない。そろそろ立ち上がらないと、不審な目で見られてしまうだろう。
であれば。
「...!」
勢いよく椅子から立ち上がる。
そのせいで、注目を更に集めてしまったが、好都合だ。ここで、伝えてしまおう。
そう意を決して、ありすは口にした。
「私のこと、好きになってください!」
時はたち、放課後。
光の教室には人はいなかった。いや、正確に言えば、光以外には、だが。
自己紹介の時、どうしてあんなことを言ったのか質問攻めにされた光は、今まで通り一人一人挨拶していたらきりがないと思い、全員不貞寝で無視した。
声をかけられて、それを無視するのは人生で初めてのことだったし、光の心も予想外のダメージを受けた。しかし、これでいい。
一度嫌われて、色々わかることもあるのだ。
帰ろうとすると、このクラスでの出来事を知らないであろう先輩方から、部活の勧誘があるのだろうと予想した光は、未だに教室で寝ているのだが、隣の教室が騒がしくて、目を覚ました。
「...なんだ?」
寝ていたのに、人のうるささで叩き起こされたことに対して、光は、寝ている自分を起こすほどのうるささが一体何なのか気になった。
ここで、『人が折角気持ち良く寝てたのに』とか思わない辺りは、光なのだが。
光が隣のクラスを除くと、そこには複数の男に囲まれた女子生徒がいた。
男の方を見る。雰囲気からして、上級生だろうか。
「や、は、離して...仲良く、しましょ?」
「うるせえな、さっさと来いよ」
何やら言い争っている様子だ。顔は見えないが、声からして、絡まれている女子生徒は困っているというのが、光にはすぐわかった。
まあ、大方気に行った女子がいたから、他の奴に何かされないうちに、手を出しておこうという魂胆だろうか。
くそ、胸糞悪い。
そう思った光は、女の子を助けるために、一歩を踏み出そうとした。が、そこで立ち止まる。
「...俺のバカ野郎」
(なんためにここに来たと思ってるんだ。ここで助けに入ったら、ここまで来た意味が無くなる!)
光はそう思いなおし、踏み出した一歩を、元の場所に戻す。
しかし、女子生徒が無理やり、というのは腹が立つことには変わりは無い。
誰か、いないのかと、光が周りを見回す。
しかし、光の期待は裏切られる。
先ほどHRが終わったばかりで、教室にはまだ生徒がほとんど残っているというのに、誰も動こうとはしない。
だが、それは考えてみれば、普通なのである。
いかにも自分よりも強そうな上級生に、入学初日から逆らってしまえば、それは目をつけられたことを意味する。
誰もそんな目には会いたくないだろう。誰だって、自分が可愛いのだ。
「おら、こい!」
「い、いやっ、誰か...」
女子生徒が、男に連れて行かれる。
男達の立つ場所がずれて、女子の顔が見える。そこで、光は目を見開いた。
「...!」(朝の時の美少女か!)
確かに、あれほど可愛かったら、高校では強引な手で来るかもしれない。そこまで自分が可愛いと理解しているのかどうかは微妙なところだというのは、朝の会話でなんとなくわかる。
あれほど可愛いのだ、既にクラスでは人気、注目の的だろう。
(だったら、男子が誰か勇気を持って立ちはだかってやれよ。その時は、俺もこっそり教師を呼んで、お前の手柄にしてやるのに)
そこから、恋が発展するだろう。
光は、漫画を読んだことがあまりないくせして、そう言ったことは意外と知っていたのだった。
「や、やめろ...!」
「ん?」
そんなことを光が考えていると、一人の男子生徒が、上級生の前に立ちはだかった。
見た目は普通にガリ勉君だが、偉いぞガリ勉君!
光は、さっさと教師を呼ぼうと走りだそうとするが、先ほどのガリ勉君だと思われる悲鳴が聞こえて、その足を止める。
「ぐぎゃ」
振り向くと、ガリ勉君が、周りのギャラリーのところまで殴り飛ばされていた。
「おうおう、かっこいいねえ、王子様よお」
「でも、少しばっかり、自分の立場がわかってねえんじゃねえか?」
「ギャハハ! ちげえねえ!」
男達の笑い声が聞こえる。
光は、もう駄目だと確信した。
あの男達が、簡単に暴力を振るうのを間近で見てしまった。もう、次に助けようとしてくれる人は現れない。
恐怖で足がすくみ、悲鳴も出せない。
誰もが、『ここで助けに入るか助けを呼べば、自分も同じ目に合う』と認識してしまった。
頭の悪そうな上級生がそこまで考えているとは思えないが、少なくとも結果的にそうなっているのだから、仕方が無い。
光は、面倒くさそうに溜息をつく。
まさか、初日で、こんなことになるなんて。
光は、なんとか後で誤魔化せるかどうかを考えながら、周りに集まった生徒を押しのけながら、前に出る。
「おい」
上級生たちに向かって、放つ。
「寄ってたかって、女子を無理やり連れて行くことしか出来ないのか。猿だな」
「あぁ!?」
光が声をかけると、上級生の一人がとてつもない剣幕で振り返る。ここにいる問題の上級生は3人。ま、なんとかなるだろうと、光は簡単に考えていた。
その剣幕に押されたのか、後ろで「キャッ」と声が聞こえた。
しまった、後ろの子を怖がらせるために前に出たわけじゃないのに。
「すまん、俺のせいで怖い思いをさせちまったな」
「えっ...」
目線だけそちらに向け、返事は待たずにまた前に振り返る。
「悪いんだけど、そいつを離してもらうぞ」
「...君、この子の彼氏かなんかか?」
「おーおー、真の王子様登場!」
「なあ、こいつ普通にカッコよくないか?」
少女を抑えている男が何やら意味不明なことを喋っているが、それとは関係なしにいいことを思いついた。
光は、瞬時に作戦を組み立てていく。
作戦はこうだ。
まず、みんなのまえで『彼氏だ』と嘘をつき、ここで助け出すが、実は嘘だったことがばれて、光は自身は周りからサイテーと嫌われる。
冷静に考えれば、彼氏発言が嘘だとばれたところで、どうせ助けるための嘘だということがばれるということがわかりそうだが、このときは光には最高の、完璧なプランに思えた。
「ああ、俺の彼女だ。だから離してくれ」
光がそういうと、男達はますますうるさくなる。
「まぁじかよ! 最高だなお前!」
「よっしゃ、こいつの目の前でぶっ飛ばしてやろうぜ」
「おい、そいつの顔見たことあるんだが...確か、運動神経抜群だったような」
光は、男達の言っていることを全て無視し、女子生徒の方を見る。
その顔は、恐怖に染まっているかと思いきや、恐怖と驚きの半分半分のような顔をしていた。
具体的に言うなら、全て諦めようかとしていた矢先に、助かるかもしれないという希望を抱いたような顔、とでも言うべきだろうか。
しかし、そこまで理解できない光は、すぐさま、一番近くにいた上級生を、ボクシングで言うストレートで沈めた。
恐らく、誰も、上級生が倒れるまで気づかなかっただろう。
(...ったく、だからやりたくなかったんだがな)
光の運動神経は、常識的な『運動神経抜群』とはかけ離れている。
例えるならば、孫悟空とクリリンを比べているようなものだ。
「お、おまっ」
二人目の男が何かを言いかけていたが、それを聞いてやる義理は無いとばかりに、光は腹に拳をめり込ませ、沈ませていく。
「...」
シーンとしたこの教室で、三人目の男に視線をずらす光。
「ヒィ!」
他の男達のように殴られたら死ぬ、とでも言うかのように、女子生徒をこちらに突き出す。
慌てて女子生徒が転ばないように受け止める光だが、その女子生徒の安心した顔を見て、光は逆に焦っていた。
はたから見れば、彼女思いの強い彼氏が、悪の上級生から助け出し、今は感動の再会にでも見えるのだろう。
彼女は不安げな顔をいくらか和らげ、彼氏は優しく笑顔で迎え。
その表現は間違っていない。
しかし、内面に間違いがある。
(ど、どーっすかな...本当は、三人とものしたら、さっさと帰るつもりだったんだけど)
今は、女子生徒に抱きつかれたままだ。
光が転ばないように支えたのが原因だと言え、この状況は光にはあまり喜ばしい状況ではなかった。
「な、なあ、君」
「...え?」
周りには聞こえない声で、光は呟く。
それが聞こえるのは女子生徒だけで、反応するのも、当然女子生徒だけ。
「離れてくれないかな」
「...あっ、ごめんね」
光がそういうと、女子生徒は慌ててその光から離れる。
自由になった光は、さっさとその場に置いていたカバンを拾い上げ、背中を向けて帰り出した。
「気を付けて帰れよ」
それだけ、残して。
「...え?」
周りのギャラリーは思った、帰るんかい!と。
女子生徒は、ありすは、思った。
どうして、助けてくれたんだろうか、と。
上級生に絡まれ、無理やり連れて行かれようとした時、ありすは恐怖で目の前で真っ暗になった気がした。
もう何もできない。光いわくガリ勉の子が助けに入ったのも、ありすは気が付いていなかった。
しかし、阿野男子の声で、周りがしっかり見えるようになり、つかまっていた男に突き飛ばされて、男子の胸に飛ぶ子んでしまった時、安心したのだ。
どうしてなのだろうか。わからないことが多すぎる。
ひとまずは、彼のことを、知ることから始めるべきだろう。
光の彼氏発言には、ありすは気づいていません。
なので、光の目論見は、最初から成り立ちませんでした。残念。