煽り煽られまた煽る
あまりにも大きな水のフィールドを瞬時に作ったメルリナの精霊。
訓練場にいた精霊魔法学Ⅳの受講者は、その魔法の構築の早さに目を剥いた。
凄まじい。
受講者の感想は概ねそれだ。
その後の、水中から射出された魔法の威力は、他の生徒達の精霊達でも出せる威力だった。
しかし、それは十分な魔法の構築時間があればの話で、小規模な魔法であれど、必殺レベルの威力が込められているそれを連射出来る者はなかなかいないだろう。
『残念ながらこの個性的な精霊は、私の契約する精霊の中で一番強いです』
(((メルリナ様のあの言葉、嘘じゃなかったんだ……)))
あの軽薄な態度からは想像できない程の魔法のレベルの高さ。
みんなの思いはここで揃った。
幾つもの襲いかかる水の牙を、体を捻ったり、半歩前に移動したり、重心の傾きを利用して躱す守護精霊。
躱されながらも防戦一方の彼に、このまま水精霊が攻勢を続ければ、そのうち王国の守護精霊を下すのではないか。
そんな可能性を彼らは見た。
そして、生徒達はその展開を望んだ。
なぜなら、それは精霊と契約する者にとっては夢のような話だからだ。
古より脈々と受け継がれてきた由緒正しき精霊が、由緒もなく年月もそこそこしか生きていない精霊に敗れる。
なんと、物語のような展開だろうか。
圧倒的な力を持つ守護精霊より、圧倒的な力を持つ凡庸な精霊。
そんな存在が居れば、自分の精霊ももしかしたらそれくらい強くなれるのでは、と夢を見ることが出来る。
だが、次の瞬間。
やっぱりそれは夢の話なのだと生徒達は悟ることになる。
掴めないモノ、夢。叶わないモノ、願望。
即ち、現実。
夢を見て、興奮し、自然と開く口を紡ぐしかないほどの力。
それは、光。
ただただ圧倒的な光。
魔法を滅する破魔の光。
煌めき、綻び、それは水の牙を消し去り、水の迷宮を……生徒の期待を破壊した。
そして、決壊した迷宮の帯は凄まじい水量となり、生徒達を飲み込まんとする。
「え……」
それは、誰が呟いた言葉か。
彼かも知れないし、彼女かも知れない。いや、精霊魔法学Ⅳを教える教師のクルスの可能性もある。
誰が呟いたか応えられるものはいないかも知れないが、なぜそう呟かれたかは誰に聞いても応えられるだろう。
洪水。もしくは津波。
大量の水が襲いかかって来て、対処する時間がないから、その絶望が口から飛び出した。と。
押し寄せる波に、あるものは急いで防御魔法を放とうとし、あるものはトカゲ型の精霊で対処しようとし、あるものは諦めたように目を閉じて、あるものは固まってしまって動けない。
そして、ぶつかる。
激しい水音を立て、それに飲み込まれることを想像した生徒達+「キャッ」と悲鳴を上げる教師クルス。
だが、そうはならなかった。
例えるなら、ベール。
薄い水のベール。
それが生徒達と、教師と、メルリナと、フィラルドの周りを包みこむ。
平等に与えられた護られる権利。
誰が施したか分からないが、分かったことが一つある。
それは、押し寄せる波に流されずに済んだ、ということだ。
そして、大量の水が急に霧散したとき、彼らが見たものは二つの人影。
一方は体に槍を突き刺し、もう一方は体に槍を突き刺さられている。
光る槍が引き抜かれたとき、一つの影がぬぅっと消えた。
そこに立っていたのは、金獅子の王だ。
片方が消え、片方が立つ。勝負は生徒達が見ていないところで決した。
それは、王者の勝利。
「……メルリナの契約精霊が消失したので…………、勝者はフィラルド!」
訓練場に響くクルスの声は、少しボーとしてた声だった。
しかし、やはりかの負け犬と同じく、メルリナは過大評価だったのだ。と機嫌をよくし、フィラルドの勝利を告げる。
「……ふむ。…………直撃しようとは」
少しだけ、呆然とした様子で金獅子の男は呟いた。
「メルリナさんの精霊が……消えた……?」
消えた精霊をキョロキョロ探しながらアメリはそう呟く。
授業でこういうことが起こらないように教師がいるはずなのに、教師であるクルスのトカゲ型精霊は怯えたようにクルスの足元にいた。
一方が精霊を消されたのに、クルスの態度はいつも通りでアメリは釈然としない気持ちになる。
同時に、消されたのが……フィラルドの相手を務めるのが自分ではなくてよかったと、体の力が抜けてしまうような安心感を抱いた。
フィラルドはクルスの勝利宣言を聞いて、だんだんと実感が湧いていく。
「ハハッ! これでメルリナは私の婚約者となったわけか!」
喜色満面。
フィラルドは金髪の長い髪を抑えながら嬉しそうにクツクツ笑った。
成績優秀で爵位も高く、何より絶世の美女であるメルリナが、己の物になることを考えただけで、フィラルドは何物にも変え難い幸福な気持ちになる。
フィラルドとは反対の位置にいるメルリナは、大量の水とともに血の気が引いていた。
「……嘘です。……ありえません。これは、授業ですよ……。授業で精霊を消失させるなんて……ありえません」
そこには、ラーゴの消失を哀しみ立ち尽くすメルリナの姿がある。
涙。
見開いた朱の瞳に消失感の雫を集めると、下を向き服の袖で拭う。
しかし、次に上を向いたときには、涙は消えていて、口は少し上に釣り上げられて控えめな笑顔を作っていた。
負けたとしても、無様を晒すわけにはいかないのです。
王太子が負けた相手、ひいては結婚の相手ならお父様もお母様も喜ぶはずです。
ラーゴを消失させた悲しみを殺し、自分にそう言い聞かせて、楽な想像をして、メルリナは笑顔を作っていた。
こうして、メルリナの婚約者は決ま……。
"勝手に殺すなんて酷いっすね! 今の勝利宣言は無効っすよ!"
どこからともなく降って湧いたラーゴの声。
いや、それは声ではない。
念話だ。
精霊は魔力を多量に摂取した生物の姿に近付くことが出来る。
そして、大抵の体の構造を模倣してしまうため、声帯が発達していない生き物ばっかりの魔力を摂取していると会話できない。
しかし、精霊は生まれながら相手に感情を伝える手段を持っている。
それが念話である。
生まれてすぐは、感情を伝える程度のことしか出来ないが、ある程度の年月を過ごすと伝えたい言葉を翻訳して相手と会話することまで出来る。
メルリナは一度作った笑みを壊し、キョロキョロとかの精霊の姿を探す。
「ラーゴ、どこですか……?」
"ここっすよ! お嬢さん!"
見つけた。
メルリナの目に止まったのは、青い光の玉。
その光は人の形となり、チャラ男を形作った。
「お嬢さん! 泣くほど心配させてメンゴ! さあ、俺の胸に飛び込んでくるっす! 感動の再会っすよ!」
「……はい」
「うぇっ!」
メルリナは素直にラーゴの胸に飛び込み、それから腕も回し優しく抱きつく。
『泣いてなんかいません。嘘をつかないで下さい。また、こんな短時間でどう感動しろというのですか?』
そんなセリフを言われると想定していたラーゴは、想定外のメルリナの行動に驚き目を見開いた。
「お、お嬢さん……!?」
「心配しました……!」
「……!」
「消えたかと思いました……」
「お嬢さん……」
「不思議ですね。こんなチャラチャラしてる貴方でも失うことが悲しいなんて、思ってもいませんでした」
「チャラチャラとは違うっすよ。……若い女の子が好きなだけっす」
「たはは……、最低な人ですね」
体を離したメルリナの顔がラーゴに見えた。
いつも周りに見せていた綺麗な笑顔ではなく、どこか子供らしい幼い笑顔だった。
「いつもの笑顔も綺麗っすけど、その笑顔の方が何倍も素敵っすよ! いやー、それにしてもやっぱりお嬢さんは俺のこと好きなんすね! あの笑顔は絶対俺に墜ちた顔っすよ!」
「違います」
ラーゴがそういった途端、ハッとした様子でメルリナは幼い笑顔をやめてしまう。
「あと一つ、いいっすか?」
「何ですか」
ラーゴの言葉にメルリナは首を傾げながら、次の言葉を待った。
ふいに、ラーゴの顔から持ち前の軽薄さが消える。
「精霊は、どうやったって人間にはなれないっす。人間が精霊になれないように。だから、俺は最低な精霊であって、最低な人ではないっす。人ってとこは撤回するっすよ」
「……そうですか。……それでは、最低な精霊ですね」
メルリナがそう言うと、すぐにラーゴはにへらっと笑って頷いた。
「そうっす! 俺は世界中のかわうぃー女の子を食い物にする、世界一最低で、魅力的な男っすよ! そして、人間の男が皆羨む最低な精霊っす!」
親指、人差し指、中指をピンと立て、側頭部で手首をスナップしてラーゴは自慢げにそういう。
それから、ラーゴはクルスに視線を向けた。
「俺はこの通りビンビンしてるっすよ! 世界にかわうぃー娘がいる限り、不滅って感じなんで、消滅グッバイにはなってないっす! せんせ、俺は負けていないんで、そこんとこよろしくっす!」
ラーゴの訴えにクルスは無情にも首を振る。
「いや、あのまま闘っていたとしても、フィラルドの契約精霊が勝っていただろう。勝利は覆らないさ。どうやったのかは知らないが、生き残った精霊の命をわざわざ奪う必要もないからな 」
(そうだ、王太子様の精霊の絶対的な力の前では、こんな下品な精霊はひとたまりもなく消え去るだろう)
クルスの話を聞き、ラーゴはなお食い下がる。
「こんな狭い場所で闘う必要がなければ、そもそも危険になんて陥ってないっすよ! あの爺さん精霊は強いっすけど、俺が敗けるほどではないっす! こっちは会場や他のかわいこちゃんやその他野郎共がいるから気を使っていたのに、あの爺さんは普通にぶっ放してきちゃった感じで不公平っすよ! 再戦を希望するっす!」
「負けた言い訳はそれで終わりか?」
「は? 言い訳じゃないっすけど? 何いってんすか? はぁ、こんな目が節穴なのがせんせとかないっすわー、ガチ萎えっすわー」
態とらしくため息混じりにやれやれと肩を竦めたラーゴに、どうしてもメルリナを負けにしたいらしいクルスは怒りの表情で唾を激しく飛ばしながらラーゴに指を差して言った。
「はん、所詮負け犬の妹、精霊の教育もなってないな。あの王国の守護精霊に勝てる? 馬鹿も休み休みにいって貰いたいものだ! お前みたいなカス精霊は守護精霊が本気になれば一瞬で消滅するんだよ! バーカ!」
クルスは仮にも貴族で、また教師であるのに、生徒達のいる訓練場で大きな声でそういった。
まさか、ここまでガキみたいな直接的な誹謗中傷をしてくるとは思わず「マジか、コイツ」といった呆れ半分、メルリナを馬鹿にした怒り半分でラーゴはクルスを見つめる。
「何だその目は! いいさ、そこまでいうならもう一度闘ってみろよ! そして、消滅されてしまえ!」
「言質はとったっすよ。……てことで、もう一度相手をお願いするっす!」
レオドラートの方を見て、ラーゴは笑った。
それに待ったをかけたのが、フィラルドだ。
「何を勝手に話を進めているのだ? その闘いを再び行ったところで、私にはメリットがないだろう? お前も次闘ったら真に消滅させるぞ」
「つまり、こういうことっすか。せっかくお嬢さんの婚約者となったのに、もう俺と闘って勝つだけの力を爺さん精霊は持っていない。誤審によって手に入れたせっかくの婚約者の立場を手放したくないよぉ。ママぁ~! ってことっすね」
「貴様、王太子であるこの私を侮辱してるのか?」
「違うっすよ。俺が侮辱したのは、勝ったらお嬢さんの婚約者になるといって、実際は勝っていないのに勝手にお嬢さんの婚約者を名乗るへなちょこゲス野郎っすよ」
フィラルドはその言葉を聞き、眉を腹立たしそうに動かした。
そして、怒りを孕んだ引き攣った顔の笑みを見せ小さく呟いた。
「レオドラート……殺ってしまえ」